第二十五話 若返り
「いったい何をしているんです?」
いきなり滝のように汗をかきながら、エルロイが老婆を背中に背負って疾走してきたのを見てユズリハ呆れたように言った。
「はふぇ……お迎えはまだかのう……」
「お迎え来ちゃだめえええ! 今光冠草の花見せるからああああ!」
「光冠草って……エルロイ様、そのお婆さんはいったい誰なのですか?」
「説明はあとだっ!」
ラングドッグ村機密中の機密をいきなり見知らぬ老婆に教えようとしているのである。ユズリハが警戒するのも当然であろう。
だがここで悠長に教えてやるほどの精神的な余裕をエルロイは持てなかった。
「死ぬな婆さん! せめて光冠草の調合するまで逝かないでえええ!」
「ああ…………旦那、もうお迎えかい?」
「だから待てえええええ!」
このところ豊かさを享受しつつある村で、これまでは余剰の生産などできなかったがこれからは必要だろうとようやく造られた保管庫へとエルロイは急いだ。
そのただならぬ気配にガリエラやロビン、村長も相次いでエルロイの後を追う。
「ここだ!」
ロビンの神技と村人たちの不眠不休の努力によって集められた最高品質の光冠草の花の山がそこにあった。
だが、非常に貴重ではあるが、商人が買い取ってくれるまでは何の価値もないことも確かである。
村長の話では時間の経過でやや品質が落ちるらしく、その点でも従来の行商人には買い叩かれてしまったらしい。
レオン王国やヴェストファーレン王国から仮に行商人が来るとしても、一か月以内ということはないはずであった。
その在庫が、何の問題もなくなる可能性をこの老婆は持っているのだ。
「ほらっ! 光冠草の花だぞ?」
「はふぅ……私の墓にはもう少し艶やかな薔薇の花束にしてくれんかのう…………」
「婆ぁの墓に手向ける花はねえよ」
「この罰当たりがっ! さっさとその花をおよこし!!」
「って、演技かよ! 俺の心配を返せ!」
「はふぅ……こんな年寄りをいじめて何が楽しいのかのう……」
「演技なのか、素なのか、どっちなんだよ!!」
本当に今にも死にそうなほどぷるぷる身体を震わせているから判断に困る。
しかし老婆がボケていたのもそこまでだった。
「な、なんじゃこれは? いったいどうやってこれほど品質のよい光冠草の花を集められた?」
当惑する老婆に、先日のロビンの活躍について説明すると――――
「なかなか見どころのある若者じゃな。そこの宿六とはえらい違いじゃ」
「どうして俺にはそんなにセメントなんだよっ!」
「この質と量ならかつてない若返り薬ができるじゃろう。楽しみじゃな」
「聞けよ人の話!」
どこまでもマイペースな老婆にエルロイは肩で息をするほど怒鳴るが、老婆はどこ吹く風であった。
「…………ちょいと、もう降ろしておくれ」
「ほらよ」
エルロイの背中から降りた老婆は、ローブのフードを取った。
長い白髪と深く刻まれた皺に覆われた顔が露わになる。
「そこの机を借りるよ」
まだおぼつかぬ足取りながら、老婆はポケットからいくつかの道具を取り出してそこに置いた。
「いいね。魔力も満ちているしまだ瑞々しさも残っている。これほどの材料にはちとお目にかかったことがないよ」
さすがに荒野の魔女を名乗る彼女でも、あの雲霞の如き魔物の大軍から、光冠草を守る便利な魔法はなかったとみえる。
「守るだけなら簡単さ。結界を張ればいいんだからね。でもそれをすると受粉ができないんだ。魔物を追い払うだけじゃないのがつらいところさね」
「人の心を読むなよ!」
「あんたはうちの宿六に似てわかりやすい顔をしているよ」
言われてみれば王族らしい教育をほとんど受けて来なかったエルロイは基本的に腹芸のできない性格である。
「何をする気なんですか?」
まだユズリハは不審そうであった。
「光冠草の花は触媒なんだよ。これ自体が若返り効果があるわけじゃない」
「触媒?」
すなわち、光冠草自体に若返りの効果があるわけではない、と老婆は言っているのだった。
それでは市販されている光冠草のクリームとはなんなのか。
「これにも保湿やら栄養成分もあるにはあるんだがね。それなりのハーブを組み合わせれば肌を守る効果はあるだろうさ。でも錬金術師にとってはそんな効果は問題じゃない」
「錬金術! そうか、だから解析しても何もわからなかったんだ!」
合点がいったとばかりにエルロイは叫ぶ。
錬金術とは呼んで名のごとく、金でない物質を金に変えてしまう術式のことである。物質の元素ごと変換してしまうので、いくら解析してもわかるはずがないのだ。
