第一章 第六話 おたま!
「いただきます」
「いただきまーす」「いただきますっ」
真ん中を横切る形で小川が流れている長閑な村、その外れにある丘の上に立った木造建築の家にて、昼の号令がかかる。
行儀よく手を合わせて言うディルティーに続き、すっかり元気を取り戻した様子のランジリーとメイトが声を合わせて言い、フォークを握った。
「ランジリー、紹介した騎士団の話。どうだった?」
ミートソースがたっぷりと絡んだスパゲッティの麺をクルクルとフォークで巻き取るディルティーは、早速口元にミートソースを付けつつ豪快に食を進めていくランジリーに問い掛けた。
「あぁ、楽勝だったよ~。お母さんの言う通りにファミリーネーム伏せて試験受けたけどトップ成績だった。やっぱり才能あるんだなぁアタイ」
「あははは、流石私の娘。才能は置いといてだけど、その位じゃないと稽古甲斐が無い」
「置いといてって何~、剣士志望は何十人と居たんだよ」
「良いなぁ姉貴、僕も早く受けてみたいなぁ」
「メイトはまだ無理~♪」
楽しげな食卓。絵に描いた様な幸せな光景であり、誰も血が繋がっていない事を全く感じさせない。
メイトはランジリーに向かって「後三年経てば行けるもん」と頬を膨らませる。
「うんうん、メイトも私の自慢の息子だから心配ない」
机を乗り出してワシャワシャとメイトの髪を掻くディルティー。
「昼からは剣柄稽古としようね、私は少し買い物に行くからちゃんとやってるんだよ」
「はーい」「はーい」
そこで会話は区切られたらしく、各々が食に集中していく。
――剣柄って、柄じゃなくて峯使ってるから剣峯じゃないのかなぁ。
――言いにくいからじゃない?
メイトとランジリーはひそひそとそんな他愛もない話を途切れ途切れに続け、その様をディルティーは気付いていないふりをしながら微笑ましく眺めていた。
「よーし、始めるかー」
発育の良い身体付きの産物を両腕で挟み込み、木刀の切っ先を真っ直ぐにメイトに向ける右肩上段の構えを取ったランジリーは言った。
昼過ぎ、ぽかぽかと世界を照らす秋の太陽が目に染みる午後の庭。
メイトとランジリーは村に買い物に出たディルティーを見送った後、足早と木刀を握り締めて庭に飛び出した。
「今日こそは僕が勝つからなー」
ランジリーとは対照的に、木刀を地面に流す形の右下段の構えを取ったメイトは嬉々累々と楽しそうに応える。
「お馴染み、天才の私は峯を使うという事で」
「まぁ、それも今日で終わりだけど……ねっ!!」
走駆。
気取った話し方をするランジリーに言い返すや否や、メイトは駆け出した。
相手を翻弄するのが目時の小刻みに素早く左右に振れる足取り。下手に斬り込めば躱されてカウンターを喰らうのは必至だ。
「タァァッ!」
何の反応も示さないランジリーに向かってやや左の位置からの斬り上げを試みるメイト。
「逆上せ上んなし、アタイの方が五年も早く」
ランジリーは斬り上げを、下にシフトさせた木刀の峯で受け止めた。それを予想していたメイトはそのまま剣を少し手前に引き、振りかぶって頭目掛けて打ち込む。
「母さんの稽古を受けてるんだかんな!」
先読みの応酬。メイトが打ち込めばランジリーがそれを防ぐ。
通常、防御というのはどうしても後手に後手にと回ってしまうため続けていればいつかは綻びが出るものである。しかし、ランジリーは全く引かない。メイトの剣戟を見切っているのだ。
打ち下ろされる寸前の手の向き、刃の方向。それらを眼で把握し、後手ではない五分の防御を織り成している。口で言うのは簡単だが、それを実践しようとしても剣戟の迫力に思わずたじろいでしまい、結果的に予想でガードに走ってしまうもの。だがランジリーは臆さずに立ち向かう。
「あっ」
短い嗚咽。先に襤褸が出たのはメイトだった。
勝負を焦るために自分の剣が徐々に大振りに、単調な攻めになっていった事に気付いての小さな後悔の念。
「貰った」
気付いた処で、懇親に剣を止める事は出来ない。ランジリーは自分の脇腹を愚直に狙いに来た牙を己が牙で絡め、メイトの手の向きと逆の方向へ弾く。
