第七十四話 因縁
「すいませーん、そろそろパフェを持ってきて下さーい!」
ファミレスの一席に座る男が言った。
レインコートを着て、近くに傘を置いた、赤と青の左右異なる瞳の男だ。
それだけでも珍妙な格好だが、更に黒いパーティーハットを頭に被っているので、店内でも相当目立っていた。
外見特徴、身体特徴はオーミー・氷咲と言う男だが、現在は別物…
かつて、令宮祭月、遊悪と呼ばれた『得体の知れない物』がその内側に入っている。
「いやあ、身体を変えて正解でしたね。前回の身体は劣化が酷くて、味覚すらなくなってましたから」
機嫌良さそうに男はテーブルにあったジュースを飲む。
棺に負わされた傷など大したことではない。
こうして身体を変えられるのだから、いくら外見が壊されても問題はない。
身体を変えることに対するデメリットも殆どない。
新しい身体に慣れるまで少し身体が動かしにくくなる程度だ。
それは丁度、人間が服を変えるような感覚に似ている。
愛着が多少はあるが、壊れてしまったら潔く切り捨てられるのだ。
また、服と同様に劣化もあるので定期的に変える必要もある。
「それにしても、パフェ遅いですね………ん?」
その時、男は異変に気付いた。
店内に人が誰もいなくなっていた。
代わりに周囲に浮かぶ無数の『眼球』
「…悪趣味ですね。一体どこの馬鹿ですか。まさか、探女がもうオレを見つけたのでは…」
「やっと、見つけた」
男の言葉が遮られた。
遮ったのは少女の声。
歓喜と憎悪の入り混じった『執着』の込められた声だ。
「おにーさん、ありがとう。お蔭で見つけることが出来た」
少女が隣に立っていた少年に言った。
道化師のような格好に綺麗な青髪の少女、モヌケだ。
隣に立つ白い少年は桐羽由来。
先程の眼球は由来の仕業だろう。
直接戦闘は苦手だが、サポートには適した力を由来は持っている。
「『デプラ』…ようやく見つけたよ。十年ぶりかな?」
モヌケは男の名前を呼んだ。
その外見ではなく、中身の名前を…
「…もしかして、蛍? 藍摩蛍ですか?」
男、デプラもまた、モヌケが『蛻』と呼ばれる前の名前を呼んだ。
モヌケは無言で首を縦に振る。
それを見て、デプラは笑みを浮かべた。
「イヒヒヒヒ! かつて『オレが捨てた身体』が何の用ですか?」
「…ボクは人でなくなった。身体は死体になり、歳も取らなくなった…デプラに近い存在になった」
「アハハハハ、便利でしょう? 感謝してもいいですよ?」
「復讐…とは少し違うのかもしれない。だけど、デプラを倒さないとボクは前に進めないと思うんだ」
モヌケは穏やかな顔で取り出した青い手帳のようなものを開いた。
それに合わせて、会話には参加しなかった由来も構える。
その二人を見て、デプラは笑みを深めた。
「いいですよ。脱ぎ捨てるだけでなく、焼却してあげましょう、古着!」
傘の中に隠してあった赤い槍を取り出しながらデプラは嗤った。
「行って、おにーさん!」
「了解!」
モヌケが戦い、由来がそのサポートをするとデプラは思っていたが、その予想は外れた。
先に攻めてきたのは由来の方だった。
武器も持たずにデプラへと駆け出す。
モヌケはその後方で青い手帳を読んでいるだけだ。
由来の聖痕は直接戦闘向けではない。
由来自身の身体能力が優れている訳でもない。
だから武器も持たずに向かっていくのは愚策でしかない。
「あまり馬鹿にしないで下さいよ!」
「ッ!」
素人の域を出ない由来の拳が当たるはずもなく、デプラは素早く躱し槍を突き出す。
いとも容易く、赤い槍は由来を串刺しにした。
赤い槍に絡みついていた青い糸が怪しく揺らめく。
「他愛もない。さて、この死体を操って………ん?」
青い糸の力を使い、由来の死体を操ろうとしたデプラは何かおかしいことに気付いた。
死体が操れない。
死んでない?
心臓を刺したのに何故?
