第六十九話 遊悪
「お前が理念を!」
色雨が叫ぶ。
普段の色雨からは考えられない、深い憎しみの込もった言葉だった。
「おいおい、どうしたのですか? さっき鐘神季苑に言ってた言葉は盗聴してましたよ? 復讐は何も生まないのでは? イヒヒヒヒヒヒヒ!」
嘲るように祭月は笑う。
心を抉るように、偽った嘘を剥ぎ取るように…
憎悪を煽るように。
「お前は…殺す!」
「イヒヒ! いいですね。いい殺意だ。だけど、オレも忙しいのですよ。貴方に構ってあげる暇はないんですが…」
困ったような顔をする祭月の学者帽を色雨の閃光が貫いた。
脅しではない。
頭を狙った色雨の攻撃が微かに逸れたのだ。
「仕方ないですね…付き合ってあげるのも年上の義務と言うやつですか」
それに焦ることもなく、祭月は愉快そうに笑った。
笑う祭月に更に色雨の追撃が放たれる。
「おっと、危ない」
だが、閃光は祭月に当たることはなかった。
祭月の眼前。
祭月と色雨の間に現れたモノが盾となり、攻撃から祭月を守ったのだ。
それは…
「危ない危ない…『奴隷』のストックがあって助かりましたよ」
全身に釘を刺された『死体』だった。
先程支部の入り口に飾られていた死体が動いたのだ。
命令を待つ人形のように、仁王立ちする死体には、青白く光る『糸』が纏わり付いていた。
青い糸は空中をふわふわと漂い、祭月の持つ青白い『繭』のようなモノへと続いていた。
「お前、ソレは…!」
「懐かしいですか? 古傷が疼きますか? イヒヒヒヒヒ!」
祭月は笑いながら、繭を構成している糸を引き裂く。
繭の中から現れたのは一本の『槍』
青白く光る糸が絡み付いた赤い槍だ。
祭月は身の丈程もある、その赤い槍を軽々と扱い、先端を色雨へ向けた。
「何せ、コレで貴方と貴方の大切な人を貫いてあげたのですから! イヒヒヒ…アハハハハ!」
祭月は色雨を嘲笑いながら赤い槍を振るった。
それに呼応するように盾となった死体とは別の死体達も動き出す。
「死体を操る聖遺物…姿が五年前と違うが、やはり、お前は…」
五年前と明らかに容姿が違う為に、まだ微かに疑っている所もあったが、
色雨は遂に確信した。
令宮祭月が自分が五年間も探してきた仇だと…
「ッ!」
色雨の憎悪を表すように閃光が放たれる。
先程までとは比べ物にならない、殺意の込められて、放たれた閃光は盾となった死体を貫き、祭月の脇腹を抉った。
「グッ…イヒヒ! やるじゃないですか! お腹にポッカリ穴が空いてしまいましたよ!」
脇腹に穴が空く程の傷を負いながらも、痛みを感じていないかのように祭月は笑った。
それは更に色雨の憎悪と殺意を煽る。
「…次は頭に風穴を空けてやる」
「待て、一人で戦うな! 遊悪は…」
「イヒヒヒヒヒ!」
忠告しようとする天士の声を遮るように笑いながら、祭月は色雨に向かって走り出し、槍を放つ。
腹を抉るように無造作に放たれた槍を色雨は最低限の動作でかわした。
接近してきた祭月の頭に右手を向け、狙いを定める。
この距離だ。
頭と言わず、首すら残らないだろう…
「…少しハンデを与えたからって調子に乗らないで下さいよ」
「な…ぐっ!」
閃光が放たれることはなかった。
閃光を放とうとしていた色雨の右手。
その手に無数の釘が突き刺さっていた。
「ほら、隙あり!」
「ぐあっ!」
右手の痛みに動揺していた隙を突き、祭月の槍が色雨の脇腹を貫いた。
「これで平等です。どうですか? 人の痛みが分かった気分は…イヒヒ!」
祭月は脇腹を抑えて膝をつく色雨を蹴り飛ばす。
色雨は糸の切れた人形のように、力無く、地面を転がった。
「おやぁ、もうバテちゃったんですか? バテバテですか?…ん?」
辺りを見回した祭月が首を傾げた。
死体共に始末させようと思ったら、何故か全て見当たらない。
