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第4話:ビルの谷間の寂れた神社と、橘先輩の秘密、そして動き出した運命

ビル群が立ち並ぶ大通りから少し細い脇道へ入り、さらにいくつかの路地を抜けると、突如として小さな丘が俺たちの前に現れた。


丘には頂上へと続く石段があり、見上げると、よくあるものより一回り小さな鳥居がぽつんと建っているのが見えた。


「上がろっか。神社、この上にあるから」


橘先輩は丘の頂上を指さし、軽い足取りで石段を登り始めた。

先輩の案内がなければ、こんな高層ビル群のど真ん中に神社があるなんて、絶対に気づかなかっただろう。


橘先輩は、いわゆる『スピリチュアル』や『神頼み』が大好きな人だ。

彼女のデスクには小さな仏像や御守りなどのグッズが並んでおり、若い女子社員と今日の星座占いの結果で盛り上がったり、ラッキーアイテムを常備したりしているのは社内でも有名な話だ。


普段から「あそこの神社が超ご利益あるのよ!」と熱弁しているのを聞いていたが、この迷いのない足取りを見るに、通勤の合間を縫ってこの小さな神社にも幾度となく通い詰めているのだろう。


「橘先輩って、やっぱり神様の存在を信じてるんですか?」


俺は先輩の背中を追いかけながら、自分のバッグに入っているあの『ガラケー』の存在を思い出し、普段の会社では絶対に口にしないような質問を投げかけていた。


「もーちろん、信じてるわよ!」


少しデリケートな質問をしてしまったかと思ったが、先輩は不快になるどころか、まるで十代の少女のように無邪気な笑顔を見せた。


「だって、もし神様がいなかったら、この世界はどうやって生まれたのよ?」

「現代科学が、そこはかなりハッキリと説明してくれてますけどね」

「私の今日のラッキーカラーは『紫』だったんだけど、この紫のヘアピンをつけてきたから、こうしていい事(会議キャンセル)が起きたのよ」

「それはただの偶然じゃないですかね!?」

「心配しなくても大丈夫よ、日向くん。いつか必ず神様が降臨して、私たちみたいな働きすぎの社畜を救ってくれるんだから」

「先輩、もしかして何か変な宗教にでもハマってます……?」


俺の漫才のようなツッコミに、橘先輩は声を出して笑ったが、すぐにまた真剣な表情に戻った。


「冗談はさておきね。わざわざ時間を割いて参拝に来たり、自分の運勢を気にするのって、いざ幸運が舞い込んだ時に『ただ運が良かった』で終わらせないためでもあるの。ちゃんと神頼みする努力をした自分を褒めてあげられるし、メンタル的にも前向きになれるじゃない? それにね……」


石段を登り切り、頂上に着いた先輩が俺に向かって手を差し伸べた。

背後から差し込む朝日のせいで、逆光に包まれた彼女の姿は、まるで聖女のように神々しく見えた。


だが、その表情は――どこかひどく、寂しそうだった。


「『信じている』というより、『信じたい』のよ。もしこの世界に神様がいなくて、私たちの理不尽な努力を上位の存在が見てくれていないとしたら……いつまで経っても運命が好転する日なんて来ないとしたら……それって、あまりにも絶望的じゃない?」


こういう時、コミュ力お化けのイケメンなら「俺は先輩の努力、ちゃんと見てますよ」とか「運命は自分の手で切り開くものです」なんて気の利いた(そして薄っぺらい)セリフを吐けるのだろう。

だが、先輩のその落寞とした瞳を見つめていると、俺の口からは気の利いた言葉なんて一つも出てこなかった。


俺はただ無言で、差し伸べられたその手を握り返し、頂上へと足を踏み入れた。


そこは、すっかり寂れて誰の目にも留まらないような、小さな神社だった。

敷石の間からは雑草が生い茂り、手入れされている形跡はない。鳥居の朱色の塗装は所々剥がれ落ちており、まるで円形脱毛症を患った老人のようで少し痛々しい。


「宮司さんが半月に一度くらい掃除に来るらしいんだけど、普段はまず誰ともすれ違わない穴場なのよ」


橘先輩は慣れた様子で手水舎(てみずや)で手を清め、辛うじて神社と呼べるほどのこぢんまりとした社殿へと向かった。

拝殿には御神体が祀られ、注連縄(しめなわ)御幣(ごへい)が飾られ、手前には賽銭箱が置かれている。それらがなければ、ここが信仰の場であることすら分からないかもしれない。


先輩はチャリンと硬貨を投げ入れ、目を閉じて静かに手を合わせた。

俺もそれに倣って硬貨を投げ入れたが、真剣に祈りを捧げる先輩の横顔があまりにも神聖で、会社で見せる姿とのギャップに、思わず見とれてしまった。


「日向くん? なにお願いしたの?」


俺がぼんやり突っ立っているのを見て、先輩は参拝が終わったのだと勘違いしたらしい。


「えっと……残業が減りますように、って」

(先輩の顔に見とれて祈るのを忘れてました、なんて死んでも言えない)

俺は適当な嘘で誤魔化した。


「橘先輩は、何をお願いしたんですか?」

「内緒。人に言っちゃったら、ご利益がなくなっちゃうでしょ?」

「えっ、じゃあなんで俺には聞いたんですか!?」


理不尽な先輩の態度に抗議すると、彼女はフフッと笑って神社の隅を指さした。

そこには小さな授与所があったが、神職の姿はなく、お守りなどの品物も置かれていなかった。


「あそこ、おみくじが引けるのよ!」


先輩はそう言って、俺の腕を引いて授与所へと向かった。

(無人の神社のおみくじなんて、勝手に引いていいのだろうか……?)


