3 竜王サーガラ
セルキーが振り返りもせず玉座の間に入って行くので、オリヴィアも気後れしながら着いていく。
色鮮やかで複雑な模様のタイルが壁一面に嵌め込まれ、金糸銀糸で刺繍が施された上質な赤い絨毯が玉座まで真っ直ぐひかれている。その傍にはセルキーと同じような異国風の衣装を纏った者たちが控えていた。
中央の玉座の前には身体が半分ほど隠れる木質の繊維で細かく編み込んだカーテンのようなものが掛かっており、セルキーの言う竜王さまは胸から下しか見えない。
セルキーは、玉座まであと5mくらいのところまで歩を進めると、膝をつき頭を下げた。慌ててオリヴィアもそれに倣う。
「会話を許す。」
あの低い魅惑的な声がカーテンの奥からする。声を聴くだけで息が上がってくる。私、何かおかしい。
「セルキー・モントローズ、竜王様への報告に参上いたしました。」
セルキーが凛とした声で話し始める。私はさっきから頭がクラクラして姿勢を保つので精一杯だ。
「くだんの件につきまして、東竜眷属の私セルキーを狙う者の襲撃に遭い、譜の一篇を奪われそうになりました。ここにお連れいたしました水の姫様のおかげで大事に至らずに済みましたが・・」
セルキーの報告に、玉座の間の傍に控えていた者たちが騒ついた。あのセルキー様が、とか、あれが水の姫、本物なのか、などという会話が聞こえる。
譜ってなんだろ、また水の姫とか言われてるし、ていうかセルキーって実はスゴい子なのかしら、とクラクラする頭でオリヴィアは取り止めもなく考えた。
「静まれ!竜王様の御前であるぞ!」
竜王の1番近くに控えていた理知的な顔立ちをした眼鏡の青年が騒つく者を一喝すると、一気に場が鎮まりかえった。
「セルキー、襲撃をした者の目星はついているのか?」
眼鏡の青年が問うと、セルキーは首を横に振る。
「わかりません。竜王様の央座の儀を阻もうとする勢力としか・・しかし譜の四篇中三篇はすでにこちらの手にあります。ですので今後は襲撃した勢力を突き止めます。」
やはり、南竜様の手の者の仕業なのではないか、という密やかな声が聞こえる。
南竜とか央座とか、もうわけがわからないわ、とオリヴィアは思った。
その時、今まで微動だにしなかった竜王が玉座よりゆっくりと立ち上がった。
「俺の行手を阻めると思うなど、愚かなネズミがいたものだ。またそのネズミは近いうちに己から現れるだろう。」
その冷酷な声に場が静まりかえる中、歩を前に進める。
「ようやく来たか、俺の水の姫。待ちくたびれたぞ。ーー来い。俺にお前の顔を見せろ。」
身体の奥が甘く痺れるような声。俺のとか初対面でいったい何を言ってるの?と思うのとは真逆に、オリヴィアはふらふらと竜王の元へ吸いつけられるように歩いていく。差し出された竜王の手に触れ、射抜くような支配的な黄金色の瞳と目があった瞬間、オリヴィアは気が遠くなった。
遠くの方で、私を呼ぶセルキーの声がして、ふわりと暖かい感触に包まれた。
懐かしい黄金色ーーあの色を私知ってる、そう思いながら意識を手放した。
※※※※※
幼い頃に一緒に遊んだあのコは綺麗な黒髪の男の子。
夏、家族で別荘に行くと、いつも湖のほとりにいた。
夏の間、かけっこしたり、木に登ったり、隠れんぼしたり、一日中いっしょに遊んでた。
あのコは湖と仲良しで、水で舟を作ったり、お魚たちをダンスさせたり、湖におおきなおおきな虹をかけたり、私はそれを見るが大好きだった。
どうしてそんなことができるのって聞いてもただあのコは笑ってた。
ある夏の最後の日に、来年からここにはもう来れないんだってあのコが言った。
私は悲しくて悲しくて、そんなの嫌だって泣きじゃくった。
あのコはとても困った顔をして、そんなに泣かないでって、綺麗な花びらの形のキャンディーを私の手のひらにちょこんと乗せた。
それは僕の大事なもの。君が食べてくれたらまた会える、って。
私はどうしてもまた会いたくて、その花びらをぱくんと食べた。
花びらのキャンディーはとてもとても甘かった。
大好きだったあの黒髪の男の子の瞳の色はーー
オリヴィアが目を覚ますと、少し癖のある黒髪に浅黒い肌、思わず見惚れるほどに美しく精悍な顔をした黄金色の瞳の主が、ベッドに横たわって満足気にオリヴィアの顔を見つめていた。
「!!!」
驚いたオリヴィアが慌てて離れようとすると、その腕できつく抱きしめられる。
「久々に俺の女に会えたんだ。もう少しこうさせろ。」
そう言って抱きしめながら、オリヴィアの髪に口付ける。何度か髪に口付けると、それは髪から首、鎖骨へと徐々に下に降りていく。口付けは下がっていくのに、黄金色の瞳はオリヴィアの顔から視線を外さない。
自分に何が起こっているのかわからないオリヴィアは真っ赤になって抵抗するが、仔猫ほどのかわいい抵抗しかできない。もうこれ以上はダメーっ!と思った瞬間、口付けが止んだ。
「サーガラ様、お戯れはそろそろお止めください。」
いつの間にか、玉座の間で皆を一喝した眼鏡の青年がセルキーとともに控えていた。
~~いつからいたの?動揺するオリヴィアの気持ちを他所に、みな至って平静だ。
「久々の逢瀬に水を差すとは何とも無粋なことよ。水獣にでも蹴られて一度死んでみるか?」
冗談とも本気とも取れるようなことを言いながら、サーガラはもう一度、私の髪に口付けて抱きしめていた手を緩めた。
「冗談は程々に。水の姫様は初めて竜宮城に来られて、まだお身体がこちらに馴染んでおりません。そろそろ一度、地上にお戻りいただかないとお身体が持ちません。」
「わかっている。今も竜気を与えていたところだ。」
竜王サーガラはじっと黄金色の瞳で私を見つめて言った。
「名残り惜しいが、今回はここまでだな。次はこの程度では済ませないぞ。」
次は、って何ー?!そもそも私、あなたの女でも水の姫でもないですからー!そんなオリヴィアの切な思いはやはり他所に置かれ、部屋にわさわさと入って来た侍女と思しき女性たちに、姫様、姫様と言われながら身支度を整えられた。
「じゃ姫様、目を瞑って息止めて!」
宮殿の入口でアザラシ姿になったセルキーに乗ったオリヴィアは行きと同じように目を瞑り、息を止めた。
やっと帰れるーー
オリヴィアは思った。
サーガラは次とか言ってたけど、もうここに来ることもないわね。
なんて言ったって1人じゃ来れないし。
「あ、そうだ水の姫様、僕、竜王様の命で姫様と一緒に地上に行くことになったんだ!これからよろしくね!」
セルキーはそう言うと、オリヴィアが口を開く前に、すごいスピードで泳ぎ始めた。