第9話:地獄の沈黙ランチと、神様のBGMテロ、そして小悪魔の暗躍
社員食堂――。
「橘先輩、何食べます? 私、先にこのカレーライスの割引券もらっちゃいますねー」
三浦は手に持っていた割引クーポンの束を扇のように広げて橘先輩に見せると、素早く一枚を抜き取った。
「じゃあ、私はこのうどんのヤツにしようかな! 美咲ちゃん、ありがとね」
先輩も嬉しそうに一枚を受け取る。
「おっ、じゃあ俺も……」
俺が便乗して手を伸ばそうとした瞬間、三浦はサッと残りのクーポンを自分の懐へと引っ込めてしまった。
「日向先輩の分はありませーん」
彼女はわざとらしく唇を尖らせてみせた。
「お前、どんだけケチなんだよ……」
(まさか、朝の『ガラケーの秘密教えろ事件』をまだ根に持っているのか?)
俺は渋々自腹で『白身魚の香草焼き定食』のボタンを押し、配膳カウンターへ進んだ。
しかし、出てきたのはメニューのサンプル写真にあったような香ばしい焼き目など微塵もない、ただの『水に浸かった茹で魚』のような物体だった。
おいおい、写真との落差が激しすぎないか!? これ、消費者庁に虚偽表示で通報してもいいレベルだろ!
とはいえ、橘先輩や三浦を待たせるわけにもいかない。俺は諦めてトレイを受け取り、二人の後を追った。
「美咲ちゃん、こんなにたくさんのクーポン、どこで手に入れたの? 今度私にも取り方教えてよ」
「えへへ~、これは私の『極秘ルート』なんで秘密ですぅ。橘先輩が欲しい時は、いつでも私に言ってくださいねっ」
どうせ、社内一の愛嬌を誇る三浦のことだ。配膳のおばちゃんか総務のお局様あたりに取り入って、こっそり融通してもらっているのだろう。
くそっ、俺にもそのコミュ力があれば、「クーポン余ってるんで、一緒にランチ行きませんか?」と先輩を毎日誘う口実ができたのに。
俺たちは窓際の明るいテーブル席を確保した。橘先輩と三浦が並んで座り、俺がその向かい側に座る形になった。
「「「…………」」」
……凍りついた。
席に座り、いざ箸を持ち上げた瞬間、さっきまでキャッキャと盛り上がっていた橘先輩と三浦の会話が、ピタリと止まってしまったのだ。
テーブル全体が、息が詰まるような気まずい沈黙に包まれる。
な、なんだこの状況!? 橘先輩はともかく、チーム一のムードメーカーである三浦が話題を振らないなんてこと、あり得るか?
俺がチラリと正面の三浦に視線を送ると――彼女は箸をくわえながら、目を細めてこちらを見て、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていた。
(こいつ……っ! 俺が先輩の前でテンパって自滅するのを、わざと黙って見物してやがる……!!)
マズい。非常にマズい。
もしこのまま、まるでお通夜のような空気でランチが終わってしまえば、橘先輩に「日向くんとのご飯、息が詰まるし全然面白くないわ」とレッテルを貼られ、二度と一緒に食事に行ってくれなくなるかもしれない!
何でもいい! 早く何か気の利いた話題を捻り出さなければ!
しかし、プレッシャーに弱い俺のポンコツ脳内は、完全にショートして真っ白になっていた。
俺はテーブルの下で、隠し持っていたガラケーをブラインドタッチで必死に叩いた。
『頼む! 今日の俺のトークスキルを爆上げして、この場を爆笑の渦に巻き込めるようにしてくれ! 最悪、会話が弾むだけでもいい!』
送信後、ものの数秒で神菜からのメッセージが返ってきた。
『昼休みくらい休ませなさいよ(#`Д´)ノ』
……!?
今まで『申請を受理』などとやたらお堅いビジネス用語で返信してきていたあの窓際神様が、唐突に顔文字を使ってきやがった。
これ、完全に『昼寝を邪魔されてキレてるOL』の反応じゃないか!
いやいや、こっちは社会的な死がかかった大ピンチなんだぞ! クライアントの幸福のために、昼休みの数分くらいサービス残業しろよ!
