第百一話 正体
「ベルフェゴール…?」
棺は疑問を抱いた。
何故、こいつが一人でここに現れた?
サタン達が助けに向かっていたのではなかったのか?
いや、そんなことより…
何故、この場に現れたんだ?
「その青い瞳、アイマテンソの劣化品ですか…」
フランソワが呟いた。
フランソワは邪魔が入ったことが気に食わないようで、邪魔者を見るようにベルフェゴールを見ている。
棺はアイマテンソと言う人物が誰なのか分からなかったが、話の流れから、悪魔の証明の生みの親であり、藍摩の一族であることを推測した。
「…僕が劣化品だって? 面白い冗談だよ」
静かにベルフェゴールは口を開いた。
同時に、ベルフェゴールの身体から、光化学スモッグのような黒い煙霧が噴き出す。
「戦うつもりか…!」
外見からは分かり辛いが、アレは癒しの力だったと棺は記憶している。
そもそもベルフェゴール本人が戦闘は苦手だと自分で言っていた。
それなのに、フランソワと戦うつもりなのか。
「やれやれ、アイツの劣化品如きが…」
「劣化品じゃない」
『本物』を思い出すように言ったフランソワの言葉をベルフェゴールは遮った。
全身を包み込む黒い煙霧の中から、その青い瞳でフランソワを見つめる。
「僕の聖痕『第五元素』の本質は『複製』…僕は完全な複製品だよ」
瞬間、黒い煙霧から無数の『黒曜石のような物』が飛び出し、フランソワを串刺しにした。
手足に胴体、全身を、その凶器が貫く。
全身を串刺しにされ、吊るされるその姿は、磔刑の受刑者のようだった。
「これは…」
棺は黒い煙霧を振り払って現れたベルフェゴールの方を向く。
現れたベルフェゴールの身体には『余分な物』が付いていた。
ベルフェゴールの背中から飛び出す、動物の角や植物の枝に似た、コウモリの翼に似た『骨格』
突出してしまった骨のようにも見えるそれは、本来人間には必要ない骨格。
人間には本来ない『翼の骨』
「かつて、この世は四つの元素によって構成されているとされていた。火、水、風、土の四つの元素…しかし、ある者はそこに第五の元素を加えた。この四つを除く、残りの世界を構成している第五の元素を」
軋むような音を発てて、その骨格は蠢く。
身体を修復する過程で、誤ってしまったような、
人体の設計図に書き加えられた、余分な要素のような。
そんな異物感がそこにある。
「『第五元素』はあらゆる物の代わりとなる物質だ。腕だろうが、足だろうが、骨だろうが、肉だろうが、人以外だろうが、無生物だろうが、複製するんだよ」
「ゴホッ!…第五元素…? お前、まさか…!」
血を吐きながら叫ぶフランソワを無視し、ベルフェゴールは棺を指差した。
「…?」
「聖櫃を貰うよ」
ベルフェゴールの指は、黒い骨格へと変化し、棺を貫いた。
「くそっ…! ベルフェゴールの奴め、あんな切り札を隠していたのか…!」
壁に背を預けながら、ルシファーは叫んだ。
周囲に倒れるサタンとアスモデウスはまだ目を覚まさない。
今は失神しているだけだが、このまま血を流し過ぎると危険だ。
ルシファー自身も血を流し過ぎた為、今にも意識が飛びそうだ。
信用は初めからしていなかった。
だが、まさかあそこまで実力を蓄えているとは思わなかった。
「化け物め…」
「棺!」
衣の悲鳴が聞こえた。
棺の身体は胸に刺さった黒い骨格に吊るされている。
「ぐ…」
棺が呻く。
痛みもそうだが、何かが引きずり出されるような奇妙な感覚もする。
「ずっと探していたよ。まさか、こんな所にあるなんて思わなかった」
「止めて下さい!」
衣が鎖を生み出し、ベルフェゴールを狙う。
完全に拘束する必要はない。
気をそれに集中させることが出来れば、その隙に棺を助け出す。
だが、その衣の考えは無意味だった。
「なっ…」
ベルフェゴールはその場から一歩も動かなかった。
避ける素振りすら見せなかった
『ベルフェゴールの身体が一瞬、黒い煙霧へと変化し、擦りぬけるように鎖を躱したのだ』
「言った筈だよ。僕の第五元素は複製する力だと。腕や足が出来るのに、何故人間は出来ないと思うの?」
不思議そうにベルフェゴールは言った。
腕を複製できる。
足を複製できる。
胴を複製できる。
頭を複製できる。
骨と血肉、その全てを複製して、組み立てれば『それ』は一つの『人間』にならないだろうか?
「やっぱりですか…お前『アイマテンソ張本人』でしょう?」
「ああ、そうだよ。君と相打った際、齢百近い老人は死んだ。ここにいるのはその老人が複製した、藍摩天鼠と寸分狂わない複製品だ」
フランソワの言葉にベルフェゴールは…藍摩天鼠は答えた。
宿主を失っても存在する聖痕の塊はいつも通りの笑みを浮かべる。
「チッ、何が寸分狂わないですか。百年前と全く姿が違うので分かりませんでしたよ、クソじじい」
「それを君に言われたくないな。歳のことも、姿が違うことも」
久しぶりに会った旧友のように二人は言葉を交わす。
それはどこか暖かいようにも、どこか殺伐としているようにも見える。
「がっ…があああ…!」
棺が叫ぶ。
棺の身体から、光る黒いガラスケースのような物が飛び出した。
それは『聖櫃』だった。
「…それをどうするつもりだ…あいつらみたいに聖痕使いの軍団でも作るつもりか…!」
アレを奪われると、堕天使が起こした悲劇が繰り返されてしまう。
自分達のような犠牲者がまた生まれてしまう。
「聖櫃の力を欠片も引き出せずに満足する連中と一緒にしないでもらいたいな」
しかし、天鼠の返答は棺の予想外だった。
困惑する棺を尻目に天鼠は自身の半霧状に変化した身体に手を突っ込む。
「道具と言う物は、力を最大限に活用してこそだろう?」
「それは…!」
引き出した天鼠の手には『青いガラスケースのような物』が握られていた。
それは棺の持つ『聖櫃』と酷似している。
まさか…
「二百年前に聖櫃によってばら撒かれた聖痕は『青』だ。そして、君達が聖櫃から受けた聖痕は『赤』…今までどうして疑問に思わなかった? どうして暴走した聖櫃と君達の聖櫃が違う可能性に至らなかった?」
その時、レイヴだけが思い出していた。
アレは『ギュゲースの指輪』と言う聖遺物が混乱を起こした時、
レイヴと天鼠が初対面した際、天鼠はギュゲースの指輪を破壊しなかっただろうか?
聖遺物を破壊できるのは、聖櫃の力だけだというのに…
棺達が固まっている間に、二つの聖櫃は融合する。
本来それは一つなのだ。
「…あはは…これで完全だ。完璧だよ! あはははははははははは!」
天鼠の笑い声だけがその場を支配していた。