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皇帝になった独裁者  作者: ツァーリライヒ
第8章 新世界へ
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第50話 皇帝崩御

 

 皇帝ニコライ2世は最後の力を振り絞り、帝国議会にて憲法改正が行われ、ロシア帝国は万雷の拍手の中で立憲君主制へと移行した。



 大ロシア翼賛会の総裁選では、2大派閥であるユスポフ派とロジャンコ派に加え、ケレンスキー派とミリュコーフ派、コルニーロフ派の中堅3派閥、さらに傍流のマンネルヘイム派とコルチャーク派、デニーキン派にサヴィンコフ派といった小規模グループの間で複雑な駆け引きが交わされる。



 最終的に、政府による一層の経済介入を唱えたフェリックス・ユスポフが国民の圧倒的な支持を背景に、総裁選においてもロジャンコ派とミリュコーフ派以外の派閥の支持を得て当選することとなった。


 ユスポフ自身はペトログラードに4つの宮殿、モスクワに3つの宮殿を持つ貴族であり、さらにロシア全土に37の鉱山・工場・油田を持つ大富豪でもあったが、愛国心に訴える巧みな弁舌と「ペレストロイカ」と名付けたインフラ投資を中心とする積極財政政策によって世界恐慌からロシアの社会と経済を素早く回復させることに成功した。


 政敵からは「ポピュリスト」と揶揄されることもあったユスポフだが、民主主義の皮を被った開発独裁という路線は皇帝ニコライ2世の延長線に位置するものであり、ある意味では正当な後継者でもあった。




 後年、ユスポフが語ったところによれば皇帝ニコライ2世から直々に、政権維持のために以下のようなノウハウを授けられたという。


①最高裁判所を支配せよ。

②選挙管理委員会を支配せよ。

③財閥を支配せよ。

④マスメディアを支配せよ。

⑤人気取りが成功している間に、憲法と法律を改訂せよ。

⑥政令と行政指導を活用し、法律を骨抜きにせよ。

⑦政策に失敗した場合、反対派が足を引っ張ったせいにせよ。

⑧常に外国が攻めてくると言い続け、国民を不安にさせよ。

⑨福祉と便宜を通じて、国民を政府に依存させよ

⑩反対派は失業させ、福祉から追い出して困窮させよ。


 後に「ニコライの十戒」として非公式に歴代の首相に受け継がれていくノウハウを巧みに操り、ユスポフ政権は3期18年に及ぶ長期政権となった。


 そのため立憲君主制に移行し、形式的な責任内閣制と議会制民主主義が取られたものの、実態としては「古い革袋に酒」式の穏当で現実的な改革であったと言えよう。




 相変わらずロシア帝国では男子普通選挙こそ実施されているものの、それは兵役という義務と引き換えの特権であり、個人よりも共同体に重きが置かれる権威主義体制は変わらず維持された。


 個人の自由や権利よりも国家の安全保障と日常生活の治安維持が重視され、「安心・安全は自由に優越する」と考えられるようになったロシア帝国において、政府とは秩序の守護者であって犯罪者や外国から民衆を守る存在となった。


 そして社会秩序の守護者たる政府に反対することは社会秩序そのものへの抵抗であり、ロシア帝国において反政府活動=反社会活動となる。


 当然ながら反政府的な行動をとるものは犯罪者予備軍であり、公務員や公営企業への就職は無論、年金や医療保険といった福祉制度の利用にも大きな制約が加えられる。善良な市民たちも、犯罪者予備軍に自らの税金が使われることを望まない。

 



 選挙においても官選候補に様々な優遇を与える一方、非官選候補には様々な妨害を加えられ、当然ながら後者を当選させた選挙区は予算が減額される。

 

 逆に前者が当選した選挙区では、安価な公共住宅の開発や食料の配給、道路や鉄道といった公共事業が優先的に割り当てられる。これらの恩恵にあずかった者はラジオでお国に感謝の念を述べ、やがて民衆は自分の番を待ち望むようになるのだ。




 こうして肥大化した政府を効率的に動かすため、ユスポフ首相は「縦割り打破」を大義名分に政府を極度に中央集権化させた。三権分立や地方自治といった分権的なシステムは縦割りの温床であるため、一元化させることで軍隊式の効率的なピラミッド状の組織を作り上げていく。


 政治の中心にいるのは行政府で、立法は素人の国会議員ではなく専門家の官僚が作成し、法律の細目の決定も官僚が行う「委任立法」がロシア帝国では基本となる。


 そのため法律よりも政令や行政指導が重要視されるようになり、スピード感のある意思決定が行える半面、公平性や中立性は犠牲にされて恣意的な誘導や解釈が行われることも少なくなかった。




