第三十九話 剣
「………」
レイヴ・ロウンワードは、先日出会った黒い男について思い出していた。
『君を害するつもりは毛頭無い。そもそも、僕は戦う人じゃないからね』
『…どういう意味だ?』
『君と言う聖遺物を求めて来たのは事実だけど、僕は隙間の神じゃないからね。聖遺物ならどれでもいい…と言う訳でも無いんだ』
『………』
『僕は人間か、人外か、そんな些細なことは気にはしない。だけど、他の人間はどうだろうね?』
(…そう悪魔のように私に告げて、あの黒い男は去っていった)
「………」
レイヴは沈黙したまま、どこかへと歩いていった。
「………」
神無棺は目の前の光景を黙って見守っていた。
隣の衣も同様だ。
「…オレをパシったくせに放置するとはいい度胸さ。オレが自分の正義の為にはなりふり構わない人間だって分かってるのか?」
棺達の視線の先にいる色雨に突っかかっている侍のような風貌の男。
棺達は初対面だが、前回の聖遺物騒動の時にも働いていた銘式濁里だ。
普段は低血圧で冷静な顔を不機嫌そうに歪めて、色雨を睨み付けている。
と言うのも…
色雨に言いくるめられ、騒動の時に全力を尽くし……具体的には自身の聖痕を使って町中を何周もソロマラソンしていた。
しかし、
「オレが気づかない内に事件解決とはどういうことさ…いや、何故オレに連絡を入れなかった?」
「電話したけど、電源が入っていなかったんだよ」
「電源?」
「君、携帯電話、充電したことある?」
色雨の呆れたような声に自分の携帯電話を取り出して固まる濁里。
どうやら、充電を忘れていて電源が切れてしまっていたようだ。
携帯電話については未だ、勉強中だ。
「…不覚」
切腹する直前の侍のように言い、濁里は膝をついた。
「…さて、君達。高涙布津花さんの一件はとりあえず解決したよ」
気を取り直して色雨は呼び出した棺達に言った。
「それで、指輪がどこに行ったか分かったのか?」
「残念ながらそれは分かっていない。君が最近になるまで聖痕使いとして確認されなかった理由と同じく、起動していない聖遺物は、探知機に映らない」
「起動している(見えていない)時に探知機に映り、起動していない(見えている)時には探知機に映らないとは皮肉だな」
苦笑をしながら棺が言う。
「既に化石に近い物だ、寿命で自然崩壊した可能性は無いのか?」
「…それはあり得ないと思うよ。聖遺物は例え何千年と経とうと滅びず、ミサイルに直撃しようと壊れない…そうでもなければ、二千年も世界中を旅なんて出来ないさ」
「やけに詳しいな。一応、隙間の神の中でも機密事項なんだろう?」
隙間の神は聖痕の秘匿を目的とするだけの組織ではなかった。
正確にはその聖痕を生み出した混乱の元凶、聖遺物の回収が目的だった。
それ故に日本の各地に支部を置き、探知機を使い、探している。
ただ、聖痕を秘匿し続けると言う訳ではなく、全ての元凶である聖遺物を回収すると言う最終目標がある。
恐らく、その元凶である聖遺物について、隙間の神は何かしら掴んでいるのだと棺は予想した。
その形状、名称、力、現在位置。
少なくとも、現在それが日本にあることを知っているから隙間の神の支部は日本にしか無いのだろう…
「私は…一度だけ聖遺物を見たことがあるんだ」
「隙間の神が探しているやつか?」
「分からない…けど、それを『武器に使ってきた奴』には沢山の同僚を殺された…五年も前のことだ」
「武器に使ってきた? 聖遺物を?」
確かに高涙布津花の一件の原因である『ギュゲースの指輪』も姿を消す力なら、武器に使えば強力だろう。
しかし、実際はどうだ。
高涙布津花は知らなかったとは言え、指に付けても、姿を消され、戻ることも出来なくなるだけだった。
英雄の物語の聖剣のように選ばれた者にしか扱えないのか、それとも本来人間には扱えないのかは分からないが、そう簡単に扱うことが出来ないのは事実。
それを使いこなし、隙間の神を何人も殺した者。
「………」
「聖遺物は奇跡の詰まった爆弾なんだ。制御できる者がこちらにはいない、危険な存在なのを忘れないように…ね」
色雨はそう最後に棺に忠告した。
「…たっく、何なんだよ、あのシリアス顔は」
苛立ちながら棺が言う。
思い出すのは忠告する色雨の真剣な顔。
「ああいうのが、オレは、一番苦手なんだ…」
常に流されやすく、自分の主張はしない、不真面目でヤル気なしスタイルを取ってきた棺にはあの忠告は重かった。
今まで色々あったが、死にそうになったことなど一度もない。
非日常、非現実と言われようと棺からすれば日常の延長線上。
