第九十八話 影響
「奥に行けば行く程、敵がいねえな」
『あちこちで争いが起こって、人が足りないんであるよ』
本部の中を走りながら呟く棺に、用心の為、剣の姿になったレイヴが答える。
棺の言うように、さっきの場に全ての人形が集まっていたんじゃないかと思う程、本部の奥は人がいなかった。
「でも、おかしいですね。さっきの人形は消耗した堕天使の代わりに生み出した戦力ではないのでしょうか?」
本当にあの人形を戦力として使うつもりなら、防衛に一人も使わないのはおかしい。
まるで、誘い込まれているかのようだ。
「にしても、悪趣味な人形だったな。何だアレ? 死体か何かを操ってるのか?」
「…分かりませんが、あの人形の中には以前事故死した隙間の神もいました。恐らく堕天使によって、死体がデプラの下へ集められているのでしょう」
『その割には、あれだけいて、一人も聖痕を使わなかったであるな』
「死体の聖痕を使うことは出来ない…のか?」
棺は呟いた。
そういえば、デプラが聖痕を使っていたところは見ていない。
人間を操る力を持っていたが、アレは奴の持つ槍の力だ。
死体を操ることは出来ても、聖痕まで再現することはできないのか?
「その通りです。オレに人間の聖痕を使う力はありません」
不意に声が聞こえた。
棺達は警戒して足を止める。
目の前には一人の女がいた。
自然な茶髪と人畜無害な顔が特徴的である女。
生前は心優しい人間だったのがよく分かる容姿だったが、浮かべている嫌な笑みのせいで台無しだった。
「いえ、仮に肉体が死んでも、使い残した奇跡は残るものなのですよ。しかし、『オレの扱う奇跡』と『聖痕の奇跡』は少し毛色が違う。そう、言うなら赤と青の違いみたいに…」
「………」
「オレの扱う奇跡は、あなた方の赤い奇跡に近い。故にあなた方が聖痕使いではないことと同様に、オレも聖痕使いではないのです」
長々と興味もない話を述べる人形に棺は静かにレイヴを構える。
話しているのはデプラだが、ここにいるのは人形だ。。
人形相手に時間を取られる訳にもいかない。
「衣、オレが合図したら……衣?」
棺は衣の異変に気付いた。
先程から、少しも動かず、目の前の人形を見ている。
その目は信じられない物を見たかのように見開き、同時に恐怖の色も見えた。
「そんな、まさか、人形って…」
「そういうことですよ。江枕衣。ここにいるのはあなたが愛した『柔木理念』です」
人形の言葉に衣は凍りついた。
棺にもその名前は聞き覚えがあった。
そして、理解すると同時にデプラの卑劣さに激怒した。
「どこかの馬鹿は、聖釘を不滅の象徴の様に見ていましたが、聖釘は本来『人間を蘇生させる為』に作られた物なのですよ。あの世から魂を奪い、死体に縛り付けることが本来の用途」
「そんなこと…出来る訳…」
「そう、当然それは失敗しました。今の聖釘の性能は精々、これを仲介にして魂を肉体に縛り付ける程度…ですが、これも応用すれば、一つの魂で複数の死体を操ることも出来る」
デプラが今までに起こしてきた異常な現象の正体がこれだ。
青い糸、アレはデプラの魂のへその緒。
本体を収める身体は一つに限られるが、他にも複数の人間を操ることが出来る。
仮に本体の入った身体が死にかけようと、完全に朽ちようと、別の糸を手繰り、違う身体に入れば復活できる。
デプラが不死身に近い存在である理由である。
意志の持たない死体ならば、いくらでも操れる。
その人間に糸を植え付けてさえいれば…
「五年前のあの日、オレはこの身体に『糸』を植え付けた。葬儀はしました? ちゃんと骨は確認しました? 残念、既にオレとなったコレは、骨になった状態でもオレの下へ帰ってきましたよ」
全てはこの瞬間の為。
数年後、何れ出会うことになるだろう衣にショックを与える為。
その為だけに柔木理念は殺されたのだ。
「イヒヒヒ、さあ、教えて下さい! この人の死はあなたに、周囲に、世界にどれだけの影響を及ぼしましたか? その悲劇によって、あなたは一体何が変わりましたか?」
「………」
愛した家族の形をした人形の言葉に衣は答えない。
ただ、俯いて震えている。
「黙ってないで答えて下さいよ! オレの行動によって、あなたは…」
言いかけた人形の動きが止まった。
金縛りにあったかのように身動きが取れない。
いつの間にか、その全身を光る鎖が包んでいた。
特に珍しくもなく、強くもない観念動力。
聖櫃の不適合によって削り取られた赤い聖痕の残りカス。
「変わったよ。理念が死んでしまって、兄さんは理想を求めることに臆病になったし、炬深さんは兄さんとギクシャクしちゃった…」
「動けない…? チッ、弱体化したとはいえ、オレと同質の赤い奇跡を持っているということですか!」
人形を拘束した鎖はどうやっても解くことが出来なかった。
鎖から逃れようと必死になっている姿を衣はぼんやりと見る。
「理念がいなくなったのは、皆に影響を及ぼした………でも、それは『あなた』が殺したからじゃない…!」
ぼんやりとしていた衣の目が、人形を確りと捉える。
この言葉は理念や人形に向けての言葉ではない。
それを弄ぶデプラに対しての言葉だ。
「人が死んだ時、周囲に影響を与えるのはそれが悲劇だからじゃない! その人がそれだけ皆に愛されてたから、それだけ大切に思われてたから!」
凄惨な悲劇だから心に残るのではない。
例え、どんな形であったとしても、その死が、その人の喪失が、愛していた人間には悲しいからこそ、その心に深く刻まれるのだ。
それを笑う権利は誰にもなく、ましてその別れを繰り返そうとするなど、あってはならない。
鎖が人形を締め上げ、その一部が鋭利な刃に変わる。
もう一度、別れを告げる為に。
「さようなら。理念が死んで悲しいけれど、私、間違った方へは変わらないから」
衣が笑みを浮かべて言った。
今にも泣きそうな脆い笑みだった。
愛していた家族の形をした人形は、心臓を貫かれた瞬間、骨と砂に変化した。
「…衣」
棺はその背後から声をかけた。
間違った方へは変わらないと衣は言った。
その死に影響は受けるかもしれないけれど、間違った方へは進まないと…
だが、二度も家族を失う原因となったデプラを衣は憎まずにいられるだろうか?
復讐に生きることは間違った道とは言わないだろうか?
「大丈夫ですよ。棺」
衣は安心するように笑みを浮かべた。
その笑みはいつも通りの物だった。
この笑みを浮かべられる限り、衣が道を誤ることはないと棺は確信した。
『さあ、行くであるよ棺!』
「…いたのか、レイヴ」
『最近私の扱いが酷い!』