タイトル未定2025/06/14 08:54
「やーい、やーい、じめ太郎!」
子どもたちのいじめる声を受けながら、背の高い男の子がひとり、道を歩いていきます。
男の子にはほんとうの名前があるのですが、子どもも大人も、誰もが彼のことを『じめ太郎』と呼んでいました。
きたない顔を隠すように、頭におおきな藁の帽子をかぶり、長い着物の裾を引きずって、じめ太郎は通りすぎていきました。
むかしむかし、これは江戸時代のお話です。
その頃にはコンプライアンスとかそういうものが希薄で、いじめられる子はいじめられるがままだったのです。
誰も守ってはくれませんでした。
じめ太郎はおばあさんと二人暮らしでした。
貧乏な両親は五人の子どもの中から一人だけ、優秀な子を残してすべて売ってしまっていたのです。
じめ太郎は川に橋をかける人夫として売られましたが、あまりに役に立たないので、そこからまた、若い少年を欲しがっていたおばあさんに安い値段で売られたのでした。
おばあさんはじめ太郎をこき使いました。
「おい、じめ太郎。雨漏りがするんだ。屋根に登って直してくれ」
じめ太郎はよたよたと屋根に登ると、ろくに直せないまま、あきらめて降りてきました。
「まったく……! 役に立たない子だね!」
おばあさんは怒りましたが、じめ太郎を追い出すことはしません。
マッサージをすることだけはとても上手でしたので、毎晩じめ太郎を背中に乗せるのをとても楽しみにしていたのです。
「さぁ、今夜も気持ちよくしとくれ」
おばあさんの背中に載ったじめ太郎が手を動かします。
こぶしを作って、背骨をはさむようにそれを当て、ぐいっ、ぐいっと押すと、おばあさんは天に昇るような表情になります。
「おまえは他にはなんにも取り柄がないけど、これだけは最高だねぇ……」
そう言いながら振り向くと、全身にカビが生えたみたいな、みにくいじめ太郎の姿を認め、また鬼のような顔になりました。
しかも褒められて嬉しかったのか、深くかぶった藁の帽子の下から覗く口がニヤッと笑ったので、薄気味悪くなったおばあさんは、じめ太郎を追い出してしまいました。
「出ていけ!」
行くあてのなくなったじめ太郎は、ずっと道を歩いていました。
深くかぶった藁の帽子を揺らして、長い着物の裾を泥に引きずって──
歩いていると、何やら困っているらしいひとたちを見つけました。
「姫様……。まだよろしくなりませんか?」
「まだお若いのにギックリ腰とは、ご不憫な……」
見たこともない美しい色の着物を身にまとった女の子が、道の上にあおむけに倒れ、ウンウンうなっているのでした。
じめ太郎は自信満々に近づくと、お姫様の背中の上に乗りました。
「あっ!」
「無礼者!」
「斬る!」
お供の男たちが騒然となるのに目もくれず、じめ太郎がマッサージを開始しました。
両手でこぶしを作って、背骨をはさむようにそれを当て、ぐいっ、ぐいっと押すと、お姫様が天国に昇るような笑顔を浮かべました。
「おおおっ! きーもちいー!」
お姫様はキャッキャと喜ぶと、やがて腰をピンと伸ばして立ち上がりました。
そしてじめ太郎と向かい合うと、心からのお礼と賛辞のことばを口にします。
「おまえ、なかなかいい腕をしておるな。見た目は気持ち悪くて、カビも生えておるが、気に入ったぞ。どうじゃ? ワラワの家に来て働かぬか?」
じめ太郎はもじもじとするばかりでした。
「どれ。どのような顔をしておるのじゃ? その鬱陶しい藁帽子を取って見せよ」
お姫様が命じても取ろうとしないので、お供の男の一人が帽子に手をかけます。
「無礼者! 姫様が帽子を取れと仰っておるであろうが!」
勢いよく取ると、じめ太郎の顔が現れました。
真っ白な顔に、青や赤のカビがびっしりと生え、嬉しそうに笑ったその唇には、ピンク色のどろっとしたものが付着していました。
「綺麗!」
姫様はそれを見て感動の声をあげました。
「なんという色とりどりなのじゃ! このようにカラフルな人間の顔は初めて見た! おまえ、ワラワと結婚しろ!」
こうしてじめ太郎は、貴族のお姫様に見初められ、その後は裕福な暮らしを送りました。
芸は身を助ける──そして、世間知らずなお姫様を利用せよ──
そんな教訓が、このお話にはある……のかな?