第九十三話 遭遇
「くそっ! 町中にいるみたいだな」
「しかも、探知機でこちらの居場所は把握しているのでしょう」
見慣れた町を、逃げ回りながら、棺と衣の二人は言った。
今まで自分達の身近にあった隙間の神。
それが敵に回るとこんなにも恐ろしいとは…
「そういえば、本来聖痕使いじゃない棺が何故、探知機に引っかかるのであるか?」
「聖櫃から力を得たという意味では変わらねえからじゃねえか?」
加えて言うなら、棺の体内にはその大元である聖櫃がある。
探知機に反応してしまうのも仕方がないだろう。
「聖櫃を発見!」
「くそっ、もう見つかったか」
棺が苛立ちながら声の聞こえた方を向くと、そこには数人の堕天使がいた。
「こっちからも来たである!」
レイヴが逆の方を指差して叫ぶ。
流石に慣れているのか、綺麗に棺達を包囲するように堕天使は集まってきた。
前から数人、後ろからも同じ数…ついでに横の脇道からも何人か現れた。
全部で数は二十から三十と言ったところか…
「チッ、デカイの行くぞ」
舌打ちをしながら棺が構える。
これだけの数だ。
重力を使い、一気に決める。
そう思った瞬間だった。
「…何だ?」
棺は思わず、構えを解いてしまった。
棺達を取り囲んでいた堕天使達が突然消えた。
いや、正確には…
地面に『飲み込まれた』
このようなことが出来る者は…
「よう、シグマ…いや、今は棺だったか?…まあ、どちらでもいい。助けにきたぞ」
赤い髪と赤い瞳、そして二メートル近い身長を持った大男。
棺と同じ赤い聖痕使い、タウがそこに立っていた。
「ねえ、オレは君に聞きたいことがあるんだけど」
「…? おじーさんなら、今出かけてるよ?」
白い眼帯少年、桐羽由来はいつもより真剣な顔で言った。
青髪の美少女だが、割と壊れている少女、モヌケはそれに首を傾げた。
おじーさんとは、嫌味を込めたヘーレムへの蔑称だ。
二人がいるのは隙間の神本部が存在する町、
そこにある公園だ。
ヘーレムは調査の為に、この場にはいない。
「そうじゃなくて、重要なことなんだ」
「は、はあ…? おにーさんがそんな顔するの珍しいね」
いつもは、結構世間離れしている自覚があるモヌケから見ても、人間味がない由来。
基本的に受動的な由来から質問されることなど、珍しい。
少し興味が湧き、由来を見つめるモヌケ。
「君って、何歳?」
「…へ?」
真剣な顔から出された言葉はモヌケにとって予想外だった。
…というか、
「女性に年齢を聞くのは失礼だと思うんだけど…」
自分の知っている一般常識をモヌケは言った。
しかし、別段歳を気にする程、老けていないつもりだし、答えてもいいかな…と思った。
(えーと、デプラに今の身体に変えられた当時で十七歳で…それから十年経っているから…)
「…二十七歳?」
計算してから気付いたが、割と歳を取っていたようだ。
正直、十年前から外見は変わっていない為、歳を数えことを忘れていた。
「意外に歳離れてた…でも、オレは十九だから年上…!」
由来は静かにガッツポーズを取った。
何か、いつもとキャラが違うな…とモヌケは思った。
由来は怒りとか、悲しみとかの感情は殆ど出すことはないが、割と会話好きで、割と女好きである。
邪心や良心とは別のところに色欲の感情があったからなのかは、由来本人にしか分からない。
「と言うか、ボク外見は十七歳だから、年上扱いされるのは慣れてないんだけど………永遠の十七歳的な?」
「外見じゃないよ。オレが年上好きなのは、オレよりも恋愛経験とか豊富だからなんだ」
「………」
(…恋愛経験)
正直、恋愛経験はモヌケは良い思い出がない。
初恋の相手には最終的に裏切られ、ついこの間、槍で刺されたばかりだ。
その後の十年もヘーレムに付き添って各地を転々としていた為、そんなことに費やした時間はない。
「そうだな…例えば、あの人とか、恋愛経験と人生経験豊富そうじゃない?」
「…?」
由来が遠くに見えた誰かを指差した。
何故か、その人物はこちらに歩いてくる。
それは…
「お前が神無棺か?」
「そうだけど…お前は?」
タウに連れて来られた隠れ家につくと、棺は声をかけられた。
肌の露出は多いが色気のない恰好をした女だ。
ちなみにここまではタウの力で移動した為、堕天使に尾行されていることはない。
タウと融合した大地の海を通り、移動した。
便利な力だと思うが、二度と入りたくはない。
「私はサタン。お前が川に突き落としたベルフェゴールの妹だ」
「ああ、あいつの仲間か…他の面子もそうか?」
棺が辺りを見渡しながら言う。
隠れ家には見慣れない人物が二人程いた。
やけに少女趣味な格好をして、笑っている女と、王冠を被り王族のような恰好をして、仏頂面をしている女。
「笑ってるのがアスモデウス。不機嫌そうなのがルシファーだ」
「なる程」
棺は変わった名前だと思った。
だが、自分も本名はシグマと言う人間らしくない名前なので、人のことは言えない。
こいつらも実験台か何かなのだろうか?
