第六十三話 優良品VS不良品
「先手必勝!」
レイヴが剣を構えてヘーレムに向かって走り出す。
いつものふざけた調子では考えられない程、洗練された動作だ。
人間とは年季が違う。
対して、ヘーレムは緩慢な動作で地面を軽く踏む。
その動作に首を傾げながらもレイヴはヘーレムに斬り込んだ。
「な…!」
だが、レイヴは触れることすら出来なかった。
レイヴの身体が見えない壁に押されるように少しも前に進まない。
レイヴは剣を前に突き出したが、この距離ではレイヴの剣はヘーレムに届かなかった。
「近寄るな」
バチッと電気が走るような音がした瞬間、レイヴは弾き飛ばされた。
先程までは壁だった何かが急にレイヴを弾く物へと変化したのだ。
「理解出来ているか。私の起こした奇跡が」
「…結界、若しくは聖域であるか」
「ほう、存外理解力と分析力はあると見える」
驚いたようにしながらヘーレムが笑った。
「『聖と俗の選別』…それが私の奇跡だ。私が認めた俗なる物を聖なる物へと昇華される。私の立っているこの地は、他とは違う物へと変異した」
「俗なる物を聖なる物へ変える…そして、俗なる物は聖なる物に劣る…強化ってやつ?」
「強化ではない。分別だ。単純な強弱や優劣ではない絶対的な隔たりがある」
ヘーレムが懐から武器を取り出した。
武器と言っても調理包丁の方がまだ使えるように見える程の、小さな短剣だ。
それをヘーレムは縦に無造作な動きで振るった。
レイヴとは違い、外見相応の素人臭い動きだった。
その瞬間、ヘーレムの足元からレイヴの足元までの地面に一本の線が走った。
「分かったか? 何十年と鍛えられた俗なる武装は、数分の祈りを込めた聖なる武装の前に折れる。絶対がそこにはある」
「…何その剣、滅茶苦茶長いの? それとも斬撃を飛ばす…なんてマンガみたいなことをしてるの?」
「理由を求めるな。奇跡とはそう言うものだ」
ヘーレムは今度は剣を横に振るう。
「ッ…危な」
それに慌ててレイヴが地に伏せると、頭の上を何かが通過するのを感じた。
理解は出来ない現象だが、レイヴが立っている場所はヘーレムの攻撃範囲内のようだ。
「それなら、もう一度接近して…」
そう言って前を向いたことでレイヴは気付いた。
ヘーレムがいない。
戦闘慣れしているようには見えなかったが…まさか、今の間にレイヴの死角に回り込んだのだろうか…
「どこに…」
「理解力があると言ったのは訂正しよう」
ため息でもつきそうな呆れた声がレイヴのすぐ傍から聞こえた。
「ッ!」
同時に何かに弾き飛ばされるレイヴ。
「愚かだな。見苦しいぞ、愚物」
ヘーレムはつまらない物を見るような目でレイヴを見ていた。
期待が外れたような表情にも見える。
ヘーレムは先程までレイヴがいた場所に立っていた。
ヘーレムが声をかけるまでは気配すら感じなかったと言うのに…
「…なるほど、ここに来た時に使っていた姿を消す力をまた使っていたの」
ヘーレムはレイヴに見つかるまで姿を消していた。
最初の時よりも気配が読みづらくなっているが、同じ力だ。
かつて、棺達が遭遇した、高涙布津花の『ギュゲースの指輪』と同じ奇跡。
神聖な存在に昇華することで神聖な存在以外に認識することを出来なくする力。
「『列聖』と私は呼んでいる奇跡だ。姿を消す…などと俗な言い方をするな」
「その短剣にも列聖してるのであるな。だから、刃を見ることが出来ない」
「その通りだ」
短剣を軽く振りながらヘーレムは肯定した。
「多才ね…私なんて剣一本だって言うのに……そんな力を持っていながら、何でこんな争いに参加するの」
「争いを起こす必要があったのだ。愚かな人間同士の争いをな。その為に人間の組織の敵対勢力に力を貸して唆した」
人間の組織…とは隙間の神のことだろう。
その敵対勢力である反逆者に力を貸し、争いが起こるように仕向けた。
そうヘーレムは言った。
