第百二話 聖櫃
黒い聖櫃と青い聖櫃は溶け合い、藍色の聖櫃へと変化した。
そこから噴き出す奇跡は聖痕の比ではない。
落雷とか、地割れとか、そういう『天罰』と称される規模の奇跡を扱う程の力だ。
「…さて、完全となった今、君達に興味はないよ」
「うおっ…」
「ぐあっ!」
天鼠は黒い骨格を動かし、吊るしていた棺とフランソワを地面に捨てた。
「いたた…酷いですね。全く、あなたはいつも突然なのですから…」
フランソワは傷口から血を溢しながら、ため息をついた。
かつて殺されたことを恨んでいるのか、計画が壊されたことが不満なのか、
だが、言葉で責めながらもフランソワから殺意は感じられなかった。
「『救世主』には僕がなる。それで文句はないでしょう?」
「…本当にあなたは突然だ」
諦めたようにフランソワはもう一度ため息をついた。
そして、救世主と期待していた男の方を向く。
「棺、しっかりして下さい! 血が…」
「…退いとけ、衣」
棺は心配そうに駆け寄る衣を押し退けた。
黒い骨格に貫かれた部分を押さえながら、レイヴを確りと握る。
『棺…』
「黙ってろレイヴ。漸くなんだよ…」
レイヴを前に構え、棺は独り言のように呟いた。
「漸く、オレはやりたいことが見つかったんだ。今までの人生は全て誰かに仕組まれたものだったのかもしれない…だが、ここでオレがこうしてることは、誰が何と言おうと、オレの意志だ!」
「命は惜しくないみたいだね…だから、人間は不完全なんだよ!」
普段感情を見せない天鼠が激高したように叫んだ。
黒い骨格が軋み、棺を串刺しにしようと迫る。
『そんな物は二度と効かないである!』
バキバキバキ…! 大木が倒れるような音を発てて、黒い骨格が砕け、霧散した。
原因は棺の手に握られた剣。
触れた奇跡を喰らう力を持つ、レイヴの力。
「チッ、魔剣の力か…」
天鼠は忌々しげに舌打ちをしたが、脅威と言う程ではない。
魔剣が奇跡を喰らうというのなら、
『それ以上の奇跡』をぶつけるだけだ
「…聖櫃、もっと奇跡を解放しろ」
天鼠の一言と共に、黒い骨格が巨大化する。
聖櫃の生み出す無限の奇跡を、天鼠の聖痕『第五元素』と言う形に加工しているのだ。
より破壊力を増し、より攻撃範囲を広くした黒い骨格が棺を襲う。
『…これは、ちょっと、マズイ、かも』
「くそっ…」
本来天鼠の聖痕は戦闘向きじゃない。
戦闘に関して言えば、棺の聖痕の方が強力だろう。
だが、無限の奇跡を生み出す聖櫃によってその常識は覆る。
強いとか弱いとかじゃない。
底がないと言うだけで、無敵なのだ。
「…面倒だね。フランソワ、お願い」
天鼠の言葉に棺達は凍りついた。
天鼠だけでも何とか耐えることで精一杯なのだ。
これにフランソワまで加わったら…
「はあ、了解了解、救世主様…」
ため息をつきながら、面倒臭そうにフランソワが腕を振るう。
その背中からは青く光る翅が漏れ出していた。
天鼠のコウモリの骨格染みた、骨の翼とは違う、昆虫のような翅。
それもまた、聖櫃と同様に尋常じゃない奇跡を内包していた。
「まずは…そこの、江枕衣さんから消しましょうか…」
「ッ!」
どこまでもフランソワは悪趣味だった。
天鼠の攻撃を受け止めていて動けない、棺とレイヴの背後、
衣を先に狙うというのだから。
「自分の目の前で大切な人が死ぬ悲劇と言うのは、中々心に来るでしょう?」
「やめろ!」
棺は叫ぶが、どうすることも出来ない。
今、何とかレイヴが天鼠の攻撃を受け止めている状態だ。
この場から離れたら、その瞬間に棺達は絶命する。
棺には、ただ叫ぶことしか出来ない。
「…何度目だろうな」
その時、フランソワの前に人影が現れた。
フランソワの邪魔をするように現れたその人影を見て、フランソワは確かに怒りの表情を浮かべる。
本当に、何度目だ。
この目障りな物が、自分の邪魔をするのは、
この鬱陶しい障害が、自分の思い通りにならないのは、
「今度こそ貴様を滅ぼしにきた、蟲」
「…いい加減、見飽きたんですよ、ガラクタァ!」
暴風と、青い光と、有刺鉄線よりも凶悪な糸が、ヘーレムへ襲い掛かる。
ヘーレムも無数の青い十字架を出現させ、それに応戦した。
何度目かの、戦いが再び始まった。
「…よし、大丈夫みたいだね」
人から外れた二人の奇跡がぶつかり合う中、桐羽由来は地面に倒れていた少女を抱き起した。
ヘーレムはともかく、由来はこの少女の為にここへ来たのだ。
このままこの少女を連れて離脱する。
この少女に蓄積させた奇跡をフランソワは奪い取っている。
この少女がこの場から離脱することは、同時に、フランソワに打撃をくらわせることになるだろう…
「フランソワ…! チッ、イレギュラーを呼び込むなんて、これも救世主の力だとでもいうのか!」
有り得ない。
こんなタイミングで、仲間でもない人間が現れるなど…
ピンチになれば、必ず助けが来る。
それこそ、まるで『奇跡』ではないか…
「大丈夫か、棺!」
そして、更に奇跡が起こる。
人形の相手をしていたタウがこの場に駆け付けたのだ。
「タウ…! 人形は全て倒したのか…!」
「話は後だ。全員、この場から離脱するぞ!」
幾つもの偶然が奇跡的に重なり、棺達は藍摩天鼠、フランソワと言う怪物二人を前に離脱することに成功した。