第七十五話 敗走
「………」
桐羽由来はとても困っていた。
デプラを打倒する作戦は失敗し、命辛々住処としているアパートへ逃げてきた三人だったが、その空気は悪い。
由来は知らないことだが、この作戦はヘーレムが十年も前から考案していた作戦だったのだ。
それが失敗した為か、次の案を考えているのか、ヘーレムは一人でどこかへ行ってしまった。
この場に残っているのはモヌケと由来のみ。
帰ってきてからずっと無言でいるモヌケを励ますべきなのだろうが、いかんせん、由来はそういうことが苦手だ。
とある事情で自主性や自己に欠ける由来はモヌケの心境が分からない。
大体、モヌケやヘーレムとデプラの関係すらもあまり詳しく聞いてはいない。
由来にとって、誰かの為に働くことが重要な訳で、その誰かが何を考えているかは関係ないのである。
「…どう思う?」
「え?」
由来が考え事をしていると唐突にモヌケが呟いた。
「人間の死体に巣くう悪魔を倒すとか言って、自分もゾンビってさ…」
珍しく自虐的にモヌケは言った。
デプラに突きつけられた自分が死人だという事実は中々堪えたようだ。
「おにーさんは、不気味だとは思わない?」
「…さあ? オレは使われるだけの道具。持ち主は誰だっていいのさ」
由来は率直な意見を述べた。
心中を察して優しい言葉など、由来は吐かない。
「ありがとう、おにーさん」
しかし、モヌケにとってはそちらの方が有り難かった。
穏やかな顔でお礼を言った後、モヌケは何かを思い出すような顔をした。
「デプラはね、こういう時、毒々しいくらい甘い言葉をかけてきてくれたんだ…」
懐かしむような、それでいて悲しむような表情だ。
「親友だった、家族だった………だけど」
裏切られた。
人として殺された。
身体を奪われた。
モヌケは口に出さなかったが、言外にそういっていた。
「…いつ崩れ落ちるかもわからない身体、ボクはデプラを倒さなければならない」
それは決意だった。
自身を省みず、敵を倒す自己犠牲の決意。
確固たる意志を持たない由来にその決意は眩しく見えたが、同時に脆くも見えた。
ヘーレムとデプラの会話は由来も聞いていた。
ヘーレムはモヌケを敵を倒す為の道具扱いしている。
そして、それをモヌケも受け入れている。
『それ』だけは駄目だ。
主張をしないを由来の一つだけの主張。
自分以外の人間が道具のように扱われるのを見るのだけは耐えられない。
「………」
何故なら、道具扱いは自分だけでいい…
それが由来が最初にした他人の為になることだからだ。
「………」
ヘーレムは気晴らしに歩きながらあの男のことを考えていた。
死体に巣くう怪物。
人間を弄ぶ悪魔。
『得体の知れない』
それだけで片づけてしまうのは怠惰だ。
奴に初めて出会った時から十年…
様々な推測、分析を繰り返してきた。
奴の不死性は『外側』を自由に変えられることにある。
外側である肉体は劣化するが、魂や精神といった『内側』は劣化しない。
故に、内側のみであるデプラは死なない。
いや、正確には死ぬが、死体さえあれば復活できるということだ。
悪魔というよりは亡霊。
ペテロを騙したことで、地獄にも天国にも行けなくなった者もいるとされるが、それと同様にデプラの魂も拒絶され、現世を漂い続けているのだ。
「…蟲め」
殺すことはできない。
だから、モヌケの身体に封印することで倒そうとしたが、十年の歳月でモヌケの身体が限界を迎えてしまっていた。
違う手段を考えなければならない。
何としてでも…
「………」
悪魔は聖なるものによって滅ぼさなければならない。
俗に染まりきった現世であっても、諦めてはならない。
どんなに汚い世界でも、
どんなに愚かな人間でも、
救われないものがあってはならないのだ。