第七十三話 強欲
「やっぱいいね、実に芸術的だ。これがわからないとは、盟友も美的センスがないな」
部屋中の赤い器物を眺めながら、赤い髪にアイマスクの大男、マモンは呟いた。
壁に掛けられている赤い器物。
刀剣、盾、指輪、棘や杭…果ては何なのかよく分からない赤い塊など…
これらは全て、聖痕使いを材料に作り出されたものである。
人造聖遺物『レリック・レプリカ』と呼ばれる物だ。
強化された聖痕使い…悪魔がソロモンの作品なら、その悪魔を材料に作られたレリック・レプリカはマモンの作品である。
悪魔達は全てレリック・レプリカの材料である。
だが、悪魔であるマモンはこのことを知っている。
加えて、マモンは普段はアイマスクで隠しているが、赤い瞳をしている。
悪魔の特徴である青い瞳ではなく、赤い瞳を…
そのことからもソロモン達研究者にとって、マモンが特別な存在であることが分かる。
「んん? 盟友から呼び出しか…面倒臭えが、仕方ねえな…」
笑いながらマモンは髪と同じ赤いコートを翻した。
「『盟友』だからな」
「漸く、任務を再開する許可を寄越したか…」
立派な王冠を被った、王族のような女、ルシファーは通路を歩きながら呟いた。
前にルシファーが与えられていた任務。
一度失敗した『白垣散瀬を捕獲する任務』に再び挑戦する機会が得られたのだ。
組織の為に働く訳じゃない。
初めはこの任務もさほど乗り気ではなく、
聖痕を強化してくれた義理から仕方なく、命令を聞いただけだった。
「これで雪辱を果たせる…」
ルシファーは任務に失敗した。
敗北した。
プライドが高いルシファーはそれが何より許せない。
よって、任務を果たすことで失敗の汚名を返上しようと思ったのだ。
「…おや、お前は」
意気揚々と研究所を出ようとしていたルシファーに声がかけられた。
赤いコートとアイマスクを着けた大男だった。
「変なアイマスクだ…」
思ったことをそのまま呟きながら、ルシファーは男をスルーした。
その赤い髪は少し目を引いたが、この研究所にはもっと人間離れした者もいる…
この男も悪魔なのだろう。
男は目の部分も空いていないように見える仮面でルシファーの方を見つめた。
「オレはマモン。強欲を推奨する悪魔だ」
「!」
その時、ルシファーは初めてその男に関心を示した。
『マモン』
悪魔の証明の中で唯一、ルシファーが出会ったことのない悪魔だ。
ルシファーより以前から悪魔の証明にいることだけは分かっていたが、特殊任務中と言われ、見たことすらなかった。
「にしても、このアイマスクの良さが分からんとは…お前も芸術的センスがないな」
マモンは残念そうにため息をついた。
どうやらアイマスクも自作のようだ。
「…私はルシファーだ。悪魔の証明、ワーストシックス…いや、ワーストセブンになるのか?」
最近入った新入りを思い出しながらルシファーは言った。
新入りと戦ったことはないが、あれくらいの実力なら勝てる自負がルシファーにはある。
同時に、目の前の男にも勝てると暗に言っているのだ。
マモンはそのルシファーの言葉には特に反応しなかった。
「お前が傲慢を担当している者か…オレが入る時は、強欲か傲慢か迷ったものだ」
マモンの言い方がルシファーは少し気に障った。
それではまるで、ルシファーはマモンの『お下がり』のようではないか。
「その強い自信と意志は素晴らしいが…駄目だな。所詮飼われた『犬』に野生の狼の高潔さはない」
「何だと?」
「檻の中にいる自覚はあるか? 一番に拘っているようだが、井の中の蛙と言うやつだよ」
その瞬間、マモンのコートの切れ端が爆ぜた。
「楽に死ねると思うなよ」
「誰に生意気な口を効いている…犬如きが」
マモンが言うと同時に、無数の人魂がマモンに襲い掛かった。
「兄貴、大変だ!」