「ところで、例の兄貴はどこだよ?」
「…兄貴は捕まった。堕天使にな」
「なっ」
苦い顔をしながら言うサタンに棺は絶句する。
ベルフェゴールが捕まったことに対するショックではない。
あの男の手の速さにだ。
まさか、あの飄々として、隙間の神を翻弄していた男まで捕えたのか…
「オレ達を支配していた頃は遊悪と名乗っていたあの男は『デプラ』と言う。奴は堕天使を、更に隙間の神を掌握している」
「…デプラ」
それがあいつの名。
人の殻の中にいる本性を名。
「アイツがアイツ自身の欲を満たす為だけに行動するのなら、放っておいた所だが、奴はオレの家族を攻撃した」
忠告はした。
それが破られたなら、ただ、報復するのみだ。
タウの思考は至ってシンプルだった。
「オレ達は奴に報復をする。お前達はどうする?」
棺と、会話を聞いていた衣へタウは確認する。
「…棺」
「ああ、オレ達も参加する」
その返事を聞き、タウは笑った。
まるで、もう一度かつての家族と手を取り合うことが嬉しいかのように…
その女性は綺麗だった。
自然な感じの茶髪をさらさらと靡かせ、
人畜無害そうな優しい顔で笑みを浮かべていた。
「え、えーと…」
笑みを向けられ、さっきまで遠くから指をさしていた由来が頬を掻く。
人の心に疎いとはいえ、流石に失礼だったことに気付いたのだ。
「ほら、おにーさん、謝る」
「ごめんなさい」
モヌケに急かされ、由来は謝った。
だが、茶髪の女は特に気分を害していないようだった。
「いいんですよ…」
朗らかに笑う。
由来とモヌケも罰が悪そうに苦笑した。
「そういえば、聞こえてきたのですが…年上の方は人生経験が豊富だと思っているとか?」
「ええ」
この女性との距離を測りかねている由来。
由来がこんな態度を取るのも珍しい。
そう思ったモヌケはふと思った。
そういえば、この女性は何故、自分達のところへ…?
「オレもその通りだと思いますよ。お子様」
水の入った風船に何かを突き刺すような、水気を含んだ音が響いた。
目に映ったのは、赤。
赤い液体。
「ゴホッ…」
自分の生み出した血溜まりに沈む由来。
それを冷たい目で見下ろす女性の手には、赤い凶器。
青い糸の絡みついた赤い槍。
「何、で…デプラが入った死体は、瞳が変色する筈じゃ…?」
理解できない。
十年間、デプラについて調べてきた。
こんなことは知らない。
「オレ自身が中に入っていればね。だが、残念。この身体は『空っぽ』だ」
「空っぽ…? デプラが入っていないただの死体を、聖釘で操って…」
「その通り。流石はかつてのオレの身体です」
聖釘の力は人間を操ること。
それを応用し、デプラは死体を手足のように動かし、自分の身体としている。
だが、それは一つだけという制限はない。
実際、季苑の一件の際に本性を現した時には、死体を複数操ったりもした。
しかし、その時は人間と誤認させる程の出来ではなかった。
「そう。かつて操った人形達ではこのようにはいかなかった。オレの言葉を代弁するなど、前より使い勝手が良くなった理由は、これが『特注』だからですよ」
人形は自分の茶髪と優しげな顔を触った。
モヌケは知らなかったが、この外見、この身体は、『柔木理念』と言う女の物だった。
五年前、聖櫃を入れた衣の様子を見に来たついでにデプラに殺された、江枕衣と江枕色雨の家族と言える人物。
聖釘の被害者…
「…ハッ、まさか!」
「素晴らしい! よく気付きました! そう、『あなた』もこの聖釘に殺された内の一人なんですよ!」
そうだ。
聖釘の被害者と言うなら、モヌケも同じ。
奇跡的に完全に殺さることはなかったが、モヌケは動いてるだけの死体だ。
そして、聖釘は死体を操る。
「あ…ああ…」
自分の身体を包む青い糸を見ながら…
モヌケの意識は途絶えた。