第一章 第九話 炸裂、そして縛りましょう
呻きを上げる余力も、顔を上げる力さえ残っていない様子のメイトは倒れ込む事だけを拒否するように膝を地面に屈し、力無く両腕を垂らす。
呼吸の音すら、聞こえてはこない。
「そこのメイトの仲間、本当に手を出さないつもりか?」
メイトの肩から剣を引き抜いたランジリーは木の壁に寄り掛かるイオスに尋ねる。
肩から勢いよく血が流れ出す。
「そうですねぇ、自分で言ったことを覆すような友人を持った覚えはありませんので」
「……さいか」
イオスは屈託のない笑みをランジリーに向けて言った。
ランジリーも特に何も言うつもりは無いらしく、無表情でメイトを見下ろす。
「お母さん、ごめんね」
血塗れた剣が振り上げられる。
伝う滴がランジリーの手を、頬を流れるもランジリーは拭わない。
生きているかも分からない母への懺悔、さながら頬に流れる血が涙の様にも見える。
「ま……だ……………、終わ………って、ねぇ………………ぞ」
掠れた声、上唇だけを動かして言ったメイトは右拳で地面を弱弱しく叩く、叩く。
そして、続いて太腿に拳を叩き付ける。血が振動でピュッピュッという音を立てて噴き出す。
「終わりだよ、もう」
メイトを突き動かすひとつの思いが、立つはずもない足を奮い立たせる。
吹き出す血の量は少なく、限界をとうに通り越しているメイトの体。
静かな言葉と共に、ランジリーは剣を振り下ろした。
「うおぉぉ……………ぉぉおおおぉおおぉおぉおぉぉぉぉ!!」
メイトの振り絞られる闘志、風を斬る刃。
何をするにしても、もう間に合いはしない。
気力を尽くし立ち上がったメイトに、ランジリーは驚くでもなく急くでもなく、ただ、これまでにない優しく、柔らかい微笑みを。
姉が頑張る弟を暖かく見守る、愛の溢れた眼差しを。
「やっぱり、無理だったよ……お母さん」
ランジリーの腹に刺さる右拳、片割れの蘭華。
魔法は弾け、青い蘭、花咲き、舞い踊る。
突き出したメイトの甲から溢れ出す青白い花弁の吹雪が、二人を包み込んだ。
「さて、どうしましょうか」
かくして、たった一人その場に立つイオスが折り重なって仲良く倒れ込むメイトとランジリーの姿を見て苦笑いを浮かべる。
「ん? そういえば何か忘れているような」
爽快な初夏のそよ風がイオスの髪で遊んでいく。
「何でしたっけ、まぁ取り敢えず手当てが先ですかね」
喉まで出かかっているといった様子だったイオスだったが、考える事を止めてもたれ掛かっていた木の壁から腰を浮かし、瀕死の重傷である二人へ歩く。
「まったく、作戦と随分違う動きですねメイトさん? よっと」
イオスは返事を寄越さないメイトを重そうに肩に担ぎ上げ、地面に深く突き刺さったメイトの剣を引き抜き、血が付くのも構わずに軍服のベルトに差し込んだ。
「勝者、ランジリー=ヴァルター」
「はぁ……はぁ……」
――弾は後、一二発……鉛を入れれば五〇発だけど、それじゃ作戦の意味を成さない。
木々生い茂る森の中、梢に背を預けて座り込むコリーは舌打ちをした。
「まともにやっても勝てるか分からないのに、本当に無茶な悪作です」
溜息を吐きながら最後のゴム弾達を装填した二丁拳銃の弾倉を閉じるコリー。
ざわめく枝葉の音色、小鳥たちの囀りは聞こえるも何処かに居るはずのマクリーの気配は感じ取れない。
突如、森に響く爆発と悲鳴。
――来た!