よく分からない友人(衣)に巻き込まれたに過ぎず、巻き込まれる前に自分から首を突っ込んだことも一度もない。
過去に何があったのかは知らないが、そういう熱意とか決意とかモノを押し付けられるのが棺は嫌だった。
そもそも、棺は聖痕には衣に言われて関わっているだけであり、出来れば関わりたくなどなかった。
何故かは自分でも分からなかったが、自分の失った八年前より以前の過去、赤い髪と瞳と言う容姿の理由、自分に宿った聖痕について『知りたいと思わなかった』時に似ていた。
衣にも言われたことのある棺の異質な部分。
聖痕を宿しながらも一般人に完全に溶け込めた理由。
(それは、多分…)
棺はふと、思った。
それは既に失った八年前より以前のことだろう。
恐らく、十歳以下の幼少の棺は…
「聖痕には二度と関わりたくないと思ったんだろう…普通に暮らしたいと…願っていたんだろうな」
他人事のように棺はそう呟いた。
「はぁ…全く、あいつ人使いが荒いぞ」
落河揺祇はここにはいない色雨に文句を言った。
先日の聖遺物が行方不明なのでそれらしき指輪を見た者がいないか探すように揺祇は色雨に言われていた。
揺祇の聖痕『虚偽記憶』は記憶を上書きする聖痕だが多少の融通は効く。
例えば、上書きする前に『古いデータ』に目を通すことなどが出来る。
「…正直言って気乗りはしないがな。と言うか、あの男…『権天使』と『主天使』で一応、筆者と階級は同じだと分かってこき使っているのか?」
ぶつぶつと文句をいいながらも適当にインタビューを装い、記憶を覗いていく。
「あ、すいません。インタビューにご協力下さい…」
ふと、視界に入った人影に揺祇が声をかける。
記憶を覗いたり、いじったりするのにも条件がある。
炎などの直接的な聖痕とは違い、精神系は扱いが難しくデリケートなのだ。
怪しまれないように手帳とペンを手に、その人影に近づいた所で…
「…え?」
その人影が凶器をこちらに向けた。
思わず固まる揺祇を無視して凶器は振るわれる。
「!」
慌てて、その凶器を回避する揺祇。
上から雑に降り下ろされた凶器は空を切った。
「何だ、いつの間に…」
困惑したように言う揺祇。
何の前触れもなく、いきなりだった。
いつの間にか先程まで無かった凶器がその人影の右腕に握られており、有無を言わさず、降り下ろした。
距離を取り、落ち着いて揺祇はその人影を見る。
手に握られた凶器は真っ赤な剣だった。
端から端まで返り血を浴びたかのように赤く、柄から先の部分、人を斬りつけるはずの刃の部分は山羊の角のように捩れていた。
剣…と言うよりは先端は槍に近いかもしれない。
斬るよりは側面で殴るか、貫くかで敵を殺す武器。
それを手に持った人物は女だった。
日本人にはあり得ない銀髪の…
「まあ、どうでもいいな。筆者の名は落河揺祇…そちらは?」
思考を止めて揺祇は問いかける。
「レイヴ・ロウンワード」
お喋りな普段の姿からは考えられない程、簡潔に感情なく答えた。
「何で筆者を狙う? 無差別か、それとも最初から筆者を狙っていたのか」
「………」
それに対してレイヴは答えなかった。
そして、もう会話することはないと言うかのように、揺祇へ向かっていく。
揺祇は戦闘タイプの聖痕使いではない。
しかも、聖痕装置を使った戦闘訓練もしていない根っからの非戦闘員だ。
純粋な戦闘力は一般人にも簡単に負けるだろう…
だが、揺祇は何故か笑みを浮かべた。
「…条件は満たされた」
静かに揺祇は『勝利宣言』をした。
精神系の聖痕はデリケートであり条件が存在する。
揺祇の『虚偽記憶』の条件は一つ、
それは『対象の名前を知る』こと。
揺祇は向かってきたレイヴの腕を掴んだ。
いや、非力な揺祇を見れば触れただけだったのかもしれない。
しかし、条件の満たされていた揺祇の聖痕は『起動』する。
「少し記憶をいじって混乱させる…ぞ!」
微かに静電気のようなものが揺祇の腕から走った。
これで勝負は決まった。
そう揺祇は思っていた。
「………何?」
おかしい…と揺祇は疑問を感じた。
記憶を上書き出来ない。
それどころか、古いデータを覗くことも出来ない。
揺祇の掴んでいた非力な腕を振り払われた。
再び手に持った歪な剣を振り上げるレイヴ。
「何で…」
確実に揺祇の聖痕は起動したはずだった。
かわされてなどいない、ずっと腕に触れていた。
直接的な聖痕、例えば炎の聖痕だったなら、実は防火スーツを着ていたなど理由があるかもしれない。
しかし、精神に直接干渉する聖痕をどのような装備で防ぐ?
それこそ『聖痕そのものを消し去る力』でもない限り不可能だ。
「………」
無言でレイヴは困惑する揺祇に剣を降り下ろした。