血相を変えたサタンが部屋へ駈け込んできたことで部屋の主、ベルフェゴールは目を覚ました。
「…何? 僕、一応怠惰を推奨する悪魔だから、オフの時は堕落していたいんだけど」
髪と同じ、真っ黒な布団から出ながらベルフェゴールは言った。
そんな眠そうなベルフェゴールとは対象的にサタンは落ち着きがない様子で布団まで駆け寄る。
「アイツがルシファーと戦ってる!」
「…まさか、マモンが?」
「そうだよ! 何でアイツが私達に干渉してくんだよ!」
やや青ざめた顔でサタンは言った。
憤怒と恐怖が入り混じったような表情だった。
怯えるサタンを慰めるようにベルフェゴールは頭に手を置いた。
「…面倒なことにならなければいいけど」
「く、そ!」
ルシファーが悪態をつくと同時に爆発が起きる。
これで何度目か…
通路は既に壁が剥げ、地面が焦げた。
だが、
「やれやれ、期待外れだ。所詮お前も奪われる側だったか」
マモンは無傷で立っていた。
いや、『立っている』と表現するのは誤りかもしれない。
足が床に『沈んでいる』
床のマモンの足に触れている部分だけが『液状化』している。
「…物体を液体に変える聖痕か」
ルシファーの呟く声が聞こえたのか、マモンは笑った。
その余裕の態度が気に食わなくて、ルシファーは舌打ちをした。
先ほどから全ての爆発を地中に潜むことで躱される。
ルシファーの爆発より、マモンの方が早いのだ。
余裕の為か、マモンから攻撃を仕掛けてくることはなかった。
それがルシファーのプライドを更に傷つけた。
二度目だ。
触れて物体を変化させる聖痕使いに苦戦するのは…
かつては触れた爆発を黄金に変えられて苦戦した。
故に、
「既に対策は用意しているんだよ! 雑魚が!」
ルシファーは片膝をつき、床に触れた。
瞬間、コンクリートの床がひび割れる。
ひびは段々と広がり、マモンの足下までたどり着いた。
「何をした?」
「『床そのものを爆弾に変えた』」
ルシファーは答えた。
ルシファーの力は状況を弄り、誘爆させること。
その応用をすれば、人魂以外のものを爆弾に変えることもできる。
かつては行わなかった応用、勝つ為の努力。
敗北したことでルシファーの考えが変わったのだ。
「そら、起爆するぞ」
マモンを光と衝撃が包み込んだ。
地に潜っても意味はない。
床そのものが爆弾なのだ。
遅れて轟音が響いた時にはマモンの姿はなかった。
もう慣れてしまった焦げた臭いが辺りに漂う。
「…やれやれ、少しやりすぎたな。まあ、ベルフェゴールにでも直させれればいいだろう」
一応、死なない程度には加減した。
まだここを出る訳にはいかないからだ。
「どのみち虫の息だろうが…」
「ハハハハハ! スゲースゲー! お前は素晴らしい!」
硝煙の中に人影が一つ。
赤いコートの大男。
爆風で消し飛んだのか、アイマスクは着けていなかった。
アイマスクで隠れていた赤い瞳がルシファーを見つめていた。
「赤い…瞳? 青ではない、貴様、実験を受けていないのか…?」
「実験? このオレが何で他人に身体を弄られなければならねえんだよ。そういうのはテメエらみたいな『消耗品』の仕事だっての」
「消耗品…? それはどういう意味だ!」
「今にわかる。お前はいい素材になるだろうよ。ハハハッ!」
マモンがルシファーに近づいていく…
歩くような速度で、或いは弾丸よりも速い速度で…
ルシファーは動くことが出来なかった。
恐怖で動けないのではない。
足が床に沈んでしまって動けないのだ。
「さて、今回のタイトルは………あん?」
ルシファーへ伸ばされたマモンの手が掴まれた。
掴んだ主はルシファーを庇うように、マモンとルシファーの間に入る。
ベルフェゴールだ。
「…これはこれは兄上。オレの芸術の邪魔をすんじゃねえよ」
「家族には手を出すなと言わなかったかな? あとこちらには干渉しない約束だよ?」
