リムバ演習⑤
「あぁ…………ったく……。こんなの……聞いて……ねえんだよなあ……」
ヒューイの声が聞こえる。
弱々しく、さっき会ったときの威勢はそこからは感じ取れない。
あきらめにも似たその声は張りがなく、焦燥感が伝わってくる。
「だ、大丈夫!?」
ニーナはヒューイの元へと走り寄り、しゃがみ込むとその顔を覗き込む。
ヒューイは片腕から血を流し、木にもたれ掛かり、息も絶え絶えに虚ろな瞳でこちらを見上げる。そして、僅かに口角を上げる。
「はっ……平民と……箱入り娘のお出ましか……。見られたくねえ……ところ、見られたな……。笑いに……来たのかよ」
ヒューイは虚ろな目で俺を見る。
傷が深いな。さっきの監督生と同じ相手か。裂創が二つ……腕に噛みつかれたような跡がある。かなり大きめのモンスターだ。
「さすがに瀕死の相手捕まえて笑えるかよ。ただ、大口叩いてた割りには無残な姿だな、ヒューイ」
俺の言葉に、ヒューイは何とか笑って見せる。
「……お優しいこった。……ゴフッ! ……――あぁ……お前たちも、さっさと逃げた方がいいぜ。今……その陰に……」
ヒューイはゆっくりと草陰を指さす。
ズシン、ズシンと、地面を踏みしめる音が響く。
ヒューイが指した方向から、何かが近づいてくる。
「はっ、お出ましだ……いいか、……ここに居るってことは、見た……だろ? 二年生……俺達の……監督生ですらあのざまだ。……お前らごときじゃ、どうしようも……ねえ。さっさと尻尾巻いて逃げろ……」
「忠告ありがてえが、俺はこんな瀕死で強がってるお前を置いて逃げるようなことは出来ねえな」
「カッコ……つけてんじゃねえよ……! 来るぞ……」
木々の間からぬっとその頭部が姿を現す。
逆立つように生える金色の毛。獅子の頭。赤く光る眼光に、牙が覗く大きな口。
ドシンドシンと音を立てながら、胴体が見えてくる。毛むくじゃらの胴体。その先に付いた尻尾からは、ヘビの頭がうねうねと蠢いている。鋭い爪に、牙。その体長はパッと見でゆうに五メートルを超えている。
かなりの大型モンスターだ。
「――キマイラ……!」
ニーナが、愕然とした様子で言う。
「こんなところに生息してるようなモンスターじゃねえんだけどな」
「キマイラって…………確か討伐難度B級のモンスターだよね……!? こんなの監督生でも歯が立たないのも無理ないよ……!」
「だな……ちょっと学生が戦うには強すぎる相手だ」
「で、でもなんでキマイラが……? この森は学院が管理してて、野良のモンスターは居ないんじゃ……」
確かにニーナの言う通りキマイラはB級に分類されるモンスターだ。だが、ここまで巨大なキマイラは見た事がない。これだけモンスターの少ない森でこんだけ立派に育ったとは考えにくい。
どこかから迷い込んだか? ……いや、だとしてもこんな巨体が誰にも目撃されていないわけがない。本来なら目撃時に冒険者協会に依頼が舞い込んで、既に討伐されていないとおかしい。B級がこんな王都の近くに居ること自体稀だ。
こいつの存在は完全にイレギュラーと言う事だ。
いくら演習だからと言って、サプライズでキマイラを放つようなことをする訳がねえ。現に犠牲者が監督生側に出てるからな。学院側がわざわざ演習をぶち壊すような真似をするとも思えない。
そしてもう一つ気になるのはキマイラのあの様子…………かなりの興奮状態だ。
口から絶えず涎が垂れ、目が充血している。これだけ殺気立っている個体も珍しい。正気じゃない。魔術か、あるいは薬か――。
刹那。
キマイラはその巨大な体躯を、まるで羽のように身軽に動かす。一瞬にして跳躍し、キマイラは軽々と俺達の間合いへと飛び込むと、俺を飛び越してニーナの前へと躍り出る。
そして、そのまま巨大な前足を振りかぶり、その爪をニーナ目掛けて振り下ろす。
「えっ――――」
キマイラの影がニーナに落ちたところでやっと気づいたニーナは、動けずただ茫然とキマイラの巨体を見る。
「グルアアアアアアア!!!!!」
「ちっ……!」
振りぬいた爪は、激しい音を立てて後方の木を真っ二つに叩き折る。
その破壊力はまさに驚異的だ。完全に幹を抉られた木はバキバキと大きな音を立て、左方向へと倒れていく。
しかし、そこにはもうニーナは居ない。
俺はニーナを右腕に抱え、左手でヒューイを掴み、キマイラの後ろへと一瞬で回り込む。
バチバチっと俺の身体が痺れ、足元に焦げ付いたような軌跡が残る。
「……痛ってえ……怪我人だぞ……こっちはよ……」
「爪で真っ二つにされるよりはマシだろ、我慢しろ」
「びっくりした……」
ニーナは俺に小脇に抱えられた状態で、ごくりと唾を飲み込む。
「危なかった……私あそこにいたらあの木みたいに……」
「ははっ、大丈夫か? 掴むときに加減してる余裕なかったからどっか痛くしたか?」
「う、ううん、平気……! また助けられちゃったね」
「気にすんな。にしても……」
奴のあの動き。位置関係的に俺より後方にいたニーナを狙った……?