コリーは左後方からのそれに向かい、拳銃だけを樹木から突き出して一発撃ち込む。
「けほっ、けほっ! やっぱりあの魔術師さん何か仕掛けてたなぁ!」
――外した。
脇を通り抜けたゴム弾を気にも留めずに、煤だらけのマクリーが怒ったように地面を踏み、火の粉が燃え移った麻の服を脱ぎ捨てて即座に茂みに体を飛び込ませてコリーの視界から失せる。
「鎖帷子……」
細い鎖状の鉄を編み込んで作られた薄手の鎧姿になったマクリーを見たコリーは、ぽつりと呟いた。
「ゴム弾なんて通らない」
見た目以上の防御力を持つ鎖帷子に頭を抱えるコリー。
場所まではバレていないと信じ、その場で息を殺す。
心臓の鼓動さえ邪魔に感じる潜伏戦闘、ただ座っているだけでも緊張に精神は削り取られ、コリーの頬を嫌な汗が伝う。
最小限にしているはずの呼吸音、それが小さいのか大きいのかすら不安なコリーは唇に拳銃を押し付けて更なる消音を心掛ける。
二人が、大将戦の決着をイオスに知らされるのはこの息の詰まる戦いを後小一時間継続させ、太陽がすっかり南中してしまう頃だった。
「んぁ……? ――イツッ」
「あぁ、まだ傷を回復させきってはいないので動かない方が良いですよ」
木の温もり溢れるログハウスの二階の一室、メイトが侵入の為に空けた穴がある窓から心地良い風が吹き込んでくる。
目を覚ましたメイトは苦渋に満ちた顔をして、聞こえてきたイオスの言う通りに動かず横になり続ける。
風穴の開いたメイトの肩口には赤黒く己を染める包帯が巻き付けられており、その上から緑色の優しい光を放つイオスの手が乗せられている。
「どう、なった」
「先に貴方のお姉さんの傷を癒して他の山賊さん達と一緒に、下のフロアで縄を使って縛りつけてますよ。お姉さんが先程目を覚ましたと、コリーさんから連絡がありました」
「そうか」
「はい、回復終わりましたよ。ただ完全には治癒していないので、激しい動きをするとポックリいっちゃいます。後は本部に戻ってから本職の方にしてもらって下さい。後、血がかなり流れているので早めに何か食べるべきですね」
「あぁ、分かった。ありがとな」
「いえいえ」
メイトは礼を言い、体を起こして横に畳まれていた軍服に手を伸ばす。
血が染み込んだ軍服はずっしりと重く、戦いの激しさを物語っていた。
――夢中で、何も考えてなかったな。
先の戦いが蘇る。圧倒的な実力差、抗いようのない姉に恐怖を覚えていた自分がなんとも情けない。
「行く前に渡したアレ、無くさずにまだ持ってるか?」
「えぇ、もちろん」
「サンキューな……、行くか」
流石に血生臭いそれを着るのには躊躇いが生まれ、そっと元の場所に置いた。
「おいー、これどんな縛り方だよー」
部屋割り等は無く、全体が広いロビーとなっているログハウスの一階。
大量の机や椅子は壁際に寄せられ、真ん中で仲間と縛られるランジリーが不満そうに唇を尖らせて言った。
「いやいやお姉さま、私もなかなかエロいですよーう」
マクリーも同様にケラケラと笑いながら言う。
ログハウスの丁度中心部、広く空間が確保されているそこにランジリーとマクリーを始めとした山賊達三十余名が縛り上げられていた。
まだ目を覚まさずにぐったりとしたままの者も居るが、息をしているため死んではいない。全員が全員個別に縛られ、縄の縛り方も様々である。
「マクリーって意外と乳あっ――」
灰色髪で少し老け気味の青年が言葉の途中で意識を失った。
隣に座っていたマクリーのヘッドバットをもろに鼻に受けたのだ。
そんなマクリーの縛り方は亀甲縛り。腕は背中の位置で縛られ、そのまま結びと結びの隙間をひし形になるようにクロスさせ、最後に胸が突き出るように谷間に縄を持っていき縛るという諸葛エロ結びである。鎖帷子が体のラインを際立たせ妖艶な様に仕上げている。
一方ランジリーは一見すると普通に縛られているように見える。だが、両足両手を背中の後ろで一括り縛られており、身動き一つ出来ない且つ股が大きく開かれるという扇情的なシンプル・エロス。
「という縛り方を施していたのですが、終わってからコリーさんに殴られてしまったのでただ単に手を後ろで縛るだけにしました」
「イオスさんはそんな人じゃないと思っていたのに、不潔です」
