9 アーサー
「どういうこと?」
オリヴィアはアーサーに尋ねた。
すると、最近ディアナがジャックと過ごす日が極端に減り、焦ったジャックがどんどん高価なものを買い与えるようになっていることや、ジャックのことでアーサーの所にディアナが相談にくることも教えてくれた。
「相談って言っても、わざわざ僕を訪ねる必要もないような内容なんだ。それに兄との結婚が決まっているのに、やたらと僕の体に触ってくるし。あの態度はちょっとね。」
温和なアーサーが眉間にしわを寄せて話す姿に、オリヴィアは申し訳なさを感じたが同時にやっぱり、とも思った。
あの子また飽きたのね。
けど今度ばかりは、飽きたからもういらない、じゃ済まされないことあの子わかってるのかしら?
「妹が迷惑を掛けてごめんなさい。」
オリヴィアは元はといえば至らなかった自分のせいと責任を感じてしまいアーサーに謝る。
「君が謝ることじゃないよ。君は被害者だよ。元はと言えば兄がしっかりしていないのが一番の原因なんだから。次期当主として家のことを一番に考えるならあんなことは決してできない。」
あの優しいアーサーがはっきりと言い切る。アーサーも近頃のジャックの行動や態度に腹を据えかねているようだった。
「それに・・・」
少し俯いて躊躇いがちにアーサーは言葉を続ける。
「・・君みたいに能力もあって魅力的な女性を手放すなんて兄は馬鹿だと思う。」
「そう?ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。」
過大に褒められたことに恥ずかしくなってオリヴィアは適当に流そうとする。
「そうじゃなくって!」
アーサーは急に真剣な顔をしてオリヴィアを真っすぐに見つめた。その顔は少し上気している。
そして一瞬の沈黙の後、ゆっくりと噛み締めるように言った。
「・・・僕は君のこと、ずっと好きだったんだ。でも兄の奥さんだからと諦めてた。もし、オリヴィアさえ良ければ、ほとぼりが冷めたら僕と結婚して欲しい。」
その言葉に、オリヴィアは頭が真っ白になり、後ろに控えていたレオはこれでもかと言うくらい大きく目を見開いたーー。
「姫様は隙がありすぎる!」
「そんなこと言われても、これは不可抗力よ~。アーサーがあんなこと思っていたなんて全然わからなかったのよ。今までそんな素振りもなかったのに。」
ぷんぷんと怒るセルキーに何故だかオリヴィアは言い訳をしている。
「僕が見張ってないと悪い虫がつく。けど、明日、僕は領の中心地へ行って来なきゃいけない。なるべく早く戻るけどくれぐれも隙を見せないようにね。」
セルキーが心配で心配で耐えられないという顔をする。
いい歳だからそれくらい大丈夫よ!と根拠のない自信を見せるオリヴィアにセルキーはますます心配を募らせた。
次の日の朝食の時も工房でも、アーサーは昨日のプロポーズがまるでなかったかのように普段どおりの態度だったので、やや緊張気味だったオリヴィアは肩透かしを食らったような気分だった。
「今日は解毒ポーションの作成法よ。この濃縮液の希釈については注意点がいくつかあって・・」
オリヴィアは、きっと昨日のは酔った勢いの冗談だったのねとホッとして仕事を始めた。
たまにアーサーと話す時に、やけに距離が近い気がするけど私の意識しすぎよね、なんて思いながら。
レオはといえば、そんなご都合主義なオリヴィアの考えに気付き、警戒心のなさに呆れつつもいつもよりオリヴィアに近いポジションを取った。
アーサーは2人の気持ちを知ってか知らずかただ優しげに微笑んでいた。
オリヴィアが工房で指導に勤しんでいるのと同じ時、セルキーは、インブリー領の中心に位置する街、エデネスタにいた。
セルキーが追っていた竜族の気は、街で1番大きな館、インブリー家にあった。しかし、気を持つ本体はそこにはいない。ただその大きな気のみが残っていた。
「少し前までいたのか?けれど、これほど大きな気なら、移動した時にわかるはず。では、わざとここに気を残したのか?なぜ。」
セルキーは嫌な予感を感じつつ帰途を急いだ。
数日かけてのオリヴィアの指導が終わり、2つの生産ラインの商品をまずは少数から試験的に製造し販売を行うことになった。
職人達のみで造った最初の試験的商品をオリヴィアが確認する。
「うん、素晴らしいわ。短期間でよくここまで仕上げることが出来たわね。あとは、細かく精度を上げていけば良いと思う。合格よ!」
最初の売り込み先をアーサーと絞り込み、オリヴィアが加護を与えたリントラムの水を瓶に詰めて購入してくれたの際のお礼として渡すことにした。
これで上手く軌道に乗っていくと良いのだけど。
後はアーサーの腕次第ね。
次の日の朝、オリヴィアはやりきった感でいっぱいの満足気な顔をしてアーサーに別れの挨拶をした。
「充実した数日間だったわ。ありがとう。」
「お礼を言うのは僕の方だよ。また次の段階になったらよろしく。」
そう言ってニッコリ微笑むと、アーサーはオリヴィアの手を手繰り寄せ、優しく抱きしめ頬にキスした。
そして耳元でそっと囁いた。
「僕の気持ち、覚えておいて。僕は本気だよ。」
アーサーはそのままチュッと耳にキスをしてオリヴィアを更に抱きしめた。オリヴィアは突然のことに目を白黒させ、レオはやられた!という顔をしてアーサーからオリヴィアをやんわり引き剥がした。
馬車の中でセルキーはぷんすか怒り、レオがオリヴィアに延々と説教したのは言うまでもない。
その去り行く馬車を優し気な顔をして見送ったアーサーは、馬車が視界から見えなくなると、くるりと後ろを向き、その人柄からは想像できない冷めた顔になり呟いた。
「麗しき水の姫君と、寝ぼけたマヌケな竜か。僕をせいぜい楽しませてくれよ。」