第九十二話 悲劇
「インテリジェント・デザインは潰れました。数人悪魔が逃げたようですが、特に問題はないでしょう」
「………」
天之原天士はデプラの報告を受けていた。
デプラは何故か、黒いレインコートに身を包み、顔もフードで覆っていたが、その身体から漂う血の臭いに気付いた天士は気にしないことにした。
デプラの恰好以上に、デプラの仕事の速さの方が気になる。
今まで存在すら把握できていなかった、組織を迅速に壊滅させたその力。
この男に任せたら、冗談抜きで世界を征服できるのではないだろうか?
「さて、隙間の神をより良くする、次のプランですが…」
「…ああ」
築かれる平和の裏で、デプラ達がどれだけ残酷なことを行うかは考えないことにした。
この危うい組織を纏め、秩序を作る。
その為には、悪魔とでも契約しよう。
「隙間の神は…全てが悪という訳じゃない」
本部の町から帰ってきた神無棺は呟いた。
直接本部に行くことは出来なかったが、ある意味、本部よりも深い所にいた男に話を聞くことが出来た。
隙間の神の全てがあの実験を許容していた訳じゃなかった。
許容していたのは一部。
全ての元凶である、あの男の息がかかった『堕天使』
令宮祭月、遊悪…様々な名を名乗り、様々な姿を取った異形。
アレは赦せない。
だが、どうすればいい?
今までアイツの手の平の上で踊っていた自分が、どうやればアイツに一矢報いることが出来る?
「棺…」
棺の内心が伝わったのか、隣にいた江枕衣が言った。
衣も自分の信じた隙間の神の現状にショックはあっただろう。
それでも人を心配できる衣は本当に優しい奴だと、棺は思った。
「衣…」
「あー! お二人さん! 何、いちゃいちゃしてるのであるかー!」
突然聞こえた声に、シリアスな空気は崩壊した。
それに驚き、苦笑しながら二人は声の主を見る。
レイヴ・ロウンワード。
人ではないが、二人の大切な友人の一人である。
「人がいない間に何、仲良くなっているであるか! 仲間外れは良くないである!」
怒ったようにも、拗ねたようにも言うレイヴの言葉に、二人は笑ってしまった。
帰ってきたのだ。
何一つ好転してはいないが、自分達の町へ帰ってきたのだ。
それが、棺には嬉しかった。
「衣、棺ー!」
遠くから、また違う声がした。
衣の兄、江枕色雨だ。
遠くから大声を上げている様子に、衣が恥ずかしそうにため息をついた。
「兄さんったら、過保護なんですから」
遠くから大声を出すので、周りの視線が集まるのを感じた。
こいつも変わらない奴だ。
と棺が思った時だった。
「早く逃げるんだ!」
焦燥の混じった声で、色雨が叫んだ。
棺達は意味が分からなかった。
だが、それも最初だけだった。
「聖櫃を発見!」
「回収する…」
見覚えのある黒いコートの男達。
フードを深く被り、顔を隠した、不気味な集団。
『堕天使』だ。
「…ッ…棺!」
聖痕装置を持ち、接近する男達を見て、レイヴは剣を構えた。
衣と棺も聖痕を起動する。
遂に、来た。
隙間の神は、棺達を捕獲対象と判断したのだ。
「いやー、あのプランを伝えた時の彼女の顔は最高でした。正に、絶望!」
黒いレインコートに身を包んだデプラは先程の天士を思い出して嗤った。
外道になると決心した直後、手を貸した者が自分の予想を上回る外道だと知った瞬間。
後戻りは出来ないと決心した直後に、それが揺らぐ絶望。
「それで、どうするつもりじゃ? 恐らく今度は簡単には片付かないぞ」
デプラの前にいる探女は尋ねる。
棺に肩入れする者は沢山いる。
アレを捕えようとしたら、そいつらが邪魔することだろう。
恐らく、インテリジェント・デザインの時か、それ以上の争いが起こる。
「どうしてお前は争いを好む? いや、人の死を好むのじゃ?」
探女は目的の為ならどんな残酷なことも出来るが、逆に言えば、積極的に残酷なことを起こすつもりはない。
良心は痛まないが、時間の無駄だ。
他人など、その辺の虫と同じだ。
邪魔をするなら潰すが、ただ虫を殺すことだけに時間を費やすなど、愚かなことだ。
「人の命が重いからですよ」
デプラの返答は探女にとって予想外だった。
人を躊躇なく殺すデプラも、探女同様に、命を軽く見ているのかと思っていた。
「人の死は重い。池に投げ入れた小石のように、どんなに矮小な人間だろうと、その死は世界へと影響を与える」
デプラは人間の命を虫の命のようには思っていない。
その死が、様々な人間に影響を与えること理解している。
「だからこそ、殺して『悲劇』を起こすのですよ。オレの目的なんて、所詮その程度です。より大きな…『世界が震撼する程の悲劇を起こす』…それがオレの最終目標です」
「………」
「折角人が死ぬのに、派手でなかったら、死んだ人に申し訳ないでしょう? オレが争いを起こす理由はそれです」
静かで安らかな死など、デプラは認めない。
もっと過激で、凄絶で、悲惨な末路の方が心に残る。
様々な神話に登場する英雄の末路が、悲劇的である程、逆に心に残るように…
「…理解できないな。どれだけ優秀でも、死ねば終わりじゃ。偉業を残し、早くに散った英雄は、無為に長々と生きた愚者に劣る」
人生の価値は内容ではなく、『長さ』だと探女は語る。
故に、探女は早死にする英雄に憧れない。
既に死した人間に思うことはない。
「『他者の心に残る限り死なない』という言葉は戯言じゃ。この身、この人格が残ってこその不滅。語り継がれる伝承になった時点で、そいつは滅びている」
「あなたならそういうと思いましたよ。時間に怯え、永遠に憧れるあなたなら…」
「そうだ。この世で最も恐ろしいのは『時間』じゃ。だからこそ、九年前、私は貴様に接触した。永遠を体現している貴様にな」
価値のある宝石を見るような目で、探女はデプラを見つめた。
「分かってますって、全てが終わった後、あなたを時間から解放してあげますよ」
「出来るだけ早くしろ。永遠を生きるお前と違って、私には時間がない」
「本当に生き急いでますね。まるで、死が間近に迫った老婆…と口が滑りました」
殺意の込められた目で睨まれ、慌ててデプラは口を閉じた。
そういえば、これは禁句だった。
「フン…」
「やれやれ…気を取り直して、始めましょうか」
デプラは舞台俳優のように、両手を広げた。
「この『全的堕落』の手によって行われる。最高の悲劇を」