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Nsouls

作者: ゆら
掲載日:2026/06/01



夢を見た。


故郷の夢だった。


僕と、父さんと母さんと……みんなが居て、笑顔で朝ご飯を食べていた。


明日は村のお祭りだから朝から準備で忙しいねと、そう言いながらもその声は明るく、誰もが期待に胸を膨らませているのが伝わってくる。


ご飯を食べながら、早く支度を済ませて広場に行かなくちゃと考えていた…………そんな僕の膝元に、白い小さなフワフワの何かがやってきて座り込む。


僕は普段からそうするように、穏やかに膨らんだり萎んだりを繰り返す背中を撫でてやる。それは僕に背中を向けたまま、満足そうに小さく鳴いた。




__________________________________




瞼越しに光を感じる。


ただの刺激でしかなかったモノが、段々と頭がハッキリするにつれてオレンジ色の光になっていくのを感じる。認識する。把握していく。


水中を漂っていたような気分は失われ、身体がそれぞれの重さを思い出していく。投与された興奮剤の影響で痛みや疲労感は殆どない。


体中の血管が広がるのを感じて、手足の先がじわりと痺れるように熱を帯びていく……まるで解凍される冷凍食品になった気分だと、目覚める度に思う。


(変な夢だったなぁ)


僕は目を閉じたまま、さっきまでぼんやりと見ていた夢の景色を思い返していた。


生まれ育った桃花村の夢……の筈だけれど、僕の知らない兄弟や夸伏おじさんが居たり、食べたことのない料理が並んでいたような気がする。


昔、兄さんに読ませてもらった蓬莱の風俗絵巻の影響かもしれない。絵付きで人々の営みや文化が記されていて、何度も何度も読み返していたから無意識に頭に残ってしまっていたんだろう。


(小さな……フワフワの……)


アレは一体何だったんだろう? あの小さな生き物だけは図鑑にも、他の本で読んだ覚えもなかった。


コンコンッと、僕が収まっている“箱”が軽く叩かれる音がした。

それを合図に僕は目を開き、徐々に視界をハッキリとさせていく。黒子のように黒い布をすっぽりと頭に被った技師が僕の顔を覗き込んでいた。



「うん……大丈夫、もう起きるから」



それだけを伝えると、彼は興味を失ったように僕の視界から外れ、どこかへ去っていくのを気配で感じる。恐らく次の仕事へと向かったのだろう。


二度寝してしまわないように意を決して、体を起こす。すぐ横を見やると服や靴が綺麗に並べられていて、その隣には僕への簡単な指示書が置かれていた。


気怠い体を一所懸命に動かして、服を着ながら一枚の紙にまとめられた指示に目を通す。前回の“休眠”からどれくらいの時が経ったか、施設内外を行動する上で気を付ける追加項目、どういう状況で僕が起こされたのか、何をするべきかがそこには書かれている。


特に目新しい内容は無かった。またいつも通り起きて、自由に動き回って、兄さんの世話をする。それだけだ。


僕は誰もいない無機質な部屋で、ワザとらしく大きな欠伸をひとつしてから四季閣の方へと足を向けた。





季節は春。暖かな空気に微かな湿り気が空調システムによって運ばれてくる。


新崑崙の中はあちこち老朽化が進んで、古くなったところと改修したところが大きく目立つようになった。

それでも僕等の休眠室や四季閣の周辺は整っている方で、通路の清掃も行き届いて綺麗な状態を保っている。


見慣れない、青々とした植物が四季閣の入り口に並んでいた。兄さんは花をあまり喜ばないから、基本的にはこういった観葉植物が彩りとして飾られている。

目覚めたばかりの身体はどんなものも新鮮に感じて、葉のむせ返るような青い匂いに軽いめまいを起こしそうになる。



「それは新作なんだって。空気中の雑菌や特定の菌に対して殺菌作用があって、軽い毒素に近い物を出しているから気を付けてね」


「えっ、それって大丈夫なの?」


「直接葉を口に入れたりしなきゃ大丈夫だって言ってたよ。最近集団風邪や感染症が目立ってたから色んな所に置かれてるみたい」


「へー……色々考えてるんだね。大変だなぁ」



突然後ろから話しかけてきた声に、驚くことなく気の抜けた声で返事をする。


僕よりも早く目覚めて兄さんを迎える準備をしてくれていたんだろう。くせ毛の強い彼は、今もせっせと小物を持ってあちこちへと並べたり飾り立てたりしている。



「僕も手伝おうか?」


「こっちは大丈夫! 君はテーブルの前でくつろいでいてくれたらいいよ」


「そう? なんだか悪いや。寝坊して一人だけサボってるみたい」


「ははは! そんなの気にしないで。みんな自分の仕事がちゃんとあるんだから。じゃあまた後で!」



それだけ言うと、彼は気さくに手を振ってどこかへ行ってしまった。


僕は言われた通りに指示された場所へと向かう。……仕事、なんて大げさな言い方をするけれど、僕がやるべきことはただ兄さんの相手をするだけだ。





ある時を境に、兄さんは精神的にあまり健康とは言えなくなってしまった。おじさんを亡くして、新崑崙の維持や先の見通しが立たなくなっていたのが原因だと思う。


起きていても殆ど無言で、濁った眼で何を見るでもなく宙を眺めていることが多くなってしまった。


兄さんにしか承認出来ない重要事項や扶桑ノードのメンテナンスなど、どうしてもやらなければならない仕事を済ませた後は、天禍と変異ウイルスの研究をしているかぼーっとしているかのどっちかだ。


たまに僕たちクローンについてのレポートにも目を通しているけれど、それに意見を言ったり自分から何かをする様子は殆ど無い。「好きにしろ」でお終い。


さて、兄さんは今どうしているのかな……と考えながら、開いたままになっている四季閣の扉をくぐって中へと入っていく。





中は派手過ぎない程度に飾り付けや食事の用意がされていた。

とはいっても、兄さんは昔から少食だし、食に対する興味も薄いので大した量は並べられていない。多くの皿は主に僕らが食べるように準備された物だろう。


テーブルに並んだ料理を眺めていると、奥から賑やかな声と共に3人の僕がこっちにやって来た。



「あ、やっと来たんだ。遅かったね、もう仕事はないよ」



僕らの中では最も背が高い年嵩の僕が、若干拗ねた口調で言う。



「ごめん、最後に起こされたからだと思うんだけど……なんだかあんまり久々って気分にならないね」


「前回からまだ5年しか経ってないからね、仕方ないよ。でも、どうせなら僕も眠らずに過ごしたかったなぁ」



年嵩の僕を羨ましげに見つめる一番背の低い髪の長い僕。



「他の僕たちには新崑崙を支える大事な仕事があるからね。僕らには僕らの役割があるからこれでいいんだ」



“他の僕たち”は、主に成熟した身体を持ったクローンのことだ。

新崑崙の施設やシステムを支えるために生み出された存在で、簡単なコミュニケーションは取れるけれど話し込んだり遊んだりは出来ない。

もっと単純な作業をこなす猿人工達の班長をしたり、部門を仕切ったり、システムの基幹を直したりといろんな僕が働いている。


元々は兄さんや夸伏おじさんの仕事だったけれど、僕が自身をクローンで増やせるようになったお陰で、その殆どを僕たちだけでこなせるようになった。


今にして思えば、過労や心労でおじさんが身体を壊す前にクローン技術を完成できていれば……と悔やむ時がある。

でもおじさんが亡くなった事をきっかけに僕はクローンの研究を頑張れたわけで、兄さんが昔よく言っていた「たらればを言ってもキリがない」というやつなんだろう。過ぎたことよりも先を考える方が大事だ。



「そうだ、折角だから兄さんを迎えに行ってくれないかな? 外に出て行ったきり、もう二時間も帰ってこないんだ」



テーブルクロスを整えている最中の、腰帯をした僕が提案をしてくれる。



「ありがとう、手持ち無沙汰でちょっと困ってたんだ。早速行ってくるよ」


「うん、いつもの所に居ると思うから……この前もそうだったしね。お願いするよ」



僕は彼ら、僕と同じ兄さんの世話焼き係に一旦別れを告げて外へと向かうことにした。




__________________________________




「計測結果が出たぞ! ……おぉ、ちゃんと効果が出ているな」


「これは浄化装置の補佐が無い数値か?」


「うん、わかりやすく試験対象の能力だけを測りたかったから使ってないよ」


「驚いたな、軒坊にこんな才能があったとは。勾芒の奴が見たらさぞ悔しがるぞ」


「食糧庫エリアは毒性を抑える為に多くの動力を使っていた……局地的な試験とは言え十分な結果だ」


「ほめ過ぎだよ!この新しいコケ植物は生命力と自己増殖能力の高さが売りだけど、その分管理を間違うと大変な事になっちゃうから……どこでも簡単に扱えるわけじゃないしね」


「実験室の一室を焼却した時は頭を抱えたもんだが……この実施目標が叶えばかなりの省エネになるのは間違いねぇ」


「現実味があるのが一番評価できる点だ。机上の空論は科学者の悪癖だからな」


「耳が痛ぇ……しっかし、あの馬鹿でかい樹を育ててた坊主がこんなもんを作っちまうようになるなんてな」


「データやサンプルは沢山あったからね。分からない部分は算盤に聞いたりして進めていったから、一番時間が掛ったのは研究よりも実地試験の繰り返しだったよ」


「ふっ」


「簡単に言いやがる……俺は最近猿が怖ぇ」




__________________________________




何気ない日々が過ぎていく中、ただウロウロと散歩するのも僕らに与えられた仕事の一つだ。

新崑崙を維持する為に働く僕たちと違って、僕らは兄さんの家族として一緒に過ごすことが与えられた役割になっている。


かつて、僕が桃花村で兄さんと出会ってこの世界の裏側を知り、兄さんやおじさんや、神農達と四季閣で過ごしたあの時間……僕はあの時の兄さんが1番楽しそうで明るくて、充実していたように記憶している。

加えて、僕たちクローンとの付き合い方に悩んでいる兄さんの気持ちを和らげる為にも、僕らは幼体の素体から生み出され、より家族として気を許せるように設計された。


兄さんの思惑はまた別のところにあるみたいだったけれど、このプランを提案した時はすんなりと認証してくれていたし、概ね方向性は間違っていないはずだ。




兄さんを探して外へ出る途中、見慣れない赤いランプが音もなく点滅しているのが目の端に映った。

順路から逸れた天井で僅かに明滅するそれは、暗い通路へと誘う指示灯のように奥へ奥へと続いて伸びていく。



「兄さん、そっちにいるの?」



またいつもみたいに外にいるって聞いていたけれど、もしかして何か作業をしてるのかな。


ここは何の部屋があるところだったっけ。四季閣からそう離れていない場所にある脇道……頭の中を探ってみてもその記憶は出てこない。僕が眠っている間に増設されたか、整理された区画なんだろうか。


兄さんへ呼びかけつつ、赤い光に誘われるように通路の奥へと足を伸ばしていく。

探究心と背徳感の様なものが込み上げ、自ずと鼓動が早まっていく中で……唐突に終わりが訪れる。扉の前で途切れた赤い光は、この部屋に入れと僕に指示している様にも感じられた。


扉には見慣れたセキュリティロックが付いている。僕の持っている権限で開けられる場所かな……と不安に思っていると、何もしていないのに扉がひとりでに開いた。



「誰かいるの?」



口でそう言いながら、心のどこかで“そうじゃないだろ?”と自分に返していた。兄さんではない、他の何かの意図を感じつつも、僕の頭の中でそれを極限まで否定している。


考えるな、考えるな、考えられない、考えるな、考えてはダメだ、考えるな、考えるな、無駄だ、無駄だ、考えるな、ダメだ、考えるな……


奇妙な眩暈に襲われながら、僕は薄らと明かりが灯った謎の部屋の中へと足を踏み入れた。



「……箱?」



小さな、まるで独房の様な部屋の中には大小の箱が沢山積まれていた。

頻繁に人が出入りしている形跡はなく、飾りも何もない無機質な部屋の中は資料室のようなシンとした空気が満ちている。


僕は特に意識もせず、手に取りやすい場所に積まれていた箱の蓋を開けてみる。中には……雑多な小物と、細長い……これは……笛?



「あ、懐かしいなぁ」



それはいつか四季閣で兄さんから貰った太陽笛だった。僕が暇に押し殺されないようにと与えてくれた……思い出の品だ。



「最後に吹いたのはいつだったっけ。蓬莱についてからは触らなくなった気がする……何でかは覚えていないけど」



それはどうしてだっただろう。忙しさにかまけて単純に忘れていたから?

……いや違う。この笛を吹いていると、何故だか兄さんは悲しそうな顔をするからやめたんだった。


“どうして?”と、その頃幼かった僕は素直に訪ねてしまった。兄さんは……なんて答えたんだっけ。


何気なく口元に笛を構えると、僕はまるで昨日もこうして吹いていたかのように自然と記憶にあったメロディーを奏ることが出来た。


懐かしい音、楽しくて、でもどこか物悲しい音。


兄さんを悲しませる……lα*Aの笛の音。




__________________________________




「おい、いつまでここに居るんだ?」


「…………」


「寝てるのか?」


「お前と一緒にするな。……少なくともあと1年だ」


「お前の気持ちも分かるけどよ、いくら頑丈だからって無理しすぎだ。軒坊だって心配してるぞ?」


「いくらシステムが監視しているとはいえ、一度浸食を受けたコアが安全になったとは断定できん。今のところ問題は見当たらないが、僅かな違和感も見逃せないからな」


「浸食ね……今にして思えば、易公のやろうとしたことは結局成功しなかったのかもな」


「自浄作用のことを言ってるのか?」


「最初は感染した部位を強制的に取り除かねばならんと思ったのに、それがまさかこんなことになるなんて誰が予想できた」


「盲目的に信用するな。そもそも扶桑は現代科学でも未だ不明瞭な部分は少なくない。それに取り除くと言っても容易ではない」


「……浸食部位を逆に受け入れるように包み込み始めた時には処置に踏み込むのが遅すぎたかと懸念したもんだが、逆に食っちまいやがった」


「古木樹コア解除プログラムを稼働する際、あの女は扶桑の活動自体を麻痺させる術式を発動させていたからな。ひとたび扶桑が膨大なエネルギーの奔流を再開すれば、変異体の精神や浸食活動など津波に投げ入れられた小石のようなものでしかなかったんだろう」


「なぁ、羿」


「言うな、分かっている。仮にそれを議論するにしても蓬莱に到着してからだ」


「易公のレポートを読めば読むほど分からなくなる。彼女の研究からは狂気を感じるが、同時に真理も見えるんだ」


「軽率に真理を語るべきではない。……お前は感傷的過ぎるだけだ」


「けどよぉ!お前だって頭ん中では考えちまってるんだろ? 変異体が扶桑に回帰する現象をどう理論づける?」


「……さっきも言ったが、今はその話をする段階ではない。俺達が答えを出すには何もかも足りていないんだ」



__________________________________




「兄さん、やっぱりここに居たんだね」


新崑崙から外へ出た僕はいつもの場所へと向かった。

何かの記念碑のようなものが立っているこの場所は、兄さんの故郷でも特に思い入れのある場所らしい。


その理由を兄さんは教えてくれなかったけれど、ここは兄さんにとって大切な思い出がある場所なのだと、いつかおじさんがこっそり教えてくれた。

ここに来ては何もない空をぼーっと眺めたり、傍らに咲いた天禍の花をずっと眺めるのが兄さんの日課みたいなものだ。


モニュメントの近くに設置された丸い椅子のような機械の上には、小さな花といつもの飲み物が添えられている。



「おじさんのお墓参りはもう済ませちゃったの? いつもみんなで行こうねって話してるのに……1人だけずるいよ」



話しかけても、いつも兄さんは中空を見つめたままで返事をすることはない。

おじさんが亡くなってから兄さんはずっとこんな感じだ。

新崑崙の維持と天禍の研究には注力しているけど、その他のことにはまるで興味を持たないし、何かをする様子もない。



「ほら、もうご飯が冷め切ってるよ。みんなお腹を空かせて待っているんだから、早く行こう?」



兄さんの手を引いて来た道を戻っていく。

口を利かない代わりとでもいうように、兄さんはされるがままついてくる。全く、手のかかる子供みたいな人だ。

最初の頃は心配もしたけれど、この状態になってからもうどれくらいの時が立ったんだろう……いつかこうするのが日常と呼べるまでになってしまった。



「今日は久しぶりの食事だからね。ちょっと贅沢に品数もメニューも豪華になってたよ!勿論、兄さんの好物の焼飯や竜魚眼の唐揚げも沢山用意してあるんだ」



兄さんが喋らない分、僕らは沢山兄さんに話しかける。これが僕と兄さんの、家族の会話の在り方だ。兄さんが返事をすることは稀だけれど、それでも僕らは気にすることなく話し続ける。