俺は今、自分が最も嫌悪している『無茶振りをしてくる理不尽なクライアント』そのものになり果てていた。
『却下。人間の人格や思考能力を直接改変するような因果操作は、コンプライアンス違反よ』
「人格の改変」ってなんだよ! つまり「お前は生まれつきユーモア細胞ゼロの陰キャなんだから、急に陽キャみたいに喋り出したらバグるだろ」ってことか! ……正論すぎて何も言い返せないのが悔しい。
『でもまぁ、会話の「キッカケ」くらいなら、物理的に作ってあげてもいいわよ』
神菜のそのメッセージを受信した次の瞬間。
社員食堂に静かに流れていたBGMがブツッと途切れ、唐突に『一昔前のめちゃくちゃダサい昭和の歌謡曲』が、耳をつんざくような大音量で流れ始めた。
「ぷっ……あはははっ! なにこれ、いつの時代の曲!? 社食の有線、急にバグったんですけど!」
俺の自滅を待ってわざと黙っていた三浦でさえ、このあまりにもシュールなBGMテロに耐えきれず、思わず吹き出してツッコミを入れた。
橘先輩もクスッと笑って口元を押さえた。
「ふふっ、これ、私が大学生の頃にちょっとだけリバイバルヒットした曲だわ。懐かしい~」
先輩はそのまま、自然な流れで俺の方に顔を向けた。
「日向くんはどう? 学生時代って、どんな音楽聴いてたの?」
(来たっ! これが神菜の言っていた『キッカケ』か!)
俺の人格は弄れないが、周囲の環境をバグらせることで、相手から強制的に話題を振らせるという荒業。
「あー……俺、その頃はガチのインドア派だったんで、毎日アパートに引きこもってゲームしたりアニメ見たりしてましたね。だから聴いてた音楽も、深夜アニメのOPとかEDばっかりでしたよ」
俺は変に見栄を張ってもボロが出ると思い、ありのままの悲しい青春時代を暴露した。
「へぇ~、そうなんだ」
オタク文化に全く触れてこなかったであろう橘先輩は、俺の返答にどうリアクションしていいか分からず、困ったように相槌を打った。
(しまった……俺、また『話題クラッシャー』を発動させちまった……!)
「あははっ! 日向先輩、絵に描いたような標準的な『オタク』じゃないですか! だから今でも、あんな二次元美少女のソシャゲに課金しまくってるんですねぇ」
すかさず三浦が俺の傷口に塩を塗り込んでくる。
「う、うるさいな! お前には関係ないだろ!」
この重厚な世界観と緻密なシナリオが理解できない一般人に、俺の尊い趣味を語る言葉など持ち合わせていない。
「日向くんって、普段はどんなゲームやってるの?」
俺が必死にオタクを隠そうとしているのに、なぜか橘先輩は逆に興味を持ってしまったようだった。
「あっ、いや、別にたいしたもんじゃないですよ。ちょっとした暇つぶし程度の……」
(もし俺が『露出度高めの美少女のお触り機能があるソシャゲ』をプレイしていると知られたら、絶対にゴミを見るような目で見られる!)
「私が教えてあげますよ! 日向先輩ね、実は……」
俺の焦りを察知した三浦が、ニヤニヤと悪党のような笑みを浮かべながら先輩の耳元に身を乗り出した。
「ちょっ、お前、適当なこと吹き込むなよ!!」
俺がテーブル越しに三浦を止めようと立ち上がりかけた、まさにその時。
『ブルルルルッ!』
橘先輩の社用スマホが震えた。
「あ、ごめんね。はい、橘です。……はい、承知いたしました。すぐに戻ります。失礼いたします」
先輩は電話の相手(おそらく上司)にテキパキと返事をすると、手付かずだったうどんを少し残念そうに見つめ、急いでトレイを片付け始めた。
「ごめんなさい二人とも! さっきのオンライン会議が終わったみたいなんだけど、上司から追加の指示が出ちゃって。私、先に戻るね」
「あっ、全然大丈夫ですよ! 先輩、お仕事頑張ってくださいね!」
気のせいだろうか? 橘先輩が離席した瞬間、三浦の声のトーンがワントーン上がり、明らかに機嫌が良くなったように見えた。
「じゃあお先に。日向くん、ゲームの話、また今度ゆっくり聞かせてね!」
先輩は俺に向かってパタパタと手を振り、足早に食堂を後にした。
(……助かった)
ゲームの話題を深掘りされるのは完全に地雷だったが、「また今度」をゲットできたのはデカい。
これもすべて、結果オーライ。神様のおかげ(?)というやつだろう。
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