第五十八話 異変
「いやー、平和ってのは、最高だね。世界平和それこそが全人類の夢な訳よ」
「戦わないことと平和主義は別じゃないですか?」
「何を言う訳。武力で奪い取った血生臭い平穏は平和とは呼べない。世界平和とは誰も血を流してはいけない訳よ」
「…理想がお高いですね。非現実的です」
「実現できなくとも、好きな夢を見るのは全人類平等に与えられた権利だよ」
サンクロースのような真っ赤なナイトキャップが特徴の男、白垣散瀬とパイロットの二人は道端で会話をしていた。
「…それはそうと、キャプテンからあの中性的な女性との関係を聞いておくように頼まれたのですが」
「え? 気になるの? オレに女性の陰があるのが気になる? 嫉妬? 嫉妬な訳? パイロット?」
「…やっぱりいいです」
「仕方ないな! あんまりべらべら話すようなことじゃないけれど、オレと天士について話してやろう!」
パイロットとしてはあまり乗り気ではなかったのだが散瀬はそれに気付かずに、語り始める。
「まあ、と言っても二人共隙間の神に拾われた、違法聖痕使い絡みの事件の孤児で幼馴染みだったことぐらいしか話すことはないんだけどね」
「幼馴染みですか」
「そう。隙間の神に拾われた孤児は結構いるよ。あの砂染木々って子も確か孤児だったはず…」
思い出すような仕種をしながら散瀬は言う。
「オレは聖痕をコントロールできるようになるのが早かったから、力天使に入れられ、そこがあんまり合わなかったから、智天使になった訳」
「天之原さんに恨まれているようですが?」
「うーん…丁度その頃に、熾天使が空席になっちゃってね。急遽、新しい熾天使が必要になってさあ、何を思ったか、オレが候補にあがった訳よ。それだけは絶対に阻止しようとして、当時まだ見習いだった天士を熾天使に仕立てあげたって訳」
「最低ですね」
「うっ…流石に悪いと思ったから、資金を隙間の神に提供している訳よ」
罪悪感を感じているのか、罰が悪そうに散瀬は言う。
いい加減な性格だが、悪人ではないのだ。
「………」
「…ああー、用事を思い出したので失礼する訳よ」
無言で見つめるパイロットの視線に耐えられなくなったかのように散瀬は慌てて逃げた。
「………」
(ご主人が力天使をやめた理由は本当に『合わなかった』なんて軽いものなんでしょうか?)
ふと散瀬がいなくなってからパイロットは思った。
合わなかった…と語っていた時の散瀬の目は少しだけ暗かった。
そもそも、争いが嫌いな散瀬が何故戦闘部隊の力天使に入ったのかも気になるところだ。
(…もしかしたら)
パイロットは思った。
もしかしたら…『散瀬は元々はあれほど争いを毛嫌いしておらず、力天使をやめた時の何かによって争いが毛嫌いになった』のかもしれないと。
「………」
散瀬が会話をしていた頃、棺は教室で机に肘をついて呆けていた。
自分が思っていた以上に、自分が無くした記憶を知りたいと思っていたこと、
自分について知りたいと思っていたことを自覚した、しかし、今は何をすればいいか分からない。
そんな感じで頭が空っぽになっていたのだ。
「…何か今日の棺はずっと上の空であるな」
「どうしたんでしょう?」
そんな様子をレイヴと衣は遠くから見ていた。
「棺ー、昼休みですよ、ご飯を食べにいきましょう」
「…そうだな」
聞こえてはいたのか、その言葉に空返事をして、棺はいつも昼食を三人で取っている屋上へ向かう…
「ちょっと待って下さい、棺はお弁当ですか? ないならご飯を買いにいかないといけないですよ?」
「…そうだな」
また空返事をしながらふらふらと棺は歩き出す。
「…重症であるな」
「そうですね」
二人はそれを見て、棺を心配していた。
無事昼食を買い、屋上で三人で座って食べている。
しかし、いつものような会話はない。
棺は呆けながら買ってきたパンを食べ、それをチラチラと衣とレイヴが見る。