新崑崙のあちこちがお祭りの飾りつけで彩られていたこと、僕が遅刻してしまって仕事が残っていなかったこと、髪の長い僕がもっと早く大きくなりたいと話していたこと……どんな些細なことでも話題にして話しかける。


そんな風にゴンドラまで兄さんの手を引いて、並んでベンチに座る。

自動運転のゴンドラに乗ってしまえば、新崑崙の居住区画まではあっという間に着くから楽ちんだ。


目を閉じて黙想するように座っている兄さんを横目で一瞥してから、流れていく景色をぼんやりと眺める。薄紫がかった空が無機質な金属の壁に切り替わり、元能柱群や魂境室の横を過ぎていく。

その風景の中には技師……弐号型の僕たちが、作業をしている姿が見える。


(あ、珍しい……白頭巾だ)


黒頭巾に混ざって頭に白い頭巾を被った人物、壱号型の僕が陣頭指揮を執ってるのがチラリと見えた。


第一世代によって一番最初に大量生成された壱号型の僕たちは、今は基本的に各部署の管理職として弐号型のまとめ役を担っている。

最初の量産型である壱号型は、オリジナルの僕の脳データから100%に近い情報と生体データを引き継いで生成されたタイプだ。知識も技術も趣味嗜好もオリジナルの僕と殆ど差がない。


今は……というのには理由があって、もともとは数十人の壱号型が新崑崙における殆どの管理を滞りなく行っていた。

しかし、想定外のトラブルが立て続きに起きたせいで、その7割以上が機能を停止する事態が起きてしまった。


この問題を重く見たクローンの第一世代……三人の僕たちは、壱号型の問題点を出来る限り改善した弐号型を生成し、欠けた人員を埋める事に成功する。


黒い頭巾を被った弐号A型とB型は、各部署で働くために必要な知識や技能や権限を限定的に受け継いで生成されているため、そのまとめ役として、残った壱号型が各部署に要職として就いているという訳だ。


(表に出ているところなんて滅多に見かけないのに……何かあったのかな)


壱号型は長期稼働による精神面の懸念が多く、普段は専用のデバイスに体を繋げた“半陶酔状態”で各部署の管理室に鎮座している。弐号型への指示や指揮は算盤を通じて行うため、自らが現場に出ている姿は非常に珍しかった。


流れゆく景色の中、白い軌跡だけを残して彼は僕の視界から消えていった。




__________________________________




「また植物の研究をしているのか」


「うん、蓬莱の地に根付く植生を増やしたくて。うまくいけば天禍の花を抑えられるかもしれないしね」


「……アレはこの地に深く根付いている。過去に一度科研が広範囲を焼き払ったことがあったが、瞬く間に地中の根から花まで再生した。土を変えてもすぐに汚染される」


「うん、だから初めは共生しつつ、徐々に天禍の根を浸食して取って代わる植物にしたらどうかなって」


「勾芒の奴が残した論文を読んだのか? しかしアレは実現するのに数十年かかる上に、生態系が崩れた蓬莱の地で植生改変を行うには人の手が大量に必要になるということで却下された筈だ」


「すごいよね、植物って……彼等にとっては生きることが全てで、そこに善悪はないんだもの」


「突然論点がズレたな。お前の思考の広さは天賦の才ではあるが、突拍子が無さ過ぎる。その研究をやめろとは言わないが、そろそろアイツの手伝いに行ってやってくれ。……強がってはいるが、一人で動き回って現場仕事をするには荷が重い筈だ」


「おじさん、すごく痩せたよね。だんだん自分の彫像に似て来たって喜んでたよ。ポーズを取るから絵を描いて欲しいって頼まれちゃった」


「笑えん話だ」




__________________________________




「あれ、もう唐揚げがなくなっちゃったの? みんな食べ過ぎだよ」



他の僕らは我関せずといった空気で箸を進めている。



「もう……兄さんの好物なんだから置いといてあげなきゃ。次はもっと沢山作らないとダメだなぁ」



名を呼ばれた当の本人は、まるで聞こえていないみたいに静かに食事を続けている。まぁ、食べてくれるだけいいんだけど。


病んでしまった兄さんは、当初全く食事をしなくなってしまった。

実際のところ食事をしなくても兄さんはやせ細ったり不健康になったりすることはない。扶桑と完全に根絶しない限り、兄さんの身体は常に古木樹によって維持されているからだ。


それでも僕らは兄さんと食事をすることをやめなかった。

一緒にテーブルを囲んでご飯を食べることは家族にとって大切だと思ったし、なにより兄さんに人間らしく生活をして生きる努力を続けて欲しかった。


面倒がってテコでも動かない兄さんを僕らが囲んで、無理やり食べ物を口に運んだり顎をつかんで咀嚼させたり、お茶を口に流し込んでいるうちに“自分で食べたほうが楽”だと諦めてくれた。


顔をしかめて嫌々食事をしていた時期もあったけれど、なんだかんだで食べるものは選んでいるし、好きな物にはよく手を付けているから味わって食べてくれているんだと思う。



「あ、ほら。兄さん舞台の方を見て!」



食卓から少し離れたところにある、床よりも一段高く設けられた簡素な舞台に降りていた幕が上がり、劇が始まる。今回の演目は“真・射猪英雄譚”の序章……新たな英雄の目覚めのシーンだ。

僕が大昔に書いた拙い活劇譚を舞台劇に仕立て直したもので、僕らが目覚めてから寝る迄の間に行われる春節の行事の一つがこの舞台劇。


最初に生成された僕たちの誰かが始めた事で、今は腰帯を付けた僕が演出や脚本を受け継いで取り仕切っている。ちなみに僕は衣装係だ。



「兄さん、次回の舞台劇は僕が主役をやるんだ。刀を使った立ち回りがあるんだけれど、久しぶりに武芸をやるからすっごく難しくて……こんなことなら普段から鍛えておけば良かったなぁ」



今舞台の上では僕らの中で一番背が低い長髪の僕が、岩の中から英雄が生まれ出ずるシーンを演じている。お面や被り物を付けた弐号B型の数名と僕らC型の1人が主役になって劇は進行する。毎回主役を僕らが入れ替わって演じるのが数少ない娯楽の一つになっている。



「あ、ちょっと!僕の分の料理もちゃんと置いといてよね!」



幕間になった途端、舞台の上の僕が不満げに声を荒らげる。一番背が低いことを普段から気にしていて、ご飯を食べることへの執着心が人一倍強いのが長髪の僕だ。

今日一番頑張ってる僕のために一通り料理を別のお皿に取り分けていると、食事を終えた兄さんが席を立ってどこかへ行こうとしていることに気が付いた。



「兄さん、まだ劇は終わってないよ。最後まで一緒に観よう?」



呼びとめる声も空しく、兄さんは脚を止めることなく四季閣から出て行ってしまった。急ぎの用……なんて無いだろうし、この後はまた研究室に籠るか新崑崙内の視察に行くだけだろう。


最近、小さなトラブルがあっちこっちでまた起きているらしく、それとなく兄さんも気にして色んな所を見回りしているのを見かける。

算盤に聞いても、特に僕らがどうにかできる問題はないと返答されてその詳細を知る事はないけれど……なにも無かったら良いなぁと、僕は空いた皿を片づけながらぼんやりと考えていた。




__________________________________




配属先移動申請


新崑崙維持業務 事業報告規則第2条の2に基づき、人員の配属及び業務変更設定を施したので下記の通り申請。


1.対象

:軒軒複製体 型番2A-38

2.事業の種別(元

:物資管理部-遺物整理業務

3.設定した事業種別及び配属先

:元能貯蓄層‐元能精製処理管理部

4.設定した業務及び複製体の等級、及び適用方法

:業務‐配属後再設定

:等級‐配属後再設定

:適用方法‐配属後再設定

5.変更を必要とした理由

:申請109-2323に付随する

6.特別要項

:移動の際、貨物車ごと現地に移動。搬入後に異動適応


申請者-0C4Ё/drθ




__________________________________




夢を見た。


何もない、真っ白な世界だった。


真っ白な世界なのに、僕は白くて……小さい……見慣れない変な毛むくじゃらを追いかけていた。


風景も、風も、熱も、匂いも、何もかもない世界で、僕はただ、ひたすら目の前を走る小さば生き物の後を追いかけ続ける。


何もかもが白いのに、どうして僕はこの毛むくじゃらが見えるんだろう。そんなどうでも良いことを考えながら、ただひたすら走って走って……追いかけ続ける。距離が縮まる事は無い。


もう追いかけるのをやめてしまおうか? ふとそんな考えがよぎった時に、聞き覚えのない声が僕に囁く。何度も、何度も、何度も……




(……なんて言ってたっけ?)


ぼんやりとした頭で夢の内容を咀嚼しようとする。

夢の内容は確かに覚えているのに、懇願するように囁き続ける声の内容だけがどうも思い出せなくて気持ちが悪かった。


起き上がろうとすると、体中に軋むような痛みが走った。久しぶりに目覚めて動き回ると、必ずといっていいほど筋肉痛に襲われる。“身体が若い証拠だ”っていつか誰かに言われた気がするけれど、そんなものは嬉しくもなんともなかった。




僕らの日常は酷く単純で明快だ。

朝起きて、ご飯を用意して兄さんと食べる。

昼は四季閣内の掃除や片付け、祭りや祝い事の準備や飾り付け、劇の稽古。

あとは各々が好きなことをして過ごす。

夕方になったらまた食事を用意して兄さんと食べる。

後は定時まで適当に過ごして寝るだけだ。


元々食事は朝昼夕にしていたけれど、兄さんがひどく面倒がるので朝夕だけになった。酷い時は夕飯だけになったりもする。


( 夢……前に見たのっていつだったっけ?)


子供の頃は沢山夢を見た。

鳥になって星空の海を飛び回る夢。

神様の国へ行って父さん母さんと暮らす夢。

兄さんが話してくれた国や街に一緒に旅行へ行く夢。

英雄になって悪鬼を退治して村を救う夢。

良い夢だけじゃない。悪夢も沢山見た。


(いつから夢を見なくなったんだろう)


蓬莱に降り立ってからも夢は見ていたはずだ。

僕にとっては全てが新鮮で、兄さんが憎しみを向ける外の風景も僕には幻想的で仙境のように思えた。あの花にしても、ついうっかり口を滑らせて綺麗だと言ってしまった程に。

 

初めて見た海。泳ぎ方をおじさんに教わった日の夜は、海の果てまで泳ぐ夢を見た……そこには水晶で出来ている島があって、夜空には元能の光が踊るように揺らめく世界が広がっていた。

そんな話をおじさんにしたら、実際にそんなところがあるって驚かれたのも覚えてる。兄さんは静かに笑っていたっけ。


夢。白い、毛むくじゃらの、あれは……



「おーい、さっきからぼーっとしてどうしたの?」



腰帯を着けた僕に小突かれる。僕はハッと意識を戻して、昨日の劇の片づけをしている最中であることを思い出した。

兄さんは最後まで見てくれなかったけれど、劇は僕らの間で大盛り上がりに終わった。岩が割れて英雄が現れるシーンは大迫力で、鳴り物や映像の演出までした凝りに凝った舞台劇だった……その分片づけることも多い。



「どこかの誰かが調子に乗って六角棒を振り回したせいで背景のパネルが割れちゃったんだよ。力作だったのになぁ」



腰帯を着けた僕は不満そうに大道具を修復している。僕は聞こえないふりをして舞台を掃除する手を動かす。



「……ねぇ、最近夢って見た?」


「夢ぇ? そんなもの見ないよ。見たとしても覚えてるか怪しいし」



僕の質問にまるで興味がないといった風に大工道具を動かし続ける。



「そもそも僕らの睡眠は普通の睡眠とは違うって、わかってるでしょ」


「……うん、そうだよね」



しっかり時間を決めて睡眠を取るのは僕らだけの特権……というよりは、ある意味とても大事な仕事とも言えた。

僕らが日々で得た経験、兄さんと過ごした時間は専用の寝台で眠る際に情報化され、全ての僕たちに共有される。

A型とB型の僕たちは、休眠の際にこれらの情報を元にした魂境に精神をトレースすることでメンタルケアや自己分離症を防ぎ、僕たちが一つの存在であるという認識を繋いでいる。


とはいえ、逆に僕らが彼らの経験や施設を管理する日常をデータとして受け取ることはない。基本的に辛いことや大変なことなんかのネガティブな記憶や経験は排除する傾向にある。

勿論、施設内の問題や知るべき情報なんかは共有されるけれど、それすら殆ど追加されることはない。それぐらい僕たちはハッキリと分業化され安定しているという証拠でもある。


(夢ってなんなんだろうなぁ……)


恐らく、これ以上夢について話したところで気のせいだと一蹴されるだけだ。僕だって他の僕に同じことを聞かれたら同じように返すだろう。


これが“僕”という個体が抱える異常である可能性もあるけれど、それが日常に変化を与えているとも思えない。余計なことをしてまた僕だけ休眠時間を増やされるのも愉快な話ではない。



「よし、大体片付いたね。ありがとう、お陰で捗ったよ」


「ううん、迷惑かけちゃったしね。……それにしても今日はなんだか暑いなぁ」



2人とも汗をかいて服がびっしょりと濡れてしまっている。



「確かに。空調はちゃんと動いてる筈なんだけれど……設備部の方でまた何かトラブルでもあったのかな?」


「最近多いね、そういうの。前に物資輸送ラインが止まった時は大騒ぎだった」


「施設自体の老朽化がかなり進んでるからね。資材も使いまわしたり色々工夫はしてるみたいだけれど、やっぱり色々問題は山積みみたいだよ」



四季閣内や重要施設に関してはそれなりに体裁を保ててはいるけれど、普段通らない通路や設備に関しては段々と痛んでいく様が見て取れた。


そもそも、崑崙島全体を取り込んでいる新崑崙は、植物による浸食を受けていたり宇宙を旅した長い時間も経ている。環境の劇的な変化を繰り返したこともあって島自体が部分的に崩壊したり、その影響で区画が潰れることなんかもあった。


要らない区画や崩壊で出たスクラップを再利用して補修や修繕を行ってはいるものの、その効率は決して良いとは言えないし新たに資源を確保する方法は絶望的だ。この分野に関しても兄さんや一部の僕たちが研究を進めてはいるけれど、明るいニュースはまだ耳に届いていない。



