第二十三話 記憶操作者の苦悩
「記憶を消す?」
棺が揺祇に聞き返す。
「より厳密には記憶の消去では無く、記憶の偽造だ」
「どういう意味だ?」
「初期化では無く、上書きをすることで記憶を失わせる…それが筆者の聖痕『虚偽記憶』だ」
記憶を欠落させるのでは無く、記憶を偽造することが落河揺祇の聖痕。
本人の気持ちとは無関係に隙間の神で重要視されている希少な聖痕である。
「へえ。オレと違って便利で羨ましいな」
軽い口調で棺が言う。
しかし、揺祇はそれに少し嫌そうな顔をする。
「…羨ましがられるようなものでは無い」
「?」
「違法聖痕使いを相手にする聖痕ならまだしも、筆者が相手にするのは一般人…何も知らない一般人の記憶を弄くるんだ…」
暗い声色で揺祇が言った。
揺祇の聖痕は衣の観念動力などとは違い、とても希少な聖痕だ。
また、違法聖痕使いの撲滅では無く、あくまで『聖痕の秘匿』を目的としている隙間の神にとって、どんな強力な聖痕を持つ聖痕使いよりも重要な存在だ。
それは、優遇されると同時に一般的な聖痕使いよりも活躍する場面が多いことも意味する。
何も知らない一般人に聖痕を使うことに抵抗がある、落河揺祇は、今までに一体何人の記憶を操作してきたのだろうか。
「筆者の創った偽りの記憶とも知らずに、日々を過ごしているのだ。筆者の仕業とも、筆者が何をしているのかも知らずに…」
罪を犯した時に本当に苦しい時は、罪が発覚して人に責められる時では無く、罪が発覚するまでの時間だ。
罪悪感と後悔に苛まれ、被害者が知らない為に、償いも出来ない。
落河揺祇はただ、記憶を消すだけに留まらない、記憶操作のスペシャリストだ。
だが、逆に言えば、それしか出来ない。
隙間の神として、人々を救う為に働きたい、
何も知らない人々の記憶を操作したくない、
落河揺祇はその二つの狭間で苦しみ、鬱病にもなってしまい、精神的に脆くなってしまったのだ。
「筆者は…」
「…チョップ」
「痛っ!」
まだ何か言おうとした揺祇に棺が突然チョップをして止める。
「な、何を…」
「暗いんだよ! こっちまでナイーブになるわ! 見ろ! 影響を受けて衣も涙目じゃねえか!」
揺祇の言葉で涙目になっていた多感な衣を指差して棺が叫ぶ。
「…泣いてません」
「まあ、いい。こいつは放置するとしてだ」
涙ぐんでいた衣を放置して揺祇の方を向く棺。
先ほどから静かだったのは涙を堪えていた為か…
「ぶっちゃけると、オレは衣ほど多感じゃねえから、お前の気持ちはほとんど理解出来ねえが…」
「え?」
「それは違うと言うか、何つーか…あー、オレのキャラじゃねえ…」
人を諭すなんて自分に似合わないと思いながら棺が揺祇に言う。
「何と言うか…お前がいなければ、オレみたいに巻き込まれた一般人もかなり増えたんじゃねえのか?」
一般人から協力者になった神無棺は言った。
「………」
「あー。つまり、何が言いたいかと言うと…お前はお前で人を救っていたんじゃねえのか?」
神無棺は正規の隙間の神では無い。
違法聖痕使いや衣に出会ったことで、巻き込まれた一般人だ。
棺は一般人として扱って欲しい訳ではない。
色々あったが、別に棺は後悔はしていないし、大体、棺は聖痕使いであったので聖痕と全くの無関係とも言い難い。
だが、聖痕と本当に無縁の一般人の場合はどうなるだろう。
聖痕と言う不可思議の存在を知ってしまった。
ただ、それだけでその一般人の日常と常識を壊してしまうだろう。
隙間の神は組織の存続の為だけでは無く、非日常と非常識の世界、現実の『隙間』に一般人を巻き込まない為に記憶を操作している。
故に、揺祇の行為は罪ではなかったのだ。
「…ありがとう。まだ、記憶を操作することに抵抗はあるかもしれないけれど、悩むことはもう無いかもしれない」
「どうだが、お前のことだから、また悩み事を見つけてくよくよ悩んでいそうだけどな」
揺祇の苦悩が棺の軽い言葉などで解消された訳ではなかった。
揺祇が何年も悩んできた苦悩は、そう簡単には無くならない。
しかし、棺の言葉で揺祇の気が楽になったのも事実だった。
「…たまにはいいこと言いますね」
「お前はまず、その涙を拭けよ」
また涙目になっていた多感な衣に棺はため息をつきながら言った。
「うぅ…風邪で頭がふらふらするである〜」
棺が衣と揺祇の二人を感動させていた頃、レイヴは商店街にいた。
風邪をひいて学校を休んでいながら、服装はいつも通り制服だった。
「今日は一日中寝ていたかったのに、冷蔵庫が空っぽとは…一人暮らしは辛いである〜」
高熱の為か、ふらふらと揺れながらレイヴは商店街を歩く。
「棺めぇ〜、私がこんなに弱って看病イベントフラグを立てていると言うのに、何故、学校を休んで来ないのであるか!」
ほとんど八つ当たり気味に叫ぶレイヴ。
棺はレイヴはテストだからサボったと思っているし、そもそも、棺はレイヴの家を知らないので、無茶な話なのだが、熱で妙なテンションになったレイヴは全く気がつかない。
「…ああ、ダメである。死にそう。早く何か食べ物を買って…」
早く家へ帰ろうと、食べ物を扱っている店をふらふらする頭で探すレイヴ。
「んん?」
辺りを見回すレイヴの視界に妙な物が入った。
いや、妙な物と言っても、熊とか違和感がある物では無く、辺りにはたくさんいる人間である。
人間ではあるのだが、レイヴは何故かそれに違和感を感じた。
それは筋肉が無く、細身の為か、女にも見える男で、色白、
髪は日光をあまり浴びていないかのように、やや灰色にも見える黒色。
そして、最大の特徴は左目を覆う大き目の白い眼帯。
全体的に不健康そうな印象を受けるが、それ以上に、何か違和感を覚える。
ぼんやりとしており、横断歩道をゆっくりと前進している。
「何か…!」
何となくそれを眺めていたレイヴだけが気づいた。
居眠り運転か何かか、明らかに止まりそうに無い車が走ってきていることに…
「ちょ、ちょっと! そこの顔色悪い眼帯の人!」
慌ててレイヴが叫ぶが、眼帯の男には聞こえていないのか、ゆっくりと歩き続けている。
キィィッ! とブレーキを踏む音が聞こえたが、もう手遅れだった。
車は男を撥ね飛ばした。
「…え?」
撥ね飛ばしたはずだった。
レイヴは熱も忘れて目を疑った。
確かに、眼帯の男がそこにいて、車に接触する所まで見ていた。
だが、その瞬間、男は消えてしまった。
比喩でも無く、霧のように煙のように…
「…幽霊?」
その男は存在が希薄で、顔色が悪く、消えてしまう、『幽霊』のようだった。