第10話 描け魂の『アート』
結華がお使いを頼まれた一方。朝礼前の時間にジンは机に置いたスケッチブックとにらめっこをしている。
正確には、今開いているページに描き込んだとあるラフ案の数々と、と言うべきか。
そこにあるのは教科書の書式に沿った物とは程遠い、形を崩しているが読む事は出来る文字と付随するイラストの数々。
授業や部活動で習うアートとはまた異なる方向性の、アート。不思議と描き込む手は進むもいずれもがしっくり来ない。
いつもの事ながら誰も話しかけて来ない。…ごく一部の例外を除いて。
「ジンくん、それなーに?」
シノが趣味に没頭する同級生へ、興味深い様子で話しかける。
自然と前屈みの体勢になる為に、彼女の豊かな胸へと邪な視線が時折見受けられる。彼女が近寄らなければそもそも視線すら向けようとしなかった面々だから、尚の事邪に感じられる。
自分の手がいくら黒鉛で汚れようと気にしなかったジンでも気にする様子を見せつつ受け答えた。
「…グラフィティの次の案だ。シノも知ってるだろ?」
「ああ、噂になってる…へー、こんな風に描くんだ~」
今の彼女は完全にラフ案の数々に意識が向いており、使っている洗剤のものなのか心地の良い香りがほのかに漂い鼻をくすぐる。
そういった欲はあるが押し留めている彼にとっては今の状況は非常にやり辛かった。
手が止まっている事に気付いたらしく、シノは姿勢を正した。それと同時にジンに過っていた緊張感も多少抜ける。
「ごめん、邪魔するつもりは無かったんだけど…」
「いや。不慣れなオレが悪いし……」
共に暮らす曾祖母と義妹はどちらも異性として意識するには極端過ぎる。そもそも家族をそういった目で見る程拗らせてもいない。
変に言葉に詰まる状況に居心地の悪さを覚えるが、切り出す話題も特に思い付かないジン。彼をフォローするようにシノが口を開いた。
「そ、そういえばさ。お祭り楽しみだよね~…」
「『フェルク・レスタム』か? まァ、確かに」
「今年は更に最大規模を更新するんだって。色んな国からたくさんのゲストが来るらしいよ」
「まだ新しめの祭りなのに、集まるモンなんだな」
「うん。何だかとっても重要なイベント、って感じがするよ」
「そうか。…そうだな。此処がポップカルチャーの最先端ってのもあるだろうが」
会話を続けている内にふと、最近になって起き続けている異変との関連性が頭に過ぎる。
『フェルク・レスタム』の重要性……世界中から来るアーティスト達の交流の場を設ける以外にも政治的な意味があるのだろうが、それは始まった一昨年から段階を踏んで示し続けられてきた。
他にもミュジ・シャニティで行われる祭事は数あれど、上半期の後半に開催されるこれが特に重要視されているのには、必ず理由がある筈だ。
そして、異変が島のポップカルチャーの数々を模倣し、その上で攻撃性を露わにしている事も。
だが、島の政治情勢に明るくない為、ジンはこれ以上の詮索が出来ず切り上げる事にする。
「せっかくのお祭りなんだし、上手くいくと良いな」
「いくさ。大がかりなんだからな」
島の威信にかけて、主催の者達が成功に導くに違いない。知識理解に乏しくても、この確信はあった。
丁度良い頃合いでチャイムが鳴り。視線も散り散りに各々が席に座る。ジンもスケッチブックを片付けながら担任教師が教壇に上がるのを待ち、いつもの流れで朝の挨拶を終える。
「ホームルームに入る前に緊急の連絡事項がある。昨夜、ウアッタ・ハル線の5号列車にトラブルが発生して、中央駅での運行全てが本日の22時まで見送りになったそうだ。この為、該当の生徒――このクラスでは12名がそうか。彼らは今日は欠席となる。なるが、今回は出席日数に影響しないものとする」
淡々とした連絡を耳にし、教室内がざわつきだした。
「えぇー、アイツ今日来れねぇのかよー」
「『サン・トゥ・ラトール』の話、したかったのにぃ」
「んー、心配です」
「今日はちょっと静かになるなー…」
「ねー。ファーゴの話結構おもしろいのにな」
