第十一話 夜の病院
「ふう、危ない危ない…」
棺は衣から逃げながら病院に辿り着いた。
既に、辺りは大分暗くなっていて、足元に気をつけて歩かなければ転びそうな程だった。
「…真っ暗。消灯時間早過ぎないか?」
棺は明かり一つ付いていない病院を見て呟いた。
時計を見ていないので、正確な時間までは分からなかったが、それでも消灯時間には早いはずだった。
「…一応、確認しとくか」
最悪、孤児院に泊めてもらおうと考えながら、さっきも来た入口へ向かう。
すぐに戻るつもりなので、バイクは適当に入口の近くに止めた。
「あれ?」
しかし、予想外にも、病院の扉の鍵は開いていた。
中は暗く、音もしない。
「………」
それに違和感を感じた棺は暗くて不気味な病院の中へ入って行った。
「ホラーだな、全く」
昔した廃病院が舞台のホラーゲームを思い出しながら棺が病院の廊下を歩く。
棺の言うように、暗い病院の中は、独特の不気味さがあり、ゾンビでも出てくれば、完全にホラーゲームだった。
「幽霊でも出て来そうだな………いねえよな?」
思わず呟いた自分の言葉に棺は自問自答する。
「いやいや、この歳で幽霊怖がるとかねえだろ………だけど、聖痕は実在するしなぁ…」
暗闇の中、一人で幽霊問答を続ける棺。
「…よし、幽霊はいるかもしれない。だが、今は出てくるなよ」
ポンッと手を叩き、棺の幽霊問答は終わった。
ピピピピピピー!
「うおおっ!………何だ、携帯か…病院では携帯の電源は切りましょうー…」
自分の携帯の音に盛大に驚き、棺は電源を切った。
舎弟を沢山持つ番長は、意外にビビりかもしれない。
「さっさと間人の病室に…つーか、今更だけど、病室の鍵とか閉まってるんじゃねえか?」
棺は根本的なことに気が付いた。
しかし、病院に入ってから何故か一度も人に出会っていない為、どうしようもなかった。
「ん?」
とりあえず人を捜そうと、廊下を歩いていると、棺はあることに気がついた。
「床が…濡れてる?」
棺の歩いていた廊下は何故か水浸しになっていた。
窓から雨が入って来たかのようだが、窓は開いていないし、雨も降っていない。
「夜の病院、水浸し…何か嫌な予感が…」
♪〜♪〜♪〜♪〜
「うおっ!」
棺が何かを考えていると、また電話の音が聞こえた。
着信音は聞き覚えの無い、奇妙な音楽だった。
「電源は切ったはず…つーか、こんな変なメロディーじゃなかった…」
ちらっと棺は背後を振り向いた。
「失礼。病院では電源は切るものでしたネ」
携帯を片手に持った奇妙な男が立っていた。
奇妙な男だった。
服装は水に濡れたレインコートを着て、手には何故か青い傘。
歳は棺と同じくらいに見えるが、顔つきはハーフなのか、外人に近い。
「ボクの名前はオーミー・氷咲デス」
やや発音が怪しい日本語でオーミーが言う。
「芸人みたいな名前だな」
「ほっといて下さい、気にしてるんデスから」
棺の言葉に機嫌悪そうにオーミーは言った。
自分の名前が嫌いなようだった。
「で、夜の病院でお前は何をしてるんだ?」
明らかに怪しいオーミーに棺は率直に聞く。
「そちらこそ…名前聞いてませんネ」
「ああ、オレは神無棺。忘れ物を探してたんだが…」
やや気恥ずかしいのか、棺は言葉を濁した。
「そうデスか、それは運がありませんでしたネ」
「…そうだな」
「今日、ここに来なければボクに出会うことも無かったのニ」
オーミーはそう言うと、傘を振り回しながら、ゆらゆらと動き出した。
「な、何だ?」
「ここだけの話、ボクは魔法使いなんですよ」
困惑している棺にオーミーは告げた。
「魔法使い?」
(…こいつ、不思議な奴だと思ったら、痛い奴だったのか?)
棺がオーミーのことを可哀相な奴に指定していると…
「魔法使いが魔法を行使するには杖が要りマス、これはその代用」
青い傘を振り回しながらオーミーが言う。
「行きなさい!『怪火』」
オーミーがそう叫ぶと、青い傘の先から青白い人魂が幾つも噴き出した。
「なっ、聖痕か!」
それを見て、棺はオーミーには魔法が宿っていると気づいた。
人魂達は空中を揺らめき、棺に近づいてくる。
「炎の魔法ってか? なら…これならどうだ?」
棺は廊下の隅に備え付けられていた物を構える。
消火器だ。
「科学の力をナメるなよ、魔法使い!」
ブシューと音を発てて、消火器から中の薬剤が人魂に放たれる。
しかし、
「確かに、炎の魔法なら、反則技っぽいデスけど、それでもよかったんデス。だけど…」
消火器の薬剤は全て、人魂をすり抜けた。
「ボクは『瞬間の魔法使い(タイミング・マジシャン)』…得意とする魔法は、瞬間を操る魔法だけデスよ」
「…その二つ名、恥ずかしくないのか?」
人魂に囲まれながらも、棺は呆れて呟く。
「ならば、その二つ名が伊達で無いことを教えて上げマスよ!」
人魂が一斉に棺に襲い掛かって来た。
「熱っちぃ!…くない?」
その人魂の幾つかが棺に触れたが、何故か、棺は火傷しなかった。
「言ったでしょ、瞬間を操る力だっテ…」
薄く笑いながらオーミーは抱擁でも交わすかのように両手を広げた。
「『瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい』」
瞬間、棺の時が止まった。
(音が…消えた?)
人魂の燃える音、
水浸しの床を踏む音、
様々な音が消えた。
棺は呆然と立ちすくんだ。
ゴッと右側から頭に衝撃が走った。
「グ…」
何かに殴られた。
ふらつく身体を何とか抑えて、右側を見ると、オーミーが傘を手に立っていた。
さっきまでは前方にいたはずのオーミーが、棺が不可解な現象に困惑している間に移動したのだ。
(だが、数秒と経って無いはずだぞ!)
棺は更に困惑した。
頭を殴り付けたのはあの傘だろう。
杖の代用など言っているのだから、武器用に改造していてもおかしくない。
オーミーが音速に近い速度で加速した訳でも無い。
例え、目で終えない程、速くなろうと、何かしら前兆はあるはずだ。
オーミーが加速した訳では無く、オーミーはただ、歩いてきただけだ。
つまり、
「一撃で気絶するように殴ったんデスけど、案外、石頭デスね」
「お前…何をしたんだ?」
不可思議な現象に理解が追い付かない棺が尋ねる。
「うん? だから、言ってるじゃないデスか」
何でもないことのようにオーミーは言った。
「ボクは瞬間を操る魔法使いなんデスよ」