第二十九話 戦闘
「クソッ、一体どこに居やがるんだ」
町を走り回り、息を荒げながら棺が叫ぶ。
そもそも、あてもなく町中を走り回って見つけることは無謀に近い。
大都市に比べれば、それほど広くは無い町とはいえ、一人の人間を見つけ出すのは簡単じゃない。
しかも、今の町は謎の不快音のせいで軽い混乱が起きており、いつもより人混みが多い。
「大体、オレはどこへ向かえばいいんだよ! チクショウ」
どこかに隠れている由来の本体か、もしくはこの事態を起こしている言伝のところか…
いずれにしても、手掛かり一つない。
「…段々気分悪くなってきたぜ。このやたら不快な音が原因か?」
頭を押さえて立ち眩む棺。
やはり、この不快音は人体に何か悪影響を及ぼすもののようだ。
「…クソッ!」
そう棺は叫んだ後、再び走り出した。
「ハッ!」
光る縄を操り、衣が由来に向けて物を飛ばす。
しなった縄から放たれる様々な物は砲弾のような速度で由来を狙う。
空中で漂うだけの由来は、その全てをかわすことが出来ず、直撃する。
しかし、
「…いい加減無駄だと思わない? 君がさっき言っていた通り、ここにオレはいない。無駄な努力と言うやつじゃないか」
それは由来の身体をすり抜けた。
ここにいるのは『重複所在』。
幽霊にも近い、虚ろな存在達だ。
直接的な攻撃力は高くなさそうだが、それを打ち払うのは容易なことではない。
「いいんですよ。ただの足止めですから。この間に棺があなたか、この事態を起こしている人間を捕縛すれば終わりですから」
「ふーん。それで? じゃあ隠し持っているその武器は使わないつもり?」
「!」
(聖痕装置の存在に気付かれましたか!)
懐を思わず押さえながら衣が驚愕する。
「オレの『重複所在』は透視の亜種だからね。通常の『隠されている物を見透かす目』である透視を使うことも出来るのさ。君が物を動かすだけでなく、延長した手足で敵を縛れるのと同じようにね」
「成る程、文字通り貴方の前では私は丸裸も同然と言うことですか…」
「そうそう…あー、オレに性欲とかそういうものは無いから安心して、やらしいことなんかしないから」
脆く儚過ぎる笑みを浮かべながら由来は言う。
「………前々から思っていたのですが、どうして貴方はそこまで人間味が無いのですか?」
衣は由来に出会った時から感じていた疑問を言う。
「誰かの為に生きている…と言うより、受動的にしか生きられないと言った感じですか」
「………」
「…自分の為に生きられない人間は『人間としておかしい』。だから、貴方には人間味が無い。どうして、そのような…」
「ハハ。なら、君の場合はどうなるんだい? 江枕衣さん?」
「え?」
「オレは自己分析は苦手だけど、人間観察は得意でね…君がどういう人間が分かってきた」
相変わらず、人間味の無い儚い笑みを浮かべながら由来は言う。
「君は他人を助ける為に自分を犠牲にすることに何の躊躇いも無い。それは人間らしいと言えるのかな?」
「な…」
「自己犠牲の君と、自己の無いオレ、どこが違う? 他者を優先すると言う意味では何の違いも無い」
「違います! 私は犯罪者に手を貸したりは絶対にしません!」
「犯罪者に手を貸してはいけないのか? イエス・キリストは救いを求める者は誰であろうと手を差し伸べたらしいよ?」
誰であろうと力を貸す。
善人であろうと、悪人であろうと、助力を求められれば力を貸す。
その由来の生き方は、救いの手を求める者を救うキリストに似ていた。
「慈悲と共犯は違います! 悪人は正しい道に正すことが情けです!」
「…その悪人が本当に悪人かどうかなんて人間に判断できるのかな? まあ、いいよ。別にオレは人を救っている…なんて聖人みたいなことは言わない」
由来は言い切った。
