第一章 第五話 その女、剣の才塊
「全く、貴方も無理しますね」
「ふふ……そうでも無いですよ。大尉さんが≪な・か・ま≫を野放しにするはず無い、と思ってましたからね」
口元に掠れた血の跡があるジョーカーが、軍服についた砂埃を丁寧にはたき落としている最中のイオスに向かって淡い微笑みを浮かべる。
「あはははは、それもそうですねぇ。何故、仲間が居るのかは分かりませんが、それはまだ聞かないことにしておくとしましょう」
赤い眼を楽しそうに緩ませ、乾いた笑いを口にするイオス。ログハウスの裏、二階の窓が割れている丁度その下には、まるで眠っているかのように昏睡する山賊達が転がっていて、その数は一〇や二〇では済まない。全員、何の傷も負っていない。唯一大きなタンコブのある男が一人居るだけだ。
「本当ならもっと上の階級になれるんじゃないですか? この力があれば」
「それはお互い様でしょう」
「そうですねぇ……でも私にはこれがありますから」
倒れている男の背中にちょこんと座るジョーカーが自らの口元に付着した血痕を指差す。
「確かに、どんな病かは知りませんが難儀なことで。ところで……、私がもし来なかったらどうしてたんです?」
「気になります?」
ジョーカーが言ったのと同時に、一陣の風。
強くもなく弱くもないその風になびく青い髪を押さえ、彼女はイオスに再度「気になりますか?」と問い掛ける。
一拍の時間。通り過ぎた風を惜しむ様に見送るイオスは、静かに首を振った。
「多分、そろそろ終わるでしょうね。どうしますか?」
話題を変え、表が気になるのかチラチラと見えもしない壁の向こうに視線を送りながらイオスはジョーカーに手を差し伸べた。
しかし、ジョーカーは首を振って、
「私は、少し化粧直しでもしておきますよ~、レディにこんな姿で人前に出ろなんてデリカシーがないですねぇ」
「それはそれは、失礼しました。なら僕はそろそろメイトさんの様子でも見てくるとしましょう」
おどけ合う二人は、お互いを探るような眼付きをしながらも、楽しそうに笑う。
一つの剣筋。一本の障害。
メイトは実の姉に向かい、剣を全力で振り抜く。歯切れの良い金属音。ランジリーは尽くそれを戦斧の柄と峯で防ぎ、隙を付く形で蹴りを見舞う。
「ッチ」
顎を蹴り上げられたメイトは力に逆らわずに後ろへと飛んで威力を殺す。
攻撃の当たらない焦り、不安。幼少時代より稽古で負け続けていたメイトを襲う固定観念。
――やっぱり……、勝てないのか。
二人の戦法はまるで鏡に映したかのように正反対の物である。
一撃一撃が重い殺傷性を孕んだ、ガードを抉じ開けようと連続で襲いかかるメイトの剣。
堅牢な防御を心掛け、相手の隙をついて素早い攻撃で確実にダメージを蓄積させていくランジリーの格闘。
鉄の巨魁、防御に不利な戦斧であるにも関わらず、先の攻撃が分かっているかのように巧みに防ぐランジリーに、戦いが始まってから数分、メイトはまだ一撃も与えることが出来ていない。
「重塵岩牙!!」
距離が離れ、メイトが着地した瞬間、ランジリーの戦斧が地面を深く抉り、振り抜いた際に地面が爆ぜた。爆発系の魔力を武器に注いだ溜めの大きい技。
大量の石や砂の塊がメイトに襲い掛かる。
「くそったれ!!」
左右に逃げ切れない程の広範囲に渡り飛沫する砂塵の矛。メイトは剣で大きい石飛礫を叩き落とすが間に合わずに直撃を見舞う。
「お前、軍に入ってから更に弱くなったんじゃないか? 一年半、馬鹿みたいに遊んでたんだろう」
砂煙でメイトの姿を確認出来ないランジリーは、戦斧を下段に構えて挑発する様に言葉を投げる。
「そう見えるなら、そうなのかも……な!」
大地を蹴り上げ、最高の初速で砂嵐から剣を脇に構えて飛び出すメイト。更に一歩、地面を蹴り、半身の状態で速度を乗らせた最高の奇襲。
「だから弱いって言ってるんだよ」
ランジリーは戦斧を放り出すように手を離し、僅かな時間だけ前に浮かばせて間髪入れずにその峯をブーツの靴底で押し出した。
「なっ!?」
メイトは飛来する巨大な鉄の塊に虚を突かれ、無理矢理に体を回転させて遠心力の付いた剣戟でそれを弾き飛ばす。
「相手の武器の特性の見誤り、お前は剣でなく斧を使うアタイを馬鹿だと思ったのかは知らないけど」
戦斧を薙ぎ払った先、既にランジリーの姿は無い。声は自分のすぐ近くで聞こえるのに姿だけが無いという状況、メイトはすぐさま空を見上げた。
「何を使っても使わなくても、アタイはお前より強いんだよ」
下方。足を限界まで開き、地面すれすれの位置にまで尻を落として力を溜めていたランジリー。メイトがそれに気付いた時、既にその牙は顎を抉っていた。
「カッハッ……!!」
全身をバネにした零距離からの掌底アッパー。魔力は含んでいないらしく、純粋な打撃であるその攻撃はメイトの体を数メートル宙に弾き飛ばす。
「ゲブッ」
首がもげると錯覚する衝撃の後、色滲み歪む世界。
視界は暗転し、自分の体が玩具みたいに転がるのをメイトは客観的に捉える。