「僕らがそんなことを気にしても仕方ないか。僕らは僕らの仕事があるんだからね」



それもそうかと工具類を片づける。

視界の端で、部屋の隅に置かれた観葉植物が白い花を付けているのを見つける。この暖気につられて季節を読み間違えたのかもしれない。

僕は、可愛らしい、慎ましやかなその小さな花が吉兆の前触れであることを心の中でひっそりと祈っていた。



__________________________________




「基本的なテストは成功だね。おめでとう兄さん」


「とりあえずこれで施設中を回って原始的な調査を行わずに済む。タスクの半分はこの新たな算盤から処理できるようになるだろう」


「それで、どんな性格にしてあげるの?」


「……これで完成だ」


「えっ? まだ人格データの入力が終わってないよ。これだとただの端末と変わりないじゃないか」


「軒軒、これは以前の私的なサポート端末とは違う。システムの自走統括端末に過ぎない。それ以上でも以下でもないんだ」


「でも、前の算盤は……如羿は沢山話してくれたし、遊んだり色んなことを教えてくれたりしたじゃないか」


「あれは俺がお前の面倒を見るように指示しただけだ。それに俺が望んで設定した人格でもない。もうお前に子守りは必要ないだろう」


「………でも、家族は必要だよ」


「これは端末だ」


「………わかった」


「機械は喋らない方がいい。その方が気が楽だ」




__________________________________




「ちぇっ、貧乏くじ引いちゃったなぁ」


「まぁまぁ、普段と違うことが出来ると思えば楽しいかもしれないしさ」


「それもそうか。こんな仕事するなんて久しぶり……っていうのも変だけど。どうせなら楽しまなきゃね」



ボヤキながら手を動かす腰帯の僕を慰めながら作業を続ける。


全身をすっぽりと覆う防護服に身を包んで、元能柱からエネルギーを抽出する装置の復旧作業に取り掛かる。

着なれない服は動きにくいし、ちょっと動くだけですぐに汗だくになる。呼吸は苦しいし、低い振動音が鳴り響くせいで普通に会話するのも声を張り上げなくちゃいけないのが面倒だ。


空調システムにエラーが生じて新崑崙内のあちこちで問題が発生した。

中でも元能貯蓄層の一区画で起きた問題は大きく、工員の作業中に変換炉の温度が上がり続けたせいで少なくない数の僕たちが駄目になった。


幸い、施設全体に問題が出る前に安全装置が作動したお陰で最悪の事態は免れた。大きく三つの区画に分けられた貯蓄層はそれぞれが独立しているため、一つが駄目になっても新崑崙が完全に停止することは無いけれど被害は小さくはない。安全装置を起動させて緊急停止を行った僕たちに感謝すべきだろう。


そして、なぜ僕らC型が施設の復旧作業を行っているかと言うと……簡単に言えば人手不足だからだ。

余裕が全く無い訳ではないけれど、普段からそこまで人員に余裕がない上に施設のあちこちで同時に問題が発生したため、緊急措置として各地で人事異動が行われることになった。

その殆どはA型とB型間で済んだけれど、貯蓄層のデリケートな復旧作業を行うには通常時とは違った算盤とのやり取りを行う必要があり、偏った知識や権限を持つA、B型では補うことが不可能な為にC型の僕らから急遽二名が作業にあたることになった。


兄さんの世話役を担う僕らは、基本的に何でも出来るようにオリジナルの知識や技能を受け継いでいる。その上算盤に作業を申請する際の認証や権限もA型やB型よりスムーズに行えるため、緊急措置として適任と判断されたんだろう。



「ふぅ、これでここはOKっと」



目立った損傷は無く、緊急停止によって生じた問題の確認と再稼働認証の繰り返し作業がひとまず終わった。



「……ねぇ、なんで僕らがここに配属されたか知ってる?」



ほぼ同じタイミングで担当箇所の作業を終えた腰帯の僕が話しかけてくる。



「えっ、僕らが適任だったからってだけでしょ?」


「まぁそれはそう……なんだけど。僕聞いちゃったんだ」



僕の真横に並んで、防護服をこすり合わせながら話を続ける。



「本当は残ってるA型でもここの作業は出来たんだって」


「そうなの!? っていうか、誰からそんな話を聞いたのさ」


「元々ここに配属されてた僕たちにさ。この作業着や工具を借りる時に軽く尋ねたら教えてくれたんだ」



僕がここに来た時にはもう他の僕たちは居なかった。



「安全装置を手動で起動させたって聞かされたでしょ?……あれ、本当はA型の一存で出来る行為じゃなかったんだって」


「どういうこと? でもそれなら……止まる筈がないじゃないか」


「うん、それで兄さんと白頭巾が訝しんでるみたいなんだ。“また”僕たちの中におかしなのが出てるんじゃないかってさ」


「うーん……」



白頭巾、壱号型の僕たちは多くのトラブルを起こした。

特に多かったのが自己分裂症による精神崩壊で、僕が僕であることや他の僕が大勢存在することに健康な精神を維持できなくなり、自殺をしたり他人を傷つけたり、日常生活を満足に送れない個体が段々増えていった。


第一世代による意識統合を目的とした処置によってこれは抑えられ、僕たちは大勢で一つの個という認識を持つことでこれは治まった。蟻と似たような社会性を持ちながらそこに上下はなく、魂境を用いることで日々生まれる自我の細かな差は処理されるようになる。


でも問題はそれで終わらなかった。安定していたと思われていた壱号型の中から一人、異端が現れた。

詳細は伏せられているけれど、事故によって大怪我をした壱号型の僕は霊枢に納められ治療を受けていた……はずが突然その消息を絶った。


緊急事態になって施設内全体を捜索した結果、最上位権限で解除しないと入れない場所、扶桑のメインコアターミナルの前で死体が発見された。


最重要機密であり、オリジナルの僕ですら入ったことのない部屋に、何故その僕が入れたのかは兄さんにも分からなかった。

異常が発見されれば特級でエマージェンシーが鳴るはずのその場に、ただ一人静かに、事故の傷が完治していない姿で横たわっていたらしい。


当然、その僕の記憶や前後に何があったかのデータは、僕たちはもとい……恐らく第一世代の僕も含めて誰も知らない。



「今回も似たような状況だろ? 権限がない安全装置を手動で作動させて、耐えきれない熱の中で茹で上がって死んじゃってる」


「……なるほどね」



その後、その問題を起こした個体と同じグループの僕たちは解体され、残った壱号型は専用の機械を身に着けることで徹底した管理が行われた。稼働時以外は専用のデバイスに体を繋げて“異常”が現れていないかも定期的に検査されている。

この問題を踏まえて生み出された弐号型の僕たちは、権限の抑制や知識と技能の振り分けなどが行われ、A/B/Cとタイプ別に生成されることになった。

また、壱号型よりも色々と調整されていて同様のトラブルは起きないようにしてある筈だ。



「勿論、白頭巾も安全になってから目立った問題が起きていなかったか調べたみたいなんだけど……結局あの時と一緒で何も見つからなかったんだって」


「それで今度は僕らが呼ばれて現地調査と作業をする羽目になったってわけか。うーん……」


「第三貯蓄層を担当していた白頭巾も念のため入れ替わって、こうしてモニタリングしながら確認してるんだろうね」



腰帯の僕が人差し指を立てて上を指す。釣られて視線を上にあげると、施設内を監視するドローンがぴったりと僕等について回っているのが確認できる。頭を突き合わせて内緒話っぽく会話しているけど、この内容だってちゃんと通信に乗って筒抜けなのでただのごっこ遊びである。



「口止めされないってことは問題ないんだろうね」


「何もないと良いけど……なんだか自分がモルモットになったみたいで気分が悪いや」



仮にモルモットになったところで抵抗する意志も必要もない筈なのに、ただ面白おかしく話すためだけにこんな言葉が口から出るから不思議なものだ。


丁度会話が終わったタイミングで本日の作業終了を告げる連絡が流れてくる。会話を邪魔しないように見計らってくれたのかもしれない。

道具を片づけて引き上げる途中、そうそう、と腰帯の僕は再び僕の横に並んで会話を始める。



「君はあのうわさ話聞いた?」


「うわさ?」



悪戯な笑みを浮かべてから彼は話を続けた。



「僕たちの中に一人だけ“本物の僕”がいるっていう話」




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「なぁ、軒坊」


「どうしたの、おじさん」


「お前はその、大丈夫か?」


「はは、突然どうしちゃったの。悪いものでも食べた?」


「悪いもの……か、懐かしいな。お前がくれたタピオカミルクティーの味が今でも忘れられん」


「そんなこともあったね。おじさんがこっそり一欠けら残していて『あの味を再現させて見せる!』って研究室に籠ってた時はすごく目が輝いてたよ」


「お前もよくそんなことを覚えてるな。そんな話はいいんだ……よっと」


「あっ、無理して起きない方が良いよ。ちゃんと教わった通りに輸送ラインのメンテナンス作業は出来ているから」


「それは心配してねぇ。本当にお前は優秀だよ」


「なんだか気持ち悪いや……はは」


「お前は一人で大丈夫なのか?」


「僕は一人にならないよ、兄さんがいるもの」


「……お前が思う程アイツは強くないぞ」


「兄さんは強いよ。でも僕だって弱くないからさ」


「羿には何度も言ったんだ。猿じ……お前の一族を解放して共に暮らせるようにしてやるべきだってな」


「…………」


「勿論俺だってここを、今も眠り続ける同胞を助けたいとは思ってる……その為に必要な犠牲を、理解した上で払い続ける業は背負ってるつもりだ」


「…………」


「だがな、それをお前が背負う必要はねーし、背負わせたくないんだ。それにお前だって同族と一緒にこの星で暮らしていく方がいいに違いねぇ」


「…………」


「俺達は、太陽人は恐らくもう助からん。アイツはまだ諦めちゃいないが、それが宿命だったんだ。天禍が蔓延した切っ掛けが易公の研究だったというだけで、いつかはこうなるのが自然だったんじゃないかって今は思う」


「……おじさん」


「だったら……だったら、せめて、残された俺達に出来ることをすべきだと思うんだ。残していっちまうお前にしてやれることがあるとしたら……」


「僕は!………僕は、兄さんやおじさんが、好きなんだ。ずっと見て来たし、一緒に暮らして、どれだけ頑張ってたかも、諦めずに来たかも、知ってるし、ずっと、ずっと、見て来たから、そんなことは、言わないで欲しい」


「軒坊……」


「それにまだ分からないよ。大難を乗り越えた先には必ずもっと大きな幸せが訪れるんだ。山が高くとも旅人は道を見つけ、水が深くとも渡し船はある」


「……古いことわざか。今ほど奄老を恨めしく思ったことはない」


「さっきも言ったけど、僕はおじさんが思うよりもずっと強いよ。大丈夫、大丈夫だから……ね、心配しないで」




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「………いてっ」



寝返りを打とうとして壁にぶつかる。

ぼやけた視界に映るのは無機質な壁。人がやっと寝れる程度の棚のような寝台……クッションは柔らかくて不足はないけれど、こうして普通に睡眠をとること自体が久しぶりで上手く深い眠りに入れない。


すぐ近くで眠っている腰帯の僕の寝息がやけに新鮮に感じた。

元能炉作業員用の宿舎は殺風景で、何もない空間を非常灯の青白い光が照らしている。ぶつかった壁には小さな端末が冷たく今の時刻を告げている……深夜真っただ中だ。


予定している作業を全て終えた後、精密検査を受けるまではいつもの就寝……専用の寝台で魂境に繋げることを避けろと指示された。面倒だけど仕方がない。

久々に働き疲れたせいで直ぐに寝入ってしまったものの、度々目が覚めては腰帯の僕に聞かされた話が頭の中でぐるぐると回り続けていた。


(本物の僕……)


彼が教えてくれたのは、僕たち弐号型のクローンの中に一人だけ特別な個体が存在するという噂話だ。

壱号型の問題点を踏まえたうえで、その差別化や検証を目的として一人だけ何も制約や調整をされていないオリジナルの僕のデータをそのまま受け継いだクローン……最初に生成された三人の僕と同等の個体が弐号型にも存在するという話。


腰帯の僕は別の僕からこの話を聞いたと言っていたけれど、この話がどこから発生したのかは知らなかったらしい。暇を持て余した誰かの作り話だと思うけどね、と彼は最後に付け加えた。僕もそうだね、とため息交じりに相槌を打って会話は終わってしまった。


(仮にそんな僕が居たとして、何かが変わるんだろうか?)


もしかしたら自分がその“本物の僕”かもしれない……という考えは沸いてこなかった。そこには期待も不安も予測も無く、ただ自分は軒軒という存在の一部であるという認識しか僕の中には無い。その空虚さが普段の僕の心を落ち着かせているように思える。


この噂話を作った僕はそうではなかったのだろうか。もしかして、この噂を流した本人がその一人じゃないのか?……だとして、なぜそんな話を他の僕に伝えようとしたのだろう。


不必要な思考が頭の中を埋めていく。その違和感が新鮮で、不快な筈なのに心地よくも感じる。変な感じ。変な……ん、なんだろうこれ?


壁に埋設された端末の下、時刻表示の明かりに照らされて壁に何か汚れのようなものが付いていることに気が付いた。

指で触れてみると微かな凹凸を感じる。


端末へプラグを繋ぐ時に壁を擦って付いたキズ……にしては広い範囲に付いているし、一つ一つがハッキリと触って分かる程度には削れている。

頭の近くに設置されている非常用のライトを手に取り、端末の下を照らしてみる。


t 十i / ニ\\ノ†イ


……なんだろう、記号のようなものが彫られてる?

何か固いものを何度も擦りつけて書かれたようなソレは、何かしら意図をもってつけられていることは把握できても読むことは難しかった。




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体中が痛い。でも心は満たされている。

口の中が切れて血だらけになった。むせ返るような鉄の匂いすら、麻痺してもう何も感じられない。


左手の指先の感覚が、ずっと……ずっと残っている。

何かに引っかかったその指の感触だけが、木霊のように響いて指を痺れさせる。

どうしてそこに触れたのか、思い出そうとしたけれど何も浮かばなかった。


体が重い。でも気分は不思議なほど軽やかだ。

起き上がる力も気力も無い。


腫れあがった瞼のせいで何も見えない。

見えないはずなのに、皆の姿がハッキリとそこに見える。


父さんと母さん。昔と全然変わってない。

村の皆。楽しそうに笑ってる。

夸伏おじさん。出会った頃みたいにまん丸に戻ってる。

神農や蚩尤もいる。懐かしいなぁ。

知らない人も沢山いる。髪の毛の黒い人や肌の白い人。

あそこにいるのは太陽人の女の子かな。



僕もいる。


僕も沢山いる。


一人の僕が、太陽人の女の子と手を繋いでこっちを見てる。


「繧薙荳€莠コ縺ォ縺輔で」


女の子がそう言った。


「횡뮷떤춿잤힡にしないで」


僕がそう言った。


「兄さ疁뎂즂뎂릂좂얂いで」


僕たちがそう言った。




「うん、まかせて」


僕はそう答えた。




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「あー……やっと、こいつで終わりだ!」


「早く帰って美味しいご飯が食べたいよ」



三日間に渉る元能貯蓄層の復旧作業もいよいよ大詰めとなり、安全装置によって緊急停止した変換炉の復旧作業に取り掛かっていた。


結局こちらも目立った損傷は無く、殆どが退屈なチェック作業になっていた。分配枝管も問題もなく全てがオールグリーンの状態なので、最終チェック後に再稼働してエラーが出なければ僕らの仕事は終わりとなる。


単純作業ではあるものの、原始的なチェック項目の量は二人でこなすには決して少なくはない量だった。この程度の内容なら従来通りA,B型でも出来るんじゃないの? と愚痴を漏らしたくもなったけれど、恐らくなにかしら理由があるのだろう。


損傷や異常箇所のチェックが終わり、クリアリングを済ませ復旧させていた端末に診断ソフトを走らせる……こちらも問題はない。



「こっちはOK、動かせるよ」


「了解。稼働させるね」



腰帯の僕が壁に取り付けられたシンプルなレバーを引き下ろす。甲高いカーン!という音が一回鳴った後、管楽器の低音のような音が部屋に鳴り響く。次第に収束するように振動を失ってゆき、何かが微かに唸るような低い音に代わって収まった。



「よし……特に問題ないみたい」



稼働直後のエラーは無く、安定して貯蓄層に溜められたエネルギーが変換炉を通じて玲瓏宝塔へと送り出されているのを端末は示していた。



「ふぅ、これで一安心だね。第一、第ニ貯蓄層の稼働量も順調に下がってるみたい」


「もう蓬莱に来た時と同じような大工事は望めそうも無いから助かったよ」



ため息をつきながらも、懐かしい風景が頭に思い浮かんで笑顔がこぼれる。


蓬莱に帰還した僕等が真っ先に行ったのはエネルギーの確保だった。

恒星の間近に扶桑ネットワークを展開して採光していた時とはエネルギーの採集効率が天と地ほどの差があった。すぐに新崑崙の設備が止まる恐れは無かったものの、従来と同じように稼働していれば十数年後には底をつく計算だったらしい。


それで兄さんとおじさんは衛兵や機械達をかき集め、蓬莱に現存していた別株の古木樹や元能柱からケーブルを引いて新崑崙へ引き込む大工事を行った。幸いな事に、兄さんの故郷付近には元能柱群が存在していて、何故か古木樹も他の地域と比べて立派だったらしい。


単純作業しか行えない衛兵や機械達をインフラ工事に転用するのは簡単とは言えず、兄さんとおじさんに混じって僕も少なからず作業を手伝うことになった。

兄さんは自分から話したがらなかったけれど、僕は兄さんの故郷を一緒に見て回れるのが嬉しくて、こっそりおじさんに建物や街のことを聞いて教わったりしていた。

元能柱については特に思い出があるみたいで、遺物として捨て置かれていた元能柱を再利用可能にするプロジェクトは二人が友情を深める切欠にもなったらしい。そう語りながら懐かしげに目を細めて微笑むおじさんの顔を今でも覚えている。


工事自体は問題なく終わったものの、作業に用いた機械や衛兵の多くは機能を停止する羽目になった。想定されていない作業を行った負荷が大きすぎたんだと兄さんは言っていたけど、おじさんは工事を焦りすぎて長期稼働を強いた結果だと言っていた。


懐かしいな……とターミナルにもたれかかりながら思い出に浸っていると、腰に下げていたツールベルトから工具が床に落ちてしまって甲高い音を立てて跳ね飛ぶ。

丁度メインターミナルの端末の下に転がり入ってしまい、小さく悪態をつきつつ身をかがめてそれを拾う。頭を端末にぶつけないように……うん?