そのデプラの疑問に答えるかのように、由来の身体が『破裂』した。
風船のように破裂した由来の身体からは白い煙が湧きあがり、周囲を包み込む。
「分身体でしたか…まんまと騙されてしまいましたね」
「余裕はそこまでだよ」
白い煙が晴れると、モヌケが言った。
その傍らには寄り添うように炎で構成された獅子が存在した。
「時間稼ぎはできたようだね」
「うん。ありがとう、おにーさん」
モヌケは傍にいる由来に礼を言った。
恐らく、この由来が本物だろう。
デプラは二人から目を外し、炎の獅子へ目を向ける。
「炎か…オレの嫌いな物を覚えていたようですね」
手傷など気にしないデプラは唯一、火を嫌っていた。
火や熱を怖がってもいた。
デプラに弱点があるとするならばそれだけだろう。
「…厄介な力を手に入れましたね」
デプラが小声で呟くと同時に炎の獅子はデプラへと襲い掛かった。
それに対してデプラが起こした行動は、自分の腹に赤い槍を突き刺すことだった。
自傷行為だというのに何の躊躇もなく、デプラは腹を刺し、傷口からは大量の血が零れ落ちる。
「ゴボッ………『聖釘』」
口からも血を吐きながら、デプラは赤い槍の名前を呼んだ。
それに合わせてデプラの身体から零れた血が形を成す。
錆びついた釘や鉄臭い赤い蟲へと…
「行け!」
血の軍団は、赤錆の雨となり、炎の獅子へ襲い掛かった。
一匹や二匹程度なら飲み込まれて消えるだけだっただろうが、その数は百や二百を上回る程だ。
炎の獅子は消えかけていた。
「くっ!」
モヌケは苦し紛れに手を振るった。
それに合わせ、デプラの眼前に青い人魂が現れる。
「今度は至近距離で炎を生み出す気ですか?」
いくら火が苦手だと言っても、この程度の炎など問題ない。
そう考え、デプラが再び血を操ろうとすると、
「………違うよ」
眼前に、モヌケが現れた。
「な、に…」
モヌケが現れただけじゃない、デプラの操る血も、炎の獅子も消えている。
更に手足を由来の分身に拘束されているせいで、身動きもできなくなっていた。
二人共に距離が離れた筈なのに、一瞬で移動したかのようだ。
「元々、デプラの身体の主が持っていた力だよ」
モヌケは青い人魂を生み出しながら呟いた。
それを見た者の時間を忘れさせる。
時間の感覚を鈍らせる聖痕。
『怪火』
かつてオーミー・氷咲が持っていた聖痕だ。
「ボクの起こせる奇跡は『記録』。ボクは奇跡を蓄積しているのでなく、奇跡を集める新しい聖遺物…ボクは奇跡を記録することが出来る」
現存する聖遺物が過去に奇跡が蓄積した物なら、
モヌケは奇跡を集めることで完成する現代の聖遺物。
かつて起こった奇跡を記した書物ではなく、
今から記されていく書物。
「ボクの中には既に百を超える奇跡が記録されているよ」
「…面白いですね。少し興味が出ました…が、それで? オレを殺す気ですか? オレは不滅ですよ」
拘束されながらもデプラは余裕を崩さない。
絶対に自分が死なない自信があるのだ。
しかし、余裕を保つデプラの言葉にモヌケは首を横に振った。
無言でデプラに近づき、デプラの胸に手を当てる。
「何の真似ですか?」
「デプラは倒す。けど、殺さない…ボクの中に『引き込む』」
モヌケの言葉の意味が分からず、首を傾げようとしたデプラの身体が青く光りだした。
モヌケの鮮やかな髪にも似た、青い光だ。
「何…ですか…これは知らない…」
「貴様の精神転移と原理は同じだ、蟲」
困惑するデプラに声がかけられた。
青髪に銀の目をした若い少年、ヘーレムだ。
「お前は…そうか、こいつに余計な知恵を与えたのはお前ですか」
「久しぶりだな、蟲よ。しかし、すぐにさよならだ」
「それはどういう…」
言いかけたデプラの身体が更に青く輝く。
もはや、目もまともに開けていられない程だ。
「貴様の与えてくれたヒントのお蔭で、人間には内側と外側があり、貴様はその内側しか持っていない存在だということが分かった」
「………」
「故に、貴様をそこの死体に引きずり込み、封印することを思いついた」
ヘーレムはモヌケを指差して言った。
内側しか存在しないのなら、身体を破壊することに意味はない。
ならば、内側を死体から引っ張り出せば、封印することが出来るのではないか?
