5.美人は人生初めての魔物と対峙する
エリーゼとアンセルは無事に修道院がある西の辺境地の町に辿り着いた。自然が豊かで穏やかな気候と聞いていたのだが、どこか空気が重く緑がくすんで見える。
「妙だな、今にも魔物が出そうな雰囲気だ。」
「えっ魔物⁈」
エリーゼはびくっと身体を震わせて辺りを見まわした。魔物はどこの国にもいるが、だいたい生息地が決まっている。エリーゼのいるこのカネリス国の場合、北の地方でよく出没し、他の地方での目撃情報はほぼない。
「半年前に寄った時はこんな様子じゃ無かったのにな。」
「なにか異変が起きているのかしら、修道院の人に聞いてみるわ。」
そうして2人は町の外れの修道院へ到着し、中から優しそうだが疲れ気味な修道女が1人出て来て対応してくれた。
「ようこそ。ここの管理をしていますマグダリアです。ここへ入る事を希望される方ですか?」
「はい、エリーゼと申します。伯爵家の娘でしたが、訳あって家を出て王都から参りました。」
そう言いながら父からもらった宝石類の入った小さな鞄を彼女へ渡す。
「分かりました。ただ…見ての通り最近自然の様子がおかしく、人々も不安な日々を送っています。体調不良を訴える者も町でちらほら出ているようで…」
そこまで横で聞いていたアンセルが口を挟む。
「ギルドに冒険者を町の護衛として依頼したらどうでしょう?」
修道女は静かに首を振って答える。
「実害がありませんので。ただの自然現象かもしれませんし。体調不良者のこともよくわかりません…」
エリーゼはだんだん不安になって来ていた。本当にここで生活できるのだろうか、と。今にも何か良くないことが起きそうで身体が自然と震え始める。その様子にアンセルが心配そうに声をかけた。
「…大丈夫?」
「えっ、えぇ…」
そしてエリーゼはここでお別れなんだなと思い直してアンセルに感謝を伝える。
「今までありがとう、アンセル。」
「うん。こちらこそ楽しかったよエリーゼ…。」
アンセルはどこか名残惜しそうに何度もエリーゼを振り返りながら去っていった。その背中を見送りながらエリーゼもまた、寂しい気持ちを必死に抑えていた。
「中へどうぞ。」
エリーゼは修道女の後に続いて修道院の中へ入って行った。
建物の中は外に比べて清浄な空気が漂っていてまだマシだった。不安そうなエリーゼを気遣ってか、マグダリアはエリーゼに色々話しかけてくれた。
「エリーゼさんを見ていると、昔お世話になった方を思い出します。同じピンクブロンドの髪で、その方は紫色の瞳でしたが。」
「紫…相当魔力が強い方なんですね。その方は?」
「残念ながらもう…。原因不明の病でした。お嬢さんが1人いらっしゃったんですけどね、病を解明するために王都に行って情報を探す…と。その方もどうなったか。こんな辺境の地では知りようがありません。」
悲しそうに目を伏せるマグダリア。
だがふと何かに気づいたようにエリーゼを見て問いかける。
「エリーゼさんはその…フォンターナ伯爵の生まれでしたわね?」
エリーゼはここで秘密にすることなど何もないので、素直に自分の出自を話すことにした。
「はい、ただ私の父が伯爵で、母は平民でした。王都でたまたま私の母を見かけた父がアプローチして…」
「あの、お母様の名前は?」
「?ミリヤですが…」
するとマグダリアが驚き、そしてどこか納得したように頷いた。
「おばあ様はもしかして、トゥーリアというお名前ではないですか?」
今度はエリーゼが驚いた。なぜ辺境の地の修道女がお祖母様のことを知っているのか。
「その通りです。」
そう言うとマグダリアの瞳が揺れて、涙が溢れてこぼれた。
エリーゼは訳がわからず戸惑ったが、涙を流すマグダリアの背にそっと触れて撫でてあげた。
その時、建物が、いや世界が揺れているのかと思われるほど激しく地面が揺れた。
2人は思わず叫び、揺れが治まるのを待った。暫くすると揺れが止まり、マグダリアは他のシスター達の安全を確認しに行き、エリーゼは外の様子を見るために今歩いて来た廊下を戻って外に出た。
空は真っ黒で緑が枯れており、生暖かい風が吹いて先程よりもずっと空気が重い。
ーー何か…胸が嫌な感じね…アンセルは無事かしら
そう思った時、視界の端に異様な影が見えてパッとそちら側を見た。それは靄のような黒い影を纏った犬のような魔物だった。
エリーゼが逃げなきゃと後ろへ下がった瞬間、その魔物はエリーゼに向かって牙を剥きながら飛びかかった。