第11話:既読スルーの真意と、窓際神様の不器用な優しさ
「お、おかえり」
自室のドアを開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
神菜はあの奇抜なOL巫女の格好ではなく、ダボダボのオーバーサイズのTシャツ一枚だけを着て、俺のベッドにうつ伏せになっていた。膝まですっぽりと隠れそうなTシャツの裾から、無防備で真っ白な太ももを露わにし、両足をパタパタと交互に揺らしながらスマホを弄っている。
……いや、ちょっと待て。あれ、俺のTシャツじゃないか?
しかも、よりによって『エルノ』がデカデカとプリントされているフルグラフィックTシャツだぞ!
「あっ、これ? どうせアンタ、外に着ていく勇気ないでしょ? だからパジャマ代わりに借りてあげたわよ」
「……それ、着る用じゃなくて観賞用のコレクションなんだけど」
「ケチねぇ! 私が今日、どれだけアンタのために尽力してあげたと思ってるの?」
神菜はスマホを放り投げると、ベッドの上でゴロンと仰向けに寝転がり、相変わらず起伏のない胸を張って、ドヤ顔を決めた。
「ったく、神様に対する畏敬の念がカケラもないわね」
「毎日既読スルーしてくるポンコツ神様の、どこをどう畏敬しろって言うんだよ」
俺は憎まれ口を叩きながら、帰りのコンビニで神菜に「買ってこい」と命令されていたツナマヨサンドイッチを投げ渡した。
「既読スルー? ああ、コレのこと?」
神菜は自分用のガラケーを取り出し、俺とのトーク画面を開いて見せた。
『もう会社辞めたい』
「「…………」」
俺がここ数日、深夜の帰宅中に何度か彼女宛に送っていたメッセージだ。
見事に全部、既読スルーされている。
「こういう、社畜が深夜のテンションで送ってくる感傷的な願い事はね、私は通常、最低でも二十四時間は静観することにしてるのよ」
「なんでだよ」
……まあ、理由はなんとなく察しがついているが。
神菜は俺を見て、少しだけ真剣な目つきになった。
「もしアンタが、明日のお昼、完全にシラフで頭が冴え渡っている状態でもう一度同じ願いを私に送ってきたら、その時は本気で叶える方法を検討してあげるわ」
神菜はサンドイッチの袋を破り、モグモグと頬張りながら言葉を続けた。
「神菜様の『職場の豆知識』を教えてあげる。本当に限界を迎えて辞めたい社畜はね、SNSで愚痴る暇があったら、すぐに行動に移すの。毎日『辞めたい辞めたい』って呪文のように唱えてる連中に限って、実際には辞める行動力なんて微塵も持ち合わせてないのよ」
神菜はベッドの上で胡座をかき、俺をビシッと指さした。
「私から見れば、アンタは完全に後者のタイプよ。そんな一時の感情でポロッとこぼした愚痴を、私が真に受けて本当に『明日会社が倒産する』とか『強制的に無職になる』ように因果を操作してあげたら、アンタ、絶対に後悔するでしょ?」
「…………」
ぐうの音も出ない正論だった。もし本気で辞める覚悟があるなら、俺はとっくの昔に辞表を叩きつけている。
深夜、疲労とストレスでメンタルが削られている時は、どうしてもネガティブなことばかり考えてしまう。
だが、いざ朝になって行動を起こすべき時が来ると、最も重要なその一歩がどうしても踏み出せないのだ。
もし辞めた後、次の仕事が見つからなかったら?
転職先が、今よりもっと酷いブラック企業だったら?
もし本当に引きこもりのニートになってしまったら、周りの人間は俺をどう見るだろうか?
