第百三話 団結
奇跡。
聖痕使い、隙間の神、インテリジェント・デザインの間ではそれ程珍しくもない現象。
人間の理解を超えた異能。
常識外の力。
だが、あの時のアレは…
「…本当の奇跡と言うのは存在するのか、人を見下ろす神ってのは存在するのか…!」
だったら何故…と言いかけて、天鼠は口を閉じた。
今更言った所で何の意味もない。
既に引き返せない所まで来ている。
「天鼠、計画の最終段階はどこでするのですか?」
「…そうだな…フランソワに任せるよ」
悪魔とも取引をした。
魂は売っていないが、身体は既に人の物ではない。
心などない。
ここにいるのは藍摩天鼠と言う形をした、ただの奇跡の塊だ。
「………」
…だが、もし、この世界が回している誰かが本当にいるというなら、教えて下さい…
何故…僕を生かしたのですか?
「問題はここからだ」
神無棺は静かに言った。
タウの力で住み慣れた町まで戻ってきたが、休んでいる暇はない。
あの聖櫃の力は野放しに出来ない。
様々な混乱を生んだ二百年前の暴走だって、フランソワからすれば失敗だったらしい。
フランソワの企みが成功すれば、一体どれだけ世界が混乱することだろう。
混乱を抑える為に聖痕を秘匿しようとしていた隙間の神は崩壊した。
反逆者との同士討ち、人形や堕天使のせいで生き残りはいてもシステム自体が崩壊してしまった。
「…反逆者と言えば、あの二人は?」
「鐘神季苑と砂染木々なら、ちゃんと病院に運んだよ。全く…まさか、敵である反逆者のボスを助けて帰ってくるとは思わなかったよ」
江枕色雨が呆れたように棺に言った。
敵を助けたことを咎めるような口調だが、それでも助ける辺り、色雨も大概お人よしだ。
「あいつらを裏切り、あいつらが裏切った隙間の神は既にない。なら、別段敵対する理由はないんじゃないか?」
「…私としては君がそこにいることにもビックリなんだけど」
「人が犯罪者を拒むのはそこに法があるからだ。その法を定めるモノが無くなったのだから、文句はないだろう? 法に忠実な犬?」
色雨とタウは睨み合う。
と言うより、敵視しているのは色雨だけで、タウは薄っすら笑みさえ浮かべている程だ。
「まあ、犬は嫌いだが、家の妹分を守ってくれていたお前には好感を抱いている。仲良くしようぜ、江枕色雨」
「………」
肩をバンバンと叩きながらタウが言うが、色雨は仏頂面を止めなかった。
二人は性格がかなりかけ離れているので、相性はよくなさそうだが、今すぐ争うようでもなかったので棺は放置することにした。
「それで、君はどうする?」
この町についてから何故か合流した桐羽由来が言う。
この男と会うのも久しぶりだ。
この場にいると言うことは、こちらはこちらで色々あったように由来にも色んなことがあってここにいるに違いない。
「どういう意味だ?」
「君はアイツらにどう関わるのかってことだよ。オレはこの子さえ無事ならそれで良い」
由来は近くで横になっている青髪の少女を見ながら言った。
自主的に何かを成したいと思うなんて、かつての由来では考えられなかった。
やはり、棺が変わったように、由来にも変化があったのだろう。
「正直、身に振る火の粉は払うけど、アレと戦う理由はない。アレは、世界レベルの脅威だ。オレらは勇者じゃない。伝説の剣持って魔王を倒す義務なんてないんだ」
強制する何かなんて存在しない。
誰かが成さなければならないことだが、逆を言えばそれは自分じゃなくてもいい。
勇者など分不相応だと自覚する男は棺の目を見て言った。
「…オレ達は勇者じゃない。別にオレが戦わなくていいのかもしれない」
「………」
「でも、これでも救世主らしいんだよ。オレは…だったら、一度くらい世界を救ってみたいじゃねえか」
気軽な口調で棺は言った。
選ばれた訳じゃない。
強制された訳でもない。
これは自分の意志。
これは確かに、自分で考えた末の答えだ。
「でも、棺。あの人達がどこにいるのかが分からないんですよ」
江枕衣は言った。
そうだ、そもそも藍摩天鼠達の居場所が分からなくなっていた。
体勢を立て直す為に一度引いたのが仇となった。
救世主と呼ばれる神無棺が計画に必要だったらしいが、口ぶりから察するに藍摩天鼠でも代わりを務めることは出来るようなので、二人だけで計画を実行に移されてしまうかもしれない。
探知機か何かで探すことは出来ないか…いや、隙間の神は既に機能を停止して…
「奴らの居場所なら私が把握している」
その時、その場にいなかった声が聞こえた。
「ああー! お前は青髪ショタジジイ! まだ生きてたのであるか!」
「貴様もいたのか…暴食豚」
「ぶ、豚ぁ! ちょっと、どういう意味であるか! このスリムボディのレイヴさんに向かって…」
「五月蠅い黙れ豚。人の身体を貪るお前は豚に等しい」
余程、酷い目に遭わせられたのか、ヘーレムのレイヴを見る目は氷のように冷たい。
ヘーレムの毒舌に、レイヴは戦う前から完敗だった。
「うええええええん棺ー! じじいが苛めるよー!」
「良くわかんねえけど、知り合いか?」
「そんなところだ。だが、今、論ずるべき事柄はそれではないだろう?」
ヘーレムは挑発的な目で棺を見た。
「あの蟲には私の奇跡を送り込んだ。奴らの居場所は手に取るように分かるが…どうする?」
「ルシファー、ルシファー! あいつら行っちまうよ!」
「お兄様に会いにいかないと!」
棺達から少し離れた所にサタン、アスモデウス、ルシファー達はいた。
「会ってどうする。お前達も知っただろう。アイツの本性を」
「「………」」
ルシファーの言葉に二人は口を噤んだ。
捕まったベルフェゴールを助けに行った自分達を待っていたのは、無情な悪魔だった。
まるで、心がないかのように容赦なく、呆気なく、ルシファー達を攻撃した。
そこには悪魔の証明にいた頃の優しさや親しみはなかった。
元から不信感を抱いていたルシファーはともかく、家族だと思っていた二人はそれがショックだった。
アレに関わってはいけない、と本能が言う。
だが、心のどこかでもう一度会いたいと二人は思っているのだ。
「「………」」
それが顔に出ていたのか、ルシファーがため息をついた。
「…行くぞ」
そう一言告げると、ルシファーは棺達の下へ歩き出した。
二人が慌てて後を追ってくるのを感じながら、ルシファーはもう一言だけ呟く。
「逃げるのは性に合わん」