第45話 スヴォーロフ作戦
皇帝ニコライ2世が国内を完全に掌握してから3ヶ月後―――。
ついに万を期して、復活したロシア帝国軍の総力を挙げた最大規模の反撃作戦が開始された。
この作戦にはニコライ2世ことスターリンの生前、ソビエト連邦で完成を見た機動戦と火力戦の極致である、「縦深攻撃」のエッセンスが至る所に散りばめられている。
いかに前世の知識があるとはいえ、スターリン一人では完成させることは出来なかったであろう。
実際、新しいロシア帝国軍のドクトリンを理論化するにあたってニコライ2世ことスターリンも色々とアドバイスしているのだが、うろ覚えな上にかなり知識にテキトーな部分もあって、正直なところ参謀部からは余計な口出しにしか思えないものも多かった。
とはいえ、発想としては参考になる部分もあり、また理論を巡って参謀部で論争になった際には皇帝が大まかな方向性を示す(騎兵戦の信奉者を抑えて戦車の有効性を主張する一方、大胆な機動戦には慎重で砲兵火力を重視、など)ことで、ブルシーロフらと討議しながら全体の方向性を固めていった。
ブルシーロフらロシア軍参謀本部がまず目指したことは、ドイツ軍の強さの源である「浸透戦術」とそれを改良した「パンツァーカイル」をいかに無効化するかだ。
ブルシーロフら将軍たちは、その弱点を以下の3点にまとめる。
①少ない兵力を一点集中突破させて薄く線形に伸ばしていくため、突破口の両脇を敵に保持されてしまうと、そこから突破口を塞がれて前後に分断、下手をすれば突入した部隊が包囲殲滅の憂き目にあう。
②戦車等を含む突破用の『突撃部隊』と、後続の制圧に使われる歩兵部隊が別個に運用され、速度差もあるために連携が難しい。
③面ではなく点での制圧であるため、孤立した敵にしぶとく抵抗されると結局は消耗戦に引きずり込まれてしまう。
もちろんドイツ軍側もまた、こうした弱点を認識していかなかったわけではない。
しかしながら①への回答は多点突破ということになろうが、兵力と火力を集中させねばそもそも戦線を突破できない、という本末転倒になりかねない。
②に関しても、歩兵の機動力があげられない以上は連携を重視すれば機動部隊が歩兵部隊に合わせるしかなく、肝心の機動力が犠牲になってしまう。
③については、「ロシア軍は士気が低い」という、つい最近まではそれほど間違っていなかった前提条件をもとに浸透戦術が考えられている以上、結果論でしかない。
「こうした問題点は先の首都攻防戦に限らず、私の攻勢でも同様に発生していた問題ですが、制約条件下で最大限の効果を発揮するためのセカンドベストでした」
ブルシーロフは居並ぶ指揮官たちの前で、先のペトログラード攻防戦で使われた敵の新戦術「パンツァーカイル」の弱点を丁寧に分析していく。
「で、どうするつもりだ?」
「前提を変えます」
ニコライの問に、ブルシーロフは即答した。
「幸いにも、我々には敵に無い強みが2つあります」
そう言うと、ブルシーロフはニコライの前に一枚の写真を置いた。それは――。
「ロケット弾か!!」
ニコライの目の前に置かれた写真に写っていたのは、先日の戦闘で大量投入されたカチューシャ・ロケット部隊が派手な一斉掃射を行っている姿であった。
「その通りです。多連装ロケット砲の集中運用こそが、カギを握ります。野戦砲の5倍の数をそろえられ、5倍の速度で発射でき、5分の1の軽さで運用できます。もちろん、欠点も多いですが、短時間であれば、従来の25倍の火砲支援をいかなる地形でも得られるのです」
「つまり?」
「我が軍は一時的にですが、ドイツ軍の20倍を超える火力を手に入れることが出来ます」
第一次世界大戦における砲兵戦術は、英仏型と独露型に大別される。前者は「技術」というハードウェアで解決を目指し、後者は「戦術」というソフトウェアで解決を目指した。
前者の極致が「移動弾幕射撃」であり、通信技術の発達に合わせて歩兵・砲兵の連絡を密にとることで、弾幕の援護下で歩兵が突撃するという戦術だ。
基本的に敵陣地の“殲滅”を志向しており、敵軍を物理的に粉砕することで文字通り「砲兵が耕し、歩兵が占領する」を実施しようとしたのである。
