◆ 欠片其のⅤ:はじまりの出会い ◆
森の中を駆けること早数十分。
不規則に並び立つ木々を盾にしながら、草木の群れを隠れ蓑にしながら、コイズは森を駆け抜ける。
必死で逃げるコイズからすれば、数十分が数時間だ。
火事場の馬鹿力とはこのことかというくらい、人生最速で走っていた。
捕まったらオワリ、捕まったらオワリ、捕まったらオワリ、という思いが心の中を埋め尽くしている。
「くそっ、くそっ、くそぉ~!」
倒すことも逃げ切ることもほぼ不可能に近い。
ならば遭遇しなければいい。何もなければ大人しく、本来は臆病な魔物だ。
しかし、コイズは遭遇してしまった。しかも、やらかしてはいけないミスをした。
自分の“うっかり”を後悔しながらコイズは叫んだ。
けど、さすがにアレは短すぎだろ!
などと、誰にともなく心の中で言い訳をする。
そして、引き離せていればいいなという虚しい希望を捨てきれず、後ろのテベルヴィアをちらりと見る。
「ヒイィィィィー!!」
我を失くして悪魔のような形相で自分を追いかけて来るテベルヴィアに、コイズは情けない悲鳴をあげた。
見なきゃよかった…!
コイズは捕まりまいと死ぬ気で走る。
必死なコイズの目に、あるものが飛び込んできた。
幹に大きな傷がある太めの木だ。
左前方に見えるその木の前で、昔一緒に森に入っていた村人に傷の原因を教わった。
その日は薪割り用の木を採りに来ていたのだ。
そして、その木を横切り通り過ぎた瞬間、その時のことを思い出した。
―――この現状を打破できる策が、一つだけある。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
“ルプの実”だ。
何とも可愛らしいこの実は、果物として食べても美味しい。
鎮静の効果もあり甘い香りが幸福感を満たす。
里では他の材料と混ぜて、鎮痛剤としても使われている実である。
その時一緒だった里人は薬師だった。
『凶暴化したテベルヴィアに遭遇した時、鎮痛剤の材料であるルプの実を持っていてね。テベルヴィアは何故か僕に襲いかかってくることはなかった。不思議に思ってよく見ると、そいつは鼻をヒクヒクさせていたんだ。だから咄嗟に僕はルプの実を投げつけた。
すると、ルプの実の一つがたまたまそいつの口の中に入ってね。その実を口にしたテベルヴィアは、 地面に散らばった他のルプの実も食べ始めた。そして、全てを食べ終えたかと思うと、のそのそと森の奥へ帰って行ったのさ。出会った時は生きた心地がしなかったよ。腰が抜けてしまったくらいさ。』
それを思い出したコイズは、神殿の方向を目指す。
ルプの実は神殿のすぐ近くに生息しているのだ。
小さなルプの実に一縷の希望を託して、コイズはテベルヴィアを誘い出すことを思いついた。
もっとも、テベルヴィアを誘い出すというより、ただその方向へ全力疾走するというだけだ。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
ルプの実は神殿の裏手に沢山成っている。
コイズの目前には既にルプの実の赤が転々と見え、幸福感を誘う甘い香りが漂っている。
その側には高さ約2m程の岩が一つ、まるでルプの実を守る番人のように鎮座している。
その大きな岩にコイズは身を隠した。
テベルヴィアはコイズの思惑通り、ルプの実の香りに酔ったのだろうか。
薬師が言った通り、剥き出していた歯を収めて鼻をヒクヒクさせている。
そして、自ら赤い実を口にすると、どっかり腰を降ろしてパクパクと食べ始めた。
ルプの実を枝ごと掴んで引き寄せ、むしゃくしゃと夢中だ。
悪魔のようだった形相がほんわりとした表情に変わっている。
足を投げ出して座るその姿をエメラが見たら飛びつきたがるだろう。猛獣でもお構い無しの動物好きは、もっと自重して欲しいものである。
しかしながら、獰猛な魔物や動物もああしていれば、ただ可愛いだけの生き物である。
けれど、何故普段はやって来ないはずのテベルヴィアがこんなところにいたのか。
もしかしたら、さっきのアギスビットはあのテベルヴィアに追われていたのかもしれない。
テベルヴィアとアギスビットの最高速度は五分と五分。凶暴化したテベルヴィアから逃げ切れる確率は人間よりもアギスビット方がはるかに高い。
しばらくすると満足したのか、巨体を持ち上がらせてのそのそと森の奥へ去って行った。
「ハァー。死ぬかと思った…」
テベルヴィアが消えたのはエメラがいる方向でもない。
ようやくコイズはホッと息を吐いた。
気を取り直して神殿の調査にいかなければいけないが、城壁が邪魔していてこの裏手から入ることはできない。
コイズは正面側の道に戻ることにした。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
ようやく神殿に辿り着きそうだと思った時、キュオオンという鳴き声が上空から聞こえた。
空を見上げると巨大な焦げ茶色の影がコイズの上を飛び去って行った。
ガイスホックという鳥だろう。人を襲うことはないが、かといって人に懐くこともない巨鳥だ。
コイズも何度か遠くを飛んでいる姿を見たことがある程度だ。
珍しいなと思いながら再び足を進めるコイズだったが、下から見上げていたコイズは気づかなかった。
人に懐かないはずのその背に、一人の人間がまたがっていたことを――。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
もう少しほのぼのとした展開が続きます。
よければ、評価・ブックマークよろしくお願いします。