恐る恐る頭を上げた目線の先に、見覚えのあるものがあった。ひっかき傷だ。

十‗ト I / ニ=/十ノΙ

こっちは彫り込む程深くはないものの、昨夜ベッドの近くで見つけたものよりは比較的ハッキリと線が読み取れる。なんて書いてあるんだろう?



「なにしてるの?」



屈んだままゴソゴソしている僕を見て、腰帯の僕が話しかけてくる。



「ここに文字みたいに付けられた傷があるんだ……昨日僕が寝てたベッドにも似たようなのがあったんだけど、なんて書いてあるのか読むのが難しくて」


「あぁ、それなら僕も見つけたよ」


「えっ、本当!? どこにあったの?」


「診断ソフトを走らせてる間が暇だったからさ、もうちょっと着やすい作業服は無いかなーって更衣室に行ってロッカーを物色してたんだけど、その時に見つけたんだ。扉の裏についてる小さい鏡に変な文字みたいなのがあったんだ」


「なんて書いてあるか読めた?」


「うーん……なんか全体的にぼやけててよくわからなかったんだよね」



ぼやけてる? 傷が一杯ついていて読み辛かったとかかな。

それでも明らかに、この文字は意図的に書かれている可能性が高くなってきた。



「あとでそのロッカーがどれか教えてよ」


「別に良いけど、何か意味があるの?」


「うーん……わからないけど、なんだか気になるんだよね」


なぜか、この文字を見ていると心がザワザワと落ち着かなくなる。自分が遠い昔に忘れてしまったものを思い出せそうで思い出せない。そんな不快感がまとわりついていた。




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何故、あそこまで己の感情が振れたのか理解が出来なかった。


いつか描いた青写真はとうの昔に色褪せ、最早何を目指してここに立ち尽くしているのかすら明瞭ではない。


時折、恒の声が懐かしくなる。

忘れるはずがないと思っていたそれは、いつのまにか曖昧なものになってしまっていた。

感傷的にならぬよう、深く仕舞い込んだ通信履歴を掘り返せばいつだって聴き直すことは出来る……ただそれをする勇気がないだけだ。


蓬莱に帰還し、やらねばならないことに奔走していた十数年は幸せだった。

今や目に映る世界の全てが俺達を……俺を責め立てる。


結局は李耳が正しかったのだ。俺にとっても科学とは傲慢な理想を抱かせる代物に過ぎなかった。恒のように、彼の地に寄り添い滅びを迎え入れた方が賢い選択だったのかもしれない。


俺がしたことはなんだ。

科学で人々を救えると思った……しかしそもそも天禍を齎したのはその科学だ。

その裏切りを許せずに奮った暴力で何を得た?


変異体を研究すればする程、易公の言葉が正しかったのではないかという疑念が積み上がっていく。夸伏の提案を跳ねのけ続けた意味を霞をかき分けて探し続けている気分だ。


突風が吹く。天禍の花が風に舞って飛んで行く。

蓬莱に再び降り立ち、広場に咲くひときわ目を引く花の前で立ち尽くしている俺の横で、軒軒が漏らした言葉を思い出す。


「綺麗だ」


それが場違いな言葉だと気づいたのか口に手を当てていた。それを聴いて俺が怒ると思ったのかもしれない。何も言わずにその場から離れたから実際にそう捉えていてもおかしくはない。


軒軒が漏らしたその言葉で、初めて俺は恒が言っていたことを理解できたような気がした。禍々しく、恨めしく、理不尽な死にしか見えなかったこの景色を、軒軒は「綺麗」と評したのだ。 

この地に幾千と咲き誇るこの花を、同胞達の行く末を、両親や恒の成れの果ては……美しいものだったのだ。


ただそれでも、俺は自分の抱えているものを手放す気にはなれなかった。今なお手放せずにいるから、こうして震える拳の痛みに自問自答し続けるのだ。


恒、お前の声が聴きたいよ……戯れに扶桑に触れても、俺には何も聞こえやしない。罵詈雑言でも聞こえれば良かったのに。



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「そして、その時がついに訪れた!英雄は神剣をその手に掴みしめ、世に暗雲を呼び寄せる悪鬼を一閃のもとに切り裂いた!あぁ、暗く長き伏せ続ける世は去りゆき、人々にはようやく平穏の光がもたらされたのであろう……! 勝利の調べよ響け! 天下泰平の春よ、今こそ訪れよ!」



芝居がかった声が四季閣の中に響き渡る。

舞台の上では年嵩のC型が煌びやかな衣装を身に着け、見事な剣舞を披露していた。甲高い鳴り物の音がカーンカーンカーンと三度打ち鳴り終わると同時に、勇ましい構えのまま舞台の下を睨みつける。彼の周囲には各々違ったお面を覆面の上から付けたB型が数名と、長髪と癖毛のC型2人が一緒に舞っている。


食卓には羿が一人ポツンと座っていた。舞台を見るでもなく、ゆるやかに箸を伸ばしては食事を進めている様子しか見て取れない。

本来であれば残りのC型が彼の面倒をみているはずであったが、貯蓄層の作業に急遽駆り出された為に居合わせていない。その静寂を喜ぶでも悲しむでもなく、ただ淡々と食事を続ける様しか無かった。



「英雄様、まことにありがたく存じます。貴方様のお陰で崑崙の地に真の平和が訪れました。願わくば、今後も我ら卑しき民草をどうか見守りください。あの空高く輝く日輪の如く、永劫に、変わらぬ光を投げかけ給え……!」



真に迫る語りも空しく、この場には派手な演劇を鑑賞する者は一人もいない。全てを諦めた老人のような太陽人の耳には何も響かない。それでも、彼らは何一つ気にすることなく演技を続けていく。



「……悪鬼をこの手で葬り去りしに、何故かくも胸は空しきや。我が掌に、いったい何が残されたというのか。血に塗れたるこの両手と、ただの暴力以外に何を得たのであろう。残されたるは、助けを乞うばかりの無力なる民の群れと、己が身の保身ばかりを案ずる、醜く浅ましき友の姿のみ。ああ……これが、我が戦いの果てか……!」


「うん?」


「あれ、えっと……セリフ違うよね?」



年嵩のC型のセリフに、先程まで微動だにしていなかった羿が箸を止める。

戸惑う二人を無視して、彼は誰かに強く呼びかけるように演劇を続ける。



「もう斬るべき鬼もおらぬ。守るべき民もおらぬ。盃を交わす友すらおらぬ。一体、この我は、英雄と呼ばれるこの身は何を成せばよいのであろうか? 剣は鞘の中で錆びつき、心は虚空に浮かぶばかり。あぁ……この果てなき奈落よ!我が戦いは、いつまで続くのであろうぞ……!」



羿が舞台に目を向けた、まさにその時だった。

光が二度ほど煌めいたかと思うと、二人のC型は声も上げず舞台の上にドサリと倒れこむ。僅かな間を置いて、妙に赤赤とした血が照明に照らされ舞台の上よりゆっくりと流れ落ち、床に半月を描くように広がっていく。



「英雄に務めが無いのなら、我こそが新たな鬼となろう! 先の見えぬこの世を、我が手で終わらせて見せようではないか。生あるものがやがて死するのが定めならば、その死こそが我がもたらす最後の栄光であると、今悟りに至らん。蓬莱よ崩れ落ちよ! 我が名のもとに、永遠の安らぎを与えん!……なんてね」



無邪気な笑みを浮かべる年嵩のC型と、劇中の民に扮した、まるで何事もなかったかのようにその場でひれ伏し続けるB型達。

異様な空気が四季閣に満ちるのに対し、羿は緩慢な動きで立ち上がろうとしたが……踏ん張りが効かずよろけて転んでしまう。

おかしい、一体何が起きているのか理解が追いつかないというその表情を見て、たった一人舞台の上に残った役者が声をかける。



「無理しないで、兄さん。実はこっそり兄さんに毒を盛ったんだ……まだ意識があるなんて流石だね」



毒。一体どこにそんなものがあった? 羿は記憶を探りつつも、そもそも“この体”が麻痺する程の毒物を平気で食していること自体があり得ないと思い至っていた。



「そうそう、玉石システムを改竄したんだよ。 普通に毒を盛ろうとしても吐き出しちゃうし、兄さんにだけ竜魚眼の唐揚げが胃の中で神経毒になるように調整したのさ。これなら味も変わらないし、いつも兄さんが食べてくれてるからイケると思ったんだ」



羿には、やたらと楽し気に語るC型の言うことが何一つ理解できない。

玉石の改竄などどうすれば可能だというのか、そもそもなぜ毒を盛ったのか、何故2人を切り殺したのか。

しかし思考を巡らせることすら易くなく、やがて羿は転んだ姿のまま意識を失ってしまった。



「ごめんね、兄さん。あとちょっとの辛抱だから……」



剣についた血を衣装で乱暴にぬぐい取り、鞘に納めた。

軽やかな足取りで舞台を降りると、倒れる羿を幼子のように優しく抱きかかえ四季閣の外へと足を向ける。舞台の上に残された仮面の民は、彼を崇めるように伏したまま最後まで動くことは無かった。



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「ここで何をしている」



懐かしい笛の音は、求めていた人物の来訪によって止められた。

久しぶりに聞く声、何よりも待ち望んでいたその声は、とても冷たく、乾いていた。



「兄さん! 探してたんだ。いつもみたいに外にいると思ったんだけど……」


「ここで何をしている」



頭の奥の方で小さな痛みが走る。

何かを思い出している。

遠い、遠い日の記憶……初めて兄さんと出会ったときの、あの時の兄さんの目だ。あの時の兄さんの顔がそこにあった。



「えっと、見慣れない通路があったから足を運んでみたんだけど……こんな部屋があったんだね」


「なぜお前がここにいる。どうやって入った」



憔悴しきった、やつれた身体と全てを憎んでいるような鋭い目。全身から悪意が漏れている。



「赤い非常灯がこの部屋に続いてたんだ……扉も勝手に開いたんだよ。そしたら懐かしいものがあったから、久しぶりに吹いてみたんだけど」



兄さんの右手には、僕が先程まで演奏していた笛が握られていた。僕から奪い取るようにもぎ取ったそれは、折れてしまいそうな程に強く震える手に握りしめられている。



「これはお前の物じゃない……勝手に触れるな」


「えっ、でも、昔僕にくれたじゃないか」



襟首を掴まれ、壁にすごい力で叩きつけられる。鈍い音が狭い部屋に響き渡り、積み上げられていた箱が崩れ落ちて物が散乱する……兄さん達を描いた絵巻物、工具箱、押し花、どれも懐かしい、ありし日々がそこにあった。



「……俺が! いつ! お前に、これを、やった!? これは“軒軒”の物だ!!」



混乱する。

兄さんが何を怒っているのかが理解できない。

いや、理解は出来ても受け入れられない……だって、僕は、軒軒だから。



「ごめん、兄さん……その笛が大事な物なのは、知ってるんだ。恒さんの形見替わりだって……」



何かがすごい速度で飛んでくる。目で捉え切れないそれは、すごい力で僕の顔にぶつかって、遅れて口の中に鉄の味が広がる。痛みに声を上げる間も無く、再び何かが顔にぶつかる……それが兄さんの拳だということを把握したのは数回殴られた後だった。



「お前が……お前がその名を呼ぶな!!」



ごめん、ごめん、兄さん。

でも、嬉しいんだ。

兄さんが怒るのも、僕の名を呼ぶのも、僕に触れてくれることも、それが殴られることだとしても、嬉しいんだ。

ずっと声が聴きたかった。僕を見て欲しかった。僕を知って欲しかった。拒絶だとしても示してほしかった。

その怒りが、僕のせいで向けられることが嬉しかった。

それが僕と兄さんの、家族としての在り方だから。


懐かしいな。岩の穴から出てきた兄さんを拾ったあの日。

どうして僕はあの時、こんな鋭い目をした変な人を看病しようと思ったんだろう。

寂しかったから?

不安だったから?

苦しかったから?

その全てを、この人も抱えているような気がしたから?