「偶然、良質な素材と出会ったら創作意欲が湧くのは、芸術家の性ってやつだろ?」
「君がソロモンの所へ向かうのに、ここは通らないはずだけど?」
ベルフェゴールが珍しく、殺意の込められた目でマモンを睨む。
睨まれたマモンは薄く笑って手を引っ込めた。
「はいはい、オレが悪かったよ。じゃ、オレお仕事あるからいくわ」
睨み続けるベルフェゴールにマモンは背を向け、歩き出す…
「バイバーイ」
ひらひらと手を振りながらマモンは去っていった。
「遅かったな」
「悪いな、ちょっと遊んでたわ」
ソロモンの部屋に入り、悪びれずにマモンは言う。
ソロモンの方もマモンの謝罪など期待していなかったので、特に気にしなかった。
「新入りのレヴィアタンの実験はどうよ?」
「成功だ。アレは中々の出来栄えだ」
自分の作品の出来を喜ぶかのようにソロモンは言った。
人体実験の出来栄えに満足するという、常人には理解できない感情だが、マモンは理解できた。
同じ製作者として、友人の成功を認めている。
「素材にすっか?」
「いや、アレには任務を与えた。鐘神季苑という男を殺しに行かせた」
「へえ? 約束を守るのか」
確か、それがあの新入りの少女の願いだった気がする。
しかし、神秘を解き明かすことにしか興味がないソロモンなら、約束くらいは平気で破ると思っていたのだが…
「というより、ベルフェゴールが勝手に行かせた」
「ああ、なるほど。随分と好き勝手やってるな」
「他の悪魔の証明の連中ならともかく、あのサンプルはそこそこ貴重だからな。多少の我が儘も通る」
「ハッ、せいぜい下剋上に合わないようにな。あいつ、何か企んでやがるぜ」
警告するようにマモンが言う。
脅しではない、本気だ。
そこそこ付き合いが長いのでマモンには分かる。
ベルフェゴールの動きが怪しい。
「人材を勝手に集めだした時点から警戒はしている。確かに言うことを効かない失敗作ながら、奴らは優秀だ」
ソロモンは近くのモニターを見た。
研究所内のカメラの映像が映し出されている。
そこにいるのは白衣を着た研究員達、
そして、それに付き添い、実験に協力している青い瞳の悪魔達だ。
「だが、我々に従う悪魔達は奴らの十倍近く存在する。反逆は不可能だ」
「ガキを外から攫ってきて、教育し、忠誠を誓わせる…正に弱肉強食だな、アンタ必ず地獄行きだぜ」
げらげらと笑いながら、マモンはソロモンを指差した。
ソロモンはそれを鼻で笑う。
「攫ってきた本人が何を言う」
「ハハハッ! そうだ、この世は既に地獄。財も食物も家族も命も幸福も、全て奪い合うチップに過ぎないんだよ!」
強欲を推奨する悪魔が笑う。
ただ、奪う。
それしかマモンにはない。
良心も道徳も存在しない。
財も食物も家族も命も幸福も全て等価値のチップなのだ。
故に小銭を盗むようながめつさで、人の命を奪うことが出来る。
「そんなことより、お前を呼んだ理由だが…」
「おお、そうだったな。何だ何だ?」
「…完成した」
ソロモンは簡潔に言った。
簡潔過ぎて、マモンには何のことか分からなかった。
ソロモンもそれを予測してしたのだろう、部屋に運んできていたケースの一つを開けた。
まるで棺桶のような人間が一人くらい入りそうなガラスのケースだ。
中には眠る一人の少女…
死人のような白髪に白い肌、大きめのパジャマを着た少女だ。
まだ十代前半ぐらいの小さな少女を見て、マモンは目を輝かせた。
「ハハハッ! マジかよ! ヤベーワクワクする、お前最高だよ!」
「完全…とはまだ言い難いが、コレは完成している。初の成功作だ」
ソロモンが呟くように言ったが、マモンは聞いていなかった。
夢に近づいたことを喜ぶ少年のような笑顔で、その少女の名前を呼んだ。
「『ベルゼブブ』!」
悪魔の証明の最後の一人の名を…