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スティグマ  作者: 髪槍夜昼
六章、赤と青
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第七十六話 利己主義者


「季苑、誰からも信頼され、他人を信用できる人間になりなさい」


それが鐘神季苑の両親の口癖だった。


大富豪の一族、鐘神の両親は心優しく、思いやりのある人格者だった。


絵に描いたような善人である夫婦の子供なら、優しい人格になりそうだが、季苑は違った。


季苑は拾われた子供だった。


金銭に恵まれても、子宝に恵まれなかった夫婦は孤児であった季苑を引き取ったのだ。


故に季苑には両親の言葉が理解できなかった。


常に裕福であり、人の醜さを知らない両親に、親に捨てられ、孤児として生きてきた季苑の気持ちは分からなかった。








季苑が十四歳の時、両親が事故死した。


三人でドライブをしていた時、車のブレーキが故障し、『季苑以外』が事故死した。


警察も既に事故として捜査を終えていたが、事故の際に聖痕が発現した季苑は気付いていた。


これは聖痕が関わっていると…両親は殺されたのだと。


両親は人に恨まれるような人間ではなかったが、その財産を狙う人間は沢山いる。


金の為に、両親は殺されたのである。


「………」


後に隙間の神が駆け付けた時には、違法聖痕使い達は全て季苑に殺されていた。


人間はやはり醜い。


季苑の人間不信を決定付けた出来事だった。


隙間の神に入る以前に違法聖痕使いを殺めた危険人物。


隙間の神最強最速の聖痕使い。


その二つが鐘神季苑と言う男の異名だった。


「恐れるのか、持て囃すのか、どちらかにして欲しいものだな」


憮然とした表情で季苑は呟いた。


周囲の評価は二種類だ。


季苑の残酷な部分を危険視する者と、


季苑の強力な聖痕を尊敬する者。


冷酷な利己主義者であると同時に隙間の神に貢献している者であるが故の評価だ。


どちらにも、季苑は興味がなかったが…


「下らんな」


「季苑さーん!」


ため息をつく季苑に声がかけられた。


聞き覚えのある声に季苑はうんざりとした表情で声の主を見る。


ドレスを着た、西洋人形に似た小柄な少女。


砂染木々だ。


彼女は季苑を尊敬する側の人間の一人で、少し前から季苑に付きまとっている。


「また聖痕の練習に付き合ってよ!」


ニコニコと笑いながら木々は言った。


しかし、季苑は顔を顰める。


「…面倒だ。聖痕の使い方なら…兄貴にでも教えてもらえ」


ミキとは…最近喧嘩しちゃって…」


木々は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。


兄も季苑や木々同様に聖痕使いだが、喧嘩したばかりなのだ。


それに季苑は深いため息をついた。


「またか…」


「だって、幹ってばうるさいのよ! 口喧しいし、季苑さんのことも悪く言うし…」


怒りがぶり返して来たのか、木々はぶつぶつと呟きだした。


木々の兄、幹と季苑はあまり仲が良くない。


と言うより、幹が一方的に嫌っているのだ。


妹の木々は季苑を尊敬する側の人間だが、


兄の幹は季苑を危険視する側の人間なのだ。


聞く限り、木々は季苑の為に怒っているようだが、季苑としては警戒する方が自然だと思う。


人間など、信用ならない生き物なのだから…


「…家族とは仲良くしておけよ」


そう呟くと、季苑は木々を放って歩き出した。


「あ、どこに行くの! 私の練習は!」


「俺様は忙しい」


木々に背を向けたまま季苑は言った。








「くそ、死ねえ!」


血まみれの男がナイフを季苑に振りかざした。


季苑は武器を持っていない。


しかし、ナイフは季苑に触れる前にへし折れた。


「悪いが、俺様に武器は通用しない」


季苑が呟くと同時に折れたナイフが独りでに動き、男の眉間に突き刺さった。


男は断末魔も上げずに、死亡した。


「殲滅完了と…」


季苑は死体を見下ろしながら言った。


この死体は違法聖痕使いだ。


人を何人も殺め、看過できないレベルに達した聖痕使いはこうやって処理される。


聖痕を秘匿する為なら隙間の神は悪人くらいは簡単に消す。


秩序と言うものは手を汚す誰かがいて、初めて成立するものなのだ。


「…不思議なものだ」


名前も知らない聖痕使いを見ながら季苑は呟く。


「聖痕を使う隙間の神が、聖痕を使って暴れたお前を罪人とし、人殺しの俺様が、殺人鬼であるお前を殺す」


矛盾ばかりだ。


だが、隙間の神の誰一人も気付かない。


気付こうとしない。