声が聞こえた気がした。囁くような、音ともいえない波のような歌。

知っている人のような、優しい声に頼まれたような気がしたんだ。


『兄さんを一人にしないで』って。


だから僕は手を伸ばした。

その手が、兄さんの胸に触れた感触を最後に僕は気を失った。




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「めんどくさいことになっちゃったなぁ……はぁ」



ぼんやりと天井を眺めながら独り言を呟く。誰も聞いていないしどこにも届かないそれは、気を紛らわす為に何度も口から溢れてくる。

独房のようなこの狭い空間には何一つ物は置かれておらず、トイレやベッドすら無い、ただの物置の一つだと思われた。


一体いつまでここに居れば良いのだろう。そもそも何故こんなことになってしまったのか……。




貯蓄層での作業を終えた僕ら2人は、件のロッカーを見に更衣室へ移動した。

確かにそこには落書きの様な傷痕が残されていた。腰帯の僕が「ぼやけて見える」と言っていたそれは、僕の目にはハッキリと見ることができ、いくつかの文字を読み取ることが出来た。



「ヒト……これはナかな。カナで書かれてるんだ。だとすると……」



ヒトリニシナイ。酷く不恰好ながらそう書かれていると思いつくと、その言葉に対して妙に懐かしい気持ちが胸に込み上げてくるのを感じた。


そのことを隣にいた腰帯の僕に伝えたところ、上手く聞き取ることが出来ない様で変な顔をしていた。もしかすると言葉自体にプロテクトがかかっているのかもしれない……でもそれなら何故僕にはこれが読めるのか、また書くことができる僕が居たのか疑問だった。



「これを書いた僕と話してみたかったな……もう遅いけど」


「どうして遅いの?」


「だってこれを書いた僕は変換炉の緊急停止をして機能を停止しちゃったんでしょ?」


「そうなの?」


「君が言ったんじゃないか……本来出来ない筈の緊急停止を行なった“おかしな僕”がいたんだよって」


「うん、確かにそう言ったけど、その子とこのロッカーに落書きした子が同じかは知らないもの」


「……あっ、そっか」



言われてみれば確かにそうだった。何故か頭の中ですべて同一人物だと決めつけて考えていたことに気がつく。だったら……



「算盤でこのロッカーを使っていたのがどの僕なのか調べてみよう。もしかしたらまだ何処かにいるかもしれないし」


「えらく興味があるんだね。僕には何が何だか分からないし……なんか変なの」



変なの……腰帯の僕の言葉に、僅かに動揺してしまう。僕は変なのだろうか。

この文字を書いた僕や、緊急停止を行なった僕と同じ様に、他の僕とは何かが違うのか……そんなことを思い浮かべてすぐの出来事だった。僕の身につけていた防護服の携帯端末が点灯し、大きな警告文が表示された。



『識別コード2-c48、異常を検知した為、自由行動の停止、及び隔離を行う為担当者に随行』



「……えっ?」


「なにそれ、初めて……見た。あれ、でも君だけ?なんで?」


「……さぁ、僕が知りたいよ」




そして僕は更衣室に現れた黒頭巾数名と白頭巾に連れられ、この独房のような部屋に無言で押し込められた。

明かりも無く、音もない。常人なら狂ってしまいそうだけど、幸いにも僕の頭の中はそういった不安要素が精神異常を起こさない様に調整されている。ただただ暇な時間を誰かが良いと言ってくれるまで過ごさなくてはいけない。



「はぁ………めんどくさいなぁ」



何故こんなことになったんだろう。

思い返してみても、自分の行動に異常な点があったとは思えなかった。

あの落書きを読めたから? あれを書いた僕のことが気になったから? たったそれだけで?


諦めて眠ってしまおうか……そんな風に目を閉じ、仰向けに床に寝っ転がる。

自分の呼吸音だけが聞こえる。胸の前で組んだ両手が、膨らむ肺に押し上げられて胸部と共に微かに上下する。他には何もない…………いや、違った。


ヒトリニシナイ


頭の中で、その言葉が刻印のように残り続けていた。


ヒトリニシナイ


何か違う。何が違う?

そうじゃなかった。こうじゃなかった。


ヒトリニシナイ

ヒトリニシナイ

ヒトリニシナイ



「ひとりにしない、誰を、何を……」



頭の中が痒い。よく知っている筈の事を思い出せない時の様な、いつも歌っていた歌の歌詞が出てこない時のような……。



ヒトリニシナイ……デ。



頭の中で何かが開く感触につられ閉じていた眼が開かれる。そこには無機質な天井ではなく、何かが僕を見下ろすように覆い被さっていた。



「うわぁっ!!」



驚いて、素早く横に数回転げ回ってから飛び上がるように身体を起こす。壁にぶつかるかと思うほど勢いがついていたのに大丈夫だった。


先ほどまで寝ていた辺りを確認すると、そこには見慣れない、小さくて全身が白い、フワフワの毛玉の様な生き物がいた。



「……白い、犬?」



僕が知っている動物の中では子犬に近いけれど、耳や瞳や、顔の形が違って見える。

どこか愛嬌と知性を感じるその顔は、小さな口を開いて聞き慣れない甘い鳴き声をあげた。どこかで聞いたことがあるような……


なんで物置にこんな生き物がいるんだ。どこから、ダクトなんてあったっけ……そんな風に周囲を見渡して、もっと大きな変化に気がついた。

壁がない。ダクトどころか、天井も、ここに入ってきたドアも何もない。ただひたすら真っ黒な空間に僕は座っていて、明かりも何もない筈の空間に白い生き物の瞳だけが微かに光って見えている。



「えっ……えっ……何これ、僕、やっぱり変になっちゃったの?」



隔離されたのは正しかったのかもしれない。あの文字は読んではいけなかったのかもしれない。

今更そんな後悔みたいなものが込み上げてきて、彼方遠くに仕舞っていた物が突然戻ってきたかのように、胸を不安が満たしていく。


そんな僕の様子を見てか、小さな白い……何故かそれを獣だとは思えなかった。微かに光る瞳から知性を感じるからだろうか。そのフワフワの生き物は僕の足元まで優美に歩み寄ると、首を伸ばして僕の顔を見上げる。


ヒトリニシナイデ


また、再びあの言葉が頭の中に強く浮かび上がる。

まるで目の前のソレが僕に語りかけているかのように、瞳を見つめる程にそれは強くなってゆく。


兄さんを、1人にしないで


そうだ、これはいつか僕が、誰かに託された言葉だった。紡がれた思いだ。決して忘れてはいけない、僕の存在理由のような……何故そんな大切な言葉を忘れていたんだろう?


途端に胸の鼓動が早くなる。まるで今産まれたかのような感覚に、心臓が焦って身体中へ血液を送っているようだった。目を覚ませと、僕の体が全身でそう伝えてるかのように手足の先がピリピリと痺れる。


僕が立ち上がるのを確認すると、白くて小さいソレは僕に背を向け、闇の方へとゆっくり駆けてゆく。

何故か、僕にはその意味が分かっていた。着いてこいと言っているのだ。兄さんの元へと、急いで駆けろと彼女は伝えている。彼女?


小ささに反して素早く駆けるソレを必死に追いかけ続ける、次第に息が上がって足取りが重くなって行く……こんなにも全力で走り続けるのは初めてかもしれない。



「ちょっと、ちょっと待って!はぁ……はぁ……っ!」



足がもつれて派手に転んでしまった。咄嗟に頭を庇ったお陰で怪我はせずに済んだけど、転んだ拍子に打った右肘が痛かった。



「イタタタ……あれ?」



白い生き物を見失ってしまったのではと前方を確認すると、すぐ目の前にはさっきまで無かったはずのドアがあった。少し首を捻ると、ちょっと前までいた物置と同じくらいの部屋に自分が倒れていることを把握する。なんで、一体どうやって移動したんだろう?


さっきまで見ていたのは夢で、いつの間にか眠ってしまった僕を誰かがここに運んだのかな。


訝しみつつ身体を起こして立ち上がると、最初の部屋と違いこの部屋には沢山の箱が積まれて置いてあることに気がつく。大小様々な大きさの箱が丁寧に片付けてられていて、その1番上に積まれた細長い木箱だけが蓋を開けられ空っぽになって放置されていた。

裏返しで放置されていた蓋をめくってみると、そこには「截家宝剣」と兄さんの字で書かれている。


それはいつか兄さんが僕にくれた刀剣の名だった。




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子供の頃、川で溺れた時のことを思い出していた。


恒を追いかけて焦っていた俺は、苔むした石に足を滑らせ、そこまで激しくはない流れに攫われて僅かな間水中をもがいていた。


ゴーーーー……という何かがものすごい勢いで流れる音と、体が引っ張られていくような感覚に恐怖を感じ、落ち着いて手を地に突けば立てることにも気づかずに俺は溺れ、父に助けられたのを覚えている。


李耳に角笛を渡され、転移を試みた時にもこの記憶が蘇った。

川などとは比べ物にならないエネルギーの奔流に身を投じ流されるなど気が狂ったかと思ったが、あの男の言う通り俺の身体は扶桑にすんなりと同調し、思い通りにノード間を移動することが可能となった。


しかしそれでも、一度たりとも俺には扶桑の声や歌などが聞こえたことは無い。感じるのは果てしない空間と混沌とした生物の細胞のような、音の波のような、光の波長のような幻想だけだ。心地よくもなく、拒絶感も何もない無と有の境に体を置くような感覚。



今もまた、ゴーーー…という低い音が体全体を包み、俺は何かに流されていた。その感覚が夢のものではないと気が付き、重たい瞼をゆっくり上げると非常灯が丈夫そうな構造壁を頼りなく照らしているのが目に入ってくる。

ここが元能貯蓄層の中枢であると理解すると同時に、数歩離れたところでメインターミナルを弄っているクローンの姿を視認する。



「……なにを、しているんだ」


「もう気が付いたの? 体の自由はまだ効かないと思うけど、思ったより回復が早いんだね……急がないと」



その表情からは悪意も悪びれたそぶりも見当たらない。その不気味さを、本来感じるべき不自然さを何故か疑って取れないのは、俺の中にある記憶が影響しているのか、それとも“そうあって欲しい”という希望からなのか分からなかった。



「変換炉の出力を上げているんだよ。ほら、この前第三貯蓄層で変換炉が緊急停止したでしょ。それで急遽第一、第二の出力の上限を解放してその分を賄っていたんだけど……再び予期せず止まる可能性を加味してまだ上げられる状態なんだ」


「そんな、ことをしてどうする。一度にすべての、出力上限を、解放したところで、爆発なんて、しないぞ。オーバーフローする前に、自動調整に入るだけだ」


「うん、知ってるよ。一時だけ圧力が臨界手前まで上がればいいだけだから」



迷いなく端末を操作し続けるクローン。なんにせよ、このままただ黙って見ていて良い訳ではないのは確かだ。満足に動かない体を何とか力任せによじり、クローンの元へ近づこうとする。



「ダメだよ兄さん、そこでじっと待っていて。あとちょっとで終わるんだ。……兄さんを苦しめているものも、兄さんを悲しませる孤独も、全部けりが付くんだよ」


「何を、言っているんだ? 俺に恨みがあるというのなら分かる、それでも、放置してやれる理由にはならんが……」


「恨み…… あはは、そんなものは無いよ。多分僕だけじゃない、僕たちはみんな兄さんに恨みなんて抱いちゃいないさ。そう作られたからじゃない、そう思い込んでるからでもない。恨む理由も必要もないからね」


「だったら……お前は……お前達は何をしようとしているんだ」



端末を触る手を止め、ゆっくりとこちらへ近づいて来たクローンは俺の身体を優しく抱き起こし、背中を支える。その仕草は余りにも自然で、これから幼い子供に何かを教える父親のように優しく微笑んだ。懐に手を伸ばし、拳よりも一回り大きな球を取り出して俺の目の前へとかざした。



「これを変換炉へ投げ込むんだ。ほら、炉内に蓄積した不純物を破砕するのに炸薬を投じたり、効率を上げる為に起爆剤を投入する所があるでしょ?」


「なんだ……それは……」



一見、子供が遊びに使う毬のようなそれに見覚えは無く、しかし、よく見るとそれがただの玉ではなく、複雑な技術によって作り上げられた代物であることが見て取れる。



「ここのところ新崑崙中で崩壊が起きてるでしょ? これは道教石窟の未開拓エリアから新しく発掘された物なんだ。固く封印されていた部屋が崩壊によって解放されたんだよ。入っていた箱には『元能弾』と記されていた」



クローンの放った言葉にゾワリと身の毛がよだつ。今、コイツはなんと口にした?

冗談であれば良かった。しかし彼の様子からはその玉が紛れもなく本物であるという空気しか漂ってこない。太陽人の負の遺産ともいえる、混元期の戦争に終止符を打った大量殺戮兵器が今、目と鼻の先にあるのだ。



「大丈夫……っていうのも変だけど、爆発はしないよ。させたくても出来ないんだ。外殻は元能弾そのものではなくて、それが誤爆したり誤用されないようにプロテクトする精密かつ強固な機構なんだよ。多分おじさんクラスの技師と整った設備が無いと解除できないようになってるんだよね」



まるで玩具を扱うかのようにくるくると器用に指先で玉を回す。クローンの言うように、仮に床へ力いっぱい叩きつけたところでこの禍々しい玉は悪意を顰め続けるのだろう。しかし……



「外殻を慎重に検査して分かったのは、かなり高密度のエネルギーを照射し続けないと解体できないっていう事実だった。でも仮に何とか中身を取り出せたとしても、安定した爆弾として加工も利用もできる可能性は正直高くなかった。だったら同時にいっぺんに済ませちゃえばいいやって思いついたんだ」



臨界ギリギリまで元能を変換炉内で滞留さえ圧力を高め、そこへこれを投入すれば簡単に外殻を破壊できるだろう。中に封じられた超高密度のエネルギは一気に起爆し………過去の文献が正しければ、新崑崙どころかここ一体全てが吹き飛び塵になるに違いない。



「そうすればもう、兄さんは太陽人を救う責務に捕らわれることはない。一帯の古木樹と共に消滅すれば、体を再構築することもない。完全に消滅できるんだ。もう兄さんは“一人じゃなくなる”んだよ」



その表情は『空を自由に飛べる椅子を作るんだ』と目を輝かせていた子供の頃の軒軒を彷彿とさせるほど無邪気で、無作為で、純粋な笑顔だった。可能性の中に夢を見て、憧れを現実に変えようとする明るい瞳だった。



「狂っている」



自然と口をついて出てしまう。しかし俺の吐いた侮蔑のような言葉に対し、クローンは笑ったり怒ったりする様子は見せない。僅かに悲しみを浮かべた笑みを返すだけだった。



「うん、ごめんよ兄さん。こんな方法でしか兄さんを救えない、頼りない弟でごめんね」



そっと、割れ物を扱うように俺を床に降ろしてクローンは立ち上がる。咄嗟に手を伸ばして玉を奪い取ろうとするが、その手は空しく空を切って虚空を掴む。



「大丈夫、間違いなくこれで兄さんは一人じゃなくなるんだ。僕を信じて待っていて」



そのクローンは……軒伯は涙を流していた。また何か精神に異常が起きて狂っているのだと、必死にそう信じ込んで体を動かす。アイツを止めなくてはと、それだけを頭一杯に考えて体を動かす。



「誰かっ、誰か居ないのか!」



麻痺が残る口で精一杯張り上げた声も空しく、木霊すら帰ってくることは無い。軒伯は再び端末に戻り作業を再開し始めた。



「僕以外のみんなは今倒れてるよ。四季閣や他の作業区画に神経毒を散布させてあるからね」


「そんな危険物はリストにも、この施設内のどこにも無い筈だ。そもそも俺が知らないはずがない」


「あっちこっちに置いた観葉植物だよ。あの植物は一定の温度を超えると命の危険を感じて種を作り始める。この前空調システムを停止させた時に突然気温が上がって花を咲かせていたでしょ? 再び施設内の温度を上げれば条件は達成。種を守るために周囲に近づく動物へ毒をまき散らす防衛本能を利用したんだ」



そんな些細な変化は微塵も記憶になかった。そもそもそのような種の植物を観賞用に用いていたことなど想像の範疇を超えている。


何か打てる手は無いかと丹田に力を込めてみるが何も生じない。弓も呪符もとうに役目を失い仕舞い込んである。鈍りに鈍り切った体に出来ることは何もないと、震える手がそう物語っている。


それでも、ただ何もしない訳にもいかない。語り掛けるにしても、脚にしがみついてでもアイツを止めねばならない。

奥の手が無いわけではない……だがそれは最後の手段だ。何とか自力で体を動かし、膝をついて体を起こしたその時だった。

ガタンッ…と物音が立ち、俺と軒伯は同時に音のした方向へと顔を向けた。



「あれ、ここ……どこ?」



そこにはひどく薄汚れたクローンが一人、ぽつんと立っていた。




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「ふぅ、派手な地震が起きたと思ったらこれが原因か。たまんねぇな」


