最終話 幸福
聖櫃が崩壊し、奇跡は消え失せた。
奇跡を悪用していた者達は滅び、奇跡を秘匿する組織は必要なくなった。
一人の男によって狂わされていた世界は、その男によって生み出された存在によって元に戻された。
神無棺と言う、奇跡の翻弄され続けていた少年によって、世界は救われた。
「………」
だが、神無棺は思う。
フランソワは全ての悲劇の元凶だ。
しかし、彼が世界を変えなければ世界はどうなっていただろう?
聖櫃のシナリオ通りに世界は操られ、君臨者によって世界は滅ぼされていたのではないだろうか?
世界を救ったのは棺であるが、
その棺が生まれるきっかけを作ったのはフランソワなのである。
救世主…とフランソワは棺のことを呼んでいた。
正気を失っていたフランソワにそのような思惑があったとは限らない。
ただ、悲劇を楽しむ為だけに暴走していただけかもしれない。
だが、結果的に彼は…
世界を救う手助けをしていたのだ。
「え、ああ! くっそ、上手くいかねえ!」
見慣れた自室。
神無棺は鏡を前に苦戦していた。
苛立ちながら手に持っている物は、染髪剤。
色は赤。
「棺ー! いい加減出発しないと学校に…って、あー! 何で髪を染めようとしてるんですかー!」
「げっ…」
家へ突入してきた江枕衣を見て、棺が面倒臭そうな顔をする。
そんな棺を衣は怒ったように睨みつける。
「校則違反ですよ! 折角、髪が黒色に戻ったんですから、そのままでいなさい!」
衣は教師のようにビシッと指を差して叫んだ。
指差された棺は日本人らしい黒髪と黒い瞳を持っていた。
「いや、どうも髪が赤くないと落ち着かなくてな…」
「諦めて下さい。バイクだって、レイヴさんが色を変えたでしょう、真っ白に」
「…アレを見た時は涙が出るかと思ったよ」
愛車スコーピオンの無残な姿を思い出しながら、棺は呟く。
と言うか、別にバイクの色を変えるのは校則違反じゃなくね?
「さあ、行きますよ。心配しなくても黒髪も似合ってますから」
「…はあ、それはどうも」
「力が、なくなったみたいだな」
「後悔しているの?」
「いや…」
病院のベッドで横になっている鐘神季苑は砂染木々にそう答えた。
「俺様は元々、そこまでこれに執着はなかった。精々使い勝手の良い道具程度の認識だ。所詮は拾い物、いつかは落とし主に返す運命だ」
「さっぱりしているのね」
木々の言葉に季苑は曖昧に笑った。
どのみち、あの力はもう必要ない。
復讐は果たした。
この世に未練すらなかった。
「痛………何だ?」
そんなことを考えていると、木々が季苑の腕を握っていた。
あまりに強く握りしめているせいで、少し痛みが走る。
「細い腕。反逆者のボスも、身体面では並以下ね。そんな身体で力も失ってどうする気?」
「さあな、どうするか…いっそ、会社でも立ち上げてみるか?」
「はあ?」
予想外の言葉に木々は呆気にとられる。
元反逆者のボスの転職先としては、些か平和すぎないか?
「そんな顔をするな。これでも、ガキの頃までに学ぶことは学んでいる」
「………」
何か、この男は本当に会社を設立しそうな気がする。
反逆者を従えたカリスマを十分に使い、一から大会社を作りそうだ。
「お前はそこで秘書でもやるか? 木々」
「…本当に会社を作ったらね」
「ふむ、そうか。では数年待て」
数年で会社を作る予定か。
そう木々が突っ込もうとした時、病室の扉が開いた。
「ボスー、お加減はいかがですか?」
「ボス、果物を買ってきましたよ!」
「ボス、私は…」
ゾロゾロと扉から病室内に入ってくるのは元反逆者達。
逸谷不戒を筆頭とした季苑を慕う部下達だ。
「いやー、ボス。これ食べてみて下さいよ。あ、お嬢もどうぞ」
「これは…?」
様々な野菜の入った籠を受け取りながら、木々は聞いた。
その質問に自慢げに逸谷は胸を張る。
「オレの畑で作った野菜です。いやー、畑仕事って、やってみると楽しいですねー」
「………」
何ともいえない顔で木々は逸谷を見た。
あの殺人鬼が変わったものだ。
自分の人生を支配していた力を失い、無気力に陥っていた逸谷へ作物の本を渡したのは、失敗だったのか、成功だったのか…
「ふむ、決めた。お前達も俺様の会社の部下としよう」
不穏な言葉を季苑が言った。
この元反逆者達を全て纏めて会社を作る?
