第四十四話 大切なモノ
「また『無駄遣い』だったであるか…」
放たれた赤い光によって起きた土煙を眺めながらレイヴは呟いた。
無駄に体力を使ったことの後悔と言うよりは、蓄えた金を使いすぎた後悔に似ていた。
「あとは、倒れた隙間の神から奇跡を奪って…」
「奪って…どうするつもりなんだ?」
レイヴによく知る声がかけられた。
赤い髪に赤い瞳、服装も赤で統一した不良のような顔付きの少年、神無棺だ。
身体は無傷だが何か聖痕のような不可思議な力が働いているのか、顔色は悪く、ふらついている。
周囲には色雨達隙間の神もいるが、全員棺と同じように顔色が悪い。
「…やれやれ、私としてもお前をそう何度も傷付けるのは正直、気が進まないのであるが」
「おいおい、悪役に成りきれてねえぞレイヴ。そこは豹変して問答無用でオレを殺す場面だろ」
表情が読めないが、少なくとも楽しそうには聞こえないレイヴの言葉に棺は呆れながら言う。
「前にも言ったであろう。優先順位である。何かを優先しているからと言って、他の何かの大切さが無くなった訳ではないのである」
「なるほどな。つまりお前にとって、この騒動はオレなんかより大切なことだって訳か、妬けるなあ…いい加減話せよ、何がそんなに大切なんだ? お前は何がしたい?」
ふざけたような口調で話しながらも目だけは真剣にしてレイヴを見る棺。
「…ある一人の大切な親友がいた。殺人の為に人間に造られ、人を殺し続けて赤く染まっていった聖剣に笑顔をくれた親友である」
「…………」
「親友は身体が弱かった。いつも私に元気に笑ってくれたが、日に日に弱って、やがて笑わなくなってしまった…」
感情を圧し殺したかのような無表情でレイヴは言う。
「親友を救う為に私に何か出来ないかと、悩み抜いた結果。私は『奇跡を集める』ことを思い付いた。聖痕などと呼ばれ、加工されているが、本来は人を世界を救う力。親友を救うことができるかもしれない」
「…それで、隙間の神を襲った訳か。ありがちな台詞だが、誰かを救う為に別の誰かを傷付けるのはどうなんだ?」
「『命は平等じゃない』…それは皮肉でも冗談でもなく真理である。本当に大切な者なら、他のどうでもいい者のことなど気にならないはずである。平等を掲げる者は全ての者の価値が等しく、大切な者がいないと言うことである」
「ヤンデレかよ。まあ一理あるが、それが自分以外に受け入れられないってことは分かっているよな……たっく、言えばこんなどうでもいい力なんて幾らでもくれてやったってのによ」
棺は心底呆れ、軽く失望したようにため息をついた。
「とりあえずお仕置きだ。そのあとでその親友って奴を救おうぜ!」
棺はそう叫ぶとレイヴに向かって走り出した。
棺は走る。
いつも面倒なことに巻き込もうとするくせに、こういう時に限って棺を遠ざけようとするこの馬鹿者にお仕置きをする為に走る。
レイヴからかけられる迷惑など、今更過ぎて拒む気もないと言うのに…
そう思いながら、棺はレイヴに向かっていく。
「はーい、ストップ。皆さん頭を冷やせよー」
その時、脱力するような緊張感のない男の声に棺は思わず足を止めた。
棺とレイヴ、色雨達隙間の神が声の方を見ると、少し離れた場所に一人の男が立っていた。
特別珍しい格好をしている訳ではなかった。
地味すぎて逆に目立つ訳でもなく、何と言うか、殺人犯として報道されたら十人中十人に意外に思われそうな平凡な男。
「あいつは…」
色雨が呟いた。
この場で色雨だけがその男を見たことがある。
「はぁ全く、仕事増やすなよなー。どんどんどんどん予想外なことが起きて困った困ったー」
面倒くさそうに男はため息をついた。
「…自己紹介でもするか、オレは違法聖痕使い組織、反逆者のボスの右腕、逸谷不戒だ」
「反逆者…江枕氏、私の鈍い記憶が正しければ例のトップにマークされている組織では?」
「その通りだよ、一度会ったこともある」
「…うへぇ、最悪。デスクワーク派は現場に出てくるものじゃないですねぇ」
心底嫌そうな顔で祭月は言った。
「しかし、何でここであいつが出てくる?」
逸谷の方を見ながら色雨が呟く。
「何なんだ、お前は?」
レイヴが逸谷に剣を向けて聞いた。
それに対して逸谷は何故か深いため息をついた。
「レイヴ・ロウンワード…お前がもう少ーしだけ、大人しくしててくれれば、オレの仕事も楽だったんだけどなー」
「どういう意味だ?」
レイヴの代わりに棺が逸谷に聞いた。
「あー、お前がもしかしてうちのオーミーをいじめてくれた奴? 赤い髪だから分かりやすいわ」
「あの病院であった奴の仲間かよ…」
自称魔法使いを思い出しながら棺が言う。
