第一章 第二話 メイトの憂鬱
「……ルター中……ヴァル……中尉さん」
「ん……? くぁ……」
……誰だ? 眠りこけていたメイトの耳に聞き覚えの無い透き通るような声が届く。ぼやける視界を正す為に目を擦ったメイトの目に映ったのは、腰まである色素の薄い青い髪と若干たれ目がちな全てを見通しているかのような深みのある赤い瞳の、イオスと同じく髪と瞳の色素が正反対という珍しい組合せの少女だった。
顔を見ても誰だか思い出せない様子のメイト。それを察したのか少女は薄く唇を開き、周りに聞こえない程度の声で、
「初めまして、ジョーカー=エンハンス少尉です。そろそろ総会も終わりそうですよ」
「あ……あぁ、サンキュ。俺は」
「一七歳にして中尉、剣士のメイト=ヴァルターさん。有名ですので知らない人は居ませんよ」
「それは褒め言葉的な有名なのか?」
ニヤっと含み笑いをして言うメイトに、「どうでしょうか」とクスクスと笑いながら言うジョーカー。
「そっちも俺と変わらない歳だろ? 一階級差くらいで敬語は気持ち悪い」
「そうですか? でも、これは癖なんで」
「さいか。イオスと似て珍しい髪と瞳の組み合わせだな。出身国は?」
聞いてから――あぁ、初対面で聞く事じゃねぇか。と考え、訂正しようと口を開いたメイト。しかし、僅かにジョーカーの方が早かった。
「……孤児です♪」
孤児、と聞いたメイトは「……あ、あぁ」とバツが悪そうな顔をして頬を掻く。会話が途切れた、奇妙な沈黙。だが、そこにメイトにとって救いの声。
『今月、七月の総会は以上だ』
ガレウスが総会の終わりを告げる。
同時に座っていたメイト達は立ち上がり、敬礼。ガレウスとその周りの人間は入ってきた脇の扉を開け、その姿を消していった。最後尾、遠目からも分かる程の眠そうな表情を浮かべている少女がその扉をくぐるまでメイト達は敬礼を解かなかった。
ざわめき始めるホール、敬礼を解いた者達は大きな扉を開き、外へ流れていく。
「ふぅ、起こしてくれて助かっ……た?」
メイトはジョーカーにお礼を言おうとして左に向いたが、既にジョーカーの姿は無い。もう帰っちまったか、と考えたメイトは椅子に座り、首と肩をコキコキと回しながら扉の前の混雑が無くなるのを待つ。
「終わりましたね」
メイトの隣、先程までジョーカーの座っていた席にイオスが爽やかな笑みを浮かべながら座った。
「お前んお嬢さん、馬鹿みたいに首カクカクしてたじゃねぇか」
「ははは、本当に寝てしまった貴方よりはマシかと思いますよ」
「見てたのか?」
「いえ、口元にヨダレの伝った跡が」
それを聞いたメイトは小さく舌打ちをしながらゴシゴシと口元を軍服の袖で拭う。イオスは乾いた笑いを上げて扉の方へ顔を向ける。
「そろそろ良さそうですね、帰りますか」
「ん、そうだな……よっと」
メイトはイオスの意見に同意し、立ち上がって背を伸ばしてから先に歩き始めたイオスの後ろをとろとろと追う。
「今日はこの後、何かご予定は?」
「んー……今何時だ?」
メイトの問い掛けにイオスは歩きながら袖を捲り上げ、腕に巻き付けていた腕時計の盤上を見る。
「丁度朝の五時になったばかりですね」
「昨日何も食ってねぇんだ。腹が減って寝付けないし、朝食まで何かするかな」
「ふむ、それならば私の部屋でオセロッ――」
堅いものと硬い物が勢いよくぶつかるような音がイオスの言葉を遮る。
顔に文字通りハテナを浮かべるイオス……それもそのはずで、メイトに何事かと聞こうとして隣を向いたものの、そこに彼の姿が無かったからである。
代わりに居たのは、爬虫類の……違う、翼の節毎に付いている立派な翼爪、それにそんな軟な物ではないがっしりとした……そう、まるで伝説上の生物とされる竜の翼を背から生やしている少女。それが太さ回り三〇センチ程の立派な尻尾をブンブンと振り回し、「ぶひゃひゃひゃひゃ」と爆笑していたのだ。
「ラバレル=ソクラス=キルディア=ライン=ラハール少将けーんざーん!」
「ラ……ラソキララ少将? ここにメイトさんが居ませんでしたか?」
「あれ、あれ。ひひひ」
歳相応の無邪気な笑い声を上げ、目の前やや下あたりを指差して腹を抱えている。イオスはその指の先、二人の向かっていた階下へと視線を流す。
「メイト=ヴァルター、味方の中でも油断するなと常々教えているじゃろう」
緩やかなカーブを描いて下に続く螺旋階段、ちょうどホールの一個下に位置する踊り場でメイトは伸びていた。