このざわつきは「お前ら、静かにしろー」の教師の一言でトーンダウンしていく。それでも口々に喋る状況はまだ収まっていない。
一方で、ジンは連絡事項に対して遭遇した異変との関連性を考えずにはいられなかった。人知れず冷や汗を垂らす少年の背を、シノの茶色の目が案ずるように見る。
◇◆◇
夕方のHRにて朝の補足事項として、17時以降の部活動への制限が設けられた連絡を受け。その上でジンは美術室に顔を出す。
他にも同じ部員の何人かが集まっており、彼らに軽い挨拶をする。
「こんにちは」
「ああ、ジンくん。君も来れたのか」
「まァこっちは電車関係無いんで。…何人か見当たらねェっすね」
「例の運行トラブルでね。…明日、元気な顔を見れると良いんだけども」
「そうですな。このような障害に同好の士が阻まれるなど、嘆かわしい事でありますぞ」
「…でもぉ、急に出来た休み使ってぇ、創作に励んでるらしいよぉ? 勤勉だねぇ……ひひひ」
個性的な面々が揃っており、そこにジンの風体に怯える視線は無い。寧ろ、仲間として迎え入れており、この雰囲気に彼は居心地の良さを感じていた。
会話を切り上げ、灰色の視線は他の面々と共に、1人の女性に向く。
下部分を束ねた長い後ろ髪をした、黒に近い深緑の髪の女性。琥珀色の目には神秘ささえ覚える。
ビジネススーツに似た暗色の服装をする彼女はカナと言い、ジン達の通う中学校の美術の担任且つ美術部顧問を務める。
「ジョセフクント、チトセチャント、ボブクンガ居ないのカ。今日お休みカイ?」
妙齢の美人と形容できる容姿に加えて、訛りの強い独特な声はとても印象に残る。
彼女の問いに副部長を務めるマサルという名の3年生が答えた。
「電車の運行が止まっていまして。明日には出席出来るかと」
「ソういやソうダッケ。――提出物の状況ダけド、ココに居る皆サン全員ガ提出出来てまス。期限まデまダ4日ありまスガ、皆サン素晴らシい意欲デスネ。先生トシテ誇らシい限りデス。コンクールまデ残り3週間を切りまシタガ、コの調子デ頑張ッテいキまショウ。…ああ後時間遵守デお願いシまス、見回りガ来るカト思いまスガ。デは始めチャッテ下サイ」
その言葉を合図に、部員達は部屋内で散開する。仲の良い者達、似たようなテーマを扱う者達は2、3人程度の小さな集まりとなって活動を開始したが、ジンは1人で部活動を行う。
基本的な状況故に何とも思わず、朝も開いたスケッチブックともう1冊を広げようとした時、カナが近付いて来るのが見えた。
「どうしたんです、カナ先生」
「いやぁネ。君のソれ、見せテもらッテも?」
「片方で良いなら…」
「ジャあ、コッチ」
指差したのはグラフィティ案を数多く描き込んでいる方。持参したとは言え顧問にグラフィティを見せて良いものなのか少し悩んだが、渋々渡す事に。
区別しやすく表紙に「グラフィティ案」と油性ペンで記載されたそれを手に取り、彼女は嬉しそうな顔を浮かべる。が、ジンはコンクールへの提出物の案出しに移っており見ていなかった。
「授業を熱心に受ケテクれる君ハ、普段ドンな事を考えテいるのカ気になってネ…ほほう、コれハ」
捲る音が一定のテンポを維持しながら聞こえてくる。厚みのある美術書を深く読み込みながら案を考えている彼は、肩を軽く叩かれるまで気が付かなかった。
振り向いた途端にあったカナの目が、妖しく輝いて見える事に。
「いや~素晴らシい物を見セテもらッタヨ。コれは返スネ」
「……どうでした? 先生のお眼鏡に叶うかは…分かりませんが」
「教師トシテは保留スル。ケド個人的には評価スル、カナ」
意外な評価にジンは目を丸くする。彼の普段見せない表情を尻目にカナは続ける。
「君の〝魂の叫び〟ガ聞コえテクるようダッタヨ。君ガ良ク案トシテ出シテいる骸骨ト、火の玉。……いヤ、魂ト言うべキカナ。コれは君ガ生涯を掛ケるに値スるテーマダ。――ボクハ、ソう思ウ」
「……?」
「言い換えるならば、郷愁。ソシテ、執着。…ト言ッタトコろカナ」
呆けた顔をしたまま固まるジンにカナは手を伸ばそうとして、止める。まだ、その時では無いと言うように。