「…でも、きっと作っちゃうんだろうな」
この人はそういう人だから。
まあ、その時は秘書何でもしてあげよう。
少しだけ、楽しそうだし…
「そこはこうやって、こうさ」
ある道場にて、沢山の生徒の前で銘式濁里は竹刀を振るっていた。
その動きは見事なもので、教え方も上手く、そこそこ評判は良かった。
「もう少し詳しく、もっと近づいて教えて下さい」
「…こうして、こうだよ」
しかし、質問をしたその生徒には何故か近寄ろうとせず、離れた所で竹刀を振るだけだった。
どれだけお願いしても、近づいて丁寧に教えてくれない。
焦れた生徒が自分から濁里に近づく。
それと同時に濁里は一歩下がる。
もう一歩進めば、
もう一歩下がり、
更に一歩進めば、
もう一歩…
「色雨ー! 女子はお前の担当だろう! と言うか、オレを助けてー!」
そう、その生徒は女子だった。
とてもとてもシャイな濁里は女子に近づくのが怖いのだ。
悲鳴のような声を上げて、共にこの道場を開いている者を呼ぶ。
「やれやれ、いい加減それを治した方が良いと思うよ」
「…うるさい。女子は超年下大好きなお前が相手をしていろさ」
「ちょっ、誤解を招くようなことを言わないでよ!」
「この間。繰上炬深とか言う年下と仲良くデートしてたろう」
「アレはただ…って、みんなそんな目で見ないで! 私は君達をそんな目で見たことはない!」
自分に向けられる冷ややかな視線に慌てて、色雨は言い訳をする。
それによって、ボソボソと中高生ぐらいの生徒達から声が漏れる。
その内容は、江枕先生のこと好きだったのに…とか、彼女いるんだ…とか、私は銘式先生派…とかであったが、二人の耳には聞こえなかった。
この道場で二人は意外と人気であった。
「………」
「いらっしゃいませ。すいませんが、お客さん、まだ開店前…って」
「久しぶりね、散瀬」
聖女の憩…と言うキャバクラのような店名の喫茶店にて、マスターである白垣散瀬は店に入って来た人物を見て、青ざめた。
天之原天士。
隙間の神がなくなった今でも、彼が最も苦手とする女性である。
「さて、聞こうかね。どうして、また私の前を去ったのか、どうして、こんな隠れ家的な店を経営しているのか」
「え、えーと、手から黄金を作れなくなったので、だからその…」
「それで…?」
「お金を稼ぐ為に働かないとな…って」
散瀬の言い分におかしな所は見られなかった。
だが、それなら何故、自分に黙って行方をくらませたのか?
その答えは、店の奥の扉から出てきた。
それはもう、ゾロゾロと。
「マスター、どうしたんですかー?」
「開店にはまだ早いですよね?」
「仕込みまだ終わってませんよー?」
何人もの少女たちが散瀬の前に現れる。
しかも、全員メイド服を着て…
「…なる程、メイド喫茶をやってみたくなったから、私には隠していたのね」
「ちょっ、天士、落ち着いて、れ、冷静に…」
「死ねー! 女たらしー!」
隠れ家的なメイド喫茶へ、雷が落ちた。
「………」
ルシファーは思い出す。
あの男の最期の言葉を。
幸せになってくれ。
自分のようにならないでくれ。
目的ばかりに囚われずに人生を楽しめとあの男は言った。
…私は、それに答えようと思う。
力を失い、私は弱くなったが、出来るだけ人生を楽しむ方法を探そうと思う。
「………」
…しかし、これはないだろう。
「歌なんて歌ったことないんだけど…」
「大丈夫だって、それだけ可愛ければやっていけるって」
「でもなーアスモデウス。流石に私達三人でアイドルは無理がないか?」
「大丈夫大丈夫、名付けて『デビルズ三姉妹』よ!」
頭の湧いた言葉が聞こえる。
いや、どう考えても無理だろ。
歌や踊りどころか、愛想笑いすら、私は出来ないぞ。
このままじゃマズイ。
このまま放っておくと、次に気が付いた時にはステージの上だ。
「おい、サタン。何とかしろ」
「え? いや、考えてみれば意外と楽しそうかなって、思ってきたんだけど…」
