第十七話 帰還
ありがたいことにこのソルレイスの村にも、軍からついてきた歴戦の部下が何人もいるらしい。一兵卒ならともかく士官クラスの軍人はとても貴重である。
気になるのは村長の意向だが、どうやら村長であるモルトマンは昨年来体調を崩しており、実質的な村長はトルケルになって久しいようだ。
トルケルが全面的に信頼しているということで、ソルレイスの村は最初からエルロイに好意的だった。
もっともロプノールの里のドワーフは彼らの生命線でもあり、彼らを敵に回すような選択はなかったであろうが。
とはいえ武器や農具を造り、薬の製作まで行うドワーフに対してソルレイスの村が支払う対価は少ないのも事実であった。
「せっかくの機会だし、これからますますロプノールの里ととも協力して交易して欲しいんだが、何かいい品はあるかな?」
「それがあれば苦労はありませんよ」
トルケルは頭を掻いて苦笑する。
ソルレイスの村が誕生してからというもの、ドワーフの鍛冶技術があれば生活が遥かに豊かになることはわかっていたのだ。
ただその対価となる商品がないばかりに安い武器、手製の武器や農具で凌がなくてはならなかった。
声に出しては言えないが、当初はトルケルの武力を頼みにロプノールの里を攻めるという計画もあったのである。
だがディープアポピスの守護があるドワーフに勝てる見込みがないことから諦めなくてはならなかった。
ドワーフの鍛冶技術を導入することはソルレイスの村にとって悲願と言っても良い。
かろうじて取引材料になっている農作物も、自分たちが食べていかなくてはならない以上、必要な量には到底満たなかった。
その冷徹な現実をトルケルは苦い笑いとともにエルロイに説明した。
「――――収穫量を増やすのはそれほど難しくない、けど――――」
いやいや、普通は難しいですからね、とトルケルは困ったように笑った。
エルダーサイクロプスを打倒したことといい、いったいどこまでこの少年は規格外なものか。
同じ王子である立場でありながら、自分とエルロイの力の差にトルケルは苦笑するしかなかった。
「ドワーフが喜んで取引するような商品……加工品じゃ勝負にならないから……いや、あるじゃないか! 定番のやつが!」
「私どもの村にそのようなものがあるでしょうか?」
不安そうなトルケルにエルロイはどや顔で言い放った。
「ちょっと千年先の酒を魅せてやる」
「うほっ!」
エルロイから酒と聞いて、それだけでリグラドの目の色が変わった。
「救世主殿が作る酒――――飲みたい! たまらなく飲みたいですぞ!」
明らかに鼻息が荒く、顔の大きさの割に小さな目が限界まで見開かれて血走っている。
ドワーフの酒に対する執着は、聞いてはいたがエルロイの予想を大きく上回っているようであった。
「なるほど、ドワーフには酒。日々の生活に追われるあまり簡単な事実を忘れておりましたな」
トルケルはそういうのには理由がある。
なぜなら基本的に酒というものは主要穀物が原料であるからだ。
すなわち、日々の米やパンに困っているのに酒を造るような余力はない。まして醸造技術がなければ大半は穀物を無駄にするだけで終わるのである。
一般人が造るどぶろくなどは、よほど腕がよくないと非常に酸っぱいだけのアルコール飲料になってしまうことが多い。
しかし幸いというべきか、エルロイはかつて現代で日本酒と焼酎をお神酒と料理用に醸造していた経験があった。
もともと日本の古い酒蔵は神社やお寺が起源であることが多い。
エルロイの前世でいた神社もそうした古刹のひとつであった。
ゆえに発酵や保管に関しても現代知識があり、実は氏子とともに醸造合資会社の経営者に名を連ねていたのである。
エルロイの中で酒造りの血が騒いでいた。
ノルガード王国ではワインは輸入品しか存在しないので、リンゴを使ったカルヴァドスが主流である。
非常に飲みやすいアルコール飲料であるが、酒としては実に物足りないとエルロイは思っていた。
現代人的に未成年のエルロイでも、精神年齢はおっさんであり、また貴族というものは早ければ六歳でアルコールを知るのが常識の世界なのである。
(いつかやってやろうと思っていたけど…………)