「メ、メイトさん?」
イオスの呼び掛けに全く反応を示さないメイト。
血こそは出ていないものの、一〇段以上の高さから堕ちた衝撃は想像するに易く、指先一つ微動だにしない様からどうやら気を失っているらしい。ラソキララと呼ばれた少女は段上から飛び、翼を軽く羽ばたかせてメイトの前に舞い降りた。「ほれほれ」と言いながら無抵抗のメイトの頬をつつく。
刹那、『ヒュッ』という音、建物内にある照明を反射する何か、ラソキララの人差し指に止まる剣の刃。
「軍則第二条、味方に対する抜剣、発砲、攻撃魔法詠唱の禁止。儂じゃなければ首が刎ねられているところじゃ」
歳に似合わない言葉遣い、そしてメイトの放った剣を指一本で止めている彼女の姿は正に異様、指先からは一滴たりとも血が垂れていない。メイトは起き上がりざまに剣を抜き、的確に首を狙い斬りかかるといった一連の流れるような危険極まりない動きをみせたが、ラソキララに防がれた瞬間、糸が切れたかのようにその場へ倒れ込んだ。
「ん、何か死んだっぽい?」
「いや、流石に死んではないでしょうが、まぁ部屋に運んで横にさせた方が良いと思いますよ」
ラソキララは振り返って冗談っぽく尋ねるが、段上で突っ立ったままで既に冷静を取り戻したイオスはいつも通りの調子で流暢に話す。つまらなそうにボサボサの頭を掻き毟るラソキララは、「やれやれ」と首を振ってメイトの肩に手を置く。
「仕方ないなぁ、ほい、ワープ」
――うるせぇ……。
メイトは背中に感じる軟らかい感触と、聞き覚えのある話し声で目を覚ました。
「つまり、防御魔法というのは本来攻撃性の魔法を空間上で制止させて圧迫固定することで盾と化す事を言うのですね」
「えぇ、防御魔法はここ最近確立されたばかりの高度な魔法でして、極める事は難しいとされていますがね」
瞼を開いたメイトの視界にはアクリル製の天井が飛び込む。
――どこだ、此処。上体を起こしたメイトは、同時に鈍い痛みが頭を走り抜けたので顔を歪ませる。
「おや、起きましたかメイトさん」
「お邪魔しています、メイト中尉」
メイトの予想通り、話していたのはイオスとコリーであり、ここは見渡してみると此処は自分の部屋だという事に気付いた。
「あれ……何で寝てんだ俺」
寝ていたベッドの縁に足を投げ出したメイトは手で頭を押さえながら、何処から持って来たのか、木製の丸椅子に座っているイオスとコリーに尋ねた。
「まぁ、知らない方が良いですよ。はい、無理言って持ってきました」
二人の間には小さな机。その上にはトレイがあり、握り拳程の大きさの丸いパン、一口大の小さなチーズにウインナーが三本乗っている皿が置かれていた。
「これ、別売りの物を買ってきました」
コリーは脇の位置のポケットから一個の紙パックを取り出し、それをトレイに置いた。『健康一番! 朝の野菜Ⅹ選』と銘打ちされている。
「おぉサンキュー、やっぱ朝はこれだよなぁ」
「もう一〇時ですが」
コリーに礼を言ったメイトは朝食を前にし、疑問なんてすっかり忘れた様子で机をベッドまで引き寄せて食べ始めた。嬉しそうな表情で紙パックの口を開け、一気にゴクゴクと飲む。
「あぁ、食べながらで聞いてください。久しぶりに私と任務に行きませんか?」
「イオスと?」
「えぇ、コリーさんも一緒にどうです?」
「良いんですか!?」
「えぇ、銃士が居ると何かと助かりますしね」
「行きます! 無理してでも行きます!」
コリーは無表情に近かった顔を一気にパァッと輝かせてイオスに向かい、ぶんぶんと首を頷かせる。
「お前、イオスと俺との態度違うくないか?」
メイトは食べる手を止めずにコリーに言った。コリーはメイトの顔を見て一言、
「イオス大尉は尊敬出来る所がたくさん有りますので」
「俺には無いって事かよ」
コリーの返答を聞いたメイトは顔を顰めさせ、イオスは複雑そうな表情で二人を見ながら笑う。
「良いぞ、俺も行く」
「はは、それは楽しみです」
反抗する子供のような眼差しでイオスを睨みつけたメイトは食事の手を早め、口一杯もごもごと動かす。
「汚いです」
それを見たコリーが目を顰めた。
「すみません、依頼の受注をしたいのですが」
独立軍基地、その一階の一角に位置している《依頼案内所》という看板の掲げられている、十番受付まである広いカウンターに三人は居た。
