◆ 欠片其のⅡ:セルフレアの森 ◆
セルフレアの森はいつも爽やかな空気に包まれている。
森を吹き抜ける微風が木々を揺らし、溶け合った日影と木漏れ日が心地好い。
森はそこに留まる空気によって顔を変える。淀んでいると暗くて息苦しいし、空気が重いと冷たく感じる。ここは遺跡とはいえ神聖な神殿が佇む森である。清浄な空気が澄み渡っていて心地いい。昼も夜も優しげに微笑んでくれているような気さえする。
「先に行くなよ、エメラ!」
「お兄ちゃんが遅いんでしょ!」
躊躇なくどんどん先へ進む妹を咎めると、逆に早くしろと急かされた。
理不尽だ。エメラの起床を待っていたというのに、なぜ自分が責められるのだろう…。
そう思いつつも口にはしないコイズである。
セルフレアの森は自然豊かなトゥーレ島の大半の面積を締めている広めの森だ。
木の実や染料の元になる原材料を採取したり、薪割りや日常に使う道具を切り出したりして生活している。森の奥深い所には、魔物の棲みかも点在しており、人も滅多に立ち入らない。
魔物の棲みかへ向かう方向に続いているのは獣道だけだが、木の実を採ったりする他のエリアまでの道は人が通れるように整えられている。エリアに別れているといっても、自然や野生の生き物との共存を保つために、この島のご先祖様が決めたものだ。トゥーレ島のご先祖様はその昔、他の土地で暮らしていたらしい。その土地がある大陸から、海を渡ってきて住み始めたという。
自分にはできるだろうかと考える。
コイズは冒険や旅人人生に憧れてはいるが、愛着ある故郷からは簡単には離れられないだろう。
―――余程の理由がない限りは。
ご先祖様が何故、元々いた土地を離れたのか、その理由は島民には伝えられてはいない。それを知ることができるのは、このトゥーレ島に存在するシュプリーフの里とウェンティスの町の長だけだ。
里長と町長がそれぞれ受け継ぐ、国宝ならぬ里宝と町宝が関係しているのだと噂されているが、島民に語られることはないため噂の域を出ない。
森の中にある古い神殿は、先祖が移り住む前からあるらしい。神殿までの道も当時の人は荒れていたのを整えただけだろう。そんな、ご先祖様たちが頑張ってくれたであろう細い道をコイズとエメラは歩いていた。
それにしても、今日はいつになく陽が高い。
朝から里の荷運びをしていたコイズの顔は既に汗だくで、服の中までベトついているのがわかる。
ちょっと気持ちが悪い。空を覆う木々が風を送ってくれなければ、コイズは今頃蒸し焼きされた茹でダコのようになっていたはずだ。
暑さに強いエメラは、涼しげにコイズの前方を歩いていた。
羨ましい…
鼻唄交じりに意気揚々と先を行く妹に若干の嫉妬を抱いて、コイズは妹の後ろ姿を眺める。
「きゃっ…」
その時、前を歩くエメラが突然悲鳴をあげた。
「どうした!?」
コイズは慌てて駆け寄る。
びっくりしたーと言って蹲ったエメラは地面に視線を向けていた。
コイズがそろそろと覗き込むと、エメラは小さな白い動物をよしよしと撫でている。
アギスビットだ。
長い耳が両横に垂れていて、耳の付け根の辺りからは小さな角が生えている、ふっさりした長い尾の丸っこい小さな体の小動物である。
草むらから突然飛び出して来たのだろう。
何だただの動物か…。驚かせんなよ。
コイズはほっと息を吐く。
その直後、それまで大人しくエメラに撫でられていたアギスビットが何かに反応したように顔を上げる。
どうしたのだろうと二人はアギスビットを見つめた。
するとアギスビットはエメラの腕をスルリと抜け出し、右側の細い道の先へ駆け出した。
ぴょこぴょこと跳ねながら進む姿が可愛らしい。などとのんびり絆されている場合ではない。
ほとんど獣道となりかけているその方角には、テベルヴィアの巣がある。テベルヴィアは比較的に大人しい性格だが、驚いたり縄張りに立ち入られると、我を忘れて凶暴化する魔物だ。
非常に体毛が硬く刃も簡単には通らない。
何より動きが速い。その巨体でなぜそんなに速く動けるのか聞き出したいくらいだ。
そのため、そんな状態のテベルヴィアに襲われたら最後、ほぼ確実に倒すことも逃げきることも難しい。
とにかく必死で走って逃げるのが最善の策である。
逃げきれるかどうかは別として――。
それを知っている島の人間は、遭遇することを恐れて近付くことさえない。
野生で生きるあのアギスビットもそれは知っているはずだ。しかし、アギスビットは迷いなく跳ねて行く。
「待って!」
動物好きのエメラはアギスビットの後を追いかけて走り出した。
コイズも慌てて後を追う。
生い茂る木々をかき分けて100メートルほど進んだ時、アギスビットが視界の先で止まった。
抱えようと近づいたエメラの動きがピタリと止まる。
そしてふとしゃがみこむと同時に、お兄ちゃん!とコイズを呼んだ。
コイズはエメラのもとに駆け寄り、後ろから地面を覗き込む。
そこには一人の人間が横たわっていた。
二人は行き倒れらしき男を発見したのだった―――。
2話目も読んでくださってありがとうございます。
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