「まず焼酎から行ってみようか」
ひとまずソルレイスの村に土壌改良を施し、酒の材料としてエルロイとユイはラングドッグの村へ帰還することにした。
これにはリグラドもトルケルも大いに引き留めたが、あまり留守にしているとロビンやヨハンが心配するだろうし、ユズリハとガリエラに何と報告されるかわからない。
「近いうちに戻るからあとはよろしく頼むよ」
「殿下のお帰りを心よりお待ち申し上げております」
土壌改良に加え、ドワーフから酒代の先払いとして数々の武器を貸与されたため、ソルレイスの村のエルロイに対する評価はうなぎ上りであった。
魔物が跋扈するこのウロボロスラントにおいて、ドワーフの武器が持つアドバンテージはごく普通の国家の何倍も大きい。
もっともこれほど反発が少ないのは、村の尊敬を集めていたトルケル自身がエルロイに心服していることも大きいだろう。
「悪いけど、もうひとつの村の情報集めも頼む」
「御意」
残念なことに、ラングドッグ村の村長の弟はすでに新たな村へ移り住んでしまってソルレイスの村からいなくなっていた。
このソルレイスの村から一週間ほど離れた地が、海から大きく内陸に入りこんだ入り江になっていて、そこで漁業を中心とした生活を送っているそうだ。
藻塩の生産を行っているため、定期的な交易を行っているのだが、途中にある大きな湿地帯が大規模な商品輸送を困難にしてるらしかった。
互いにお世辞にも豊かと言える状態ではないので、交易を通した交流も年に数回程度でしかない。
最悪一冬を越したら滅んでいたとしても不思議ではないほどであった。
村の規模もソルレイスの村に比べると格段に小さい、わずか数百人ほどの村でしかない。
だが、海を生活圏として確保しているというだけで、エルロイにとっては貴重な領民たりえた。
「リグラド殿も、ステラによろしく言っておいてくれ。新しく造った酒でもう一度飲み比べをしよう、と」
「その折にはぜひとも私も加えていただきたく」
「ステラに挑戦するとはリグラド殿も無謀なことをするな」
「酒のためなら戯れにも命を懸けるのがドワーフですので」
かっかっかっとリグラドは豪快に笑った。
「ご主人様、そろそろ」
ユイに促され、エルロイはユイの細い腰に手をまわした。
「それじゃしばしのお別れだ」
エルロイが笑顔で手を振ると、二人の姿が影にとぷりと沈むように見えなくなる。
そして飛燕の影が地上を走っていくように、恐ろしい速度で影の姿は一瞬ではるか先へと移動していた。
見えなくなる主君に手を振りながらトルケルは低く呻くように言う。
「…………影使いまで配下に収めているとは、殿下、あなたはいったい…………」
「エルロイ様だ! エルロイ様が帰ってきたぞ!」
ソルレイスの村を去っておよそ5時間ほど。驚くほどあっさりとエルロイとユイはラングドッグの村へと帰還した。
帰りに関しては行き道と違い周辺の地理を検証したり、ソルレイスの村の場所を探索する必要もないので、一直線だったことも大きい。
ユイの影疾走が便利すぎて怖いな。
「エルロイ様! おかえりなさい!」
サーシャが猛烈な勢いでこちらに駆け寄ってくる。それを苦笑しながらも愛しそうに見つめるゴラン。
村長や領民も仕事の手を休めて、エルロイを出迎えるために村の入り口に集まっていた。
「おかえりなさい、か」
王宮にいたときにはもらえなかった言葉。
まわりが全て敵ばかりで一時たりとも気を抜けなかった日々。ユイという存在がなければ精神のほうが保たなかっただろう。
心から帰りを喜んでくれる人たちに囲まれると、感じたことのない高揚をエルロイは覚えた。
「……悪くない気分だ」
「ふ~~んだ! おかえりなさいなら私が毎日言ってあげますよ!」
「ユイにはいつも傍にいてもらわなくちゃいけないからそれは無理だな」
「それはプロポーズ? やっぱりプロポーズですね!」
「ええいっ! 同じリアクションを返すな!」
笑いながらエルロイは抱きつくユイの頭をわしゃわしゃとかき回す。
この日常を絶対に守り抜く。
改めてエルロイは近い将来対決するであろう祖国ノルガード王国に勝利することを誓ったのだった。




