第八十話 愛情
「アハハ! でさ…」
「マジで?」
町外れにある廃墟のビルで数人の男が談笑していた。
人通りの滅多にないこの場所を溜まり場にしている近所の不良達だ。
一人の男が壁に背を預け、他愛のない話を仲間に聞かせている。
「それでどうしたんだよ?」
「それでさ…」
仲間に催促され、その男は嬉しそうに語る。
その瞬間、男の身体からナイフが生えた。
「…あ?」
他の男達は状況が理解できない。
そうしている間にも、男達の立っている地面からも赤いナイフが果物のように生えてくる。
アスファルトに花が咲くような、奇妙な異物感のある光景だった。
「材料にすらならないカスだが、まあ、回収しておくか」
全ての人間が絶命した後、壁をすり抜けるように、マモンは出現した。
その死体を体内に取り込む。
一連の動作を行うマモンは無表情だった。
まるで、その者達の命を奪うことに何も感じていないかのように…
その命に何の価値も見出していないかのように…
「………」
「ベルゼブブ、テメエも中に入ってろ」
夢遊病患者のように両目を閉じた状態で佇んでいたベルゼブブにマモンは言った。
先程ナイフで刺したベルゼブブの傷はもう塞がっており、後は着ているパジャマに少し血が着いているだけだ。
ベルゼブブは無言でマモンの赤いコートの中に消えていった。
「…前より随分意識が薄れているな。調整ミスか? まあ、扱う分には楽でいいが」
ソロモンに黙って持ってきた道具について思い出す。
前に会った調整前の段階の時はもう少しまともだったが…
完全な聖遺物化の代償として、意識が殆ど残っていないようだ。
まあ、人間としての形を失った不完全な聖遺物モドキ達に比べればまだマシだろう。
「…んん? 中で何か暴れてんな」
自分勝手な評価を下した時、マモンは体内の異変に気付いた。
耐えられない程ではなかったが、気分が悪かったので、それを中から引っ張り出した。
「ぷはっ、ゲホゲホッ!」
マモンの体内から現れたのは先程飲み込まれた衣だった。
苦しそうに咳き込みながらも、マモンのことを睨みつける。
「私を誘拐してどうするつもりですか!」
「安心しろ。ガキに悪戯する趣味はねえから」
子供を宥めるようにマモンが言う。
中に放り込めば安心させる必要もないのだが、また中で暴れられるのも鬱陶しい。
体内を殴るは蹴るは…妊婦の子供でも、もう少しは大人しい。
「そうは見えません、この不細工!」
「ぶさっ…! 失礼なガキだな、オイ! コレはゴーグルだ!」
衣に謂れのない罵倒をされたこと…もしくは自作ゴーグルを馬鹿にされたことがカチンと来たのか、マモンはゴーグルを取った。
そして、素顔を衣へ見せつける。
「どうだ! 中々美形だろ!」
「………」
衣はマモンの素顔を見て放心した。
それはマモンの顔が実際に美形だったからではない。
その赤い瞳が、雰囲気が、神無棺によく似ていたからである。
「ハッ、何だ何だ? 急に黙り込んで…チッ、守るとかほざいてた『あのカス』の方がまだ面白かったか?」
「それは…兄さんのことですか?」
舌打ちするマモンを衣は睨みつけた。
対象的にマモンはそれを見て、機嫌が良くなったようだ。
挑発するように笑みを浮かべる。
「そうだ。守るとか御大層なことを言いながら、あっさりと奪われる実力のないカス…滑稽だろ?」
「力の有無は関係ありません。きちんとした目的を持てば…」
「ハハッ! そもそも『守る』と言う行為自体が間違いなんだ。この世は奪い奪われる地獄。略奪者にならない者はただ、奪われるだけのカスだ」
「なっ」
「愛情とは執着することだ。いつ失われるとも知れない地獄で個に執着するのは愚の骨頂…この世の全ては等価値、人間も材木も全て平等だ」
人間を作品の材料としか見ない男は言う。
愛情とは愚行だと。
容易く奪え、容易く奪われるこの世界で執着するのは愚かだと。
その思想は平等だ。
男、女、子供、大人、健康、不健康…そこに区分はない。
「…愛情がなければ人間は生まれてこないのですよ?」
「ハッ、ガキだな。生まれながらに祝福されない者がこの世に何人いると思っている?」
「それでも…!」
「それに、どのみちオレは当てはまらねえよ」
自身の赤い髪を弄りながらマモンは言った。
言い返そうとしていた衣は首を傾げる。
マモンの言葉は何か別の意味を含んでいるように聞こえたのだ。
「…衣?」
その時、廃墟のビルに衣でもマモンでもない声が響いた。
声の主は衣のよく知っている人物…
レイヴ・ロウンワードだった。
レイヴは衣とマモンを訝しげに見つめる。
特にマモンの容姿に注目しているようだった。
「どうしてここに?」
「妙な聖痕を感じたから気になって来てみたのであるよ」
衣の質問に答えた後、二メートル近い身長のマモンをレイヴは見上げる。
対してマモンはレイヴを不思議そうな顔で見下ろした。
「赤い聖遺物…だが、オレのレリック・レプリカではないような…」
「!」
マモンの呟きを聞いて、レイヴは思わず後退った。
よく分からない単語を並べられて不気味だったからではない。
逆だ。
『聞き覚え』があったからだ。
レリック・レプリカと言う単語に。
意味までは思い出せないが、何か不吉な予感がする。
「…ああ、そういうことか。お前、『出来損ないのレリック・レプリカ』だろう?」
「え…?」
「オレが実験に関わるようになる以前の劣化品か…自我を持っているのは…当時の実験台の影響か」
そういい、呆然とするレイヴを無視し、マモンは一人頷く。
「それって、どういうことですか?」
「つまり、ソレは人間の命を使って制作された物だってことだ。恐らく自我は材料になった人間の物だろうな」
さらりとマモンは言った。
レイヴは人の命を元に作られた物だと…
今ある自我はレイヴ個人の物ではなく、他人の物だと…
「………」
レイヴは言葉が出なかった。
様々な感情が渦巻いて、何も言葉が出ない。
「まあ、オレとしてはどちらでもいいが」
それを見てもマモンのすることは変わらない。
ただ、完全を目指し、他者を消費し続けるだけである。
色雨を相手にしていた時のようにナイフとベルゼブブを体内から取り出す。
レイヴは未だに放心していた。
「さて、レリック・レプリカにこいつは効くのかね!」
「待て!」
手に持ったナイフをベルゼブブに突き刺そうとした瞬間、鋭い声がかけられ、マモンは手を止めた。
衣にとって聞き馴染んだ声。
「レイヴが突然走り出すから何かと思えば…随分とカオスな状況だな」
マモンと同じ特徴を持つ少年、神無棺が立っていた。