所詮、ただ正当性を求めているだけなのだ。


自分達は正しくこの化け物染みた力を使っているのだと安心したいだけなのだ。


だから深く考えようとはしない。


誰だって貶されるよりは、褒められる方が心地がいい。


「鐘神季苑!」


「…何だ?」


季苑は呼ばれて振り返る。


この耳障りな声にも聞き覚えがあった。


舞台俳優のような整った顔に、高い身長、


曇りのない鋭い目が特徴的な男。


砂染幹だ。


木々が人形染みた少女なら、こちらは映画の中のヒーロー染みた男だった。


この男も来ていたのか…と季苑はため息をついた。


幹はその鋭い目を季苑に向ける。


「何故殺した!」


その質問を聞いて、季苑は把握した。


この正義感の強い若者は季苑が人を殺したことに腹を立てているのだと…


「こいつは殺人鬼の悪党だぞ?」


「確かにこいつは悪人だ。だが、それを処罰するのはお前じゃない! どんな悪人でも正当に裁かれる権利がある!」


また『正当』か…


季苑は深いため息をついた。


「聖痕は強大だ。だからこそ規律を守って使わなければならない」


「あんな絵に描いたような悪人をわざわざ本部まで連れて行けと? 合理的じゃないな」


「エゴで聖痕を行使することは許されない!」


幹が激高したが、季苑には理解できない。


正当に裁かれ、正当に判決を受け、正当な人間が、正当に殺す。


自分の行いが正しいことだと何重にも言い訳をして…


そんなものに何の意味があるのだろうか?


「エゴイストで何が悪い」


「なっ」


「俺様達は所詮ただの化け物だ。神に人間離れした力を押し付けられた憐れな生き物だ」


この力は絶対に人を救う為の力ではないと季苑は信じていた。


季苑の両親は聖痕によって殺され、季苑はその復讐を聖痕によって果たした。


季苑にとって聖痕とは人間から外れた『力』


「力に使命や正当性などない。不要だ。これは俺様の付属品でしかない」


力を持ったことで使命感を抱く者は馬鹿だ。


力に目的などついては来ない。


どう使うかは自分で決めるべきだ。


「…オレはお前が嫌いだ」


「そうだろうな」


この二人が分かり合うことはないだろう。


秩序を重んじる社会主義者と個人を重んじる個人主義者の二人なのだから。








「季苑さーん、見て下さいよ」


「何だ………子供?」


声をかける木々の後ろには小さな少女がいた。


まだ十歳にも満たない幼い少女だ。


「保護された子供。違法聖痕使いの親に虐待をされてたみたいで…隙間の神の孤児院に入れられるまで幹が預かっているの」


先日処分した男の子供だろうか?…と季苑は首を傾げた。


あの正義感の強い幹なら必ず保護するだろう。


自分の殺した男の子供…


思うところがない訳でもないが…


「………」


無言で少女に見つめられ、季苑は思わず目を逸らした。


「あれ、季苑さんって、もしかして子供苦手?」


「そういう訳ではないが…子供の泣き声は周波数が高くて嫌いだ」


「え? 周波数?」








「………」


本部の自分に割り当てられた一室で季苑は静かに過ごしていた。


木々は例の子供が孤児院に行ってしまってから来ていない。


ショックを受けているのだろう、気分的には迷子犬を飼い主に返したかのようだ。


見た目もガキだが、中身もガキだ…と季苑は思った。


「すいません、鐘神季苑さんはいらっしゃるでしょうか?」


仕事もないので寝ていようと思っていると、普段とは違う声がかけられた。


今日は男の声だった。


仕方がないので、自室から出ると、声の主が扉の前に立っていた。


学者帽を被り、サングラスをかけた白髪の男だ。


見覚えはない。


「ああ、すいません。鐘神氏。伝えなければならないことがありまして…」


大袈裟なくらい男は頭を下げた。


妙にわざとらしい。


「…お前は誰だ?」


「申し遅れました。私は令宮祭月レイグウ サイゲツと言う者です。本日は急遽入った任務をお伝えに参りました」


祭月の言葉に季苑は肩を落とした。


静かに出来ると思ったら仕事か…


「すいませんね。ですが、貴方は隙間の神最強だ。それだけ期待されていると思って、組織の役に立って下さいよ」


「俺様がここにいるのは自分の聖痕をコントロールする為だ。人間、組織より個人を優先しなければ生きているとは言えない」


「アハハ、隙間の神最強は言うことが違いますね。では、その後は?」


祭月は笑って季苑に告げた。


「その後?」


「満足いくまで力を研ぎ澄ましたら、その後どうするのですか? その力で何かやりたいことでも?」


考えていないことだった。


力に役目は不要と言った。


力は付属品だと言った。


力をコントロールして、その後はどうする?