「そうだぜー。オーミーを知ってるお前なら話は早い…お前さ、疑問に思わなかったのか? 何で『あんな場所』でオーミーと遭遇したのか」
あんな場所…を強調して逸谷は言った。
「…あんな場所?」
棺は首を傾げた。
オーミーと遭遇したのは、そんなおかしな場所ではないはずだ。
夜で人がいなかったのは、まあ置いておくとして、
それ以外はただの病院だったはずだ。
『病院』
「…まさか」
「気付いたか? そうただの病院だ。特別価値がある人間が入院している訳でもないただの病院だ。『オレ達にとっては…な』」
そう言い、逸谷はレイヴを指差した。
「『あの子』が入院している病院か…」
レイヴは呆然として言う。
「その通り。つまり、あの時のオーミーの仕事はレイヴ・ロウンワードにとって重要な少女を誘拐し、レイヴ・ロウンワードをオレ達の組織に引き込むことだったのさー…ま、予想外なことが起きて失敗しちまったけどな」
逸谷は今度は棺を指差して言う。
「何で私のことを…」
「おいおい、オレ達をナメるなよー。情報量なら隙間の神にも負けないぜ? お前がうちのボスの目に止まってから居場所を特定するまで、数ヵ月と経っていないぜ…」
「…では、あの子の容態が急変したのも」
「無論、オレが毒手でやったことさ。元々は死なねえ状態を保ったままで病菌を止めて、人質にするつもりだったんだがー…ま、結果オーライだ」
ヒラヒラと手を振りながら逸谷は言う。
「さて、どうする? ちなみに一度でもオレの病菌が体内に入り込んだ奴はどこにいようが、オレの意思一つで発病して、病死する…ただ、こうして立っているだけでも、立て籠り強盗が少女のこめかみに拳銃を突き付けている状態だー」
「なら、そのお前が死んだら意思は無くなるんじゃないか?」
少し得意気に言う逸谷に色雨は冷静に敵意を込めて言った。
手には壊れたウリエルとは違う拳銃のような形の聖痕装置が握られている。
色雨だけではなく、周囲の力天使達も各々の武器を構えている。
倒すべき敵が、レイヴから逸谷へと変わったのだ。
「あ、あらら? ちょっとちょっと、一対…ざっと三十以上? オーバーキル過ぎるだろ!」
一変して焦ったように逸谷が言う。
「さて、どうする? 大人しく撃たれるなら、命だけは保証してあげるよ?」
「ちょっ、大人しく撃たれるって…あ、待て待て、撃つな!」
逸谷が慌てて言った瞬間、パァンと乾いた音が辺りに響いた。
銃声…と言うには小さすぎたその音は、力天使達の聖痕装置から放たれた音……ではなかった。
色雨はその音の正体に気付いていた。
何てことはないが、意味不明だった。
音の正体は逸谷が慌てながら手を叩いた音だった。
ドサッと今度は色雨のすぐ近くから音が聞こえた。
続いてドサッドサッと次々と音が辺りに響く。
逸谷に武器を向けていた力天使の半分が地に伏した音だった。
「これは!」
近くに倒れた一人の首を見て色雨は気付いた。
首についた絞殺されたかのような痣。
このような死体を見たことがある。
「だ・か・ら、さっき言っただろー? ただ、こうして立っているだけでも拳銃を突き付けている状態と同じだってなー」
そう言い、逸谷は笑った。
色雨が初めて見た、外見だけは平凡な逸谷の異常性を表す歪んだ笑みだった。
「今の全部、あいつがやったのか?」
逸谷の聖痕を知らない棺が色雨に聞く。
「うん。あいつは触れた人間を病死させる病菌を操る聖痕を持っているんだ……だけど、いつのまに」
「オレの聖痕『薬剤耐性』の本質は、感染することでも殺傷することでもなくではなく『伝染すること』だ…オレの病菌は感染者に触れた者にも伝染し、更に広まる」
「そうか、だから…」
「そう! だから、感染させた後にすぐ殺さず、放置して広めたのさー…我慢できずに殺しまくるのはただの獣だ。人間なら、理性を持って殺人を犯す人間ならば利用してから殺すとボスはオレに教えてくれた」
ここにはいない誰かに心酔しているような口調で逸谷が言う。
それに色雨は聖痕装置を向ける。
「解説ありがとう。おかげでお前と感染者に触れなければ死なないことがわかった…死体に触れず、この距離からお前を攻撃すれば何も出来ないだろう」
色雨の言葉に動揺していた生き残った力天使達も逸谷に武器を向ける。
「またこのパターンかよ。皆さん、少しは自分で考えろよなー、ここに隙間の神が約二十人、イレギュラーが二人、全員オレの敵な訳だがー」
全員を見渡し、人数を数えながら逸谷は言う。
そして、呆れたように軽く笑うと…
「さて、この中に発病させなかった感染者は何人紛れ込んでいるでしょうか?」
この場にいる全ての人間を凍りつかせる言葉を静かに告げた。
「さーさーパニックの始まりだ。パンデミック、スタート!」