第九十四話 史上最悪
尊敬と嫉妬。
愛情と憎悪。
それは一言では言えない感情だった。
殺意とか、好意とか、悲壮とか、羨望とか、様々な感情がごちゃ混ぜで、どうしたいのか分からない。
私は…
「行くぞ、木々」
「…命令しないでよ」
何故、ここにいるのだろうか?
「本部を襲撃してきたのは、反逆者か。予想外じゃな」
『イヒヒ、取るに足りませんよ』
近くに置いてある装置からデプラの声が聞こえる。
本部のどこかの部屋にいるらしいが、探女も把握できていない。
「人形達はもう使えるのか?」
『いえ、人形は神無棺対策だったので、まだ準備は出来てません。準備が出来るまで時間を稼いで下さい』
デプラの言葉に探女は眉をひそめる。
「堕天使もかなり消費した。これ以上は計画が遅れる」
『それでしたら、あなたのご自慢の『アレ』を使ってはどうですか?』
「…チッ」
探女の隠し続けていた切り札は既に、デプラにバレていたようだ。
いつ裏切られるとも、裏切るとも分からない間柄、こちらの手の内は隠しておきたかったのだが…
知られているのなら、仕方ない。
「ならば、『最短』で片づけよう」
最短の時間で、
最低限の労力で反逆者を片づけるには…
「…ふむ」
「妙だな」
染め上げた金髪の、電子タバコを銜えた男、鐘神季苑が呟く。
先程から反逆者の先陣を切って、本部へ突入したが、向かってくるのは本部勤務の隙間の神ばかり…
自分をかつて暗殺しようとした堕天使はいない。
想定以上に先の争いの時に消耗したか?
ならば、好機だ。
「ちょっと、一人で独走してどうするのよ!」
聖痕をフルに使い、突き進む季苑に何とか追いついた砂染木々が叫ぶ。
観念動力で操ったコンクリートに乗り、凄まじい速度で進む季苑について来れたのは風の奇跡を持つ木々だけだ。
「お前がついて来ているから、独走ではないな」
「そういう問題じゃないでしょう! 見て、後ろの逸谷達を! 豆粒じゃないの!」
「…ようやく、真実を知れるのだ。思わず興奮してしまうのも仕方ないだろう」
「…やれやれ、あなたは昔から自分勝手ですね…じゃない、自分勝手よ!」
思わず、過去の口調に戻ってしまうのを何とか抑え、木々は季苑を睨む。
当然、季苑はそんなことを気にした様子はなかった。
本当に自分勝手だ。
何一つ変わらない。
せめて、変わっていてくれれば、容赦なく憎み、殺すことが出来るのに…
「…ねえ、その真実って」
「止まれ」
酷く感情の込められていない声が響いた。
声の方を見ると、濃い隈が特徴的な、黒いスーツを着た女が立っていた。
クールな顔立ちで、機械のように表情がない。
「私は探女。自己紹介は以上。迅速に殺すが、死ぬ覚悟はできているか?」
探女は、手に持った『ソレ』を季苑達に向け、面倒臭そうに言った。
ソレは…一瞬、一メートル以上ある巨大な宝石に見えた。
「違う………剣?」
光り輝くソレの正体は大小様々な宝石が付けられた『装飾剣』
敵を斬る…と言うことよりも、鑑賞する為に作られたかのように、高級そうだが、切れ味の悪そうな剣だ。
それを探女は重たそうに持っている。
「…お前は何者だ。何故、俺様達に直接干渉してきた?」
「問答は時間の無駄じゃ。どうせ殺し合うのじゃ。一つ伝えよう」
季苑の方を見ながら、探女は億劫そうに答えた。
問答が、殺し合いへと変化する一言を…
「砂染幹にお前を始末するように命令を出したのは、私だ」
「…え?」
声を上げたのは木々だけだった。
季苑は…既に探女を殺しにかかっていた。
観念動力で操っていたコンクリートから降り、それを直接探女に叩き付けた。
「『切断』」