「あなた、聖遺物でしょ、私みたいな不良品じゃない純粋な奇跡なのに…人間を愛していないの?」
「愛しているとも」
ヘーレムはレイヴの疑問に即答した。
「愚かな人間が苦難を前にもがき苦しむ姿…何と愛らしいことか。人間とはな、何よりも愛らしい愛玩動物なのだよ」
ヘーレムは人間を愛していると言った。
だが、それは人間が家畜を愛するようなもの。
見下した愛情。
ヘーレムは人間を対等に見ていないのだ。
「まあ、尤も…人間に使われる側だった愚物には理解ができない感情だとは思うがな」
「…確かに理解できないであるな、サディスト。私、どっちかと言えばMな方なのであるよ」
レイヴは静かにそう言うと剣を構えて駆け出した。
「俗なことを言うなと言わなかったか?」
ヘーレムは短剣を無造作に振るった。
列聖によって消された刃がレイヴに向かう。
「フッ!」
「…何?」
だが、見えないはずだった刃はレイヴに弾かれた。
いや、弾かれただけには留まらず、短剣はヘーレムの握っていた柄まで根こそぎ破壊された。
「初めて食べたであるが、純度の良い奇跡は美味しいであるな。ごちそうさま」
「何を言っている…」
レイヴの言う言葉が理解できず、ヘーレムは呆然と立ち尽くす。
その間にレイヴはヘーレムへと接近した。
「はああああ!」
「…ッ、近付くな!」
ヘーレムが我に返って結界を作った時には既にレイヴは目の前にいた。
しかし、それでもヘーレムの結界が完成する方がレイヴが剣を降り下ろすより速かった。
「有り得ん」
ヘーレムの結界が完成すると同時に砕かれた。
レイヴの剣に触れた瞬間、結界は機能を失った。
「地面に奇跡を使っているなら、地面に剣を刺せば、その奇跡を無効に出来る」
「まさか、奇跡を無効化する力を…」
「てりゃあああ!」
無防備になったヘーレムをレイヴが斬りつけた。
「ぐああああ!」
身体を剣でヘーレムが悲鳴を上げる。
剣で斬られた痛みだけではない、レイヴの奇跡を喰らう力が直接作用しているのだろう。
聖遺物は奇跡の塊だ。
文字通り身を削るような痛みが全身に走る。
激痛に苦しむヘーレム。
同時にヘーレムの身体に変化が起きていることにレイヴは気付いた。
ヘーレムの左腕が…歪んでいる。
まるで、蜃気楼のように歪んでいる。
「…見るなよ、愚物」
ヘーレムの悲鳴が止んだ時にはヘーレムの左腕は完全に変化していた。
蟹の腕だ。
巨大な蟹の左腕。
ヘーレムの小柄な身体にアンバランスな左腕。
「…列聖で隠していたのであるな…私の山羊みたいな角と同じ…」
「貴様と同じにするな! 愚物が! くそ、これだからこの左腕は嫌いなのだ。貴様のような愚か者が自分と同じだ…などと勘違いをするからな!」
今にも切り落としそうな目で自分の左腕を睨み付けながらヘーレムは言った。
「…貴様はこの私が、必ず殺す」
ヘーレムは人間の右腕で青い聖書を構えた。
「磔」
瞬間、レイヴを囲むように地面から青い十字架が生えていた。
すぐにレイヴは十字架を斬って破壊したが、更に十字架は数を増す。
「い、一体何本…うわ!」
破壊を諦めて十字架を全てかわすと、今度はレイヴの死角から青い茨が襲い掛かってきた。
「…本体を何とかしないと終わらないであるな!」
そう判断し、十字架と茨をかわしながらヘーレムへと駆ける。
「…ハハ、貴様は愚かで、そして愚直だ」
レイヴがヘーレムに辿り着く寸前、レイヴの足を茨が捕らえた。
ヘーレムはレイヴの行動を予想して、罠を張っていたのだ。
剣の触れない部分を拘束されてはレイヴはどうしようもない。
ヘーレムは勝利を確信して開いていた聖書を閉じた。
その瞬間、聖書をレイヴの剣が貫いた。
「…………は?」
レイヴの位置からは剣は届かないはずだった。
茨に足を取られたレイヴが聖書に向かって剣を投擲したことに気付いた時には、手遅れだった。
「…あ…ああ…」
瞬間、全てを包む青い光の爆発が起こった。