第8話 お帰りください、『お客様』
「ほっ!」
噴出するスモークを突っ切って飛び出した結華は、杖を受け取りつつ店に襲いかかる存在を確認する。
接近して視認できたのは、ドロドロに溶けたクリームに包まれた、不定形をした失敗作のような物体の数々だった。
現在フライパンで応戦する男性と比較するまでも無く大きい。殴打を躱し少し後退する不定形が揺れ動く度、その場にクリームが垂れ落ちる。
それだけならまだ良い。地面に落ちたクリームは溶けていくと共に臭ってくる。強烈という程では無いが、あまり嗅ぎたくは無い類の臭いが。
「……くさい」
残り5mでもなるべく鼻を抓んでおきたい異臭に顔を顰めつつ、浮遊する菓子へ向かって飛び込み。スライムで大きくなった右腕で菓子の1つを殴り飛ばす。
回転しながら飛んでいくそれを、付着したスライムが包み込み。少し潰すと半透明の紫の中で爆発した。
突然の出来事で、男女共々驚く。
「なっ、君は?」
「話はあと。あれをたおせばいいよね?」
「オォ、助かりマス! ケド君、ソノ腕…」
「えっ。あっ……うぅ」
殴った相手が不定形故に、右手にクリームの一部が付着してしまっており、それすらも異臭を放っている。
臭いが近いと不快感が増してくる。渋々結華はクリームの付いた部分を切り離し、先程と同じ要領で包み込んでから遠くに飛ばす判断を下した。
臭わなくなったところで、結華は仕切り直す。
「あのどろどろからはなれるとにおってくるみたい……お兄さんと、お姉さんはだいじょうぶ?」
「ああ、今のところは。仕事着に付かないよう気を付けるよ」
「ワタシは店の中を見張るヨー。裏口カラ入てクると困るカラ…」
「臭いか……エリー、あれを取ってきてくれるか!」
「分かたヨ~」
焦らず、されども急ぎ足で言われた物を取りに店の奥に入っていくエリーと呼ばれた女性を一瞥し、結華達は宙に浮かぶ失敗作の数々に視線を戻す。
様子を伺うような、その場に留まる姿からして被服の異形のような積極性は無い。が、ケーキ店へ近づきつつある事と、垂れ落ちたクリームから異臭が生じる事は看過出来なかった。
「このぶったい。いつ出てきたの?」
「ついさっきさ。仕込みの最中に外から変な臭いがして、見てみればこんなのが近づこうとしてたんだ」
「このまえは、シャツとかズボンのバケモノが服屋さんをおそってた」
「なんだって? 向こうも大変な事になってるな……って、今はそんな場合じゃない。手伝ってくれるんだろ?」
「うん。まかせて」
杖を突き刺し出現させるDJシステム。今回はクロスフェーダーを右に寄せつつ、ターンテーブルの手前に配置された縦横2×4のボタンの数々――正式名称をパッドと言う物――に手を置く。
たった数秒での出来事だが一部始終を見ていた筋肉質の青年が感嘆の声を漏らす。
上段の左から2つ目のボタンをBPMに合わせ連続入力すれば。重厚な音に合わせギザギザとした衝撃波が入力の回数分発生し、失敗作の数々へ飛んでいった。
それらは不定形を揺さぶりながら自身の向かう方向へ押し飛ばし、更に店から後退させる。
多少なりとクリームが撒き散らされたものの、その落ちたクリームすらも衝撃波が消し飛ばす。
効果的な対処を目にして、結華の背後から「すごいな…」と短い声が。
押し飛ばしたのは良いものの、まだ不定形そのものに有効打を与えた訳では無く。
複数体を纏めて攻撃された事に反応し、不定形にそれぞれ存在する口が大きく開いた。
行動の変化は即ち、起きる出来事の変化でもあり。
『『『■■■■■■ーーーーッッ!!』』』
大凡、現実に形容出来るものは無いような耳を劈く絶叫。それが大合唱となって結華達を襲うも、DJシステムを中心に展開する結界が音の威力を抑えた。
口周りのクリームを吼えながら撒き散らす様は唾を飛ばしているかのよう。形の悪い失敗作を更に崩したような容姿と相まって、外見の醜さがより増した。
嫌悪すべき存在ではあるのだが、思い当たりのある青年は結華に耳打ちする。
「…もしかして、あれらって廃棄処分になった菓子類が化けて出たものだったりする?」
「しらない。でも、かんけいないと思う……」
被服の異形と同じ存在だと仮定するならば、向こうで売り場である店を襲撃した事実に説明が付かない。
少しも唆られない、異臭を放つクリームを纏う崩れた何かをお菓子の成れの果てと考えたく無いのもあり、結華は無関係と言い張る事にした。
咆哮が終わった直後、結華や店に向かって不定形の数々は、口からクリームを噴き出してくる。