「はい、了解致しました。この用紙にエントリーする人の名前と階級を記入して下さい」
「ありがとう」
受付の白い大きな獣の耳が女性から一枚の用紙と鉛筆を手渡されたイオスは、爽やかに礼の言葉を述べてから紙にスラスラと鉛筆を走らせていく。
「えぇっと……リーダーは誰がしますか?」
イオス=サビルーク大尉(人間)、メイト=ヴァルター中尉(人間)、コリー=ロウ曹長(人間)と書いた所で手を止めたイオスは背後に立つ二人へ問い掛けた。人間という表記の横には半獣人、末天人という文字がある。受付の女性の様な獣の耳を持つ人の事を半獣人というのだろうか。そうだとしたら耳が長く尖っている者は末天人となるのであろう。
「階級的にイオスで良いんじゃないか?」
「私もそう思います」
手持無沙汰、といった様に何もすることのないメイトとコリーは暇そうな顔でそう答える。
「了解しました、討伐で難易度はC辺りで良いですよね」
「あぁ」「はい」
答えを予想していたらしく、二人が答えるのとほぼ同時にイオスは再び鉛筆をスラスラと走らせていった。討伐・採取・特殊と書かれている欄には討伐に丸を付け、難易度と書かれたS・A・B・C・D・Eのローマ字の内Cに丸を付け、
「記入終わりました」
と言って、受付の女性に用紙と鉛筆を手渡した。受け取った女性は記入漏れがないか素早く確認した後、「では少々お待ちください」と奥へと消えていった。窓口の一つ一つは狭く造られており、中に何があり、誰が何をしているのかはあまり見えない。
特に話すことも無いのか、三人はぼんやりと辺りを見渡す。
結構な人混み。一階には依頼受付所の他に、一般受付、訓練表掲示板といったものから多数のベンチが設置されていて、それらを利用しているのは軍服を纏う者が大半を占めているものの、ちらほらと私服の者も見受けられる。
「メイト=ヴァルター中尉、少し良いですか?」
いつの間にか受付に戻っていた白耳の女性がメイトに向かって言う。不意に声を掛けられたメイトは「へ?」と裏返った間抜けな声をあげてそれに応えてしまい、隣に立っていたコリーとイオスがップ、と小さく吹き出した。
「……何だ?」
わざとらしく咳払いをして誤魔化したメイトは、受付の女性、カウンターの前に気怠そうに歩み寄った。
「貴方を指名している依頼があります。詳細はこの用紙に」
「俺を指名?」
怪訝そうな表情を浮かべ、受付の女性から一枚の用紙を受け取ったメイト。
――俺を指名って、わざわざ中尉を指名なんて聞いた事ねぇぞ。
大体、俺のこれまでの成績もそこまでの物は……。
そんな事を考えながら、用紙の内容を確認する。そして、彼は表情を凍らせた。
「……どうかなされましたか? メイトさん」
数十秒、用紙に目を向けたまま固まっているメイト、どうしたのだろうかと、イオスが声を掛けるとようやく「あ……あぁ」と曖昧な返答を返し、
「すまん、任務はこれで良いか?」
「えぇ、私は良いですよ、何の依頼ですか?」
「私も、無理な難易度で無ければ構いません」
メイトの言葉に二人は特に反対する様子なく、メイトの次の言葉を待つ。
上手く言葉に出来ない、というよりは言葉にしたくないといった様子のしかめっ面を浮かべたが、短く息を吐き、「難易度B、須乃とエナメントの国境の山賊退治」と一息に言った。
「もしや、ユーシア村ですか?」
「あぁ」
イオスは何か知っている表情でそう言い、肯定が返ってきたのと同時に「ふむ」と何かを考えるように言い、唇に右の人差し指を当てた。コリーには全く心当たりがないらしく、二人の様子を不思議そうに見つめるものの、何となく聞かない方がいいと考えて黙り込む。
「えー、この依頼には組点四四点が設定されていますが、このままのメンバーで宜しいですか?」
「組点?」
メイトは聞きなれない単語に首を傾げる。
「今日の総会で説明がありましたよ、新規則です」
「寝てたから分からん」
堂々と居眠りを告白するメイトにコリーはため息を吐きながら言葉を続ける。
「簡単に説明します。これは依頼の受注に対する人数制限をかける規則です」
「はぁ? 何のために」
「特定の依頼への集中を防ぐのと、個人個人への報酬額の公平化が目的です。二等兵一点・一等兵二点という風に吹いていき、この場合、私は曹長なので七点、メイト中尉は一二点、イオス大尉は一五点なので合計三四点。残り一〇点分の人を連れて行けます」