「新崑崙が超大型移動拠点として改築されてから悠久に等しい時が経っている。どれほど強固に作られようと崩壊は免れん」


「そりゃあそうだけどよぉ……こんな外郭の岩肌が崩れる分にゃ良いが、中枢や他の研究区域まで影響がねぇかと心配が尽きねぇ」


「……崑崙仙人の石像か、無残な物だな」


「どんなに立派な人間でも、彫像を彫って奉られても、崩れちまえば無かったことになっちまうんだな……ゴホッ、グフッ!」


「おい、無理をするな。ついてこなくていいと言っただろ」


「俺の身体もコイツらと一緒でボロが出始めてんだ」


「……」


「多臓器不全だとよ。まだ若ぇのに奄老の爺さんに追いついちまった」


「お前は嫌がるが、霊枢で眠る時間をもっと増やした方がいい」


「気休めを言ってくれるな羿。ただでさえ人手も足りてないし、今のうちに見れるところは見ておきてぇ。技術屋が棺桶の中で眠ってるうちにメンテナンス不足でおっちぬなんて冗談にもならん」


「……すまん」


「なんだ、らしくねぇなぁ。別に俺はお前を恨んだりなんかしちゃいねぇよ。ここにこうして立ってるのだって俺の意志だ。残された時間は少ないかもしれないが、それをどう使うのかは俺が決める」


「……」


「嫌な役を押し付けちまうけどよ、頼んだぜ羿。俺は太陽人として死にたいんだ。無能な石像になるのも、よくわからん花になっちまうのもごめんだ。俺はこの地で、出来る事を全部やり切ってからぐっすり眠るとするよ」


「……すまない、夸伏」


「結局占いは当たらなかったってこったな! なーにが老後は異郷で余生を過ごすだ。俺は……俺はまだ、ここにいるぞ、姫よ」




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物置から外に出てみると、そこには地獄のような風景が広がっていた。


また空調システムが故障したのか妙に蒸し暑く、これじゃあ折角直した変換炉がまた熱暴走でダメになってしまうんじゃないかと不安になってしまう。

ところどころにエマージェンシーを伝える赤い非常灯が点灯していて、何が起きているのかと最も近いセクターを覗いてみると、他の僕たちがみんな床に倒れているのが目に映った。


慌てて駆け寄って、目の前に倒れているB型をそっと抱き起す。どうやら呼吸はしているようで、完全に機能停止状態にはなっていない様子に若干安堵する。

理由は分からないけれど、他の僕たちも痙攣していたり生命活動は続けている様子だった。


体の起こし方が悪かったのか、支え切れていなかった頭が僕の腕からずるりと漏れて垂れ下がった。その勢いで黒い頭巾が外れて、音もなく床に落ちる。

当然の様に、そこに僕の顔は無かった。衛兵のような無機物と有機物を融合させたヘッドギアに覆われた頭が力なく垂れ下がっている。


あぁ、そういえばそうだった……そんな、なんてことのない、どこかに仕舞っていたどうでも良い物が、思いもよらないところから出てきたかのような感覚。


A,B,Cと名称を分けてはいるけれど、実際にはC型以外の僕たちは“もともと僕ら”だったものの成れの果てだ。

単純に経年劣化だったり、精神に異常を起こしたり、問題を起こす可能性があると判断された個体は回収されて調整を加えられる。

知識や記憶、活動内容を限定することで寿命を延ばし、施設のメンテナンス等を行うのに適した形へと整えられる。状態や能力によってAとBに振り分けられているだけだ。


いわばそれは僕らの……いや、僕の抜け殻のような存在。

それを認識してしまうと僕らの負担になる可能性があるから、彼等を僕らと殆ど変わりのない存在(僕たち)だと思い込むように認識を誤魔化しているに過ぎない。


多分、こんなことが沢山あるんだろう。それが悪いことでも、間違ったことだとも思えない。いや、元から僕はそう考えなかったように思う。僕にとって一番大切なのは……



あいつを一人にしないでくれ



ズキン、と一瞬頭が痛くなる。理由は分からない。だんだん呼吸が苦しくなって息が荒くなっていることに気が付いた。

目の前が少し霞んでくる。

パチパチと瞬きをすると、再び目の前にあの小さな生き物が現れて走り出す姿が見えた。

抱きかかえていた体をそっと床へ降ろし、立ち上がってまた追いかけ始める。いつかもそうしたように。


今、僕の頭の中に浮かんだ言葉はコイツが言ったものなのか?


さっきから妙に体が重い。

もう走るのをやめて床に倒れ込んでしまいたい。

でもその床すらよく見えず、ただ黒くぼんやりとした霧の中を走り続けている気分だ。


一つだけわかるのは、このフワフワを追いかけた先に兄さんが居るということだけだ。……そういえば、もう長いこと兄さんの声を聴いていない気がする。

それなのに、今兄さんが僕を呼んでいるような、変な確信だけが僕の足を前に進ませ続けた。


真っすぐ前を走り続けていたフワフワが突然左に曲がって姿を消す。突然のことに驚きながら、何とか踏みとどまって左へ足を踏み込んだ……疲れと軽いめまいで踏みとどまれず、倒れそうになったところで前に伸ばした手が何かを掴んで踏ん張ることに成功する。

ガタンッと大きく音を立てたそれは金属の手摺で、次第に鮮明になった視界の先には恐ろしいことに下り階段が長く続いていた。一歩間違っていれば転がり落ちていたかもしれない。



「あっぶない……あれ、ここ……どこ?」



自分の呼吸が五月蠅くて低い振動音が鳴り続けていることに遅れて気が付く。

機械油の匂い、武骨で丈夫そうな金属の壁、何かが唸るような低い振動音……ここ数日で聴きなれてしまったその音に、ここが元能貯蔵層の中枢だと把握するのにそんなに時間はかからなかった。壁沿いに設けられた、メイン通路から直接施設へと下っていく長い階段の手前に僕は立っていた。


やっぱりさっきまで見ていたのは夢で、僕はまだここの作業をしている最中だったんだろうか?


視界を下の方へ向ける。微かに、炉から緑色の光が漏れて周囲を照らしてるのが見える。良かった、ちゃんと稼働し続けているみたいだ。



「君、なんでここにいるの?」



端末の前に立っている僕が声を上げる。頭に覆面どころか、作業着を着ていないことから僕らの誰かだということはすぐにわかった。目を凝らして、それが年嵩の僕だということに気が付く。腰に刀を下げていて、変な服装に見えるのは多分英雄の衣装だろう。



「君こそ、ここで何してるの?」


「“僕らの仕事”だよ。……君、身体に異常はないの?」



手摺を掴んだまま、ゆっくりと階段を降りていく。走りつかれているのか上手く脚が動かず、時折踏み外しそうになってしまう。その様子を見た年嵩の僕はなぜだか納得がいったという表情をして微笑んでいる。

階段を降り切ったところで、視界の隅で兄さんが壁にもたれて座り込んでいるのを見つけた。



「兄さん!ちょっと、大丈夫!?」



兄さんは返事をせず、じっと僕の顔を見ていた。怪我をしている様子はない。ただ小刻みに体が震えているように見える。



「えらく汚れてるなぁ。一体どこを通って来たの? というより、一体誰が君をあの部屋から出したんだろう。腰帯の僕……は今空調システムに張り付いてる筈だし、他にそんなことが出来そうな僕は……」


「よくわからないけど、なんだか白い変なのを追いかけてたらここにたどり着いたんだ。ねぇ、兄さんは大丈夫なの?」



僕の言葉に、年嵩の僕は驚いた顔をした後でニッコリと微笑んだ。



「良かった、思ったより設定に時間が掛って困ってたんだよ。第一第二の稼働量を上げるだけなら簡単なんだけど、停止していた第三貯蔵層の設定だけが前のままで上手く他と同調してくれなくてさ……早速手伝ってよ」


「えっと……どういう状況なのか分からないんだけど?」



また変換炉に異常が発生しているのだろうか? 他の皆が倒れていたのは空調システムがおかしくなっているのと関係があるのか、なんだか僕の身体もちょっとおかしいのはそれと同じなのか、兄さんが何故ここに居て倒れているのか……訊きたいことが山ほどあるのに言葉が出てこない。


ただ一つ、不思議なことに目の前で端末を弄っている年嵩の僕が別人のように見えていた。何故か彼が僕と同じ軒軒であると認識できない。かといって嫌悪感や疎外感も感じない。今までに感じたことがないこの感覚は、やはり僕がおかしくなってしまった証拠なのだろうか?


兄さんは僕をじっと見たまま何も言わないし、動こうともしていない。微かに震える手で体を支えて上半身を起こしてはいるけど、立ち上がれそうな様子はない。


深く深呼吸を一度して、兄さんの元へおぼつかない足取りで寄っていって、その体を支えるようにして立ち上がるのを手伝った。いつものように、兄さんは何も言わずなすがままで、僕の肩に手をかけて踏ん張って立っている。その様子を見た年嵩の僕は、特に顔色も変えずふぅ……と小さく息をついて僕の方へと向き直った。



「うーん、出来れば兄さんはそこに置いといて欲しいんだけれど」


「ねぇ、一体今何をしているの? 他のみんなは倒れてるし、君も焦ってる様子が無い。兄さんはこんな状態だし……何がなんだかわからないよ」


「君はいつも遅れて最後にやってくるのに、何故か大事な核心に触れるんだよね。前の君もそうだった……兄さんの癇癪に触れて大怪我をしたかと思ったら、誰よりも先に僕らのやるべきことを見つけたりさ」


「前の僕、大怪我?……もう少し分かるように言ってよ」



肩を掴む兄さんの手に力がこもる。



「君も気づいてるんでしょ? 今のままこの暮らしを続けたところで僕らが、兄さんが望む未来なんて訪れるはずがないって。枯渇する物資、疲弊していく環境、数も減り状態が悪くなる一方のクローン、同族交配による近交弱勢に陥っている僕の種族、眠り続ける太陽人だって選別が進んでどんどん減っていく。完全な健康体で魂境に眠っている人たちは三桁を切った。この全てを解決できそうな打開案なんてどこにもない」


「勝手に、俺の望む未来を語るな」



だまり続けていた兄さんが擦れた声を上げる。なんだか数十年ぶりに兄さんの声を聴いた気がする。



「うん、ごめん。でも僕たちがこのまま同じことを続けていても何もよくならないのは確かだと思うんだ」


「だからといって全てを爆弾で吹き飛ばしていい理由にはならない」



爆弾、突然物騒な物が出て来て驚いてしまう。



「ううん、これだって十分理に適った行動なんだよ。優れた技術も工作装置も無い今、この元能弾の外殻を破壊する方法は限られてる。元能柱の採光効率だってグングン落ちてるし、この変換炉だっていつ不具合が起きてもおかしくはない。今を逃したらもうダメかもしれないんだ」


「何故、破壊することに執着する? そもそもどうして俺を、この新崑崙一帯ごと消し飛ばす必要がある。俺を完全に消滅させることがどうして解決につながるんだ。本末転倒でしかない」


新崑崙一帯を吹き飛ばす。兄さんを完全に消滅させる。訳が分からない。

混乱する僕の顔を見た年嵩の僕は、不思議そうに小さく首をかしげて見せた。



「何故って、だからさっきも言ったけど……兄さんを一人にしない為だよ」


「俺を消せば一人じゃなくなるだと? それは狂人の発想だ。壱が零になったからなんだというんだ、悪化しているだけだ」


「それは違うよ。兄さんは生きているから孤独なんだ。ちゃんと兄さんを肉体のしがらみから解放して“正しい道に還す”んだよ」



さっきまで僕の肩に爪が食い込むほど力を込めていた兄さんの手が、ふっと緩んだ。支えている身体から伝わる重さがゆっくりと抜けていき、やがて兄さんは僕から手を離してその場に自立していた。



「兄さんは知らないけれど、この蓬莱の地には……ううん、もしかしたら場所も関係ないのかもしれない。全ての命には必ず最後に帰る場所があるんだ。そこには天禍を患って亡くなった多くの太陽人や、おじさんや、僕の家族や、もっともっと昔に生きていた人達もみんないるんだよ」



年嵩の僕が力をこめて熱弁する。そこには疑いも迷いも、憶測も微祈も感じられない。ただ唯一確かな“道”を指し示すことに誇らしさを感じているかのように勇ましく、真っすぐな目で僕と兄さんを見ている。



「生と死は元から一つで、死ぬことは生まれることと同じくらい必要なことなんだ。だから兄さんはもう、ここにいちゃいけないんだよ。待ってる皆のところに行かなきゃ」


「…………待ってる?」



おぼつかない足取りで……まるで初めて立ち歩きをする赤子のように、兄さんがゆっくりと年嵩の僕の方へ歩を進めていく。か細く発せられた声には力もなく、そこから兄さんの感情を読むことも出来ない。



「うん、みんな待ってるんだよ。兄さんが来ないことを悲しんでる。兄さんを残したまま移ろいゆくことが出来ずに、ずっと待ってるんだ」



不意に、僕の頭の中でめまぐるしくイメージが沸き上がってくる。


一人にしないで

一人にしないでくれ

一人にしないで

ヒトリニしないで

ヒトリニシナイデ

兄さんを、一人にしないで……


僕へ伸ばされたその白い手の持ち主の顔が。



「恒さんもずっと待ってるんだよ」



彼がそう言い放った瞬間、兄さんの身体が弾けるように前方へ飛んだ。

実際には素早く駆ける程度の速度だったけれど、まるで火が付いたように緩慢さを失った兄さんは年嵩の僕の前へと素早く駆けより、拳を繰り出した。直線的な動きを読んでいたのか、彼は焦ることなく半歩体をずらして綺麗にそれを避けた。



「……うん、わかってもらえるとは思ってなかったけどね」


「ふざけるな……ふざけるな……ッ!!」



兄さんは我を忘れていた。怒りが兄さんの身体を動かしていた。躱されたことで勢いよく地面へ転んだのも束の間、素早く起き上がると、よろめきながらも再び駆けだして殴りかかる。



「よりにもよって、回帰主義だと? 家族を、恒を……諦念の檻へ閉じ込め、生きることを捨てさせたクソのような説法が俺を救うと言ったのか!? 」



ぼんやりと、兄さんの身体に赤黒い霧の様なものが漂って見えた。それは殺気なのか、先程まで床に伏して倒れていた体を突き動かすエネルギーなのか、僕にはわからない。



「やっぱり話すのは間違ってたな。兄さんが受け入れられないことはわかりきってたんだ……だから意識を失って、眠っているうちに全部終わらせられたら良いなと思ってたんだけれど。ごめんね、兄さん」



泣いているような、笑っているような表情で彼は腰に下げた宝刀に手をかける。



「あとちょっとで終わるから、我慢してね」




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「兄さん落ち着いてよ」


「ほら、もう解決したことなんだから……」


「解決、解決だと?お前達は自分が何をやったか理解しているのか!?」


「あらかじめ予測は出来てた問題なんだ。時間がなくてテストは十分にできなかったし、何かあった時に対処できるように準備はしていたんだ」


「本格的に新崑崙を維持するにはもっと沢山の僕を作らなきゃいけないけれど、一度に問題が起きてしまうと収拾がつかないからね。ちゃんとデータは取れているし次につなげられるよ」


「……さっきから何を言っているんだ、お前の仲間が死んだんだぞ!」


「認識にズレがあるんだ、僕らは一人の僕だよ。マスターデータが生きてるうちは僕は死なないよ。あくまでアレは僕の一部で肉体に過ぎない」


「それに総合失調症を患っていた。自殺なのか事故なのかも明確じゃないし……とにかくそんなに興奮しないで、兄さん」


「違う! 病なんかじゃない。アイツは、“梅軒”はずっと自分の在り方に悩んでいただけだ」


「兄さん、その名前がダメなんだ。兄さんが呼び分けたり見分けるのに必要だから受け入れようって最初は思ったけど、僕らは何がどうあっても軒軒なんだよ」


「兄さんが僕らを想ってくれるのは嬉しいけれど、兄さんにその名で呼ばれることが大きな問題なんだ」


「お前達が……お前達は……っ!!」


「……ごめんね、兄さん。ごめん……」


「次はもっと、兄さんに負担がかからないようにするから……」




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「これで満足なのか?」



振動音だけが低く響く空間に、独り言のように絞り出した擦れ声は吸い込まれていく。先程までの昂りが嘘のように醒め、ただただ掴みどころのない虚しさだけが胸を満たしている。