乾いた音を立てて空を舞う木刀。勝負の決まる瞬間。
「胴抜き頂き!」
玩具を買ってもらった子供の様に純粋な笑みを浮かべるランジリー。
「ぶぼぼっ」
フグの様に頬を膨らませ、タコみたいな顔をするメイト。
ランジリーの木刀の峯が容赦無くメイトの臍の上を叩き付けた。
*
「どうした? もうそれでお終いとか言うんじゃないよなぁ」
掌底を喰らって倒れたまま動かないメイトに、ランジリーは戦斧を拾い上げ、その先をメイトに向けて問い掛けた。
その言葉にピクリと指を動かすメイト。
――あぶねぇ、意識が飛びかけてた。
眼を薄く、覚束ない足取りで何とか立ち上がる。ダメージの色は濃厚である。
未だチカチカと点滅する視界、頬を両手で叩くことで無理矢理に矯正したメイトは「そんなに柔な鍛え方してねぇよ」と強がる。
「あぁ、そりゃ良かった。たった独りの家族だからね……死ぬ時は印象的に死んでくれ」
ぶわっ、とした何かがメイトに襲い掛かる。それは何という事は無い、ただの純粋なまでの殺気を孕む闘気。
「姉貴のする事は昔から矛盾だらけだ、」
「……?」
「過去は所詮過去、姉貴は逃げてるだけだ」
一見、意味のない挑発。
ランジリーは言葉の真意が分からずに、訝しげに眉をピクリとだけ動かした。
それが何かを測ろうとするランジリーだったが、メイトが自分へとジグザグに駆け出したのを見てすぐに頭の片隅に追いやる。
「何の成長もしてないらしいなぁ」
左右に小刻みに触れる、一見捉えにくそうな動き。
それで近寄ってくるメイトに、ランジリーは敢えて何も行動を起こさず、戦斧を構えて待つ。
後一歩の距離、メイトの動きが刹那停止。
「一旦止まらないと攻撃に力を乗せられない、母さんが指摘したのを忘れたのか!?」
メイトの薙ぎ払う剣戟がランジリーに襲い掛かる。しかし、ランジリーはそれを見越し、既にガードをやや下に下げていた。
メイトの瞳が、光を鋭利に反射させる水晶の様に鋭い光を抱擁している事に、ランジリーは気付いていなかった。
数瞬後、ランジリーの体を大きく後ろへと飛んだ。
「なに……!?」
――確かに防いだはず!
飛ばされながら、ランジリーは手元に残ったガードの手応えを確かめる。
しかし、それは、
「蘭華B!」
休む暇を与えない追撃。
メイトは目を閉じて集中、剣に魔力を注ぎ込み、それを放つ。
刀身に宿った青い魔力は振り下ろされた勢いに乗り、数本の閃光となってランジリーに迸る。
「くそっ、ったれがぁぁぁぁ!」
――軽い。
手に残る感触の軽さ、腹に溜まる鈍痛に気付いたランジリーは乱暴に舌打ちをし、慣性で飛ぶ体を斧を地面に突き刺すことで無理矢理に停止させ、迫り来る閃光を戦斧で薙ぎ払う。
「う……ッガ」
痺れ。戦斧を這い、直接体に通る電撃。
雷属性の魔法を伝導体である鉄でのガード、普段冷静に戦闘を運ぶランジリーは怒りでそれを失念していた。
「成長していないのは、過去に囚われた姉貴の方だよ」
いつの間にか距離を詰めていたメイト。
ランジリーは戦斧の側面でガードしようとし、腕を持ち上げる。
上がらない。
ガリーマル―製の特殊な鉄で作られた見た目よりは軽い斧。
痺れが抜けていない今では果てしなく重い。
空気抵抗でさえ邪魔に感じる。
躊躇いを微塵も感じさせない白刃が、苦渋に眉を寄せるランジリーに迫る。
赤毛が、宙をひらひらと漂った。
*
「二人に、とぉっても大事な話があるの」
太陽は西の空低くに位置し、今にも死にそうな淡い光を世界に届け、鳥達は何かを求めて虚ろに鳴く……、そんな夕涼みの時分。
「ん? 何かあったのか?」
「大事な話?」
相も変わらずお揃いの動き易そうな布地の長袖シャツを着たメイトとランジリーは、腕を組んで深刻な顔をするディルティーの向かいの椅子に座った。
電気も点いていないリビングにて、何も乗っていない食卓を挟む三人。
見事なタンコブを頭に飾るメイトはその頭をすりすりと撫でる。
「母さん、仕事が入っちゃってさ。かなり面倒な」