対して物資が不足しがちなドイツ軍やロシア軍は、敵陣地の“殲滅”ではなく“無力化”を目指した。奇襲効果を重視し、短期間の砲撃の後にすぐさま歩兵を突撃させた。
ブルシーロフはこれに、最新兵器であるロケット砲を組み合わせ、そしてニコライ2世の助言(という名のうろ覚えの前世知識に基づいた口出し)を加えてアレンジしていく。
さらにニコライ2世が前世知識で見込んだ陸軍大学校教師アレクサンドル・スヴェーチン少将やヴラジーミル・トリアンダフィーロフを参謀とすることで、ハード・ソフトの両方から新しい戦術を作り上げた。
「では、これより今回の反攻計画『スヴォーロフ』作戦の説明をさせていただきます」
満を持して公表された作戦名に、将軍たちからどよめきの声が漏れる。
なにせ軍事史上でも稀な不敗の指揮官アレクサンドル・スヴォーロフの名を冠しているのだ。ロシア軍参謀部がかける期待の程が伺えよう。
「まず、作戦の第1段階で多連装ロケット砲の飽和攻撃を開始します。低コストかつ簡易な作りで持ち運びも容易なロケット砲を、ドイツ軍の防御の薄い戦線に向けて飽和攻撃をかけることで面制圧するのです」
「一時的とはいえ……防衛線を点ではなく、面で制圧することが出来れば多点突破が可能というわけか」
コルニーロフが髭をいじりながら、感心したように頷く。
「だが、敵の妨害があるのでは? それだけの数をそろえるとなれば、敵の偵察機にバレるだろう」
「ええ、なのでロケット砲兵陣地の構築は夜間に行います。大砲と違ってロケット砲は軽くて構造も簡単なため、暗闇での作業でも問題がないことは先の首都防衛線で実証済みかと」
「ふむ……」
「また、数少ないロシア帝国航空隊についても、全て敵の飛行機の妨害のために出動を要請してあります。どの道、ロケット砲の命中率では着弾観測はムダですし、一時的とはいえ砲兵の20倍以上の火力があれば空爆も不要でしょう」
そしてそれだけの高密度で砲撃がなされれば、敵は退却するどころか塹壕で顔を上げることもかなわないだろう。機動力を奪われたまま前線の塹壕陣地に拘束され、続く多点での突撃によって敵軍はバラバラに分断・孤立する。
「そして、ここからがドイツ軍の『パンツァーカイル』との違いですが……我が軍はまず多点突破した突破口を横に接続していくことで、巨大な突破口を作り上げます。人海戦術による飽和攻撃をひたすら繰り返し、正面と突破口の側面の複数方向から敵軍を文字通り、ロシア兵の海に沈めるのです」
ブルシーロフの狙いでは通常の突破口の10倍、20~30kmの巨大な突破口を作り上げる計画となっていた。これだけ広がれば、ドイツ軍が突破口の両脇を抑えて塞ごうとしても耐えられるだけの、充分な防御縦深が構築できる。
「ここから、第2段階へ移行します。まずロケット砲は恐らく弾切れとなるため、通常の砲兵の支援砲撃へと切り替え、残った敵陣地を歩兵と一緒に叩きます。そして突破口に対して、機甲部隊を突入させるのです。こちらは従来のブルシーロフ攻勢および浸透戦術と違いありません」
自分の名のついた戦術を自分で言うのが恥ずかしいのか、ブルシーロフはいったん咳をして意識を集中させる。
「しかし戦車や装甲車、自動車といった機甲部隊だけでは戦力が不足するでしょう。そこで騎兵部隊とコサック兵、タチャンカ(機関銃を搭載した馬車)を突入させます」
「騎兵! コサック! タチャンカ!」
再び、コルニーロフが嬉しそうな声を上げる。もともとコサックの騎兵出身であった彼にとって、思い入れの深い兵種だ。科学技術の進歩による火力向上で出番が失われつつあった騎兵だが、こんなところで日の目を見ようとは。
「――失礼、騎兵の機動力なら戦車に随伴できるというのは理解できるが、敵の側面攻撃を受けたらどうするつもりかね?」
慎重派のクロパトキンが釘を刺す。しかしその問いは、ブルシーロフにとっても想定されたものだ。
「たしかに突破口の両端では、敵の側面攻撃も考えられます。なのでそちらには装甲部隊の比率を増やしますが、20~30kmもの突破口を開けば中央の15~25kmには孤立した歩兵部隊しか残っていないはずですので、敵の機動予備による側面攻撃を気にする必要は無いかと」