「ゾンビならお前が色雨と遊んでいる間に潰したぜ…後はお前だけだ」
棺が衣達を背に庇いながら言った。
右手を祭月へ向けて、いつでも聖痕を使えるように構えながら…
「おやおや、そうでしたか…お手を煩わせてしまって申し訳ありません…お詫びに一つ良いことを教えてさしあげましょう」
「良いこと?」
「この遊悪が何故、隙間の神を相手に何年も生き延びることが出来たのか…」
祭月は芝居掛かった仕草をした。
祭月の言葉に対し、天士が青ざめた顔をする。
それに気付き、天士に歪んだ笑みを浮かべながら祭月は言葉を止めない。
「隙間の神にはオレを殺したくない理由があったのですよ。利用価値と言ってもいい…とにかく殺すには惜しい理由があった」
「………」
「それ故に中々手を出すことが出来ず、隙間の神の機密を盗み出した…などと理由をつけて、そこの『熾天使』天之原天士はオレの存在自体を秘匿していた…お陰で動きやすかった。感謝してますよ」
「クッ…」
苦痛に歪んだ顔をする天士に祭月は笑みを向けた。
実用化の進んだ聖遺物。
新たな争いを生むかもしれない機密兵器。
そんなものは初めから存在しなかった。
必要だったのは機密を盗み出してしまったと言う建前だけだった。
隙間の神が、天士が遊悪への対応を迷っていた理由は別にある。
「真実を教えてあげましょう江枕衣」
祭月は棺の背に隠れるように頼りなく立っていた衣の方を向く。
その顔は悪意と愉悦に歪んでいた。
「オレは前代『熾天使』だ」
そして、遊悪は『真実』を告げた。
「え…」
「今の隙間の神の基礎を作ったのはオレだ。聖痕装置もオレが最初に開発した。歴代『熾天使』の中でもオレ程、隙間の神に貢献した者はいないでしょう」
笑いながら祭月は告げる。
衣の信じた隙間の神の基礎を作ったのは自分だと…
この悪意の塊のような男がかつて隙間の神を支配していたと…
「お前は既に追放された! 八年前のあの時に………今の隙間の神はお前の物ではない!」
「日和見主義者は黙っていてもらいましょうか。オレの築き上げた物を利用し、堕天使の反逆が怖くてオレを殺すことも出来ない腰抜けお嬢ちゃん」
「ッ!」
心を抉るような祭月の言葉に天士は黙り込む。
そうだ、天士は確かに腰抜けだった。
『熾天使』とは名ばかり、散瀬に押し付けられたと言うことばかりを強調して、何も出来ていなかった。
犯罪者だが、有能である遊悪を再び『熾天使』にしたいと願う者達の反逆を恐れ、反逆者として決断も出来ずにいた。
「これがどういうことか理解できますか? 江枕衣。つまり…」
「いや…」
衣はカタカタと小さく震えていた。
直感的に分かった。
何か不吉なことを祭月が言おうとしていると…
「貴女の大切な人は隙間の神に見殺しにされたって、事なんですよ。イヒヒ!」
衣はその場に崩れ落ちた。
世界から色が消えてしまったような気分だった。
「イヒヒヒヒ! 何と言う悲劇! 知ってます? あの五年前の事件、本部の方で知っている人間なんて、ほんの少ーししかいないんですよ? いやー、オレも調べる時、苦労しましたよ。まあ『当事者』だから、調べる必要はなかったんですけどね」
「………」
「あれ? 聞いてますか? まだ話したりないんで、もう少し付き合ってくれると嬉しいのですが…ダメですかね。イヒヒヒヒヒヒ」
悪意に満ちた笑みを浮かべて祭月は、衣の心を抉る。
実に愉快そうに、実に酷薄に笑う。
凶器よりも人間を傷付ける笑みと言うものを衣は初めて見た。
「…そのうるさい口を閉じろよ。有害者」
赤い聖痕の光が祭月を照らした。
血よりも赤い瞳が祭月を睨み付ける。
「やる気ですか。オレ結構強いですよ?」
「関係ねえよ。お前は殺す…重力から逃げられると思うなよ!」