「また騎士団からの仕事?」
「いーやぁ……まぁ色々とさ」
ランジリーの問い掛けにディルティーは言葉を濁らせながら窓の外へと目を遣った。
「長いものになりそうだから、しばらく帰れそうにないのよ」
「しばらくって……どの程度?」
「んー、あははははは、年単位かな? それともずっと?」
「えっ」「えっ」
メイトの問いに対し、乾いた笑いと共に吐き出された暫し、もしくは永久の別れ。
予想だにしていなかったその言葉に、二人は口を揃えて呆けた。
だがディルティーは、ちょっとそこの八百屋に行ってくるね、と同等の軽さで言葉を紡ぐ。
「まぁさっ、メイトは一五歳! ランジリーはもう二十歳! 二人の剣もなかなか上達してきたしお母さんが居なくても大丈夫でしょ! それに――」
『ちょっ、ちょっと待って! いつから!?』
見事なハーモニクス、あくまでも明るく話を進めようと、ヒクついた笑顔でディルティーが言葉を並べようとしたのを二人は机に身を乗り出して止めた。
驚き半分、焦り半分といった二人の顔を交互に見、観念した様子で短い溜息を吐いたディルティーは頭頂をポリポリと掻きながら申し訳なさそうに、
「昔の知り合いからさ、少し聞き流せない話を聞いちゃって。明日にでも立とうと思ってるのよ」
「そんな急に……冗談、じゃないよな」
「母さんがそんな質の悪い冗談を言った事が有る?」
ディルティーの言葉を聞いて、静かに椅子に座り直し、言いたい事が有り過ぎて収拾が付かない頭をガシガシと掻き毟るメイト。
「その話って何? 大変な用事なら私も付いて行く!」
「えぁ? …………ちょっとそれは」
「絶対、足手まといなんかにならない!」
乗り出していた体を更に机の上に乗せ、必死に食い下がるランジリー。
付いて行く、という反応は予想していなかったらしいディルティーは不意を突かれて間抜けな声を出してしまう。
「危ないんだよ、かなり。母さんでも微妙なラインで……もしかしたら、本当に帰ってこれないかも――」
「なら、尚更お母さんだけ行かせるなんて出来ないよ! 危ないなんて関係ない! いきなりバイバイだなんて……」
「姉貴……」
眼の端に涙を溜めて訴えるランジリーは渋るディルティーに詰め寄る。
ランジリーの頭の中を、孤児院で育った自分を拾ってくれた母、それに纏わる色々な記憶が飛び交う。
頭を抱えていたメイトもそんなランジリーを見て、頭を左右に振って覚悟を決めた真っ直ぐな瞳でディルティーを見詰める。
――それは、純粋な家族愛。
「……ツー……………………ぷ……ふ、あははははははははは!」
当然、笑い始めたディルティー。
それはまるで、にらめっこをしていて溜まり溜まった笑いを一気に吹き出しているかのような笑い。腹を抱えて机をバシバシと叩き付ける。
「な、私は本気で!」
「いひひ、いひひっ、違う、違うの……あはははははは!」
自分の腕を馬鹿にされた。
そう思ったランジリーはみるみる顔を怒りに赤く染めたが、ディルティーは手を伸ばしてランジリーの鼻をツンッと押し上げた。
「はぁ、ふふふ。久しぶりにこんなに笑ったなぁ……うん、元気な良い子供を持った」
ディルティーはそう言うと椅子から腰を上げて、大きく伸びをした。
同時に、メイト、そしてランジリーは糸の切れた人形の様に床に倒れ込む。
「鬼神、剣帝ディルティー=ヴァルターの子供に相応しい口の大きな馬鹿餓鬼どもだよ。……拭いきれない程の血に濡れた私がこんなに、こんなにも幸せになれたのは、二人のおかげ」
いつの間にか、ディルティーの手には一本のお玉が握られており、それを食卓の上に無造作に投げた。
カラン、と乾いた響きを発して机の上を転がるお玉。だが、すぐ止まった。
「もっと、もっと強くなって大きくなって……その時にもし逢えたら……また、お母さんって呼んでね」
仲良く二人して隣り合うメイトとランジリー。その二人の顔の間に空いた僅かな隙間、そこにディルティーは顔を埋め、二人の肩を思い切り抱き寄せた。
「いってきます」