また、騎兵部隊は原則として敵陣地へ騎乗突撃はしないこともブルシーロフは徹底した。
「騎兵というより、“馬に乗った歩兵”としての活用となるでしょう。騎乗はあくまで素早い移動手段としてで、陣地に対しては通常の歩兵と同様に軽機関銃および軽迫撃砲の支援を受けつつ、徒歩で対応します」
「それでも潰せない場合は?」
「無理に制圧はしませんが、かといって放置して先に進むのも危険です。なのでその場に留まって敵を拘束しつつ、増援を待ちます」
裏を返せばこちらも騎兵部隊の一部が拘束されるということでもあるが、それをしてなお余りある騎兵戦力をロシア帝国は保有している。特に有名なドン・コサック軍は150万もの兵力を有していた。
「幸い、突破口を大きく開いているため、敵に前後を分断される恐れはありません。ですので、最終的には歩兵部隊の第2陣がスチームローラーのごとく敵を踏み潰すことで、突破と制圧を同時に行います」
「正面突撃するのか?」
「いえ、それでは大損害が出ることは西部戦線で証明されています。こちらは兵力の優位を活かし、戦術レベルにおいても包囲殲滅を目指します」
包囲殲滅はクラウゼヴィッツの時代から続く、古典的にして今なお現役の戦術である。その実行には敵よりも多くの兵力ないし火力が求められるが、幸いにして兵力ではこちらが上、火力についても兵站の関係から互角かそれ以上に持ち込めるはずだ。
「各部隊は半数を‟拘束部隊”として、攻撃によって敵の動きを封じます。目的は敵兵力の転用・抽出の阻止であるため、突破は狙いません。残る片方の旅団は‟打撃部隊”として敵の側面から背後に回り込み、包囲殲滅を繰り返すことで最終的には敵兵力そのものの撃滅を狙います」
「だからこその、機械化部隊というわけか」
「はい。そのため機械化部隊も個別の軍団に振り分けるのではなく、司令部直轄の『作戦機動打撃群』として別系統で動かします」
ブルシーロフの構想では、作戦に参加する部隊は全部で3つの梯団に分けられる。
第1梯団は敵の防衛ラインに穴をあけることに集中し、第2梯団は突破口から波状攻撃を行って戦果を拡張する。そして最後に、第3梯団として機械化された「作戦機動打撃群」が機動力を活かして敵の退路を遮断して、最終的には敵の軍団を丸ごと包囲殲滅するのだ。
こうした作戦レベルでの連続攻撃に加え、戦術レベルでも各部隊は「拘束部隊」と「打撃部隊」に分けられ、前者が攻撃によって敵の動きを足止めしている間に後者が背後に回り込んで包囲殲滅を狙う。
個々の部隊は戦術レベルでも作戦レベルでも明確な目的と目標を与えられ、それに沿って被害を顧みず忠実に軍事行動を行うため、いちいち現場から司令部に指示を仰いだりする時間はかからない。迅速に敵軍の対処能力を越えた密度と速度で攻撃することが、練度の低い部隊であっても可能となるのだ。
だが、問題は兵力であった。
「理屈は分かるが、これでは兵力が足りないぞ? 我が国は人口大国だが、工業力は未だ貧弱だ。動員兵力はドイツとそう変わらないから、なるべく無駄な兵力の消耗は避けたい」
慎重派のクロパトキンが念押しのように確かめる。
――これはよく勘違いされがちなことだが、言うほどロシアは「兵士が畑からとれる」わけではない。
純粋な人口で言えばそうかもしれないが、実のところ人口=兵力ではなく、人口×工業力=兵力である。ロシアは人口こそドイツの倍だが、工業力では半分ほどでしかない。
極端な話、1万発の弾を持つ兵士2万の軍隊と2万発の弾を持つ1万の軍隊が戦えば、後者が勝つのは明白だ。人口大国のインドや清が西欧に後れを取ったのも、まさにそういった理由であり、貴重な火力をいかに決勝ポイントに集結させられるかが勝敗の雌雄を決する。
「だからこそ、こちらから動くのだ――そうだろう? ブルシーロフ」
クロパトキンの言葉に、にやりと意地の悪い笑みを浮かべたのは猛将コルニーロフだった。
「ペトログラードの戦いでドイツ軍は攻勢能力を失い、主導権はこちらにある。主導権があるということは、こちらは好きなタイミングで好きな場所を戦場として選べるというわけだ」