一瞬のことだった。あまりに多くのことが一度に起きたにもかかわらず、数瞬の間に全てが結末を迎えた。



殴りかかろうとする俺を迎え撃つように軒伯が腰の宝刀を抜き、素早く振り抜こうとするのが見えた。構わないと思った。刀傷などとうの昔の経験でしかなかったが、恐れなどなかった。


怒りが体の震えを抑え、ギシギシと音を鳴らして奥歯を噛みしめ、右手に全ての力を込め元刀を発現させた。


避けられる確信などない。一刀受けて一刀返す……ただそれだけを考えて地を蹴る。その結末が訪れるのを覚悟したその時、目の前を予測していない影が覆いかぶさった。


それが何かを判別する間も無く、軒伯の振り払った刀を影が受け止め、その隙間から真っすぐ突き出した元刀が軒伯の胸へと吸い込まれていく感触を得る。


一拍を置いて、影が俺に被さるようにして共に床へ倒れ込む。それが先程まで後ろにいたクローン……軒朗だと気が付いたときには既に、彼の口から言葉が発せられることはなくなっていた。


甲高い音を立て刀が跳ねるのと同時に、ドサリと重い振動が床を伝ってくる。胸を押さえながら上半身を起こした軒伯がか細い声でなにかを言って、壁にもたれながら息を引き取っていく。無邪気に床を転がっていく元能弾だけが唯一この場で動いていた。



「お前がしたかったことは終わったのか? 見ているんだろう」



瞳を閉じ呼吸を整え、僅かな間を置いてゆっくりと、血にまみれた体を起こす。

軒朗の亡骸をそっと床に寝かせ、震える脚でなんとか立ち上がる。

白濁した視界に、元能の光が集まって一つの形を成していく様子が映る。

軒朗よりも一回り小さい、幼い少年の姿……見慣れた跳ねた髪。



『すっかりバレてたんだね。兄さんは流石だなぁ』


「……その姿で出てくるとはな、軒軒」


『こうして話すのは初めてだから緊張するや。上手くできてるかな?』



自分の姿を見回すような身振りを取る軒軒……“算盤”の姿を目を細めて睨むように見る。瞳も口も無い、ぬっぺらぼうの顔に自然と表情が浮かんで見える。無邪気な笑顔がそこに浮かべられている様が容易に想像できてしまう。



『いつ気づいたの? 僕が算盤だってことに』


「……メインシステムが改竄されている可能性は常に視野に入れていた。だが確信に至ったのは玉石を弄ったとアイツが言った時だ」


『そっか。別に隠し通す必要も無かったからいいんだけど、ちょっと迂闊だったかもね』



何か楽しいことでもあるかのように、戯けた声音で算盤は軽々しく語る。


俺の体調やノード内の活動に直接作用する玉石を弄るには、本来ならば最高権限の所有者……すなわち俺しか行えない。

いくら霊枢で眠っている時に弄ったとしても、そもそも権限が無ければ操作自体が不可能だ。仮にコンソールの改竄を行った場合は必ずログが残るし、外部や別のシステムからハッキングなどしようものなら玉石システムに行く着く前にネットワークが分断され、最高権限による復旧を要求される構造になっている。

玉石の操作は変化し続ける生命体の構造を変えるようなもので、システムを介さずにウイルス等を用いて行うのも不可能に近い。要するに“外部”からの操作は一切受け付けない構造になっている。



「ハッキングやログの改竄は不可能、外部からは一切操作を受け付けない……ならば内部から直接操作をしてログを残さないように行うしか方法は残されていない。それも俺が変化を感じない程に細かく微調整を行ったとなると、何度も触れなくてはならない。それが出来るとすればシステム自体がそもそも汚染されていたという考えに自然と行きつく」


『汚染……か。そうだね、無垢だった算盤を汚して生まれた僕はさしずめ軒垢ってところかな』



懐かしい記憶の中にある軒軒を象った元能の光は、自分の手のひらをじっと眺めるようにして自虐を呟く。



「いつからお前は存在していたんだ……少なくとも算盤を新たに作った時には人格データは入れなかったはずだ」


『うん、これは……僕も意図的にこうなるようにしたわけじゃなくて、色んな偶然が重なってこうなっちゃったんだよね』



くすくすと、手を口元に当てて屈託なく笑う。



『初めて僕のクローンを作ろうとしたときに、万が一失敗して僕の意識が無いまま生成が止まっちゃったら大変だと思ったんだ。それでもし予想外の事態が起きた時には、算盤が自ら判断してクローンの生成を行えるように簡単なプログラムを走らせたんだよ』



いつかの警告音が脳裏に響く。あの日の記憶を、深く蓋をした箱の中から取り出して思い出していく。



『でも算盤には人格データも無いし思考して判断する基準も無かった。だから安直に“僕の記憶”を意思決定の基準として設定してみたんだよ。どうせクローンを作るときには読み込んだし、そのまま流用すればいいやってね』



そしてクローンは生成された……オリジナルである軒軒の死という結果と共に。



『結果として、クローンは無事に生まれた。でも同時に僕の本体は負荷に耐え切れずに活動を停止しちゃった……それで算盤は“成功させるまで僕の記憶データを元に判断をする”という設定でタスクを完了しないまま稼働し続ける状態になってしまったんだ』


「クローンは問題なく生まれたはずだ。その時点で完了しなかったのか?」


『不測の事態が起きた時にマルチに判断できるようにしておいたんだよ……勿論、オリジナルの僕が無事に生成を終えたなら手動で止める予定だった。そして算盤はブランク状態の人格データに僕の記憶を割り当て、僕が考える成功と言える状況へと行きつけるように働き始めた……』



軒軒の亡骸を腕に抱いた感覚を思い出す。悪夢のような状況で幼い軒軒の姿をしたモノが語り掛けてくる……何も信じられなかった。受け入れられなかった。理解したくなかった。



『僕……算盤から見て、クローンの生成は明らかに失敗だったんだ。僕の求めた結果は得られなかった』


「求めた結果?」


『うん、おじさんから頼まれていたこと……僕の願い。“兄さんを一人にしない”という目的は果たされなかった』



軒軒の記憶を人格データに割り当てたのも、そのプログラムを止めなかったのも算盤……軒垢の判断によるものとなったのだろう。

変更を加えたユーザーログは残さず、またシステムとして管理者に報告を行う事もしなかった……タスクを完了するために算盤自らがその判断を下した。それでも疑問はまだ残る。



「追加したプログラムがお前の記憶を読み込んだとして、システムの根幹を変えてしまう程の権限は存在しないはずだ。扶桑コアのセキュリティを開く権限にしても、算盤自体には与えられていない」


『うん、これも偶然なんだけど……実は、おじさんが亡くなる前にこっそりメインシステムのバックドアを教えてくれたんだ』


「夸伏が? ……馬鹿な、ありえない」



生前のアイツが俺と同じ最高権限を所持していたのは確かだ。しかしそもそもなんの目的があってバックドアなど用意した?

俺の疑問を察したのか、申し訳なさそうに俯いて軒垢は説明を続ける。



『……おじさんは残された僕にも新崑崙を、蓬莱で今後どう生きていくかを決められる権利があって良いって言ったんだ。兄さんの方針に反対したり、望む未来へと進む権利がある筈だって……勿論僕は必要ないって答えたよ。でも万が一兄さんに何かあった時に困るからって、教えてくれたんだ』



やせ細った夸伏が何度も俺に持ちかけていた話を思い出した。軒軒を自由にしてやれ、猿人と共に暮らしていく未来を与えてやれ……俺が頑なに否定し続けると、何かを飲み込むようにして諦観した背中を俺に向けていた。



『意図的ではないにしても、僕の記憶の中にその情報があった。実は最高権限の優先順位にはマスク値があって一桁多いんだ。表向きには兄さんは権限の一位になっているけれど実際には十位の扱いで、それよりも優先度を上げる事が出来ないように固定されている。だからいくら権限を再設定したり修正しても僕は見えない上位の権限を利用して内部から自由に動けたんだよ』



アイツが考えそうなことだな……と妙に納得してしまう。やり口にしてもそうだ、気まずいことがあると隠すのが上手い奴だった。不思議と怒りよりも笑いが込み上げてくる。怒っていいのは多分、俺よりもアイツの方なんだろう。



「それで、お前は結局何をしようとしているんだ」


『それは僕という存在が生まれた時からずっと変わらないし、あの僕が言っていたことと一緒だよ。全ては兄さんを一人にしない、ただそれだけ』


「俺をタオに帰す……か。 どこでそのくだらない考えを学んだかは知らんが、俺はお前に、そんなまやかしに縋る生き方を教えた覚えはないぞ」


『兄さん。僕は研究者じゃないけれど、兄さんとおじさんに教わったことは忘れてないよ。大事なのは好奇心と、諦めない忍耐力と、結果を正しく観測して受け入れる誠実さ……でしょ?』



いつの日か、蓬莱に降り立ちインフラ工事をしていた時に交わした会話を思い出す。

蓬莱の地に眠る遺構を指さしては、俺や夸伏に「あれは何?」と訪ね、一言二言説明してやるとその倍の質問が返ってきた。

答えるのに面倒になった夸伏が「聞くばかりじゃなく自分で考えてみろ」と突っぱねると、思いのままに想像した機構や装置や道具がその口から怒涛の様に溢れ出す……その様子を見て呆れた夸伏が「その好奇心だけは立派な科学者だな」と苦笑した。


それを聞いて嬉しくなったのか、すぐに続けて「科学者には他に何が必要なの?」と軒軒が訪ねた際に、アイツが答えたのが忍耐力と誠実さだった。



『科学者たるもの、失敗は成功への足掛かりに過ぎない。積み上げた失敗無くして答えは見えてこず、望まぬ結果を捨てていてはいつまでも高みに届かない。そこにある景色は何かと、好奇心を燃料にして研究者は常に次の山を目指していく』



気取って語った夸伏のセリフを、一言一句違わずに暗唱する。

余程嬉しかったのか、それとも感銘を受けたからなのかはわからないが、あの日以来軒軒は俺達に混ざって研究者の真似事をし始めた。愚直にこの三つの教えを守り、新崑崙の維持に役立ついくつかの研究成果を齎した……大きすぎる代償と引き換えに。



『僕は自分のクローンをつくることで兄さんを孤独から救えると思ってた。人手不足も同時に解決できる妙案だって。でも実際はそうはならなかった。兄さんはどんどん辛そうに心を閉ざしていくし、新崑崙に残り続ける問題を根本から解決出来てなかった……だから僕はクローンを使って色んな実験と観測を続けたんだ』



その内容を詳しく語られることは無かったが、ろくでもない内容であることは容易に予想できる。明確なタスクをこなす為に行われたであろう数々の行いに、僅かな悪意も罪悪感も無かっただろう。ただコイツはその実験を行うモルモットに自分のクローンを使っただけなのだ。



『最初の三人のうち、一人が精神異常を患って自ら活動停止した時には少し焦ったんだ。でも同時に光明だとも感じた……僕のクローンではダメでも、僕とは別の存在を作れば兄さんの孤独は埋められるのかもしれないってね。でも結局兄さんはクローンを僕の影以上の存在として受け入れる様子は見られなかったし、あの一件以降は嫌悪感すら感じ始めていた。当然だよね、個々の存在として認識していても、ある日突然自我が崩壊したり作り物である事を再認識される。……だから別の方向へ目を向けることにした』



嫌悪感、そうコイツが表現した感情が何なのか、未だに俺自身が理解できてなかった。正直に言えば、クローンの中に軒軒の影を追ってしまう自分が許せなかったのだ。どこまで行ってもクローンをクローンでしかないと思いつつも、仕草や表情から軒軒を想ってしまう。

最初は名前を付けて呼ぶことでこれを回避しようとした。しかしそれも自分を誤魔化す以上の効果はなく、クローンの存在自体を否定する要因として結果が出てしまった。それ以降は頭の中で一人一人に名前を付けて区別はしても、決して名前を呼ぶことはしなくなった。



『逆に、自分が存在の一部であるという認識を“そのものである”という方へシフトしたらどうなるかを試してみたんだ。最初の頃は似たように精神分裂や統合失調を患って壊れちゃう個体が出るだけだった……でも、そのうちの一人がとても興味深い結果を導き出したんだ。夢を見始めたんだよ』


「夢……?何も特別なことではない」


『うん、兄さんや僕……元の僕が見ていた夢ならそうだね。でもクローンの僕たちにとっては違うんだ。夢とは記憶の、情報の整理を行う際に脳内で再生される一瞬のビジョンなんだけど、そもそも魂境を用いて脳内を調整しているクローンは普通の夢を見ないんだ。仮にうたた寝をしたところで情報の取捨選択や整理は行えないように設定してある。これはクローンが勝手に僕以外の存在にならないためと、他のクローンと同一存在であるために必要な措置なんだ』



夢、魂境、蚨蝶の顔が思い浮かぶ。アイツは自分の抱える罪を夢の中で整理することが出来ずに身を、心を滅ぼした。隠すことも忘れることも出来ず、ただ罰せられるのを醒めない夢の中で求め続けていた。今なら僅かに、アイツの気持ちを理解できる気がする。



『そんな中で、手を加えた一体が夢を見た。それどころか僕の知らない情報を夢の中で見ていたんだ。見たことのない動物、会ったことも読んだこともない人々や種族、聞いたことがない言葉や楽器の音色……そして、命が行きつく先を』


「そんなものはよくある事象だ。自分が認識せずに拾った情報を、無意識に夢が再生させているに過ぎない。回帰主義の教えにしても、奄老が抱えていた遺物の何かしらから拾ったんだろう」


『兄さん、僕は生物じゃない。データの集合体なんだよ。オリジナルの軒軒がどんな記憶や情報を持っていたかは明確に参照できるし、逆に持っていないないものはそこからは引き出せない。兄さんの言うように、確かに倉庫エリアには鳥獣人物戯画やタオ回帰主義に触れる文献は存在しているよ。でも生前の僕はそんなことを知らなかったんだ……これは衝撃的な事件だったよ』



クローンへコピーする際に軒軒がどこまで自分の記憶を精査できていたのかは俺の知るところではない。それが100%で無いのならばそういった事は起こりうるのではないか。もしくは算盤としての知識や太陽人が魂境でみた夢が、クローンの脳内を整理する際に紛れた可能性も否定できない。



『兄さんが納得できないのもよく分かる。僕もこの件に関しては何が影響してそうなったのかを慎重に分析と解明を行ったんだ……でも夢を見た個体はその時点で彼だけで、さらに詳しく分析する前に興味深い結果を残して活動を停止してしまった』


「待て、もしかして夢を見た奴というのは……」


『うん、そうだよ。扶桑のメインコアで活動停止した彼がその個体だった』



刹那、胸の内の奥深くに沈めてあった澱のようなものが顔をのぞかせる。今さっき、そこで横たわる軒郎の顔を見た時にもそれは浮上していた。

罪悪感、後悔、自責、呵責……そんな言葉で片づけられない程にそれは重く、強く、胸の底にこびりつくように残り続ける薄暗い感情の泥。



『瀕死の状態で治療を受けていた彼は霊枢の中で夢を見たんだ。自分のやるべきことをするために回復もままならない状態で外へ出て、扶桑コアを目指した。僕は彼の行動を観察するために、ゆく道のリフトやセキュリティを全て解放して不自由を取っ払った。そして、扶桑コアの目の前で限界を迎えて活動を停止してしまった……非常に惜しい結果ではあったけど、何よりも僕が求めていた答えに近い実験結果を得られたんだ』



軒垢の無邪気な口ぶりに拳を固く握りしめる。そんなことをしても己の罪が軽くなる訳でもない。欺瞞に満ちた、己を肯定する為だけのポーズに思わず唾棄したくなる気持ちを抑える。



