第五十七話 空虚な天才
「…最近いろんなことがあったせいか、学校へ行くのが久しぶりに感じるぜ」
朝、学校へ向かう途中に棺が呟いた。
(悪友の正体が実は山羊だったり、殺人鬼がいきなり暴れたり、烏みたいな黒い奴が現れたり、更に悪の組織が攻めてくるだの…)
「非日常だな…全く災難続きだ」
更に深いため息をついて棺が言った。
「そして、何よりも災難なのは…」
(…オレ自身が非日常に惹かれていることか)
今までは衣に巻き込まれて嫌々関わっていると言うスタンスを取っていたはずだった。
だが、レイヴが非日常の存在であることが分かった辺りからそのスタンスに変化が生まれた。
棺は非日常に自分から関わろうとしている。
「いや、違うな…惹かれてるんじゃない…オレが知りたいことは一つだけだ」
『自分』について。
口にも出さずに棺は心の中だけで今まで誤魔化してきた自分の本心を呟いた。
自分の失われた記憶について関心がない。
自分に宿った聖痕について関心がない。
日常を生きる上で必要ないのなら知る必要もない。
棺はそう思っていた。
いや、諦めていた。
日常を生きる限り、そんなものを知る方法はない。
願ったところで無意味な願いだ。
だが、今の棺は非日常と日常の間にいる。
ならば…
「棺ー。おいていかないで下さいよー!」
考え込んでいた棺はその言葉で現実に戻った。
「…まあ、今考えても仕方ねえことだな」
そう自己完結し、棺はまた日常へ戻った。
「準備は段々と出来てきましたか…全く、裏方は大変ですね」
『柱』に手を当てながら祭月が呟いた。
その『柱』はその辺りの電柱ぐらいの大きさでそれなりに目立つ物だった。
しかし、祭月以外の人間はそれがまるで見えていないかのように、視界にすら入れなかった。
「本部のある町以外でコレを設置するのは初めてなんじゃないですか?」
『どうだろうな。私もトップになってまだ日が浅いのでね』
祭月と電話で連絡を取っているのは天之原天士だ。
「…町中に設置したコレを使えば町全ての人間の行動の操作が出来る…『究極の避難誘導』なんてね…開発した本人が言うのもなんだけど、本当に凶悪な聖痕装置ですよ」
『…何物も正しく使うことに意義がある。正しく使うことが出来るなら、どんな凶悪な破壊兵器も平和の礎となるだろう』
迷いなく断言した…訳ではなく、天士自身も僅かに迷いながらそう言った。
当然だろう。
一般人を守る為とはいえ、こんな機械で人間を操ろうと言うのだから…
絶対に間違い…とは中々断言出来ないように、
絶対に間違っていない…とも中々断言出来ない。
『絶対』と言う言葉を、人間は軽々しく使わないものなのだ。
(迷いがあるなら、まだ大丈夫ですかね…自分の行いを少しも疑わなくなると、人間はおしまいですから)
「私は正しいとか正しくないとかそんなことを言う程若くありません。だから言われるままに聖痕装置を開発してきました…」
『………』
「ですが、隙間の神しか居場所が無かろうが、それを選んだのは私自身だと…隙間の神にすがり付いている訳ではないと言うことをお忘れなく…」
そう言って祭月は電話を切った。
祭月の今することは隙間の神の為に働くことしかない。
だが、それを選んだのは祭月自身だ。
することはないが『何もしない』と言う選択肢も祭月にはあったのだ。
つまり、祭月が汚れ役をやっているが天士に忠誠を誓っている訳でも、心酔している訳でもないのだ。
「さて、お仕事を続けますかね。ふー、疲労とストレスで白髪が増えそうです」
『機械のような人間』とは意外と祭月のような者のことを差すのかもしれない。