第04話 皇帝として
注意:スターリンによる激しいロシア農民ディスりがあります。
経済理論と西欧の工業国を範としてボトムアップ型の工業化を主張する議会に対し、スターリンはあくまでトップダウンで成長を達成すべきという考えだ。まず政府が国家戦略を決定した上で、既存の経済をそれに合わせて改造すべきだというのである。
こうした乱暴とも思えるやり方の背景には、国際情勢の悪化が関係していた。一刻も早くロシアを列強と対決可能な強国に生まれ変わらせなければ、たちまち競争に敗れて他国の植民地と化してしまう。
(貴族どもの意見が「理屈の上」では正しいのは儂にも分かる。かつては儂も彼らと同じ「右派」だったのだから……だが、そんな悠長なやり方では手遅れなのだ!)
もっとも、必要性があるからといって現実に必要な「資本」が無ければ話は先に進まない。
そこでスターリンは工業化に必要な資本を、「貴族への課税」と「労働者の給料カット」によって確保しようとしていた。
(うむ、やはり無茶苦茶だな……)
改めて言葉にすると、我ながら驚くほど説得力が無い。自分から言い出しておいて難だが、どう考えても議会の方がマトモな事を言っているような気がする。そりゃ西側のブルジョアジー共もバカにするわ。
(だが、それでも工業化は進めなければならない。国内が万全になるまで戦争は待ってくれない。ロシア国内の都合を考えてくれるほど、国際社会は甘くないのだ……)
東洋の諺に「拙速は巧遅に勝る」というものがある。もちろん理想は「巧速」であることに間違いはないが、残念ながら今のロシアにそこまでの国力は無い。「拙速」か「巧遅」の二者択一の判断を迫られるのなら、躊躇なく「拙速」をとるのがスターリンの信条だった。
(なにより、今は戦時中なのだ!勝利はすべてに優先する!悠長なことは言ってられん!)
奇しくもスターリンの感じていた焦燥感は、東洋のある島国の指導者たちと酷似していた。長い鎖国の後、列強との文明レベルの違いを見せつけられた彼らは『富国強兵』をスローガンとし、多少の民間部門の犠牲を覚悟してでも急速な工業化を押し進めて列強の脅威に対抗しようとしていた。
皮肉なことに彼らが敗戦後に共産主義の拡大に対抗するためにとった「傾斜生産方式」こそが、統制経済の最高の成功例とされる事も多い。
これは政府が価格統制などを通じて、当時の基幹産業である鉄鋼、石炭に資材・資金を超重点的に投入し、両部門相互の循環的生産力拡大を促して産業全体の供給力拡大を図るというものであった。
ソ連で行われた『五か年計画』も基本的な考えは一緒であり、こちらも平均年間GNP成長率4.6%、鉱工業生産増加量は年率16%、機械工場数では年率27.4%という高度経済成長を達成している。
(前世でも成功したのだ。今回も、五か年計画は必ず成功する! この儂が成功させてみせる! 否、成功させねばならんのだ!」
スターリンの腹は決まっていた。一度こうと決めたら、がんとして動かない意志の強さがある。
革命前は何度も逮捕されて流刑にされたがその都度に脱出し、レーニンら多くの同志が亡命する中でも国内にとどまって革命のために戦い続けた。ボリシェビキ政権では仕事一筋で、余計な悩みを持たず党のために献身的に働いた無私の男――。
ひたむきな行動力と遮二無二突き進む強靭な精神力こそが、学もなく才も人並みであったスターリンの持つ武器だった。
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ひとたび決断したスターリンの動きは早い。すぐさま軍事省の人事を一新し、史実では1916年に大臣となるアレクセイ・ポリワノフ歩兵大将を2年早く任命した。
史実におけるポリワノフ大臣は経済に対する軍の統制を飛躍的に高めた人物であり、彼の手腕によってロシア軍の補給および兵器生産能力は大幅に改善している。その業績は1年で兵器生産量を小銃は約2倍、機関銃は4倍、弾薬は70%、火砲は2倍、砲弾は3倍以上も増大させたというもの。
もちろん国内経済を軍需分野へ大幅に振り向けた結果、国内の製造業は混乱に陥って各地で物不足が多発するようになってはいる。
だが、そんな事を気にするようなスターリンではない。宮廷に届けられる陳情や抗議を、ことごとく「やかましい!」の一言で粉砕する男である。
「ヨーロッパでは我々はタタール人に過ぎぬ」とはドストエフスキーの言葉だが、それこそが怒れるツァーリ専制支配の一面である。
(“正しい”経済理論とやらを振り翳す学者どもは現実を分かっとらん。連中の言う“合理的選択”なんてものを無学な農民どもが理解できるものか……)
貧しい靴職人の息子だったスターリンは、貧困層の人間がどのようなものかよく知っている。貧しくて無学な人間に合理的な判断を期待しているなら、それは机上の空論というものだ。
(学者連中は人間の本質を分かっていない。物事を客観的な損得で考えられる者などほんの一握りに過ぎん。残りの大半は好きだとか嫌いだとか、そういう主観的な理由で判断するものだ)
スターリンの見たところ、現実では「あの担当者が気に食わない」「うちとは長い付き合いだから」なんて非合理的な理由で交渉が決まることも珍しくない。世の中、誰しもが学者ではないのだ。
(その中でも特に、農民どもは輪をかけて酷い。保守的で無気力、排他的で横並び志向の強い頑固者ばかりだ!)