短く言葉が紡がれた。
全力を込めて装飾剣を振った訳じゃない。
ただ、剣先に触れただけだった。
それだけで、コンクリートは真っ二つに割れた。
「予想以上に余裕がないな、鐘神季苑」
「黙れ、お前が真実か。あの事件の元凶か!」
「おかしなこと言うな。『お前には関係のないこと』だろう? 砂染幹(他人)が苦しもうと、傷付こうと不干渉がお前の主義だった筈じゃが?」
「ッ!」
言葉を止めるように、無数のコンクリートの欠片を操り、散弾のように探女に放つ。
「『防壁』」
だが、突然現れた赤い壁に防がれた。
土のような材質をしている割に、コンクリートも弾く硬さを持っている。
「まさか、期待でもしていたのか? 自分ではなくとも、善人はこの世にはいるとでも?…『キャンセル』」
探女の言葉と共に赤い壁は崩壊した。
「実に愚かだ。そんなだから、全て失うことになるのじゃ…『俊足』」
「…なっ!」
一瞬、探女の姿がブレたと思ったら、瞬間移動でもいたかのように、いつのまにか季苑の目前にいた。
探女は装飾剣を構える。
「終わりじゃ。『切だ…」
「私を無視するんじゃないわよ!」
装飾剣を振り下ろす探女の身体を風が捕えた。
木々の聖痕、下降噴流だ。
「チッ…」
「火や刃みたいに見える恐怖はないけれど、中々恐ろしいものでしょ?」
油断していた為、成すすべなく吹き飛ばされる探女を見て、木々は満足した。
隣に立っている季苑へ視線を移す。
「…助けた訳じゃない。赦した訳じゃない。でも、二年前の真実を聞かせてもらうまでは死ぬことは認めない」
「…フン」
季苑は笑みを浮かべた。
冷静にならなければならない。
無様な姿は見せられない。
何せ、自分を目標とする弟子の前なのだから。
「…あいつの力、何か分かる?」
「恐らく、奴自身の聖痕ではない。奴の持つあの剣の力だろう」
「なる程、ならあの剣さえ何とかすれば良い訳ね」
「『キャンセル』」
探女が小さく呟いた。
二人の視線が探女へと向けられる。
「私の伝家の宝刀。実験の末に完成した魔剣『ティルヴィング』…そう簡単には手放さないぞ」
ティルヴィング。
所有者の悪しき望みを三つ叶える代わりに、所有者自身にも災いを齎す魔剣の名だ。
「こいつは人間の生命力を三分割し、それを奇跡へと変換する最高の聖痕装置。これがあれば聖痕使いなどに頼ることなく、聖痕以上の奇跡を起こすことが出来る」
聖痕を超える聖痕装置。
それは革命だ。
遂に、量産できる奇跡が完成させられてしまった。
「だが、その代償も大きい筈だ」
季苑はそのデメリットを見逃さずに言った。
装飾剣ティルヴィングはオリジナルの魔剣同様に、高いデメリットを持つ。
それは生命力を消費するということだ。
生命力の三分の一を消費して発現するからこそ、聖痕を超えた奇跡を起こせるのだろうが、たった三回しか使えない力など、大した脅威ではない。
「無論、それも克服している」
大したことでも無いように、探女は言った。
ティルヴィングの柄に付けられた赤い宝石を指差す。
「これを使うことで、私は願いを『キャンセル』することが出来る。解除された願いは初期化され、生命力に還元し、私の下へ戻る。故にこのティルヴィングに回数制限はない」
「なる程…」
先程から、二つ願いを叶える度にキャンセルと口にしていたのはその為か…
三つ全て生命力を消費する前に、二つ目で願いを初期化し、また一つ目の願いを言う。
性質の悪い詐欺のようだ。
「そういう訳じゃ。納得したなら早く死ね。これ以上、貴様らに時間を費やす訳にはいかん」
探女はそういって、史上最悪の聖痕装置を二人に向けた。