使命や目的などない。


敢えて言うなら力を研ぎ澄ますことが目的だった。


自分の為にしか力は使わないつもりだったが、具体的に自分が何をしたいのか知らなかった。


「貴方に目的をあげますよ」


そう言って祭月は去って行ったが、季苑はそれにも気付かなかった。


目的を見失うどころか、目的が存在しないのだ。


これ程、強大な力を持っていながら…


「……ん?」


季苑はその時に漸く気付いた。


足下に紙束が落ちていることに…


祭月が落としていったのか?…と首を傾げながら季苑は拾い上げる。


何かの資料のようだ。


数字と文字がどの紙にもびっしりと記されている。


「…実験?」


その単語を見た時、何故か不穏な気配がした。


隙間の神は研究機関としての側面も持っている。


主な目的は秘匿だが、聖痕を分析し、科学を発展させることも営利目的に行っている。


その過程で聖痕装置なども生み出されたのだが…


「何だ、コレは?」


聖痕使い…解析…分析…聖遺物…聖痕装置…『人体実験』…


様々な単語が並ぶ。


単語だけではない、その犠牲となった者の写真もだ。


全て、人の形をしていなかった。


その中には先日、木々と一緒にいた少女の姿もあった。


「………」


あの少女は隙間の神の孤児院に入れられたと聞いた。


つまり、コレには隙間の神が関わっているということ。


「…慈善団体ではないと思っていたが、ここまで腐っているとはな」


『ロザリオ』の完成を目指す礎。


『ロザリオ』が完成すれば隙間の神の敵は消える。


聖痕装置では『ロザリオ』とは成り得なかった。


「このロザリオと言う単語が重要っぽいな。話の流れから言って聖痕装置を上回る兵器か?」


兵器…


つまり、この人体実験は兵器の性能を試す為のもの。


今までに季苑達がしてきたことは…


「…ハッ、力の使い方が見えてきたぜ」


季苑は笑いながら任務へと向かった。








すぐには行動しない。


感情に任せて焦ると失敗する。


従順なフリをして季苑は始末を終えた。


こいつらが人体実験に遭わないようにきっちりと殺した。


「珍しいな、今日は文句を言わないのか?」


「………」


季苑の背後に立つ幹の様子がおかしかった。


いつもなら敵を殺した季苑に文句を言う筈だが…


この間の言葉でも気にして?


そんな訳はない。


そんなことで意志を曲げる者ではない。


「鐘神季苑…」


「何だ?」


「死んでくれ」


言葉と同時に烈風が吹き荒れた。


音が季苑に届くと同時に季苑へ襲い掛かる。


「…何だよ、ついにキレたか?」


振動の聖痕で風を無力化しながら季苑は言った。


こちらを睨みつける幹を見つめる。


「秩序の為に死ね、鐘神季苑!」


「ああ、そういうことか」


この状況で秩序ときた。


つまりはそういうこと。


こいつは隙間の神の『刺客』だ。


「秩序の為か…殺される理由としては最悪の部類だな。今まで俺様が殺してきた人間の気持ちが分かりそうだ」


「黙れ、お前はもはや容認できないと上に判断された!」


「…その上の判断に従い、あのガキを献上したのか」


季苑の言葉に幹は言葉に詰まる。


それを季苑は冷酷な目で見つめた。


「自分の為に行動しないからそういう目に遭う」


「黙れ! オレだって…」


「後悔しているのか…ならば死ね。木偶の坊」








「…季苑さん!」


「組織の為にと正当化すれば人間はどんな残酷なことも行えると思わないか? 木々」


幹を殺害し、同僚達を殺害し、堕天使を殺害し、進む季苑の前に木々が現れた。


季苑の服は返り血に塗れていた。


「幹を…殺したの? 隙間の神を…裏切ったの?」


「最初から協力している気はなかった。俺様は俺様の目的を果たしたかっただけだ」


季苑は淡々と告げた。


その言葉に木々は傷ついたような顔をした。


「あなたに、失望した」


「そうか、俺様は絶望したよ」


人間は醜い。


何を今まで期待していたのだろう。


喧嘩の出来る兄妹を見て、信用できる人間がいるとでも錯覚していたのだろうか。


その兄は妹よりも幼い少女を地獄へ送ることが出来る人間だったというのに…


「よく覚えておけ木々、他人など初めから信用するな! 人間に期待すればする程、苦しむ羽目になる!」


「待っ…!」


季苑はその後、本部の一部を崩壊させ、自分の死を偽装してから逃亡した。


深い絶望と憎悪を抱きながら…








「あっ! ボス、目が覚めましたか!」


目を覚ました季苑の視界に最初に入って来たのは逸谷不戒の顔だった。


「ここは…そうか、アジトまで引き上げてきたのか」


「そうですよー、ボスが急に寝てしまうから、どうしようかと…」


「…何だ、この音は?」


逸谷の言葉を無視して季苑は呟いた。


「音? それって…」


その時、ズパッっと鋭利な物で物を斬るような音が響いた。


音の出所は季苑の眠っていた部屋の扉。


扉が真っ二つに斬れた音だった。


「…寝起きに見る物ではないな」


「今、起きたの? 二年前はそんなに寝坊助だった?」


斬れた扉の向こうからやってきた少女は季苑に言った。


「じゃあ、スパッとスッキリさせてあげようか?」


瞳の青くなった砂染木々がそこにいた。

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