あの位置からニーナを狙うのは無理があったはずだ。ニーナの何かに反応したのか……? 精霊……の可能性もなくはないが……。動きが妙だな。
それに――やはり、何か盛ってんな。狂化魔術か、あるいは薬か……いずれにしても、野生ではありえない。本来ならB級だろうが、こいつの脅威度はかなりA級に近い。監督生が瀕死なのも無理はねえ。
このクラスでキマイラと何とかまともに戦えるのは精々数人……クラリスとかその辺りくらいだろう。だが、この狂化されたキマイラに対抗できるのは誰も居ねえかもな。
俺は軽く身体をストレッチし、一歩前に出る。
「おい……何のつもりだ……。お前に……どうにかできる訳ねえだろ……! 監督生も……やられてんだぞ!?」
「だから?」
「はっ……おいおい……これだから平民は……! 逃げろってんだよ。俺達じゃ……無理だ。新入生が戦える相手じゃ……ねえんだよ」
「そ、そうだよノア君! ホロウさんが戻ってくるの待とうよ! さすがにB級モンスターは……格が違いすぎるよ! 今までは上手くいってたけど……」
と、ニーナも少し震える拳を握りながら、僅かに潤んだ瞳で俺を見る。
「ここで放置したら他のパーティが犠牲になる可能性がある。ゴブリンで怪我しようが死のうが知らねえが、こんなイレギュラーにやられるのは可哀想だろ。俺が害獣駆除してやるよ」
「そ、そうだけど…………」
「それに、俺とニーナだけなら俺の魔術で逃げれなくもないが、ヒューイの傷じゃ俺の魔術に耐えられない。さっきの移動でさえ苦しそうにしてたからな。どのみちこいつとはやるしかねえんだよ」
「でも…………」
「ま、安心しろって」
「え?」
俺はふっ、と軽く笑うと、ポンとニーナの頭に手を乗せる。
ニーナは少しビクッと身体を震わせ、困った表情で俺を見上げる。
「俺は最強だからな。いつもみたいに大船に乗ったつもりで見とけよ」
「ノア君……」
「はっ……ここまで来て、ただ恰好付けたいだけかよ……」
ヒューイは苦しそうに傷口を抑え、息絶え絶えに言葉を絞りだす。
「んなことは望んじゃ……いねえ……。俺を置いてさっさと……行け。自分の尻は……自分で……拭くっての……」
「その傷でか? ははっ、冗談上手いなお前」
「てめぇ……! グッ……!」
ヒューイは傷口を苦しそうに抑える。
「まったく、大人しく任せとけよ。お前が太刀打ちできないからってそれを俺に押し付けるんじゃねえよ。お前だってこんなところで死にたくねえだろ? ヒューイ」
ヒューイは俺の折れない態度にあきらめが付いたのか、力なくため息をつく。
「……ちっ……どうなっても……知らねえぞ……。ここに……墓が三つ立つだけだ……」
「立つ墓は一つだよ」
俺は拳をパキパキと鳴らす。
「――さて、久しぶりのモンスター討伐と行きますか」