『いつかは、男の方が強くならないといけないよ』
――えぇー、でも僕じゃお姉ちゃんに勝てないよ……それに母さんより強い男の人なんて見た事ないよぉ。
『っぷ、はははははは! そんな事無い、ごろごろと……は居ないだろけど、沢山居るよそんな奴は』
――うーん……そうかなぁ。
『―――――』
*
「すみませーん、どなたかいらっしゃいますか?」
俺の住んでいた孤児院に、その芯の強さを感じさせる低い女声が響いたのは、俺がまだ八歳になるかならないかの時だった。
あぁ、また誰か居なくなるんだろうなぁ。
俺はそんな事をぼんやりと考えながら、周りの名前もよく覚えていない男友達数人と積み木を組み立ててガタガタの城を築きあげる作業へと意識を戻した。
この羽振りの悪い時代、趣味で孤児院を経営をしているという四十路過ぎの小母さんと、客の女の人が話す話し声が聞こえてきたが、幼い俺には何を話しているのかは分からなかった。
「む、君、ちょっとこっち向いて」
肩をトントンと指で叩かれ、何だろう? と積み木を積む手を休め、俺は後ろに振り返った。
「だぁれ? おねーさん」
「おやぁ、ここの教育はなかなか良さそうだねぇ」
前屈みに俺を見下ろしていた女性は僕の言葉を聞いて嬉しそうにケラケラと笑い出した。
目鼻立ちの整った顔、人間の物より末天人を現す代名詞的な垂れた長耳、そして短い黒髪を持つ……何も話さなければクールな印象だろうが、花が咲いた様な笑顔のギャップはそれはそれで魅力的な二十歳過ぎに見える女性。
「私はディルティー=ヴァルターっていうの。君は?」
「僕は、メイト=何とか~」
幼いころに孤児になり、自分のファミリーネームを忘れてしまっていた俺がそう答えると、ディルティーは優しく俺の黒髪を撫でた。
「君、良い眼してるねぇ」
ディルティーが深みのある黒い瞳で俺の目を覗き込んだが、幼い俺は、自分と同じ目の色だから褒めてくれてるのかなぁ? と、的外れな事を頭に浮かべていた。
「うん、強くなりそう。すみませーん」
そう呟いたディルティーは俺の髪から手を離し、再び小母さんの元へ歩いて行ってしまい、何だったんだろうと訳が分からなかった俺は再び、手を止めてくれていた友達と積み木を絶妙なバランスで積む作業を再開した。
数分後、すっかりディルティーの事を頭の隅に追いやっていた俺の元に、再びディルティーは戻ってきた。
「ねぇねぇメイト君、私と家族になってヴァルターの名を継がない?」
「ふぇ?」
言っている意味が分からなかった。
だが、この後彼女は面倒な手順をしっかりと踏んで、俺を養子に引き取ってくれて……、後日、言葉の意味が分かることとなった。
「ランジリー! もっと剣筋を良く見る、予想でガードしない! メイトはもっと腰を入れて勢いを殺さないよう!」
メイト、一二歳。
ランジリー、十七歳。
お揃いの絹製Tシャツを纏う二人、朝日照らす広い庭にて吹き飛ぶ。
剣を模った木製の棒が高々と宙を舞い、ランジリーの防御の隙、メイトが振り下ろす隙に素早く木刀の峯で二発叩き込んだディルティーは地面に這い蹲る二人に向かって鬼の形相で言い放った。
「もう……一本!」
即座に立ち上がったランジリーは脇に落ちた木刀を拾い上げて再びディルティーの前に立って構える。
「よし!」
立ち上がったランジリーに満足気に頷いた白いワンピース姿のディルティーは、今度は峯では無く木刀の切っ先による突きを放った。全くの容赦ないスピードの突き、ガードを試みるのは逆に危険だと判断したランジリーはすんでの所で後ろに下がった、だが、
「今のは最低の解答だ馬鹿者!」
下がったランジリーの瞳に向けて罵声を放ったディルティー。
深く一歩踏み込み、木刀を逆手に持ち替えての斬り上げ。鈍い音と共にランジリーの木刀は跳ね上げられ、腕が上に行ってがら空きの腹部に深々とサンダルが突き刺さった。
「ッ――!」
声に成らない悶絶。下がった足のまま後ろへと弾かれるランジリーと入れ替わりにメイトが飛び出す。
「でやぁぁぁぁぁ!」
気迫とダッシュ力を乗じた飛び斬り。十二歳のものとは言えども当たればただで済みそうにはない。
「足を浮かせてどう腰を入れるつもりだ、論外!」
一見、威力の高そうな斬り下しなのだが、ディルティーは吐き捨てるように言って手の平でそれを横払いに流した。
「うわっ!」
自分なりの答えが予想外の対処法で防がれ、精神的にも、物理的にもバランスを崩したメイトの横腹へ、ランジリーと同じくサンダルの踵が叩き込まれた。
ランジリーのすぐ隣に転がり込むメイト。どうやら二人は既にとことん痛めつけられていたらしく、苦しげに呻いて地面に頬を擦る。
「ふぅ、こんなもんか」
二人の有り様を見たディルティーは短く息を吐いて整息。
庭の隅、小さな庭木が立ち並ぶそこでへばっている二人の元へ歩み寄る。
「朝の稽古はここまで。少し早いけど昼ごはんにしようか」
先程までの鬼のような顔はどこにもなく、それを言ったディルティーの顔は心の底から二人を愛しているのが分かる優しさに溢れた表情だった。