「いえいえ、普通はそんな感じですよね? メイトさん」
「お、俺に話を振るな!」
「ムッツリですねぇ」
突如、真顔で猥談を暴露したイオス。
幻想が崩れた、とショックを受けて目を手で覆うコリー。
誰にムッツリと言ったのかは定かではない、いつも通り余裕がある物腰のジョーカー。
そして、軍服を着るのを諦めて引き締まった上半身の傷口に包帯を巻き付け、軍服ズボンを履き、焦ってイオスからの同意を拒絶するメイト。
四人は簡易に縛られた山賊達の前に立つ。もちろん先頭にはランジリーが胡坐を掻いて座っており、メイトを表情無くただただ見上げている。その肌に傷や焦げ痕は見当たらない。
山賊達は押し黙るでもなく、騒ぐでもなく、これからどうなるのかを案じてひそひそと隣の者等と話し合っている。
「よ、姉貴」
「よう」
メイトは健全をアピールするように、貫かれていた左肩を上げてランジリーに会釈。
縛られているランジリーはただ単に口を開いて短く返した。
ざわついていた山賊達は空気を読んで黙る。
「姉貴達、実は何もしてないんだろ?」
「……」
「ユーシア村、見たけど全く荒らされた空気は無かったからな。何度か畑から作物奪った程度じゃないのか? 俺が独立軍に入る前と比べて、知らねぇ顔は増えてたが居なくなった顔は、記憶が正しけりゃだが無かった」
「……」
確信を持った表情でメイトは言うが、ランジリーは何も答えずにその顔を見詰める。
「復讐、したいのなら今すぐ全員ぶっ殺してこい」
鞘に収まった剣を引き抜き、ランジリーの後ろに回ってメイトは縛っていた縄を切り裂いた。
縄の跡が目立つ手首、グーパーグーパーと血の通いを良くしたランジリーは立ち上がり、メイトが差し出してきた剣を受け取る。
血は拭い取られ、元の銀の輝きを反射させる長剣がランジリーのぼんやりとした顔を映し出した。
「……探偵かっての」
メイトに付き返される剣。
ランジリーはメイトがそれを何も言わずに鞘に収めるのを見届けてから、語りだした。
「最初、メイトが出て行った時は本当に誰も信じられなくて、憎くて、殺してやろうかとも思った。言葉巧みに言い寄って母さんの金を毟り取ったカス共を呪ったよ。アタイ独りでも全員殺せる自信もあったしね……、でも度胸が無かった。居心地が悪くて逃げ出して、こいつらに会ったんだ」
後ろを振り向くランジリーは、仲間に向けてフッと笑い掛ける。
「最初のうちは一〇人位だったけど、まぁ類友ってやつかな。気付いたらこんな人数になってて気付いたら家おっ建てて山賊になってた。ユーシアの事を話したらみんなブチ切れてさ、そのまま村を全滅させかけないくらいの勢いで武器を手に取ったりと大変だったよ」
「そりゃそうですよー、姉さんは私達の居場所だし、分け隔てなく接してくれた初めての人なんだから報復くらいさせて欲しかったです!」
マクリーが頬を膨らませてブーブーと愚痴るが、ランジリーがその頭を優しく撫で下ろすとすぐさま幸せな表情を浮かべて口を瞑る。
「ま、それは何とか止めてさ」
「力尽くだったがな」
即座に突っ込みを入れた半獣人の男に「うるさい」と口を尖らせるランジリーは、わざとらしく咳払いをして話を続ける。
「でまぁ、ユーシアから定期的に農作物やら食いもんやらを奪い取るだけって事で話が纏まったんだよ。嫌な予感はしてたんだけど、まさかヴァメフに討伐を依頼されるなんて思わなかったなぁ」
「あんまりだー」「やっぱり痛めつけたりするべきだったんだー」「不公平!」「姉さんの金返せし」「横暴ー」「カス」「うんち」「ちんち――」
山賊の面々から抗議の声があがる。不満そうに、怒りに顔を歪め、面白半分に囃し立て始めるも、あまりにも不適切な言葉を言おうとした一人の男にはランジリーの鉄拳が落ちた。
「で、どうする気? やっぱり依頼通りに私達を殺して終わるか? まぁ、回復させてもらってなんだけど……」
ランジリーは部屋の扉に歩み寄り、そこに立て掛けられてた一本の安そうな片刃の刀を手に取る。
「一応リーダーとしての務めってことで、こいつ等だけは逃がすけどね」
左右にキレのある試振りを見せ、刀の峯を肩に乗せたランジリーは四人に向かって不敵に舌を唇から出した。