「少し錬金術をかじった人間なら二、三年くらいは若返らせることができるかもね。もっとも、素材を揃えるのは大変だろうが…………」
「どんな素材が必要なんですか?」
食い気味に質問するユズリハに老婆は答えた。
「まず月のしずく、アダマンタイトの粉、キラービーの蜜、モリーニア火山の火精石かね。月のしずくも月齢14.9のものじゃないとだめさ」
「――――火精石以外はなんとかならんでもないな」
「ほう……アダマンタイトが手に入るのかい? そりゃ是非わけてもらいたいね。わたしの在庫もそろそろなくなるところだったのさ」
「それにしてもよくモリーニア火山の火精石なんて手に入ったな」
おそらくは大陸でも一、二を争う有名な火山で、接近ことすら許されないほどの灼熱地獄で、しかも火竜の住処でもあったはずなのだが。
「若返りさえすれば火竜だってわたしの相手じゃないさね。荒野の魔女の名は伊達じゃない」
「荒野の魔女だって!!!」
驚きの声をあげたのはガリエラであった。
「知ってるのかガリエラ?」
「…………とんでもない財宝や魔道具を持った魔女が荒野をうろついてるって話はね。傭兵の間じゃそこそこ有名な話だよ。眉唾だと思ってたけどね」
「たまに襲いかかってくる馬鹿がいると思ったら、そんな話になってたのかい」
ひひひ、とかすれた声で老婆は嗤った。
「さて、時間が惜しい。儀式を始めさせてもらうよ」
老婆は表情を改めて結印した。
「――――大いなる天の三角、地は這う蛇の叡智の継承者、ベアトリス・カリーナ・マールバラが願い奉る!」
(マールバラ?)
ピクリとエルロイの眉が跳ね上がった。
儀式の邪魔をしないよう声に出すのは我慢したものの、到底聞き逃せない姓であった。
マールバラといえば現在のスペンサー王国が簒奪する以前、北部七雄のひとつであったマールバラ王国が思い浮かぶ。
もしかしてこの老婆はマールバラ王家の血族なのであろうか。
「月の精力、太陽の血、暗黒地下の生贄の力もて、ここに生命の神秘、再生の儀を執り行う。我が名において命ず。時よ蘇らせる扉よ開け!」
ノルガード王国にも錬金術師はいるが、全く聞いたことのない術式だった。
エルロイは錬金術は使えない。
だがそこに発生した魔力の巨大さと内包された術式の高度さくらいは理解することができる。
この老婆の実力が本物であるとすれば――――あるいはその言葉も。
「…………終わったのか?」
眩い光に包まれて、机に並べられた素材は消えて、用意された小瓶に黄金の液体が満たされていた。
これが若返りの秘薬だというのだろうか。
「婆さん?」
「はふぅ……はふぅ……」
「死にかけてんじゃねえか!」
最後の魔力を使い果たしたのか、立ったままぴくぴくと痙攣している老婆を抱きかかえ、慌ててエルロイは老婆の口に小瓶の秘薬を流しこんだ。
「そのまま離さないでおくれ……」
「ん? ああ…………」
意外に殊勝な老婆の懇願に、死にかけていれば無理もないか、とエルロイは抱きしめる手に力を籠める。
秘薬が老婆の喉を通り過ぎ、数分ほど経過しただろうか。
目に見えて老婆の顔色が変わり始めた。
血行が良くなり、バラ色に染まった頬から重く垂れさがっていた皺が消えていく。
潤いのなかったぱさぱさの白髪が、根本から逆再生するように美しいシルバーブロンドへと生まれ変わった。
「なに…………これ?」
そこに先ほどまでの老婆の姿はなかった。
いつのまにか曲がっていた背筋が伸びて、百四十センチほどだった身長は百五十センチほどに伸びている。
瞳を隠していた皺が消え去ると、そこにはぱっちりとした緑色の大きな目と美しい弧を描いた眉があった。
愛らしい唇は真っ赤な紅をひいたようで、すっきりと通った鼻筋はまるで精巧に作られた彫像のようであった。
誰がみても二十代前半ほどの妖艶な美女の姿がそこにあった。
ふと、意識を取り戻した美女の視線と、信じられないものをみるように見つめるエルロイの視線がぶつかる。
その瞬間、みるみる美女の顔が真っ赤に染まり、美しい唇から絶叫があがった。
「きゃあああああああああああああああああああああ!!」
耳をつんざく絶叫に慌ててエルロイたちは耳を押さえる。
「若返っても声はでけえな、おい」
「だめです! そんなに強く抱きしめちゃダメ! 私を抱きしめていいのは旦那様だけなのぉ!」
「あんた…………誰?」
先ほどまでのガラの悪い婆さんの姿はどこに消えたのか。
そこには恥じらう美女が慌ててエルロイの腕から抜け出して蹲り、ちらりちらりと恥ずかしそうな視線を投げかけてくるのだった。