「ちなみに伍長は五点、少尉は一〇点です。ランクBは兵長以下の参加は認められませんので、伍長二人か少尉一人が参加出来ますね」
「へぇ……」
コリーの説明とイオスの補足を聞いたメイトはどうするか考える。そして、人数は多い方が良いか、と思い、
「誰か誘うか」
と言った、その時。
「ぶわぁ~っはっはっはぁぁぁぁぁ!!」
真上からの高笑い。場所は独立軍基地、円柱型に造られた建物は中心部が空洞になっている為、高笑いを聞いた人々は真っ先に空洞を突き抜ける形で最上階である三十階まで伸びる螺旋階段へと目を向けるが、それらしき人物は居ない。
次の瞬間、メイト達の少し後ろの位置で重々しいズンッという音と突風が吹き荒れた。
「話は聞かせて貰ったぞ!」
その突風の中心に居た……いや、舞い降りたのは自身の身長の倍はある巨大な竜の翼を目一杯に広げ、背を反らせて無い胸を張る少女、ラソキララである。その姿を見た瞬間、コリーは背筋を伸ばして敬礼をする。コリーだけではなく周りに居た者はメイトとイオスを抜いて全員敬礼をしている。そのまま五秒ほど硬直、そして自身のしていた行動に戻っていく。ラソキララはそれに対して特に何の意識もせず、すたすたとイオスの前に歩み寄った。
「何処かに遊びに行くのじゃろう、儂も供しよう」
「お前は何を聞いていたんだ」
「少将は三十点ですので無理ですよ」
冷静に突っ込みをするメイト、冷静な突っ込みをするイオス。ラソキララは納得できない、という風に頬膨らませて二人に抗議する。
「良いではないか、あんなガキの決めたルールなんて儂は守る気はないぞ」
「いや、少将なら守れよ……。というか、久しぶりだな竜娘」
十四歳程度の少女が誰かの事をガキ、という光景はとても変な感じがするものの誰もそれには突っ込もうとしない。どうやら知り合い……それも結構仲が良いらしい様に見えるメイトは彼女をなだめる様に頭の上にポンポンと手を置いて挨拶をした。朝会ったばかりなのだが、気絶したメイトは覚えていないのだ。
「む? 先程会ったばかりじゃないか」
当然、話の食い違いの張本人でもあるラソキララはそう言う。二人の頭の上に ? が浮かび上がる。そして二人はそれぞれ違う答えに辿り着く。
――あぁ、総会の時上から見てたのか、とメイト。
――あぁ、こいつ馬鹿なのか、とラソキララ。
「それより少将、確か今朝、他の依頼が入っているといってませんでしたか?」
これ以上二人が話を続けると面倒なことになる、と考えたイオスはメイトとラソキララの間に割って入りながら言った。
「そんなのは破棄すれば良い」
「駄目です、そんな私事は許されませんよ」
「儂なら大丈夫じゃ、なんたって竜人だからな!」
口調が定まっていない彼女はそう言って胸を張る。どうやら、種族は竜人という種族らしい。今は折りたたまれている背の翼もやはり竜の物なのだろう。そんな彼女の頭頂へ、手刀が叩き込まれる。メイトの手である。
「駄々を捏ねるな、大体今回のはお前には来て欲しくない」
「なっ」
来て欲しくない、その言葉を聞いた瞬間、ラソキララの動きが固まった。あからさまに落ち込んでいる様子だ。
「はぁ……、土産は買うから安心しろ、食いしん坊さんめ」
メイトは言いながら、下を向く頭へと手を置く。
「師匠に向かって子ども扱いするでない!」
「ぐぉっ!!」
腹部を貫通しようとする衝撃、それを腹部に感じたメイトは蹲り、空気を吸おうと必死に口をパクパクとする。ほぼゼロ距離からのボディブロー、威力が乗るはずのないその攻撃。だがメイトは冗談抜きといった様子でピクピクと体を震わせて床に這いつくばっているのが現実。
ラソキララはそのメイトの様子を一瞥すると、舌をベーッと出して翼を広げ、何処かへ飛んで行ってしまった。
「今のは少尉が悪いです」
「カッ……ッグ……、は、はぁ?」
ラソキララが居る間ずっと敬礼をしていたコリーは、ようやくそれを解いて足元に這いつくばる彼に冷たく言い放った。メイトは呼吸がうまく出来ないのか、上手く話せていない。
「でも、あと一人誰か居ませんかねぇ」
まるでいつもの事といった様子でその光景を見ていたイオスは最初に書いたエントリー用紙に似た紙へ、やはり最初の内容とほぼ同様の事を書いていた。ただし今回は討伐・B・指定依頼と用紙の上に記入されている。
「あら、そこで蠢いているのは……」
三人の耳を、メイトだけに聞き覚えのある透き通る様な少女の声が走り抜けた。