第二十話 殺人鬼
「何! まさか、こいつが倒されるとは!…とは言わねーぜ? どーせモブだし」
「い、逸谷さん酷えー」
ふざけたようにそう言う逸谷に倒れていたチンピラのような違法聖痕使いの男が言う。
色雨が加減して撃ったようで、少し火傷をしている以外は怪我もなさそうだ。
「さて、大人しく投降する気はあるかい?」
とてもそうは思えないが、色雨は一応聞いておく。
「悪いが、ねーよ。ボスは裏切れねーからなー」
両手をひらひらとさせながら逸谷が言う。
「君達のリーダーは随分と信頼されているんだね」
「信頼? そんなもんなんかねーよ。あいつは多分、必要とあれば、オレの命なんか簡単に使い潰すぜ?」
何でもないことのように、それが当然だとでも言いたげに逸谷は言う。
「…ならば、どうして君はその人物に従う?」
「そーだなー、忠誠じゃねーんだよ」
訳が分からないと言う表情の色雨に逸谷は考えながら言う。
まるで、当たり前過ぎて、自分でも理由を考えたことも無く、言葉にするのを悩んでいるかのようだ。
「忠誠でも、信頼でも、友情でも無い…敢えて言うならば、崇拝に近いかもしれねーなー」
「崇拝だって?」
「近いだけだ。別にボスのことを神だとか思ってる訳じゃあねーよ」
誤解はすんなよ?と言いながら手を振る逸谷。
「まー、難しいことは考えるなよ。ようはテメェは問答無用で武力行使で来ればいいんだよ」
会話が飽きたのか、左腕をスッと持ち上げた構えを取る逸谷。
「!」
それに反応し、色雨もステッキのような聖痕装置を構える。
「先に言っとくぜ、聖痕は、与えられた力だとか、神の恩恵だとか、言われることもあるらしいが…」
グッと逸谷は左手で虚空を掴むようなパントマイムをしながら言う。
「オレの聖痕は間違いなく、人を害する為だけの『モノ』だ」
「ゲヒュッ!」
掠れた声のような、悲鳴のような音が聞こえた。
死ぬ間際の動物のような弱々しさも含んだ音だった。
「な…」
しかし、それを発したのは色雨では無かった。
「ゲホゲホッ!…逸…谷…ゲホッ!…さん…」
苦しんでいたのは、逸谷の背後で倒れていた、違法聖痕使いの男だった。
喉を両手で押さえて苦しんでおり、首には絞殺体のような模様が浮かび上がっている。
「悪いが、テメェはもう、組織には要らない」
逸谷が仲間だった男を見ながら言う。
冷酷な目つきをしているだとか、豹変したりなどはしていない。
先程まで普通に話していたのとまるで変わらない。
どこにでもいそうな男のままだ。
それ故に異常だ。
「…な…あ…」
「初めからこの為にオレはわざわざやって来た。勝手に捕まって、べらべらと機密事項を話す雑魚はいらねーとのボスの命令だ」
すらすらと答える逸谷。
組織に見捨てられた違法聖痕使いの男は理解が出来なかった。
組織に見捨てられたことも仲間を殺すことに躊躇しないボスもまだ、理解は出来たが、
自分が殺す予定の人間と普通に会話をして、普通に接して、殺意すら持たずに凶器を翳せる逸谷が理解出来なかった。
同情や躊躇があるとは思わなかった、自分にだってそんなものは無い。
しかし、殺意すら抱かずに人を殺せるものなのか…
そこまで思考した後、違法聖痕使いは倒れた。
「…君は一体…何を…」
戦慄したように色雨が震えた声で言う。
目の前の人間が信じられないかのようだ。
「オレの聖痕の名称は『薬剤耐性』。触れた相手に病原菌を感染させることが出来る…言わば、オレ自身が病原体なのさ」
「………」
「オレが手を動かすだけで潜伏期を終え、発症する。喉を塞ぎ、まるで絞殺されたかのように窒息死させる殺人ウィルスだ」
それが人を害する為だけのモノと自分で称した逸谷不戒の聖痕。
「違う!」
しかし、色雨が言ったのはそれのことでは無かった。
「何故、そこまで平然と人を殺せるんだ!」
色雨は思わず叫んだ。
色雨も違法聖痕使いの中で人殺しを見たことはある。
戦ったことさえある。
しかし、後悔にしろ、快楽にしろ、その人間にとってそれは必ず意味のあるものだった。
そうでなければならない。
人の命は軽くは無い。
顔色一つ変えずに人を殺せる人間など存在してはならない。
「ああ、悪いがオレはこういう人間なんだ」
簡潔に逸谷は言った。
「…何を」
色雨にはその言葉の意味が分からなかった。
「だから、『こういう人間』なんだよ。生まれた時から価値観が違う」
そういいながら、逸谷は懐から錠剤の入った瓶を取り出した。
「これはハイになる為の薬じゃねー。オレをクールダウンさせてくれる『精神安定剤』さ」
逸谷は錠剤を手に出し、飲み込んで言う。
クールダウンする為に服用している。
つまり、今の異常な精神状態もクールダウンしている状態だと言うこと。
「これでも常人の思考に近づいてきた方なんだぜー? 前は他人を見ると、気づかない内に殺してしまっていたからなー」
「君は…何が目的なんだ? 何の為に生きている?」
「最近では、ボスの為に生きているぜ?」
色雨の質問に、またしても逸谷は簡潔に答えた。
「…分からない。君は殺人鬼だ。なのに、何故他人の為に動く」
「………」
今度の色雨の質問には、逸谷は黙った。
「…殺人鬼が皆、殺人が好きだと思うんじゃねーよ」
しばらく黙った後に呟くように逸谷は言った。
表情は変わらず、何を考えているのかは読み取れないが、微かだが、狂人的な思考では無く、もっと人間らしい苦悩が見えたように色雨には見えた。
「あいつは『麻薬』だ。あいつの強さには、人格には他者を魅了する『依存性』がある…あいつの近くにいる内だけはこの狂気を忘れられる」
「…?」
「さて、話はこれまでだ。裏切り者は始末したし、オレは帰るぜ」
そういいながら、錠剤の入った瓶とは別の瓶を取り出す逸谷。
「…ここまで話を聞いて、逃がすと思うかい?」
聖痕装置を構え直す色雨。
「狂気を抑える為に、殺人の数はボスに許可してもらった数だけでなぁ…今日は定員オーバーだ」
パリン! と錠剤の入っていない方の瓶を地面に落として踏み砕く。
すると、濃い霧のような物が周囲にたちどころに吹き出して、逸谷の姿を覆い隠した。
「クッ…………逃がしてしまったか」
霧が全て晴れてから色雨が呟いた。