『彼は兄さんを孤独から救うために、夢で見た場所へ行こうとしたんだよ。もしかしたら“声”が聞こえていたのかもしれない。その導きに従うことで答えを得ようとしたんだ』


「もう、沢山だ。世迷言を聞くだけならそれこそ夢だけで十分だろう。お前に俺を救うことなどできようもないし、俺がそれを望むこともない。お前は軒軒の亡霊でも代わりでもない、勘違いで働き続ける哀れなプログラムに過ぎん」


『兄さん、恐れずに聞いてよ。確かに僕はただのプログラムだ。でも、だからこそ肉体を持つ僕よりも冷静に物事を観測して記録することが出来る。あの一件以降、多くの僕たちが夢を見た。記録から予測して実験を重ねた結果、直近のC型はみんな夢を見てるんだよ』


「その結果が軒伯のとった行動だというのか? 新崑崙ごと俺を消滅させ、タオへ帰化させる。…………馬鹿が。恒が……待っているだと? そう言えば俺が頷くとでも思ったのか」



更に罵声を浴びせてやろうと軒垢を睨んだその時、軒軒の姿を象っていた元能の光が揺らぎ、形を変えていった。それは遠い記憶の中にしかない見慣れた姿で、見慣れた筈の姿で、姿の筈で……



『兄さん』



間違いなく、恒の姿と声だった。

厳かに両手を前で組み

柔らかな笑みを浮かべて

そっと撫でるように呼び掛ける声。


弛緩し、膝から床に崩れ落ちる。

手をつき、情けない兄を許してくれと、謝罪したくなった。

最後に吐いた言葉を取り消したかった。

何をすれば良いか、何を望むかを尋ねたかった。

例えそれがまやかしの姿であっても、俺の心がそれを望んでいた。


ほどなく、恒は元の軒軒の姿へと戻った。



『……残酷なことをしてごめん、兄さん。でも、信じて欲しいんだ。僕たちが見た夢は、聞いた声は、得た知識は決して世迷言でも気休めの教えでもないんだ。タオは存在するんだよ。兄さんの苦痛は終わりが見えているんだ』



いつか、軒軒が天禍の花を見て綺麗だと言ったのを思い出していた。

もしコイツが言うように、すべての命には向かうべき場所と移ろいゆく先があるのならば、あの広場で俺が恒に語り掛け続けた言葉は届いていたのだろうか。それとも空しく、ただ自己満足に終っていたのだろうか。

時折風に揺らぐその姿が応えてくれているように感じたのも、ただの気のせいだったのか、恒の意志が介在していたのか。



『僕が兄さんを確実にそこへ導いてあげる』



もしそれが在るというのなら、一縷の望みであっても身を投じるに値するのではないか……


緩やかに思考を巡らせ、立ち上がろうとした時に何かが目の端に映った。

それは軒郎の亡骸だった。



「…………算盤、答えろ。軒郎は、お前達がやろうとしたことを止めようと介入したコイツは、何故ここへ現れて俺を庇って死んだんだ」



先程まで微笑んでいたような軒垢の表情が途端に曇ったように感じた。



『それは僕にも分からない。僕はあくまでプログラムだ。彼はここ数日魂境へ接続していなかったから直前のデータが無いんだよ。観測した情報や音声データはあるけど、単純に兄さんを助ける為に動いたんだろうとしか言えないかな』


「そもそも、どうしてコイツはここに来ることが出来た。他のクローンはお前達の策略によって行動不能状態にあったんじゃないのか。お前の目的は俺をタオへ帰化させるために消滅させるはずだろう。アイツがここに現れたところでそれが成される要因にはなっていないじゃないか」


『それは僕がここに導いたからだよ。(プログラム)は兄さんを一人にしない為に行動する個体を補佐するようになってる。だからたとえ変換炉へ元能弾を投下しようとする(軒伯)の邪魔をすることになっても、そのベクトルが目的からズレない限り僕には手出しできない』



小さな違和感が重なり積もっていく。それが俺の思考を持ち上げ、何かを気づかせようと高さを増していく。

変換炉が低く唸る音が突然帰って来たかのように頭の中で流れ始め、先程の思考をどこかへと押し流してゆく。



「疑問が残る。お前の言っていること、やること全て、クローン全体が一人の軒軒として存在する設定から逸脱していないか。 精神に異常を来たし、機能不全を起こすのを恐れた故の調整がまるで意味を失い、真逆の行動を取っている」


『それは違うよ。僕にとっての優先順位の問題なんだ。新崑崙の維持も大切だけど、兄さんを救うことは最優先事項なんだよ。研究から、機能や記憶を制限したA、B型では望んだ結果は得られないとわかった。変化が現れた個体は内部的にα型と位置付けられて管理される……彼らは魂境に繋げても、夢や個人についての情報が失われないように保護されるんだ』


「……それはもう、同じ存在とは言えないんじゃないのか。お前の目的と、軒郎の想いが同じだったと何故判別できる?」


『一緒だよ。だって僕は軒軒で、彼等は誰よりも僕なんだ。僕たちは誰もが女王蟻になりえる超個体として存在している。そこに矛盾はないよ』



眼を閉じて、ゆっくりと息を吐き心を穏やかに保つ。

俺は今までの生活を、軒軒のクローンに囲まれて過ごした日々を、そして失ってしまった軒軒との日常を振り返っていく。



「悪いが、俺はそう思わない。お前がいくらそう考えていても、俺にはクローン達が軒軒本人であったことなど一度も無かった。……そして、クローン全てが同じ存在であるとも思えない」



眼を閉じたまま震える手で手印を構え、胸の前で結んでゆく。


一つ、後悔を捨てないため


二つ、覚悟を呑み込むため



『……やっぱり用意してあるんだね。良いの? 僕が……算盤が止まってしまったら、もうクローン達の管理は……新崑崙全体の維持が立ち行かなくなるよ。兄さん一人でどうするの? しばらくはどうにか出来ても、新崑崙の崩壊は加速度的に進行する』



三つ、業を体に刻むため


四つ、醜くも、浅ましくも、足掻くため



そして……


五つ、軒軒と、軒軒であろうとした者達を弔うために。



『そっか、もう決めたんだ……負け惜しみじゃないけれど、さっき兄さんが言ってくれたことは嬉しかったな。兄さんが軒伯と呼んでいた彼が、最期に残した言葉はプログラムの僕にも理解できる』



最後に両手を組み合わせ、印契を成立させる。

周囲の端末がやおら光を放ち、部屋の中をゆっくり満たしていく。

算盤を不正に用いられ、新崑崙に危機が訪れた時の為に組み立てていた呪術が発動する。遠隔で強制終了させるだけの単純な呪術。

本質的には封印に近く、別の端末や本体からの再起動を受け付けないように強固かつ、不可逆な術式に組み立ててある。

本来呪術とはそうであり、シンプルであるが故に強い。

それは生と死が決して覆らないのと同じだ。



『……英雄は、やっぱり兄さんじゃないとね』



軒軒を象っていた元能が周囲の光に溶け込むようにして消えていく。

一際強い輝きで満ちた後、残像を残して闇が再びこの部屋を占め、微弱な非常灯と設備の灯だけがこの区画を照らし始めた。


変換炉は俺がこの部屋で目覚めた時となんら変わらない音を放ち続ける。まるで何事も無かったかのように。



壁にもたれ込み、ズルズルと体の重みに任せて床へ座り込む。

ただただ疲れた。

忘れていた疲労や麻痺がどっと帰ってくる。


問題は残るどころか増える一方だ。

俺も新崑崙も精疲力尽といったところだろう。

それでも、まだ終わりを受け入れられない。

差し伸べられたその手を振り払って、自らここに居残ることを選んだ。

ここには英雄などいない。

無様で、臆病な、諦めの悪い科学者が一人いるだけだ。


気が付けば瞼が降りていた。

元能の光も瞳に届くことはなく、世界は色も形も失ってしまった。


床から伝わる振動音は、俺を何処へも運ぶことは無かった。






__________________________________




花が咲いている。

風が吹いて、嗅ぎ慣れない匂いがふわりと鼻を掠めていく。


色とりどりの花弁を付けた小さな花が、天禍の花の隙間を縫うようにポツポツと咲いていた。


軒軒の研究していた植物はこの地に根付くことに成功したのだろう……それが思惑通りに広がっていくかは定かではない。研究も生命も、行きつく先を予測することは非常に困難だ。


何よりも憎い筈の花を、恒に見立てたその花を見つめているとき……その時間だけは全てを忘れて故郷へ想いを馳せることが出来た。


これからはこの小さな花を、いじましく咲く花を見るたびに、俺は幼かった頃の軒軒を思い出すのだろう。



「あ、眼が覚めた? 兄さん」



いや、これは夢だ。


ゆるゆると足元の景色が流れてゆく。

ノイズが走るディスプレイのように、雑多な色が視界を埋めて縦へ流れて進んでいく。


俺は車椅子に乗せられて、見慣れた広場をゆっくりと進んでいく。

身体に力が入らず、振り返ることすら億劫に感じる。



「無理しないで。ずっと眠っていたんだから……」



慣れない違和感……音、音だ。音が聞こえる。

物が動く音、人々の声。

あまりにも遠い感覚に頭の理解が追いついていない。

俺でも、軒軒でも、夸伏でも、あいつ等の声でもない。雑多で、取り留めもない、俺が排他的に遠ざけてきた日常の音がそこかしこから聞こえてくる。


何かが近づいてくる音、駆け寄る、小さな生き物の足音。

無邪気な息遣いと、癇に障る高い声。



「こんにちは!」


「こんにちはー」



子供の声。



「こんにちは。二人とも、ここは遊ぶ場所じゃないから静かにしなきゃいけないよ」



軒軒の諭すような声。若く、懐かしい幼い頃の軒軒の声が背後から聞こえる。くすくすと何がおかしいのか、笑う子供達の声。


彼等は軒軒と取り留めのない会話を交わして去って行った。混濁した意識はその内容を頭に留めることなく流水の様に流していく……これは、夢だ。


再び、ゆるゆると足元の景色が流れていく。徐々に体の感覚が目覚めてゆく。


車椅子が進む微かな振動を全身に受けながら、枯れかかった花が水を得たかの様に体を起こしてゆく。瞼を赤くする強い刺激、陽の明かりに目を細めながら白んだ景色へぼんやり焦点を当てていく。



「ここはかなり復興が進んだんだよ。兄さんが目覚めた時に驚いて欲しかったからね。微かに残っていた遺構や残っていた資料から兄さんの故郷を出来る限り再現したんだ。住民の移住先として真っ先に手を付けたから、今では子供も沢山生まれて賑やかな村になってきたよ」



霞がかった視界が辺りの風景をゆっくり繋ぎ合わせて形を成してゆく。

見慣れた……いや、遥遠い記憶にある景色が、そこにあった。

質素な木組みと土壁の家。真新しい瓦と古く褪せた瓦がモザイク柄のようになった屋根。広大な田畑、食料を保存する素焼きの大きな甕と壺。家畜の小屋には当たり前の様に牛がいる。


道行く人々が、柔らかな表情で声をかけてくる。軒軒は慣れたように彼等とあいさつを交わし、終わればまたゆっくりと景色は動いていく。


徐々に鮮明さを取り戻した瞳に映るのは、当たり前のように日常をすごしている太陽人と……猿人達の姿だった。



「もう魂境を維持する必要も殆ど無くなったからね……開拓へ目標をシフトした時から徐々に外へ移り住んでもらったんだ。多少の軋轢やトラブルは絶えないけど、意外と大きな問題にはなってないよ。なんでかは分からないけれど、僕たち二つの種族はとても相性がいいみたいなんだよね」



魂境の維持が必要ない? 確かに背後の軒軒はそう言った。そうだ、これは夢だ。何もかもが上手く行った夢を見ているに過ぎない。



「勝手なことしたって怒られちゃうかもしれないけれど……兄さんが長い眠りについてから、僕なりの方法で天禍の対処方法を考えたんだ」



懐かしいような、それでいて全く知らないような街並みをぼんやりと眺めながら、独白のようにポツリポツリと軒軒が語り始める。


太陽人が天禍の影響を受けるのは扶桑によって齎された遺伝構造を持つためであり、それを除外した際に矮小な獣となってしまう反面、天禍の影響を受けない体質になること。

また、自身のクローン研究や俺の治験により、扶桑よる肉体構造と精神を記憶して保存できる能力と結び付けて“天禍に侵されない太陽人”を作る研究を行ったという。


まず、魂境に眠る人々から記憶や意識のデータを取る。その後、天禍に侵され変異した肉体を扶桑のコアへ投下して一体化させてしまう。

そして一部残した正常な細胞から肉体を再生させ、天禍ウィルスに抗体を持つ太陽人を新たに作る研究を行った。

これが最も時間が掛る作業であったらしく、幾億回ものシミュレーションと数えきれない試行錯誤を経てそれは完成に至った。奇しくもその切欠となったのは、天禍花と共存できる草花のDNA構造にヒントがあったらしい。

そうして気が遠くなるほどの年月を経て生まれた“新たな太陽人”の肉体の中へ、記録していた元の記憶をダウンロードさせていく。その過程で、扶桑の奔流へ意識野を接続し中を流れていた人格と肉体が結ばれて初めて“天禍を克服した太陽人”が存在したという。


記憶を肉体へインプットすればそれで充分なのではないか、と当初は考えたのだが、自身のクローン研究による治験や実際の実施結果によってその場合は精神的ダメージや障害を抱える可能性が高いことが明らかになったらしい。

扶桑を介して肉体に精神を戻した場合に限り、肉体も精神も術後安定した結果が現れ、以前と同様の生活を行うことが可能になった。



「それにね、一番懸念していた問題も同時に解決出来たんだ」



長く、長く眠りについていた太陽人の目覚め。

意識を取り戻した彼らは、余りにも変わり過ぎた環境や見知らぬ猿人達との共同生活を強いられ、過酷な地で生きることを強いられる。

長く甘い夢の世界に浸かり続け、あまりにも厳しすぎる現実を直視した彼らが暴走や暴動を起こし、法も国もない社会に適応できず復興どころではなくなる懸念があった。



「扶桑と精神を一時的に共有することで、復活した太陽人の意志は一つ上の次元の視点を持てるようになった。種としてではなく、全てを繋ぐ使命と決意。命という物の在り方や受け入れ方……個人の集合体としての生命を見る目を得たんだよ」



それは、ある意味では軒軒のクローン達に近い状態になったと言えたし、易公が望んだ種の進化とも似ていた。



開けた場所に様々な遊具や植樹が施された公園のような場所へたどり着くと、賑やかな子供達の声が聞こえてくる。小さな太陽人と、一回り大きな猿人の子供達がじゃれ合って遊んでいる姿が目に映る。



「やっぱりここに居た!」



これは、夢だ。

無意識に、声がする方へと頭が動いた。



「もう、またそんなところで本を読んで。あっちでみんなと一緒に遊ばないの?」



公園の端。大きく枝を張った広葉樹の根元で、一人の少女が何かを見上げて話しかけていた。



「折角一緒に公園へ来たのに、また父さんに怒られるわよ、“兄さん”」



夢の中で何度も見た姿がそこにある。繰り返すたびに摩耗し、朧げになった筈の記憶が確かな形を得てそこに存在している。

だが、これは、夢だ。



「うるさいな」



それが、自分の口から出たのかすら分からない。

匂いも、光も、音も、景色も、子供達も……何もかもが確かに存在しているのに、自分だけがこの世界で浮いてしまっているように感じる。


瞼が急激に重くなる。厚い雲が太陽を隠したかのように辺りが暗くなっていく……背後にあった気配が、すぐ傍へ移動していることに気が付いた。陽光を隔てたその人影は優しい声音で俺に囁いた。



「あれ?……また眠っちゃったんだね。大丈夫、もう何も心配しなくていいから。僕がちゃんとついてるからね……兄さん」




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