第52話 探求せよ『若者たち』
放課後の美術室、つまり美術部はいつにも増して忙しい。事情を知らない者でもイベントが控えているのを察せられる程に。
体格、顔付き、魔法使いであるか否かがばらつく生徒の数々が、同じ目標へと向かって部活動に取り組んでいる。
テーマの方向性から、独りでキャンバスと向き合うジンもまたそうだった。
だが、ただ黙々と絵画製作を行っている事は無く。適宜室内に声の掛け合いが生じる。
「この色配置どうかな?」
「右上の部分の色合いが薄いかも。ちょっと緑足してみない?」
「コルネン、ちょっと見てくれるか? このラフのバランス」
「うーん…上半身の向きと下半身の角度に違和感ありますね。このぐらいなら微調整で良くなるとは思うのですが」
「――お前ここ最近目薬点す頻度増えたよな。ちゃんと休めてんのか?」
「案を最低10点出すよう言われておりますからなあ。仮配色まで筆が乗ってきたのもありましてドライアイ気味ですぞ」
「水彩画を出す人って居るのかな?」
「前衛アートで銅賞獲った人も居るし、自信のある人なら主流からハズして来ると思うなぁ」
会話をしながら手を動かす。
そんな事を当たり前のようにしながら制作する絵画は、開催日まで残り3週間を切った美術コンクールの為に。
音楽に祭典があるように、この島には絵画にも祭典がある。
その名も『グラリィ・アーナ』。ミュジ・シャニティに定住している者なら誰でも参加権がある競技会だ。
年平均100人程度の参加で『フェルク・レスタム』の足元にも及ばない規模ではあるものの、今年で初開催から50年目を迎えるイベント故に、伝統という観点ではこちらに軍配が上がる。
それでも、生徒の参加が主体であり。絵画製作の道を志す若者達の登竜門としての意味合いが強く、一般参加の母数は毎年指で数えられる程度のものだった。
ミュジ市立中央中学校の美術部は当然の如く部員全員が毎年参加となる。
理由としては、開催地が中学校から徒歩15分圏内に位置している事と、この中学校を発祥とするイベントだったからだ。
開催から20年程まではミュジ市内だけで完結する小さな競技だったが、観光に来ていた海外の富裕層の目に留まってから一変する。
当時の生徒達が手掛けた作品の数々に惚れ込んだ事で、その富裕層が帰国してからは仲間内に喧伝。それからイベントに関する費用の諸々を受け持つようになり、対象となる参加者を島全域規模にまで拡大するに至った。
拡大の影響によって、中央校以外の中学生が制作した作品も日の目を見るようになり。
作品制作や意見交換を通じ、学校の垣根を越えた交流も期待出来るという観点から島内にある幾つかの学校の関係者からも高い支持をも受けるように。
こうした巡り合わせの重なりで、今年もまた例年通りの規模で無事開催するに至ったのである。
今年の『グラリィ・アーナ』の募集テーマは『命』。極端に短いテーマではあるが何も単純に心臓の絵を描け、という事では無い。
命と聞いて何を想起するか。それは育みでも、自然の光景でも、抽象的表現でも構わない。
その上で、如何にして、どのような画材選びと手段で表現するのか。これらを問われている。
参加2年目を迎えるジンもまた、自身の芸術性を探求しつつアナログ的手法でテーマに沿った作品案を練っている。
幾つかのラフデザインをスケッチブックの中に描き込み、その近くに使う道具やスタイルの簡単な概要を箇条書きで記載していた。
していたが、当のジン本人は渋い顔をしている。少し覗くだけで苦慮していると察せられる程に。
(かれこれ15個は案出してみたが、どれもしっくりこねェんだよな)
手癖でやる手法にばかり拘っているのも大きい。
厚塗りに近い方法でジンはよく着色するのだが、これを使用する案全てが納得に足るものにならなかった。
まだ案出しの段階故に、いくらでも作り直せる。だが、それは進展無しを許容して良い訳では無い。
加えて、描いている最中に。今朝の寝覚めが悪かった原因の夢、この内容が脳裏を過ぎる。
暫く――実に約半年――ぶりに見た光景が無意識にフラッシュバックする。
嫌気が差すものの、何度も見せられては次第に慣れてきた。
(今になって、何でだ?)
両親を奪われた原因をまざまざ見せつけられ、塞ぎ込む切っ掛けになった過去に良い印象を抱いている訳が無い。
だが、こうも繰り返されていては何かしらのメッセージ性があるのでは、という考えが浮かぶ。
冷静に振り返ってみれば、気になる点が1つ。
(そういえば、アイツだ。あの蛾。アイツはどうして葬式の日に見えたんだ?)
両親の葬式の翌日から、見えなくなった骨と炎の蛾。
そうなる前は、めでたき日でも何も無い日であってもジンの目には見えていた謎の存在。
喋る事はせず――そもそも出来ないのだろうが――ただただジンの姿を見ていた存在。
まるで、ジンを見守るように。
(……)
蛾の事を思った途端、スケッチブックの余白に先を向けた、ジンの鉛筆を握る手が進む。
意識して動かさずとも、描くべき形を手が作り上げる。
数年もの間見なかった姿形を描き出すのは思いの外簡単で。3分で輪郭を、更に4分で全体を構成する骨を描き上げる。
それから、その蛾の目と翅に宿る炎を描き込む。ながらに、思い出した。
(最初会った時。アイツはこんな炎宿していなかったな……)
灰色の炎を宿したのは、次に会った頃から。骨の蛾はその身に炎を宿し、そうなってから通った後には火の粉が雪のように舞っていた。
つまり、何者かが後から炎を与えたのだが、それが誰だったかをジンは覚えていない。
『グラリィ・アーナ』のテーマとは無関係の筈の、奇妙な蛾。
嘗ては見えていたと、鮮明に覚えている謎に満ちた存在。
これを描いている。昆虫標本のように無味乾燥とした絵を。
なのに。それなのに。
不思議と、は進みそこに納得があった。
筆を置いた頃には、仕上がっていた。
陰影を付けていないが、描き込みの充分なその存在を。
時刻は、部活動の終わりを告げる18時を迎えつつある。
結局、コンクールに向けての作品制作こそ進まなかったものの。ジンは達成感に満たされていた。
(オマエを意識していると、気分が良くなってくる。オマエ、一体何なんだ?)
煌めきを宿した眼が、今しがた描いたばかりの蛾を凝視する。
自分の頭が、記憶の姿と相違無いと告げてそれを曲げない絵を、会心の出来栄えと言わずして何とするのか。
同じ部員の仲間達が次々片付けをして下校の準備にとりかかる中、ジンだけは恍惚感で暫く動けずに居た。
その後ろ姿を、美術部顧問は妖しげな眼差しで見つめていた。




