第55話 『歯痒さ』を知る
「それで、『魔深界』に行くって話だったわね」
お互いに向き合うように配置された2つのソファ。その内一方にユドゥ、ロギィ、タルチの順で座り、背面側へヨウヘイが立つ。
もう一方に結華が座り、ロギィと結華が会話していた。――時折頰が青く腫れ上がって、痛みに呻いているユドゥを見つつ。
「うん。すぐにじゅんび出来る?」
「それはワタシの決める事じゃないわね。タルチ、どうなの?」
「えっと。――うん、問題無いよ」
2つの世界を接続する『ゲート』を作り出せるのはタルチのみで、そのタルチが問題無いと言う。
では早速、と結華が立ち上がろうとしたのを、ロギィが手で制した。
「待って。此処では出せないわ。一旦外出ましょう」
「どうして?」
「ある程度開けた場所が良いのよ。そうね、『ゲート』の中心から、こっちで言うところの5mくらいかしら。部屋の中にそこまでのスペースは無いでしょ?」
「そうなんだ」
「それに、確かめないといけないでしょ。ユイカが『ゲート』を通れるかどうかをね」
「たしかに…」
「こっちから出ても良いかしら?」と結華に尋ね、許可を貰った後に『オヒメサマ』達が開けたのは裏庭へ出るガラスの引き戸。
少女達は出てから、ある程度開けた空間を確保したタルチが右手を目の前へ出す。
「じゃあ、行くね」
彼女が念じると、頑丈に見える枠組みが出現し、それが展開する。
展開した枠組みの内側に、波紋のように揺らめく力場が発生し始めた。
これを潜り抜けた先に『魔深界』があるのは明白だろう。
彼女達に続いたヨウヘイが問う。
「もうお帰りになるので?」
「帰るかどうかは結果次第ね。ユイカが通れなきゃ、だし」
「分かりました」
タルチの『ゲート』構築と維持は安定している。
活火山に似た腕が下りたのを見て、ロギィは結華へ『ゲート』に触るのを促す。
この向こう側に姉――蓮音が居るかもしれない。
それを意識すると緊張が結華の小さな体に過ぎった。
上げた手が小刻みに震えるのを視認した上で、意を決して結華は『ゲート』の力場へと手を伸ばす。
そして、力場へと触れた途端――結華の手は強く弾かれた。
「――ッ!?」
「ユイカちゃん!?」
タルチが心配する声を上げる。
一方の結華は強い電流が流れたような衝撃を受けた。痛みで顔を歪めつつも結華は間髪入れずに再度試みる。
だが、結果は同じだった。怪我では無く、一瞬であっても痛いものは痛い。
噴き出る汗は痛みからか、焦りからか。
「…どう、して……」
『ゲート』、あるいは『魔深界』から拒絶されている。
誰がどう見ても明白で、望み通りに行かない状況に結華はますます顔を歪めた。
この一部始終を見たロギィは、深く息を吐く。
「――今日は止めましょ。ユドゥ、持ってきたお茶出してくれる? あとお菓子も」
「…分かったヨ」
腫れている頰を擦りながらユドゥが一足先にダイニングへ戻る。
ロギィが目線を戻して尚も、結華は信じられないものを見る顔で『ゲート』をまじまじと見ていた。
そんな彼女の肩を、ロギィは後ろから優しく握る。
「ユイカ。戻ってお茶でも飲みましょ?」
「…………うん」
結華の見せる不服は、何もロギィに止められたからでは無い。
開いている『ゲート』を目の前に。原因不明のまま、更なる手掛かりを掴む事を諦めなければならないが故に。
◇◆◇
空気が重い。ダイニングに戻ってきて早々にヨウヘイが抱いた感想がこれだ。
察する事をせずとも、他の全員さえそう思っている。
居心地の悪さを感じていると、伸びた海藻がカップを握って彼へ差し出してくる。
それがユドゥによるものなのはすぐに分かった。
「ヨウヘイも飲みなヨォ」
「えぇ、いただきます……それで、ユイカさんは」
少しばかり痛みの残る左手では無く、右手で受け取りながら。
2人の視線は、再びソファに座った結華へと移る。
彼女は俯いたまま、出されたお茶にも菓子――ロギィが持参した物――にも口を付けていない。
明らかな落ち込み様に、ヨウヘイもユドゥも判断に困る。
「行きたくても行けないのは辛いよネェ…」
「あの後僕も試してみたんですが、僕も弾かれちゃいましたから、誰が悪いかとかは無いと思うのですがね……」
検証の結果が今も残る左手の痛みだ。
ユドゥの淹れたお茶――ドゥレセ茶を飲んだロギィが、カップを置いて発言する。
「そう気を落とさないで、ユイカ。何もこれで望みが絶たれた訳じゃ無いわ」
「……そうなの?」
落ち込んでいた結華がようやく顔を上げ、会話に加わる。