「敢えて、シュリーフェン・プラン式の‟内線作戦”を行うというわけか」
クロパトキンの問いに、ブルシーロフは無言でうなずいた。
通常、兵力集中と遅滞戦術の組み合わせである「内線作戦」は兵力の少ない側が行うものとされるが、歴史を見れば必ずしもそうとも言い切れない。
たしかにナポレオンなどは、例えば4つの戦場で同時に合戦を行って3つの戦場を少ない兵力で防御しながら時間稼ぎしている間、1つの戦場に兵力を集中させて攻撃し、モグラ叩きのように順番に各個撃破していく、といった内線作戦を得意としていた。
また、東洋の日本でも戦国時代に織田信長という名将がおり、彼は圧倒的な物量を有していながら、通常は兵力の多い側が用いるとされる包囲殲滅を目指す「外線作戦」ではなく、敢えて「内線作戦」を好んだ。
鍵となるのは3点で、①主攻撃正面でいかに素早く決着をつけるか、②それ以外の戦線で少ない兵力でどれだけ長く持ちこたえれるか、③各戦線の兵力を、どれだけ迅速に主攻撃正面に転用できるか、である。
これに対するロシア帝国軍の回答のうち、①がブルシーロフが説明したロケット弾の多用と機械化部隊による突撃だ。
「防御に関しては、従来の塹壕陣地にさらに改良を加えて線状の塹壕を並べるのに加えて、大隊レベルで独立した円形の全周防御陣地である『パックフロント』をいくつか配置します」
この「パックフロント」は浸透戦術への対抗策の1つで、敵に防御の弱い部分から背後に浸透されてたり孤立しても大隊レベルで頑強に抵抗でき、これが②に対する答えとなる。
そして③は前世知識でニコライ2世が参謀に推薦したアレクサンドル・スヴェーチンとウラジーミル・トリアンダフィーロフが発明した、新しい概念である「作戦術」を取り入れた。
これは従来の「戦術的な勝利を重ねれば、自然と戦略的な勝利を達成できる」という発想を否定し、「まず戦略的な勝利のために全体のグランドデザインを描き、戦術的な勝利を戦略的な勝利へ繋げていけるよう調整しなけれいけない」という考えが根底にある。
つまりある方面でのミクロな「戦術勝利」と別の方面での「戦術勝利」をうまく協調・連動させ、よりマクロなレベルでの「戦略勝利」を目指すという考え方が、「作戦術」の概念であった。
言い方を変えれば西欧諸国が未だ目先の戦線における戦術的勝利にこだわっていたのに対し、既にロシア帝国軍では複数の戦線からなる広大な戦域全体を視野に入れるという、新しい時代の戦争に対応したソフトウェアが芽生えていたことを意味する。
決勝方面(例えば、バルト戦線)に兵力を集中するためにそれ以外の戦線(例えば、ベラルーシ戦線、ウクライナ戦線)では兵力を節約すること、そして決勝方面以外の戦線では防御の優位性によって兵力の不利を補いつつ「防御」するというよりは「遅滞」によって時間を稼ぐ。
その間に決勝方面では圧倒的な兵力で攻撃することで迅速に勝利し、さらに部隊を複数の梯団に分けて絶え間ない連続攻撃によって戦果を拡張すること――。
このスヴォ―ロフ作戦において、ロシア軍は全ての軍事行動が互いに協調・連動してシナジー効果を発揮するように設計されていた。
「――以上が、スヴォ―ロフ作戦の全貌になります。我々はこの一大作戦によってバルト地域を奪還し、一気にポーランドまでドイツ軍を押し戻す」
ブルシーロフの説明が終わると、圧倒されたような溜息があちこちで上がった後、しんとした静寂が降りた。
そして――。
「素晴らしい! 実にすばらしい!! これぞ、我がロシアが求めていたものだ!!」
皇帝ニコライの轟くような笑い声が部屋中に響いた。
基本は「縦深攻撃」の第一次世界大戦仕様。足りない機動力は、東部戦線では割と活躍してた騎兵で補う(ソビエト・ポーランド戦争でも、騎兵はけっこう活躍してましたし)。
実はイギリス軍のダグラス・ヘイグも、大規模な騎兵部隊を使った連続攻撃を考えたいたとかいないとか。
あと「ソ連軍は質より量」って評価するのは「織田軍は質より量」って言ってるようなもので、たしかに人口は強みだったけどそれを活かす戦い方(火力の重視、巧妙な内線作戦、戦略的な攻撃主義と戦術的な防御主義など)をしていた点は強調しておきたい(謎の義務感)