サタンの目は夢見る少女のように輝いていた。
サタン、お前もか。
と言うか、こんなことに乗り気になる奴だったか、こいつは。
まるで、どっかの誰かに夢を諦めるなと後押しされたようだった。
「というか、もうオーディションに応募しちゃったから」
ルシファーは絶望した。
「素晴らしい、斬新で奇抜…他の誰にも真似出来ない逸品です」
「そんな物が逸品か? なら、もっと素晴らしい物が沢山あるんだが…」
「何と、これ以上にまだ…! 是非、見せて下さい!」
黒くなった髪をベレー帽で抑えながら、タウは自身の作品を取り出す。
ガラス片が埋め込まれたリンゴの彫刻や、木に飲み込まれた人間の彫刻など、かなり特殊な作品が鞄から出される度に男は驚きの声を上げる。
「素晴らしい! 是非是非、私に売って下さい!」
「ああ、構わない。所詮趣味の範囲内だ。これからも色々作り、格安で譲ってやるよ」
「有難うございます!」
そう言い、頭を下げる男を見ながらタウはニヤリと笑う。
力がなくなっても芸術が作れなくなった訳じゃない。
この手で直接作るというのも悪くない。
それに、中々美的センスのある奴にも出会えた。
この世界も意外と、捨てたものじゃないな。
「………」
この作品の売り上げで今度、棺達を旅行にでも誘ってみるか…
家族水入らずと言うやつだ。
きっと、楽しくなるだろう。
「どうして、ボクは生きていることが出来たんだろうね?」
「また、その話か。良いじゃない、何だって…蛍、君が今を生きていられるのなら」
藍摩蛍の疑問に桐羽由来は答えた。
確かに、奇跡が失われたにも関わらず、こうして死者である蛍が生きているのはおかしい。
だが、そんなことは由来は気にならない。
生きているのなら、それだけでいいじゃないか。
「レイヴって聖遺物が人間になったけど、おじーさんはただの物になった。人間よりも死体に近かったボクは死体に戻る筈だった」
「………」
「多分、ボクを死体よりも人間に近くしたのはおじーさんだよ。それによって、ボクは人間として生きることが出来たんだ」
蛍は確信しているように言うが、真実は分からない。
蛍を物としか扱っていなかったヘーレムがそのようなことをするだろうか。
それとも何か、ヘーレムの心を変える出来事があったのだろうか?
真実はヘーレムしか知らないし、由来は知るつもりもない。
「ボク達は忘れるべきじゃないんだよ。彼がいたことを」
そう言って、蛍は一つの小さな本を取り出した。
それは日記。
今までの生活。
由来とヘーレムと蛍の思い出を忘れないように記した記録。
書物であるヘーレムのことを書き記すと言うのもおかしな話だが…
「そうだね………っと、もうこんな時間か。オレは仕事に行くから」
「行ってらっしゃい。お土産よろしくー」
由来を見送りながら、蛍は呟いた。
その顔は穏やかな笑顔だった。
「遅いであるよ、棺ー!」
「悪い、中途半端に染色したせいで教師に捕まってよー」
「自業自得です」
レイヴの文句に棺と衣が言う。
今日は学校が終わってから、三人で出かける予定なのだ。
場所はまだ決めていない。
「今日は私、カラオケと言う所へ行ってみたいです」
「私はゲーセンである!」
「レイヴ、ゲーセンは昨日も行っただろう」
「それでもである」
呆れたように棺が言うが、レイヴは譲る気はない。
「カラオケって歌を歌う場所なんですよね? 私、歌を歌うの大好きなんです!」
珍しく、衣も譲る気はない。
やれやれ、
「分かった。どちらも行こう。あんまり遅くなるといけないけどな」
「門限なんてくそくらえ! である!」
「わ、私も…う、私は不良になってしまうのでしょうか?」
レイヴはテンション高く叫び、衣は逆に少し落ち込んでいる。
本当に、平和なことだな。
だが、これが棺達が欲しかった物だ。
この幸福を求めて様々な人間が争った。
色々な、本当に色々なことがあったが、
「オレ達は幸せだ」
完結しました!
ここまでご愛読有難うございました!