とヘーレムは仮説を立てたのだ。
「その死体には奇跡が込められている。その中に封印されれば移動はできない。身体と共に朽ち果てるのみだ」
「…このオレをその程度で封印できると?」
「出来るな。貴様の表情が私の仮説を証明した」
ヘーレムは青い本を開いた。
モヌケ達が戦闘している間、ヘーレムは遊んでいた訳ではない。
周囲の準備は既に終わらせてある。
後は仕上げだけだ。
「………?」
仕上げに取り掛かろうとしたヘーレムは首を傾げた。
僅か、ほんの僅かだが、青い光が弱まっているように見えた。
気のせいか…と青い本に目を落とした時、
「イヒヒヒヒヒヒヒヒヒー!」
悪魔のような笑い声を聞いた。
青い光が完全に消えた。
デプラが解放されていた。
何故?
デプラは何もできなかった筈だ。
既に拘束せずとも、指一本動かせない状態だった。
なのに、どうして…
ヘーレムはデプラの方へ目を向けた。
モヌケが苦しそうに膝をついていた。
「…はあ、はあ、どういうこと…?」
苦しそうに呼吸をしながら、モヌケは尋ねた。
「人間には、鳥獣には、聖遺物には…存在には寿命がある。何故だと思いますか?」
笑みを隠さずにデプラは言った。
モヌケには質問の意味すら分からない。
「答えは、存在とは『消耗品』だからだ。消費し、劣化し、壊れるものなんです」
デプラはモヌケを指差して言葉を続けた。
「それは『死体』にも言えることなんですよ?」
「ッ!」
「死体にも寿命はある。死体は無ではない。生きてはいないが確かにそこに存在するものだ。故に劣化するのです」
死体は劣化する。
故にデプラは定期的に身体を変えていた。
遊悪から令宮祭月へと、
令宮祭月からオーミー・氷咲へと…
だが、
「お前は十年身体を変えなかった。歳を取らなくなったからと言って世界から外れた気にでもなっていたのですか? イヒヒ!」
劣化に耐えるには劣化しない内側だけの存在になるか、
劣化で不足した部分を何らかの手段で補充するしかない。
どちらも行わなかったモヌケに待つのは死だけである。
「生きている聖遺物が劣化して朽ち果てる所は初めて見ますね。実に興味深い」
デプラは笑いながらモヌケの左腕を槍で突き刺した。
突き刺すと同時に槍は赤く輝きだす。
「ッ!」
その不気味な光を見て、慌ててモヌケは槍を引き抜いた。
幸いそれ程、深く刺された訳でなく、血もあまり…
「…え?…」
自分の左腕を見て、モヌケは絶句した。
何だ?
本当にこれは自分の腕か?
この、
老婆のような干からびた腕は…
「ああ…あああ!」
「お前は死体。分かっていたことでしょう? イヒヒヒヒヒヒー!」
『劣化している』
デプラの笑い声を聞いてモヌケは気付いた。
モヌケの腕は劣化してしまった。
自分は死体。
人ではない。
気軽に言っていた事実を再認識させられているような気分だった。
「この世界には絶望しかないんですよ。前に進むと言いましたが…さて、その先には何がありますかね?」
デプラが酷薄な笑みを浮かべて言った。
そうだ。
デプラを倒しても無駄だ。
デプラへの執着から解放されても、モヌケは既に死人。
死人に未来は…ない。
「…ん?」
モヌケが絶望しかけた時、白い煙が視界を覆った。
同時に腕を掴まれ、引っ張られる。
「またこれですか、つまらないですよ!」
咄嗟だった為か、先程煙が濃くない。
その証拠に逃げていくモヌケの姿が見えた。
共に由来も見えるが、それは後回し。
今はモヌケを絶望させるのが楽しそうだ。
「イヒヒヒヒ!」
笑いながらデプラは赤い槍を投擲した。
赤い槍は一直線でモヌケに向かい、その背中を貫いた。
仕留めた。
そう思った瞬間、モヌケは白い煙となって消えた。
「…チッ、逃がしましたか」
辺りを見回しても人影はない。
完全に見失ってしまったようだ。