生存中に「農民は敵だ!」とまで言い切ったスターリンが、ここまで農民を憎むのにはきちんとした理由がある。
(儂もかつては農民との和解を信じておった。急激な工業化を抑え、農民に譲歩することで彼らが自発的に経済を活性化させてくれると信じていた……)
ソ連で採用された政策の中に、「新経済政策」というものがある。これは「食料税の導入と税納付後の残余農産物を市場で自由に売買してよい」という市場原理の部分的導入で、スターリンらはこれによって農業部門を成長させ、段階的に工業化を進めようとしていた。
(だが、その願いは裏切られた! 譲歩すればするほど農民どもはつけあがり、国家の方針にことごとく反対して農業の近代化を頓挫させようとした!)
結論からいえば、ネップは失敗だった。
保守的な農民はあいかわらず古い自給自足の生活にしがみつき、ムラの外の世界や新しいものをほとんど脊髄反射で否定する。トラクターや農薬を投入して生産性が上がっても「自分たちが必要な分だけ作ればいい」と生産量を増やすのではなく、その分だけさっさと仕事を終わらせて酒場で呑んだくれている始末だ。
そして少しでも穀物が余れば、これまた何も考えずに倉庫入りである。農業機械を買ったり投資しようという発想はさらさらなく、せっせと倉庫に貯めこむだけ。それを「堅実」と自画自賛し、酷いケースでは豊作でありながら穀物を貯めこんだ為に都市部で餓死者が発生した事すらあった。
穏健派のブハーリンらは穀物の買い取り価格上昇を主張したが、結果は惨憺たるものだった。供給不足に伴う更なる価格上昇を見込んで、穀物の退蔵は一層深刻化した。これでは工業化に必要な資本を蓄積するどころか、農業生産性の向上すら見込めない。
都市部の飢餓を他所に富農たちは穀物値上げによってさらに肥え太り、生きるために娼婦となった都市労働者の妻や娘を裏路地で買いあさる……そんな地獄を目の当たりにしたスターリンが「農民は敵だ」と判断しても責められる者はいないだろう。
(儂と同志たちがあの熾烈な内戦を戦ったのは、無学で保守的な農民を肥え太らせるためではない! 後進国ロシアを近代化させ、西欧列強とブルジョア共の搾取から守るためだったのだ!)
だが、農民たちは祖国の工業化に協力するどころか、自分たちの利益のために都市部を犠牲にしようとしている。愛国者として許せるはずが無かった。交渉の余地はなく、力づくで従わせるしかない。誰かが、それをやらねばならなかったのだ。
「つまるところ大衆の大部分は愚かであるから、エリートは自らがエリートである事を自覚しながら大衆を導かなければならない。国家運営を大衆の手に委ね、彼らに期待するようではいかんのだ」
スターリンの見るところ、西欧の自称『民主主義者』は大衆の愚かさを理解できていない。民主主義とポピュリズムに本質的な違いはなく、政治や経済の専門家でもない彼らに国家運営を任せるのは危険過ぎた。
仕事というものは、結局のところその道のエリートに任せるのが一番である。餅は餅屋に、戦争は軍人に、政治は政治家に。学者や政治家の知り合いを持った実務経験豊富な官僚一人の意見は、仕事帰りにウォッカを呑みながら政治を語る炭鉱労働者1000人ぶんの価値がある。
もはや一刻の猶予もない。誰かが、それをやらねばならない。そしてそれは、必ず「強い指導者」でなければならなかった。
歴史を紐解けばイワン雷帝しかり、ピョートル大帝しかり。広大なロシアの大地に住む多様な人々をまとめあげたのは、いつも彼らのような「強い指導者」だったのだから。
(皇帝は、帝位についたその瞬間に皇帝となる!いや、そうならねばならんのだ!)
ロシアに君臨する名門ロマノフ家の遺伝子に組み込まれた強烈な使命感は、スターリンの憑依を経てより一層強固なものとなっていた。
あえてロシア農民の名誉のために補足しますと、今まで封建制のルールのもと貴族の土地で小作しながら生存ギリギリで生きてたような農民が大半でしたので、いきなり革命で「明日から資本主義のルールで動け」って言われても、そう簡単に思考も行動も変えられないんだろうなぁと