「棺、そのパンおいしいであるか?」
見かねたレイヴが棺に話しかける。
「…そうだな」
再び空返事を返す棺。
「今日はとても良い天気であるな?」
「…そうだな」
「こんな日は授業をサボって昼寝したいであるな?」
「…そうだな」
「…私と恋仲になろう?」
「山羊はタイプじゃない」
「何でその質問だけはっきり答えるのであるか!」
レイヴは激怒した。
山羊呼ばわりされたことも腹が立ったが、自分が冗談半分とは言え告白したのに無意識の内に断るとはどういうことだ。
加えて…
「…そうだな」
未だに棺は呆けたままなこともレイヴの怒りのボルテージを上げる。
「出でよ、我が半身、ダーインスレイヴゥゥゥゥ! 乙女心の分からないこの馬鹿を矯正しろォォォ!」
いつぞやの戦闘の時よりも殺気立った山羊の角のような赤い剣がレイヴの手に出現する。
人間であるレイヴ・ロウンワードもレイヴだが、ダーインスレイヴと言う剣も、レイヴだ。
いや、むしろ人間の方は、贖罪山羊と言う人形なので、本体は剣の方だ。
つまり、どういうことかというと、剣の放つ殺気は全てレイヴのモノだと言うことである。
「秘剣、スイカ割り!」
ゴガッと言う痛そうな音が棺の頭から響いた。
「確かに、オレに悪い所がなかったとは言わねえぞ。だが、これはやり過ぎじゃねえか?」
「ご、ごめんなさい…」
「たんこぶなんてガキの頃以来だ。全く」
「謝る、謝るから、それをやめてええ…」
「はっはっは、いつもの仕返しだ。存分に味わえ」
「ひゃああああああ…」
「………何かエロチックですね」
悪役顔の棺と珍しく弱々しいレイヴに衣が言う。
怪しい会話だが、二人は特にエロチックなことはやっていない。
ただ、棺がレイヴの本体である剣を屋上にあった清掃用の水道で洗っているだけである。
本体の影響を受けているレイヴはモジモジしながら、悲鳴を上げている。
それを見て、ニヤニヤしながら剣を洗う棺は誰か事情を知らない人に見られたら通報されそうな不審者だ。
「珍しく棺が優勢ですね」
衣が思ったことを呟いた。
「はぁ…はぁ…って、って言うか、私は奇跡を喰らう性質があるから、聖痕使いが触れたら気絶するはずなんだけど…はぁ…どうなってるのよ…」
余裕がなくなったせいか、いつものである口調を崩してレイヴが言う。
「は? 何ともないが?」
「この非常識め…ガクッ」
「あれ? おい、レイヴ? 顔を赤くしてどうした? おーい」
「こんな小さな町に本部の精鋭を移動させるなんて、熾天使は何を考えているんだか…」
「あの人は甘いが、意外と考えている。恐らく、この町と自分を餌にして反逆者達を一網打尽にするつもりだろう。本部に引き込もっていては敵も警戒してしかけてこないからな」
本部より移動させられた隙間の神の精鋭の内の二人が会話をしている。
人払いは祭月だけでも出来るが、戦力は棺達だけでは足りない。
その補充である。
「いつ来てもいいように東西南北、町を囲みました。秘匿も完璧です」
「そうか、ではオレ達二人で熾天使に連絡するか」
配置が完璧と言っても今すぐに来る訳ではない。
この餌に釣られない慎重な連中かもしれない。
そう思い、急いで連絡する必要もないか…と二人は歩き出す。
その時だった。
ズンッと大地が揺れる。
それは軽い地震のようでもあった。
「何…だ?」
最初は揺れに対する疑問だったそれは隣を見た時に、違う疑問に変わった。
何だコレは?
潰れて嫌な音を発てる機械が隣にあった。
よく見ると損傷が激しいが自動販売機のようだ。
それはいい。
それはいいが、
『先程までその自動販売機がある場所にいた同僚はどこへ消えた?』
「クリーンヒット。流石はボスー。さて、これからはオレの仕事だ」
「?」
男は理解が追い付かない。
「病死したくなかったら、熾天使の居場所、教えてくれねーかなー?」