Episode.1
世界人口の2割が死んだ。
1週間前に発見された感染症が原因だ。最初に感染が確認されたのは日本の京都だった。
関西…特に大阪、兵庫、京都で原因不明の突発的な脳死が多発していたのだ。特に若者の死亡者が多く、病院や警察、感染症研究所の業務を圧迫、ほぼ崩壊状態と言っても過言ではなかった。
そしてとある20代前半の男性の死から2日が経ったある日、日本の国立感染症研究所がこの感染症について発表を行った。
通常であればある程度の確度がある情報が取れ、統制をかけてから発表を行うが今回ばかりはそうは言っていられなかった。
今回幸福脳炎で最初に死亡したとされる男性にかかる119番通報から発表までの2日間で約40万人が死亡、100万人以上が意識不明の重体となったからだ。
これにより関西圏は壊滅状態。他の地方へと逃げる者、火事場泥棒をする者、その他にも小さな小競り合いから、強盗、強姦、殺人などの大きな犯罪まで……たちまち無法地帯となった。日本は文字通り、音を立てて急速に崩壊していった。
そしてすぐに外国へも感染が広がっていった。
その感染症の名は“ Smile Encephalitis”。
幸福脳炎と呼ばれることとなった。
この感染症は発見が発表された今でも、まだ何が原因かは分かっていない。
ウィルス、細菌、バクテリア、寄生虫…その原因は判然としていないが、症状だけははっきりとしていた。
突発的に重篤な脳炎を発症し、数時間という速さで脳死へと向かう。特徴的だったのが死亡者の全てが幸せそうな穏やかな顔で死んでいたという点だった。
アメリカの感染症研究所は、患者の死亡直前には脳内からオキシトシンと呼ばれる幸福物質が高く検出された、という研究結果を公表した。
すでに保菌者は世界中にいるとされ、現在も感染、病死が急速に進行していた。
各国の感染症研究機関が研究を進めるも、未だ有効な治療法は見つかっていなかった。
そしてここ日本にも幸福脳炎を研究する研究者がいた。
「寺岡先生、もう休んだ方がいいのでは?」
「いや、まだもう少ししてからにするよ」
そう言ってパソコンを叩いていたのは、くたびれたワイシャツを着た寺岡という男だった。
彼は感染症研究分野では大きな功績を上げていた優秀な研究者だ。
そんな彼には日本のみならず、各国から大きな期待が寄せられていた。
「統計で分かっているのは……」
寺岡は世界の各研究所が公開しているデータを見ながら、その発症条件を状況していた。
・必ず人の面前で倒れる
・家族、恋人、親しい人の面前での発症が多い
「これだけじゃぁなぁ……」
さらに少数事例として、芸能人に声をかけられた大学生4人のうち、1名だけ幸福脳炎を発症。そのまま容態は悪化し死亡した事例があった。
また、夫婦生活24年を迎えた夫婦の妻が、二週間に一回のヨガ教室で幸福脳炎となって死亡したりと、説明し難い例外事例がこの症状の解明をさらに困難にしていた。
これまでに家族間での共通免疫なるものが存在し、それが理由でアナフィラキシーショックを起こしているのではないかという仮説や、安心したことで気が抜け何らかのウィルスが活発化し発症するのではないかという仮説が立てられたが、全て否定する事例が起こっている。
そうして資料片手に、パソコン内のデータを見ていた寺岡だったが、急に激しい頭痛に襲われる。彼は片目を強く瞑りながら頭を押さえた。
「どうしたんですか!?先生!」
彼の補助役の男性職員が駆け寄ってくる。
「少し…頭痛がするだけだよ。大丈夫…」
「大丈夫じゃないですよ!もう2日寝てないんですから!1回寝てください!」
「ダメだ…!早く……」
寺岡がここまで研究に固執していたのには理由があった。
それは7日前の夜、山梨県にある家に帰ったときのことだった。単身赴任で東京に暮らしていた寺岡は数か月振りに家族に会うため家に帰った。
関西で感染や死亡者が出たことで、彼のような感染症研究員はこれから数か月、もしくは年単位で大学や感染症関連の研究所に詰め込みとなることが予想されたため、家族に一目会いに帰ったのだ。
彼の妻と高校生の息子は山梨の家に、大学生の娘は福岡に一人暮らしをしていた。娘には会えないものの、久々の家族に会えることを彼は本当に楽しみにしていた。
もちろん禍中の近畿地方、隣接の中部地方、中国地方、東京などの大都市への帰省は許可されなかったが、感染の広がりがまだあまり見られていなかったことから山梨などの地方都市への帰省は黙認されていた。
その当時“家族の間でよく発症する”という噂が出回っていたこともあり、もちろん不安はあったもののやはり長期間不在にする前に家族に会いたいという想いが強かった。
しかし、それが彼を一生後悔させることとなる。