「まずは日向くんから引いてみて!」


促されるままに、俺は木箱からおみくじを一枚引いた。

開いてみると、結果は『大吉』だった。


「見せて見せて! すごい、運いいじゃない!」


こういうオカルト要素が本当に好きなのだろう。先輩は身を乗り出すようにして俺の手元を覗き込んできた。

肩と肩が触れ合いそうな距離。俺の心拍数は一気にレッドゾーンに突入し、先輩から微かに柑橘系のいい香りが漂ってくるのを感じた。


『身近な人を大切にすれば、思わぬ展開があるでしょう』


おみくじの「待ち人・恋愛」の欄には、そう書かれていた。


身近な人……。


俺が無意識に隣の橘先輩に視線を向けると、なんと先輩もこちらを見つめており――二人の距離は、あと数センチでキスしてしまいそうなほど近かった。


「っ……!」

先輩はハッとして顔を赤らめ、慌ててパッと距離を取った。


「あ、あははっ! あんまり気にしなくていいのよ、おみくじの文面なんてどれも似たようなものだし!」

誰に対する言い訳なのか、先輩は早口でまくし立てる。


くそっ、こんな最高の雰囲気の時に、俺の貧弱な語彙力は完全にフリーズしてしまった。ソシャゲの主人公ならここで甘いセリフの一つでも吐けるのに。俺って本当にダメなやつだ。


「そ、それで、先輩のおみくじはどうだったんですか?」

なんとか話題を逸らそうと尋ねると、先輩は自分のおみくじを開いた。


結果は『凶』だった。


「「あ」」

俺たち二人は、その場で完全にフリーズした。


「せ、先輩……」

「だ、大丈夫よ! 私が今までどれだけおみくじ引いてきたと思ってるの? たまにはこういうハズレもあるわよ!」


逆に先輩に気を遣わせてしまっている。それでも、彼女の顔からは隠しきれない落胆の色が滲み出ていた。


ダメだ、ここで俺が何か言わないと!


「お、俺、実はおみくじの結果なんて、大して重要じゃないと思ってるんです……」

「へえ? じゃあ何が重要だって言うの?」

先輩が片方の眉を上げた。


俺は、先ほど石段の上で先輩が言った『私たちの努力を上位の存在が見てくれていないとしたら』という言葉を思い出していた。


「たとえば、えっと……良い運気を引き寄せるために、俺たちがこうして努力している姿を、ちゃんと神様が見てくれているかどうか、とか……」


自分でも何を言っているのか分からない。説得力ゼロの苦しい言い訳を続けながら、俺はチラリと手元の大吉のおみくじに目を落とした。


「それに……おみくじを引く時、誰が隣にいてくれたか、とか……」


寂れていたはずの神社の空気が、さらにピンと張り詰めたように凍りついた。

やっちまった。これ、完全に告白(プロポーズ)みたいなセリフじゃないか。


先輩は目を丸くして二秒ほど固まった後――突然、吹き出すように大笑いし始めた。


「あはははっ! 日向くん、今のセリフ、女子高生相手に言ったら絶対モテるわよ!」


見事に茶化されてしまったが、話題を逸らすことには成功した。いや、待てよ? これって逆にチャンスなのでは?


「じゃあ、先輩相手なら……?」

「うーん、私くらいの大人の女相手だとね……」

先輩は思わせぶりに顎に手を当てた。


「『ただのお世辞』プラス『ちょっと残業のストレスでおかしくなっちゃったのかな?』って思われるわね」


……やっぱりダメか。

俺の頭は、糸の切れたマリオネットのようにガクンと項垂れた。その情けない姿を見て、先輩はまたクスッと笑った。


「でも、ちゃんと覚えておくわ」

俺は勢いよく頭を上げた。


「今日の朝、誰と一緒にこのおみくじを引いたか、ね」

先輩は両手を後ろで組み、少し悪戯っぽく、それでいて高校の時に密かに片思いしていた同級生を思わせるような、無防備で眩しい笑顔を俺に向けた。


「……橘先輩、今日、俺の人生で一番幸運な日かもしれません」

「大げさねぇ!」


先輩は顔を少し赤くして、照れ隠しのように手をひらひらと振った。


「もしかしたら日向くんには、本当に神様が憑いてるのかもね!」


先輩のその言葉と眩しい笑顔に完全に心を奪われていた俺は、バッグの中にあるあのガラケーが、たった今『ブルッ』と短く震えたことに、全く気づいていなかった。

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