一方で、思い当たりのある白黒の少年は一歩ずつ離れていく背中を凝視していた。
「期待シテいるヨ。――君ガ満足行ク答えを見ツケられる事ヲ」
18時30分。一度下校し私服に着替えたジンはとある男に呼び出される。
白髪の目立つ老齢ながら足腰のしっかりした、使い古した服装の男が手を振っている。彼こそが呼び出した張本人だった。
「よう、『魂心屋』。今日はココで派手なモンを頼むぜ」
「ああ。……コンセプトはどのように?」
「お前さんの好きなようにしてくんな。期待してるからよ」
注文はおまかせ。分かりやすくはあるが事前にある程度決めておかなければ最初の手順すら中々決まらない。
工具箱のようなハンドバッグを置いてチャックを開け、塗料による汚れの目立つ道具一式を手に取りやすいよう並べつつ、目先に据えるは聳える壁。呼び出した男の所有する建造物の一部だった。
「――はァ。期待する、か……」
軽い体操をしつつ、息を深く吐き出す。今日で二度目となる告げられた言葉を意識しながら完成像を想像する。
しながら、カナに言われた事を思い出した。
「『骸骨』と『魂』はオレが追求すべきテーマ、ね……」
朝と違い、頭が冴える感覚を覚える。頭が細かく指示しなくとも、道具を使っては持ち替える体が彼の思い通りに動くのだった。
この技巧を後ろで見る男は、「最高傑作が出来上がるんじゃねぇか?」という期待を胸に顎髭を擦っていた。
それから暫くして、21時を回った頃。晩飯と称して良質な油を用いヘルシーに仕上げたフライドチキンと、白身魚とポテトのミックスフライを持ってきた男と共に夜の屋外で食事をしていた。
雲の少ない星空を眺めつつ、「こういう食い方が俺の毎月の楽しみなんだ」と男は言う。相槌を打ちつつ特製ソースで味付けされた揚げ物の数々をジンもまた堪能した。
店売りの物と遜色ない味わいだが、ボリュームが異なる。ホットスナックだけではあるものの腹を満たすには十分だった。
「それで。あの作品の感想が聞きたいんだが……」
「ああ。お前さんホントすげえよ。ちょっと見ねえ内にとんでもねえ成長を遂げやがる」
出来たのは、青白い炎を纏う骸骨の意匠を施した短い文章。この島で用いられている言語で『心火と骨子、此処に在り』という意味を持つ。
夕暮れの情景を描いた時にはあった物足りなさは、感じなかった。
ただ、やりきった気持ちだけが心に宿っていた。
「なァ、オッサン。近々世界中の人を招いて、やる祭りがあるんだが。こういうの廃れちまうのかな」
ミュジ・シャニティにおける『グラフィティ』は完全許可制の上で成り立っているアートスタイルではあるが、海外からの観光客を考えると大々的に喧伝すべきものとは程遠い。
移入者――島の成り立ちを考えればジン達も移入者の側ではあるが――による悪影響を考慮すれば、すぐにでも禁止になっておかしな事は無いスタイルである。
市長がサブカルチャーに理解がある人物であり、お目溢しをされながら細々と続いているのが現状だ。『フェルク・レスタム』自体は楽しみな一方で、実質的なタイムリミットを提示されている事に悲哀を浮かべるのもまたジンだった。
「もうこれ以上は看過出来ねえってか。…世界一になっちまった以上捨てられるモンがあるのも仕方ねえかもな……だが、俺は全部無くなっちまう訳じゃねえと思うぞ」
「何処かしらで折り合いってのが付くのか?」
「お前さん難しい事知ってんなあ。ま、俺が言いてえのはそういうこった。俺みてえな熱意ある奴が只の景観破壊に貶めやしねえ。分かんねえ奴にも分かるようにしてやらあ。だからお前さんは心配すんな!」
「今を楽しく生きて行こうや」と豪快に笑う男。自信に満ちた笑い声は有言実行が容易に浮かぶ程に頼もしさを感じた。
その隣、ジンは星空に浮かぶ満月になりつつある月を見て思案する。
「…そう簡単に捨てられない、か……」
郷愁と執着。骸骨と魂。顧問の言った言葉は何も芸術に限った話では無い。こう思う気持ちが強くなった為に。