 また、地方自治や国民の経済活動に関しても、行政府の任許可権がなければ活動できないため、ロシア帝国では徐々に官僚が大きな力を持つようになっていく。

 専門家の官僚で構成される行政が積極的に国民生活に介入するため、国民は利益の享受者として受動性と政治的無関心を高めていき、国民の一時的なパニックや流行りに左右されないロシア帝国の政局は非常に安定した。



 このようなロシア帝国の在り方はイギリスなど自由主義陣営からは「役人天国」などと揶揄されたものの、ロシアは逆に「小さな政府」にこだわるイギリス陣営を「時代遅れの夜警国家」と小馬鹿にし、皇帝ニコライ2世は国家による国民生活への介入を以下の言葉で自画自賛した。



「ゆりかごから墓場まで―――大きな政府による福祉国家の帝国を完成させるべく、ロシアの特色ある民主主義は邁進していくであろう!」



 もっとも、このような行政中心の国づくりは、そこで働く官僚が優秀かどうかに左右される。そこでニコライ2世は東洋式の厳しい公務員試験制度と公務員に対する好待遇を採り入れ、もっとも優秀な人材が進んで官僚となるよう誘導した。



 こうしてロシア帝国では多くの民衆が選挙権を有するという意味では民主主義国でありながら、実質的には立法=議会ではなく行政=官僚が国家運営の中心に立つ。


 困難な公務員試験を突破したエリートであるロシア帝国官僚は選挙の影響を受けず、科学技術や経済・社会政策などの高度な技術的専門知識によって、政策立案を参画して国家を支配した。



 このようなテクノクラートは「実力主義」で選ばれたエリートであり、彼らの協力なしにロシア帝国の国家運営は維持できない。

 必然的に彼らと癒着した政治集団=与党が高いパフォーマンスをあげることは必然で、ロシア帝国の議会は親テクノクラート=親エリート派vs反テクノクラート=反エリート派の争いとなるものの、前者と後者の比率は1935年の選挙以来おおよそ2:1でほとんど変化することはなかった。



 かくして民主制と独裁制、権力分立と権力集中の妥協の産物が万年与党と万年野党の存在であり、与党「大ロシア翼賛会」と烏合の衆である泡沫候補からなる野党が対立する構造は、後に「35年体制」と呼ばれることになる。

 それゆえロシア帝国における野党は与党の対抗勢力ないし第2の与党ではなく、与党のチェック機関にしかなりえなかった。


 しかし政権交代が実質的に行われないため、目先の選挙を気にすることなく長期的な展望で政権運営が行えるという利点が強調され、政権交代ごとに真逆の政策が行われる不安定な二大政党制よりも安定した政権運営が行われる傾向があったこともまた、記録されなければならないだろう。



 ロシア帝国における総選挙は、万年与党か泡沫候補連合の万年野党しか選択肢が無いという実質的な信任投票の場と化しており、政権交代という形で国民主権が行使される可能性は極めて低く、「一党独裁」体制ならぬ「一党優位」体制がロシアでは続いていくことになる。


 その意味では民主主義という看板も建前に過ぎないのではないか?という批判は避けられなかったが、万年与党たる「大ロシア翼賛会」において多様な派閥の形成が認められたことは、最低限の分権化と共和主義をロシア帝国にもたらし、各派閥の力学も民意とは無関係でいられなかったという意味では、辛うじて最低限の権力分立が反映される余地は残されていた。




 ***




 こうしてロシア帝国が着々と立憲君主制のもと権威主義体制を確立していく中、皇室もまた各々がそれぞれの人生を歩んでいくことになる。



 まず第1皇女のオリガ大公女であるが、四姉妹の中で最も賢いと評判の彼女は外国へ嫁ぐことを嫌い、ニコライ2世の従弟にあたるドミトリー大公に嫁ぐこととなった。


 ハンサムで魅力的な性格でもあったドミトリー大公はフェリックス・ユスポフ首相の友人でもあり、社交界の有名人として貴族たちの忠誠心を皇室へ繋ぎとめるのに大きな役割を果たす。

 対して文学少女であったオリガはあまり表に出る性格ではなかったものの、その慎み深い性格と生活は国民の間で大きな尊敬を集めた。


 プレイボーイの夫の浮気癖のせいで晩年の夫婦仲は良好とは言えなかったものの、最後まで皇室の威信を傷つけることのないよう離婚せず、表向きは円満な家庭を築いているように振る舞ったことからも、彼女の思慮深さの程が伺えよう。




 そして第2皇女にして最も美貌かつカリスマのある皇女だったタチアナは、父ニコライ2世の政略結婚によって、強大だが扱いの難しい同盟国であるユーゴスラビア王国へと放り込まれた。