由来は別に誰かを救いたい訳でも、誰かを救う自己満足を得たい訳でも無い。
「『誰かに力を貸す』……それだけだよ。ただ、それだけなんだよ」
自分を奴隷と称した由来はそう言った。
薄暗い建物の中で御開言伝は佇む。
その手には自分の記した本を持ち、中身を読み、自分の教えを再確認していた。
「………」
(計画の全ては順調に進んでいる。これで…)
「ようやく見つけた、廃墟を教会にするなんて、何て新興宗教だ」
言伝のいる建物の入り口に若い男が入ってきた。
男にしては長いストレートの髪に、人畜無害な穏やかな顔の男。
江枕色雨だった。
「初対面…では無いね。この本を受け取ったし」
「…どうしてこの場所が分かった?」
静かに言伝が聞く。
特に焦った様子は無く、疑問に思ったことを口に出しただけのようだ。
「探知機…違法聖痕使いである貴方は既に知っているよね?」
「ああ、知っているとも。じゃから、ジャミングをかけていた。今は解いたが、代わりに桐羽由来が撹乱しているはずじゃ」
登録していない聖痕の反応を全て表示する探知機は、由来の『重複所在』の全てに反応してしまい、使い物にならなくなっていた。
雇われた由来とは違い、言伝は予め、隙間の神について調べ上げて、探知機の存在も妨害する方法も知っていた。
「桐羽由来を先に捕まえる必要は無い。貴方さえ捕まえれば終わる」
「質問に答えろ。どうやってワシの居場所を…」
「簡単なことだよ、桐羽由来の聖痕を登録した。そうすれば、残るのは貴方一人だよ」
例え百人に増えようと、由来本人は一人。
聖痕も全て同質。
「フン、そういうことか。じゃが、一人で来たのは間違いじゃったな」
言伝が周囲の人間に合図をする。
その合図に反応して、表情の無い、人形のような人間が色雨に近づく。
「…洗脳か。残酷なことをするね」
「説き正しただけじゃ。『心を入れ換えた』とも言えるな」
言伝は当然のように言う。
神の教えの為に従順で狂信的で、正に『傀儡』。
心などは無く、教えに忠実な人形。
敵対する組織の中で厄介なのは、金で集まった傭兵では無く、狂信で集まった宗教団体だ。
傭兵は戦いに恐怖は感じないが、死に対しては保身になる。
しかし、狂信者にはそれが無い。
死後の世界が約束されていると信じていれば、自害すらも救いと信じる。
洗脳された狂信者程、厄介な敵はいない。
「そのまま大人しくしているがいい。ワシの教えを聞けば、いずれ改心することだろう」
洗脳された信者の前に黙り込んだ色雨に言伝は静かに告げた。
洗脳された人間の戦力に期待しているのでは無く、その人間を色雨が攻撃出来ないと確信していることからの余裕だ。
「…確かに、私は操られた人を攻撃する程、残酷なことは出来ない」
立ち塞がる者に悲しげな目を向けながら色雨は言う。
「しかし、隙間の神をただの戦闘集団と思わないことだね」
バチッと強烈な光が薄暗い建物の全てを照らした。
色雨の聖痕装置『ウリエル』から放たれた光だ。
攻撃の為では無く、威力を最小限まで抑えて、目眩ましの為の光のみを放った。
「…無駄なことを」
目を眩ませたのは僅かな間だけ、すぐに言伝は洗脳された信者を…
「…何」
操ろうとして、色雨の横に立つ少女に気づいた。
手にシャーペンと手帳を持った記者風な高校生くらいの少女だ。
「操ろうとしても無駄だ。洗脳なら、筆者が全て『書き換えた』」
少女は言う。
周囲には先程まで人形のようだった信者達が穏やかに眠っていた。
「お前などにあったことなど忘れさせて、穏やかで平凡な記憶を上書きしておいた」
「精神系の力を…」
忌々しそうに舌打ちをする言伝。
「もういいだろう?」
それを遮るように色雨が穏やかに言った。
「可愛い妹が心配なんだ。早々に捕らえて帰らせてもらうよ」
ステッキのような武器『ウリエル』を言伝に向けながら色雨は言った。