そんな不安ばかりが頭をよぎり、結局「もう少しだけ我慢して様子を見よう」と、現状維持という名の逃げに走ってしまうのだ。
「まぁ、そんなに落ち込む必要はないわよ。アンタみたいな人間、下界には山ほどいるんだから」
神菜はそう言って、数百年(?)の社畜経験を積んだ大先輩としての貫禄を見せた。
「誰もがそうやって、職場の理不尽や自分の弱さと向き合って、少しずつ対処法を学んでいくものなのよ。この大女神様が、きっちり導いてあげるから安心しなさい」
「また上から目線かよ」
「いい? 私から言わせれば、魔法で願いを叶えることより、クライアント自身が『成長』するように導くことの方が、何百倍も価値があるの。だって、私が一生アンタだけの担当神様でいられる保証はないし、永遠に願いを叶え続けてあげることもできないんだから。でも、アンタ自身が精神的に成長すれば、勝手に人生の意義を見つけて、幸福度なんて自然と上がっていくでしょ?」
相変わらず偉そうな口調だ。だが、俺が一番触れられたくない弱さを、彼女は絶対に責めたりはしなかった。ただ、「誰もが通る人生の通過点だ」と、あっけらかんと言ってのけたのだ。
神菜のその言葉は、温かいスープのように俺の心に染み渡り、自分の不甲斐なさに対する焦りや自己嫌悪の火を、優しく消し去ってくれた。おかげで、張り詰めていた肩の力がスッと抜けるのを感じた。
「じゃあ、今日の昼休みの件は?」
不器用な俺は、この気恥ずかしい空気から逃れるように話題を変えた。
「『橘先輩とランチに行けますように』っていう、至極真っ当な願いまで既読スルーした理由は?」
「何度も言わせないで。願いを叶えるには、因果と運勢の調整が必要なの! どんな願いでもノータイムでホイホイ叶えられるなら、最初からアンタを大富豪にしてるわよ」
神菜は食べ終えたサンドイッチのゴミをビニール袋に突っ込み、腕を組んだ。
「でもまぁ、絶対に不可能ってわけでもなかったから、裏で必死に『どうやったら自然な流れで叶えられるか』のシミュレーションを回してたのよ!」
「だったら、スタンプの一つでもいいから返事くらいしろよ!」
なんだ、ただの業務連絡を怠る悪癖じゃないか。
「でも、その直後にアンタが『先輩をランチに誘うチャンスをくれ』っていう、もっと難易度の低い願いにダウングレードしてくれたから、すぐに叶えてあげたじゃない!」
神菜は俺の抗議を完全に無視して話を続ける。
「結果的に、三浦ってヤツに横取りされたけどな」
「それはアンタの初動が遅かったのが悪いのよ。その後の『トークスキルを上げろ』っていう無茶振りには、既読スルーじゃなくてハッキリと『却下』って答えてあげたでしょ?」
必死に自分の正当性を主張する神菜を見て、俺はふと、別の疑問を抱いた。
「そういえば、お前って毎日何をそんなに忙しく残業してるんだ?」
彼女の正確な退勤時間は知らないが、ここ数日、俺より神菜の方が帰りが遅いこともあった。
俺のようなド底辺の社畜と比べても、明らかに彼女の労働時間はバグっている。
「お前、『最終顧客対応課』で俺一人しか担当してないんだろ? 俺がたまに小さな願い事をしたからって、毎日そんなに深夜まで残業になるわけないだろ!」
「アンタねぇ……私の仕事をなんだと思ってるの! 願いを叶えるために、何十パターンものシミュレーションを回して、あちこちの部署に頭を下げて因果の融通をしてもらってるのよ!?」
神菜は、自分の苦労を分かってくれない上司にキレる部下のように、ピーチクパーチクと文句を並べ立てた後、深くため息をついた。
「まぁ、それはいいわ。実は私、アンタの担当以外にも『雑務』を押し付けられてるのよ。電車の遅延時間の微調整とか、コンビニのクジの当たり確率の調整とか、特定のエリアの天気の微調整とか……あとは、食堂の環境の調整とかね。こういう仕事は、お賽銭も入らないし、誰からも感謝されないし、インセンティブも出ない。完全に左遷組に押し付けられる『罰ゲーム』なのよ」
「……え? それ、ただのタダ働きじゃないか?」
「神界の用語では『部署間協力』って呼ぶの。これが会社組織よ。ヒマな社員がいるなら、そいつに他の部署の溢れた仕事を押し付ける。極めて合理的なシステムでしょ?」
……あまりにも、あまりにもリアルすぎるブラック企業の構図だ!
「ちょっと待てよ。食堂の環境微調整って……まさか」
「ん? ああ、アンタがどうしても『話題作りのキッカケが欲しい』って泣きついてきたから、どうせやらされてる雑務の権限を『職権乱用』して、あの昭和の曲を流してあげたのよ」
神菜はペロッと舌を出して、悪戯っぽく笑った。
すぐ既読スルーするし、口も悪いし、態度もデカい。
でもこの神様は、文句を言いながらも、他の部署から押し付けられた理不尽な雑務の権限すら利用して、見えないところで俺のために動いてくれているのだ。
「……ありがとうな、神菜。これからも、よろしく頼むわ」
「ふんっ、この大女神様に、ぜーんぶ任せておきなさい!」
神菜は相変わらず偉そうに胸を張ったが、そのドヤ顔が、今の俺には全く嫌なものには見えなかった。
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