第百話 目的
聖櫃の暴走。
全ての異変の始まりの事件。
それを起こしたのが…
「お前だって言うのか」
八年前からじゃない。
二百年も前から、世界はこいつの手の平の上だった。
「デプラ…!」
こいつを本当に倒せるのだろうか。
棺が生まれるずっと前からこの世に存在し、今の聖痕に溢れた世界を作ったこいつを…
こいつから与えられた力で…
「…イヒヒ、そろそろ頃合いですね」
「何…?」
デプラは空を斬るように聖釘を振るった。
聖釘の纏う青い糸が揺らめき、それに引っ張られ、一人の少女が棺の前に倒れ込んだ。
見覚えはない。
鮮やかな青い髪に、対照的に濁った青い瞳をした、整った容姿の少女だ。
目は開いているが、その焦点はあってなく、意識がはっきりしていないようだ。
人形…とは少し違う感じがする。
この少女は…?
「こいつの名前は藍摩蛍。中世の魔女狩りに怯え、フランスから日本へ逃げた、自称黒魔術師の一族…『インディゴ』一族の末裔だ」
「黒魔術…?」
「ああ、そこは気にしなくていいですよ。本人達が自称していただけで、大した力はありませんでした…オレが奇跡を授けるまではね」
デプラは笑みを浮かべて地面に倒れる少女を見下ろした。
「言わば、『先代救世主』とでも言ったところでしょうか? 聖櫃がどれ程人間に適合するのか試させてもらいました」
デプラは何でもないことのように言った。
何百年も前にデプラが行った実験。
それがどれ程世界に影響を与えただろうか?
奇跡を直接与えられた藍摩の一族は当然として、
インテリジェント・デザインの創設者、アイマテンソの血によって悪魔が開発されることなった。
百年以上続いたインテリジェント・デザインで続いた人体実験、犠牲になった悪魔達。
そのきっかけをデプラが起こしている。
これがデプラの言う、悲劇が世界に与える影響と言うやつなのか…
「救世主である藍摩の力は聖痕使いを上回る。だから、その血を取り込んだ聖痕使いが強化されたのです…そして、彼女もまた、『奇跡を記録する』と言う、聖痕を超えた奇跡を起こしました」
奇跡を記録する力とは、レイヴのように奇跡を喰らう力ではない。
認識した奇跡を『自分が保有していたことにする』力だ。
完全な複写である為、種類が増えるのでなく、奇跡の最大値が増えるのだ。
その人間の保有する奇跡、扱っている聖痕、それを丸ごと内包する。
この少女の中には既に百人分以上の奇跡が宿っている。
「認識すればするほ程、無限に奇跡を溜め込む奇跡の電池。今回の戦いは最高でした。人形の目とリンクさせて全て彼女に見てもらいましたよ」
「まさか…その為に」
「その通り、その為に戦いを起こした。隙間の神、堕天使、反逆者、悪魔の証明、ロザリオ、今の本部にはこれだけの聖痕使いが揃っているのですよ?」
かつてない程、この場には聖痕使いが集まっている。
人形の目を通して、その全てを見ていたのだとしたら、一体どれだけの奇跡を…
「それだけの奇跡を集めて何をするつもりだ?」
「何をする? おかしなことを聞きますね…」
デプラはさもおかしそうに笑った。
棺は嫌な予感がした。
「もう既に、終わってますよ」
瞬間、急いで棺達は後退りをした。
倒れている少女と、デプラの傍…
そこに何かいる。
それには色も形もなかった。
だが、まるで空間に着色するように、
段々と棺達の目にも見える姿へ変わった。
それは金色の髪をした青年だった。
中世を思わせる仰々しい服装に、白人特有の白い肌。
整った容姿をしているが、どこか冷たい印象を受ける雰囲気を持つ青年。
「イヒヒヒヒヒヒ…アハハハハハハハ!」
デプラが狂ったように笑う。
段々とその身体がボロボロと崩れていった。
青年はそれに何の反応もせず、ただ目を閉じて佇んでいる。
「な、何が起こってのですか?」
衣が呟く。
棺達にも訳が分からない。
そうこうしている内に、デプラの身体は完全に崩壊してしまった。
手に握られていた聖釘が地面に落ちる。
それと同時に、青年は目を開いた。
「…………………イヒヒ」
青年は笑みを浮かべる。
棺達が見慣れた、あの笑みを浮かべる。
「イヒヒヒヒヒ! 成功、完全復活です! ついに、このオレ…『フランソワ』は蘇ったぞ!」
その青年、フランソワはそう言って笑った。
遊悪ではない。
令宮祭月でもない。
オーミー・氷咲でも、ベルゼブブでも、全的堕落でもない。
もう偽名を使う必要はない。
もう身体を変える必要はない。
ここに、フランソワは完全復活を果たしたのだから。
「デプラ…なのか?」
「その名はもう必要ない、フランソワ侯爵と呼んで下さいよ。イヒヒヒヒ!」
身体を取り戻したフランソワは機嫌良さそうに笑った。
そして、かつて自分だったものが落とした聖釘を拾う。
「こんなものを使って、何百年も…全く、あの時の藍摩の一族の裏切りに気付いていれば、この身体を失うこともなかったのですが…まあ、それもどうでもいいでしょう」
そういい、フランソワは現代まで生きた藍摩の一族に聖釘を向ける。
地面で転がる藍摩蛍へと、聖釘を向ける。
既にこいつは用済みだ。
生かしておく価値もない。
「止めろ!」
だが、突き刺そうとした聖釘は棺の持つレイヴに阻まれた。
ギリギリと互いの得物がぶつかる音が響く。
必死な顔をする棺とは対照的に、フランソワは涼しい顔をしている。
「無関係な人間も救う…流石は救世主ですね」
「違えよ、ただ、テメエの邪魔をしたいだけだ!」
棺がレイヴから片手を放し、聖釘に直接触れた。
何をしているのか、一瞬フランソワにも分からなかったが、聖釘がひび割れているのを見て、把握した。
棺は聖櫃の力で、聖釘を破壊しようとしている。
「お前の言う『救世主』とか言う奴だからかは知らないが、コレの使い方は何となく分かる…」
前に聖櫃がタウの聖杯を破壊する所を棺は見ている。
聖櫃には奇跡を与える力と、奇跡を壊す力がある。
それだけ理解できれば、あとは簡単だ。
「触れて使うだけでいい。奇跡の使い方なんて、何年も前から分かっている!」
フランソワの聖釘が砕け散った。
フランソワを何百年もの間、生かし続けていた物が、崩壊した。
「…オレが自作したから、厳密には聖遺物とは言えないのですが、コレを破壊する程に成長するとはね」
だが、フランソワが浮かべた表情は怒りではなかった。
笑み。
全てが予定通りであることに満足した笑み。
「しかも、手に持った聖遺物は破壊しないようにコントロールも出来ている。イヒヒヒヒ…これ、もう『仕上げ』と行きますか?」
「!」
フランソワが不気味な笑みを浮かべる。
棺は悪寒を感じた。
炎とか、氷とか、目に見える形では何も異変は起こっていないにも関わらず、見えない奇跡が膨れ上がるのが分かった。
かつて、他人の死体に取りついていた時とは桁違いだ。
棺は衝動的にこの場から逃げ出したくなるのを必死で抑えた。
「…………ん?」
その時、ずっと笑みを浮かべていたフランソワが首を傾げた。
予想外の人物がそこにいることを不思議に思っているようだ。
その視線を棺達も追う。
「………」
そこには、悪魔の証明のまとめ役、ベルフェゴールが立っていた。