恐る恐ると言った様子の彼女へ、ロギィがゆっくり頷く。
「原因があるとすれば、『べモン・ベルス』絡みね。『魔深界』の方でプロテクトがかかっているのよ」
「ぷろてく、と?」
「『深魔族』のみ…もしくは許可したものだけが通過出来る性質のようね。で、その詳細を今タルチが聞いてくれてるんだけど…」
丁度裏庭の方へ向いた瞬間、1度閉じていた『ゲート』が再び開いた。
その力場の中から、大急ぎでタルチが出てくる。そして、彼女はガラス戸に張り付く勢いで駆け寄った。
「お、お待たせ! ロギィにユイカちゃん!」
「いいタイミングよ。――それで、どうだった?」
「ロギィの予想通りだったよ。伯父さんに聞いてみたら偉い人達が1週間前くらいからそうしてるって。どうにか出来ないかお願いしてみたんだけど、伯父さんだけじゃ変えられない、って」
「…そう、じゃあ今はどうにもならないのね。分かったわ、ありがとう」
立ち止まって息を整えたタルチに、ユドゥがお茶入りのカップを差し出す。
丁度喉が乾いていたタルチは、美味しそうにお茶を飲み干すのだった。
その一方で、タルチからの情報を混じえつつ結華とロギィは会話を続ける。
「わたしたちが、いぶつあつかいされてる?」
「まあ、世界を跨いで来るなんてフツーはありえないから、そういう事になるわね…」
「でも、『べモン・ベルス』はこれてる」
「そこなのよ、問題は。ユイカやヨウヘイ――それどころかこの『地上界』の人々がそうかしら? アナタ達が来れないのに、アイツらは湧いて出てくる。あのヒビ割れの数々からね」
「ほうそくせい、がある」
「違いは何なのかしらね? アナタ達は通れなくても、こっちで買ったお土産は『ゲート』を通って持って帰れたのだけど」
『べモン・ベルス』にしろ『地上界』での購入品にしろ、何かしらの共通点がある。
この答えは、『べモン・ベルス』の正体を考えれば分かる事かもしれない。結華はそう考えながら言葉を紡ぐ。
「生き物じゃない、から?」
「そうかしら? ――ユドゥやタルチは無い? 生き物のお土産持って帰ろうとした事」
「植木鉢――観葉植物だっけ。それを見たけど、買おうとは思わなかったな」
「私はあるネェ。持って帰ろうとしてたおっきなおサカナが引っ掛かってサァ。仕方無いからヨウヘイに譲ったんだヨォ」
「あはは…あの時はあれを片付けるの大変でしたよ」
「オイシかっタァ?」
「バレク市長が捌いてくれまして、秘書さんが調理して下さいました。とても美味でしたよ」
話が脱線したが、ロギィは気にせず仕切り直す。
「で、引っ掛かったのはそれだけ?」
「他にも干物とか缶詰とか買ったケドォ、通れなかったのおっきなおサカナだけだったネェ」
「そう。…これでハッキリしたわ。ユイカの推察は多分当たってる。『フェルク・レスタム』の時に見たアレらはどう見ても生き物じゃ無かったし」
そこまで言い切った直後、タルチが当然のように浮かぶ疑問を口にする。
「じゃあ、『べモン・ベルス』だけを引っ掛ける事も出来るよね? この島にある結界のように。別の世界から来て、独りでに動く生き物じゃ無いものって絞り込めるような…」
「『べモン・ベルス』は引っ掛からない訳じゃ無く、意図的に引っ掛けていないのよ。その方が好都合だから」
周囲が固唾を呑む。『魔深界』の方針には表向きの理由以外に明確な意図がある……それを裏付けるような推察になった為に。
そんな中、結華だけは然程動じていない様子を見せた。瞑目した後、ロギィは続ける。
「どんな考えなのかは知らないけど…敵の出方を探っているのよ。自然な形でね。そして、敵が何なのかを知ろうともしている」
「わたしたちが通れない、のは」
「外の世界から『魔深界』を攻撃しようとしている存在って、ちょっと見ただけで識別出来るのかしら? それも、今から『魔深界』に来る様な別種族の生き物を」
「……」
敵を『べモン・ベルス』だけと見ていない。『魔深界』を牛耳る者達の方針に関してロギィが導き出した答えはこれだった。
怪生物の数々は無作為な破壊行為をしている訳では無い、と過去の事例の数々が証明している。
つまり、操る何者かが居る。向こうは、その存在まで探り当てようとする段階に入っているのだ。
ロギィは次に言おうとした言葉を呑む。まだ、確定した訳では無いから。
一方の結華は、此処まで言われて考えが過ぎる。言わずとも、言わんとしていた事が分かった為に。
今の平穏は、果たして真の平穏と呼べるのか。
投じられた問いに、結華もヨウヘイも答えを出せずに。時間は過ぎていく。