 セルビア人主導の中央集権化を強引に進めようとする夫アレクサンダル1世に対し、タチアナは国内の少数民族や同盟国との関係を取り持つ貴重なパイプ役を上手くこなした。

 後に夫がマケドニア系の暗殺者に襲われて死亡すると、若い息子ペータル2世の摂政として富国強兵に努めることになる。巧みに飴と鞭を使い分ける姿は父親ニコライ2世を彷彿とさせるものがあり、後に「鉄の男」ならぬ「鉄の女」の異名をとることとなった。

 

 皮肉なことにロシア皇族の皇后タチアナは民族対立に巻き込まれることなく、夫アレクサンダル1世が停止した憲法と議会を復活させ、民族分布に配慮した地方自治権の拡大と連邦化や権力分立を進めてく。

 初代首相は同じロマノフ家の血を引く、夫の従弟パヴレ・カラジョルジェヴィチが務め、領土問題を抱えるイタリアやドナウ帝国を仮想敵国とすることで国民統合を図っていった。


 ユーゴスラビア王国は『7つの州、6つの国境、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家』をスローガンにクロアチア・ボスニア・ヴォイヴォディナ・セルビア・モンテネグロ・コソボ・マケドニアの7つの州から構成され、ロシア帝国をモデルとした立憲君主制と一党独裁体制を両立させた開発独裁のもと富国強兵が国是となる。



 穏やかな性格の第3皇女であるマリアは、縁談通りイギリスの名門貴族であるマウントバッテン卿と結婚し、何かと対立しがちなロシアとイギリスの仲裁役として夫と共に大きな役割を果たす。


 恋多き少女であったマリアは奔放なところがあったものの、夫婦仲は良好で後にインド総督となった夫に続いてイギリス領インド帝国の統治に加わることになり、マハトマ・ガンディーらと共にヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和に心を砕くこととなる。




 悪戯好きで活発な第4皇女アナスタシアは、同盟国であるドイツ帝国連邦の盟主であるブランデンブルク王国のヴィルヘルム4世の元へと嫁いだ。


 あまり政治に関心のなかったアナスタシアだが、陽気で快活な性格で社交界の花となり、悠々自適な生活と円満な家庭を手に入れた。ちなみに夫ヴィルヘルム4世は5つ年下であり、にぎやかな姉とそれに振り回される弟のような関係性であったと語られている。


 


 そしてニコライ2世の後を継いで皇帝となった皇太子アレクセイは、威圧的であった父ニコライ2世と違って物静かではあったが、生真面目で信仰心に篤く常に質素な生活を送っていたこともあってか、対面した者は敬虔な修行僧のような印象を受けたという。


 しかし穏やかでありながら神秘的な威厳を放つ皇帝アレクセイ1世は、まさしく「君臨すれども統治せず」という立憲君主制に求められている新しい時代の皇帝像のモデルとして、ひとつの理想形でもあった。


 アレクセイは長らく結婚を控えていたものの、ドナウ帝国のルーブル・ブロック加盟を機に両国の友好を示す政略結婚として、1935年にハプルブルク家から皇帝カール1世の長女であるアーデルハイト・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンを妃として迎え入れた。



 こうしてロシア帝国が安定の時代を迎え、皇室も一通り落ち着いたのを見届けてから、翌年1936年の春に皇帝ニコライ2世は安らかに息を引き取った。


 


 ―――ロシア帝国の生ける巨人にして鉄の男、皇帝ニコライ2世ついに崩御す。




 それは紛れもなく、ひとつの時代の終焉であった。



  

 とりあえず、世界は4大ブロック経済圏に別れましたが、共産ブロックと日本とイタリアが不穏な動きを見せて・・・というところで、hoiの民おなじみ1936年初頭で大往生したニコライ2世。その後の歴史は、まぁカイザーライヒならぬツァーリライヒみたいな感じでご想像にお任せします。


 皇帝ニコライ2世、死後に「鉄人皇帝」みたいな異名ついて欲しい。

  

 明日、最後にエピローグを投稿します。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ケレンスキー大統領の暗殺じゃなくてニコライ2世の死が最初の時報になるのか。安定度がマイナスになるのかプラスになるのかは分からないけど
[良い点] 1.更新ありがとうございます。  皇女4姉妹とアレクセイ皇太子のその後が確認できてホッとしました。彼らの成長を見て、「ご近所の仲がいい娘さんの姿を影で見守る世話焼きおばさん」みたいな側面で…
[気になる点] ゆりかごから墓場までってお前が言うんかーい! そして鉄の女…… [一言] 十戒の下半分が最悪すぎて笑った
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