「!!」
球体状の結界を増設し、大量のクリームを店に当たらないよう受け止めるが、本体から離れた以上異臭に変化する問題が付き纏う。
パッドのボタン入力で発生させられる衝撃波で消し飛ばせるも、クリーム噴射が終わる気配が無い。
異臭を嗅ぎすぎたあまり気分が悪くなってくる。紫の濃くなった顔で青年を見やれば異臭の影響を軽減すべく鼻周りを手で覆っている。
早く対処しなければ。イコライザーの調整で弾の性能を変えてスクラッチ。擦る右のターンテーブルから衛星付きの球体弾を射出し衛星をクリームに当て起爆し、球体弾に誘爆させる。
二段階爆破を連鎖させクリーム噴射に対応出来る状況を作ったのは良いものの、絶えず異臭の影響は受け続けている。
気分の悪さが更に悪化し、体調の悪化という形で集中力が乱れそうになった時、彼女の背後から突如顔全体に覆いかぶさる物が――。
「頭ソノママ。……ウン、良しネ」
直後に聞こえてくるくぐもった、ぎこちない発音の女性の声に従い。帯状の物体が擦れる音が聞こえたと思うと、異臭が彼女の嗅覚から遮断される。
頭の向きを変えないままアクションを続けていると、エリーと呼ばれた女性がフルフェイスのガスマスクでレンズ越しに結華の顔を覗き込みながら手を振った。
「こんなコトしか出来なくてゴメンネ。…クサイの、気にならなくなたデショ?」
申し訳無さそうな振る舞いではあるものの、結華は心が温まる感覚を抱く。
続いて、少しふらついた体を先程の青年が支える。勿論フルフェイスのガスマスクを付けた姿で。
「任せきりですまないな。…何か、手伝えることはあるかい?」
「……じゃ、そのまま体をささえて。わたしのそばで、見ていて……」
店の危機を代わって対処する結華を、出来る手段で支援してくれている。体調を崩した今ではそれが何よりも心強い。
ガスマスクを付けてもらった事でフードが外れてキャップも大きくズレているが関係無い。
ただ、現時点での最善を尽くすのみ――――。
「…大丈夫かい?」
「…うん。行ける――」
今に合ったBPMで。速度に沿った音の調整で。適したアクションを。
クリームを衝撃波で消し飛ばし、球体弾の通り道を確保する。そして高速で撃ち出される球体弾の数々が不定形の数々へ届き、連鎖爆発によって跡形も無く消し飛ばした。
残骸による残り臭すら許さない無慈悲の弾幕に恐怖したか、急遽不定形の一体が同族を取り込んでいき、爆発を受けながらもクリーム塗れの巨大な人型に変化する。
変形合体を完了させ直ぐ様ケーキ店に向かって駆け出していくも、散々異臭を嗅がされ続けた結華は手を止めない。
距離が縮んだ事で過密していく球体弾が風圧で浮かび上がり、人型に纏わり付くような並びとなる。衝撃波で足を削り取るの合図に、人型を取り囲むそれらが光り出し。
花火の終わり際のような音と共に人型が消滅するのはたった一瞬だった。
消滅した直後、結界や床にこびり付いていたクリームすらも消失する。ガスマスクを脱いでもクリームの異臭は何処にも無く、襲撃を受けたのが嘘だったかのように静かになった。
エリーがはしゃぎ青年が喜ぶ一方で、疲れた様子の結華は青年に支えられながら目を閉じる。
「お疲れサマネ、ゆっくり眠てネ」
気付いた女性が掛けた声が、今の結華にはとても心地良く響くのだった。
「はァ、はァ、はァ……」
その日の夕方。沈みゆく夕日を背後に、肩で息をする汗だくの少年が1人。
荷物を放り出し、身軽になった状態で戦いを終えたばかりのジンだった。
鈍い痛みの走る右手をもう一方の手で押さえながら、ブリキ製と思しき壊れた人形を睨む。
首のへし折れた、もう動かないそれが粒子状となって消えていくのを目の当たりにし、険しくなっていた灰色の目にようやく穏やかさが戻る。
「まさか、1体倒すので精一杯とはな……」
帰り道で起きた、突発的な異変。小さな罅割れから漏れ出た灰色の粘体が変化し発生した人形が、当時付近に居たジンに襲いかかってきたのだ。
擦り傷や軽い打撲痕だらけになりつつも、どうにかダメージをその程度に押さえて倒した。
時計を見ると、襲撃から既に1時間は経過していた。暗くなってきたのもあり、早く帰らなくては、と彼は思う。
「ユイカは急成長したが、オレはあの時から変わらずか……」
そんなものか、とは思いつつも。もっと良い結果になったのでは、と心が訴える。
しかし、手段は思い付かない。痛む体を引きずる彼を、段階的にライトアップされていく街をも沈みゆく夕日は平等に照らしていた。




