第43話 バスに乗り遅れるな
ペトログラード攻防戦で勝利をおさめた興奮がまだ冷め止まぬ頃、冬宮殿には立憲民主党の党首パーヴェル・ミリュコーフと十月党の党首アレクサンドル・グチコフの2人が呼び出されていた。
ミリュコーフは歴史学者でもあり、グチコフは保険会社の経営者で、どちらも西欧的なエリートといった風貌を漂わせている。
ちなみに当時、ロシア帝国の下院にあたるドゥーマでは定員450名のうち、愛国・民族諸派のロシア人同盟が88議席で旧「黒百人組」系統の極右過激派が64議席となっており、連立に成功すれば152席で最大の勢力となる。
対する左翼系は24議席に過ぎず、中道左派の進歩党が47議席、中道自由主義の立憲民主党が57議席、穏健な保守派の中央党が33議席、保守派の十月党が99議席であった。
なお、開戦と共にスターリンの古巣たるボリシェヴィキを含むロシア社会民主労働党は既に非合法化されており、そのせいで大勢の党員が英仏に亡命していたりする。
そして皇帝ニコライ2世はドイツ軍の本土進攻に際して全土に「非常事態宣言」を発令、さらに必要に応じて「戒厳令」を発令して軍による反政府活動の取り締まりを強化した。
まだ辛うじて社会革命党やトルドヴィキは息をしているものの、前述の厳しい取り締まりによって虫の息であり、皇帝ニコライ2世は残るを立憲民主党と十月党、そして中央党に進歩党といった諸政党の党首たちに対して、戦争遂行のために挙国一致内閣の成立と『城内平和』を要請する腹積もりであった。
要は国全体が先勝ムードに包まれ、皇帝の支持率も上がっている今のうちに自分に都合のいい内閣を民主的に組閣して、人気取りと傀儡政権作りという二兎を追う算段である。
「ドイツのブルクフリーデン、フランスのユニオン・サクレ、イギリスの大連立……他国では皆が一丸となって勝利に邁進している最中だ。我が国においても、国を挙げての戦争中に背後から刺すような獅子身中の虫は売国奴しかおるまい。そして諸君らは、そうでないと儂は期待しておる」
この時、ミリュコーフとグチコフは、立憲民主党と十月党による大連立「進歩ブロック」の形成を構想していた。しかし、そこに皇帝ニコライ2世が待ったをかけ、直々により勤皇な保守ブロックとも連立するように指示したのだ。
これに驚いたのは、呼びつけられたミリュコーフとグチコフたちの方である。
(まさか、あの議会嫌いの陛下が議会の支持を取り付けようとするとは……!)
ちなみにロシア帝国では議会こそ存在するが機能は立法権に限定され、内閣を構成する国務大臣の任命は出来ず、内閣も議会に対して責任をもたない。
つまり行政権は完全に皇帝が抑えており、宰相と大臣の任命権はもちろん、外交指導権に統帥権も皇帝が持つ。加えて議会の解散権に法案拒否権まで保有しているため、皇帝はその気になれば拒否権の乱発や解散によって、いつでも議会を機能停止に追い込むことができた。
だが、スターリンは世界大戦を勝ち抜くためには、議会を廃止するよりも利用した方が得だと考えていた。
もっとも、自由な議論などさせる気はない。
(素人の政治家が私利私欲のために互いの足を引っ張り合い、何も決められない欧米式の自由な議会は百害あって一利なし……だが、ソ連党大会のように団結した議会であれば、国家の威信と国民の団結を見せつけることが出来る)
国家総力戦では、これまでの戦争の比ではない兵器・兵士・兵站・生産力・技術力・資金力が求められる。総力戦とは消耗戦に他ならず、スターリンは議会を手なずけることで広範囲な国力の動員を目指していた。
そのため「普通選挙」を認めて有権者の権利こそ拡大するが、「思想・言論の自由」という一定の反政府的な活動を認める権利に関しては厳しく制限する……目指すはオール与党の翼賛議会であった。
「ドイツ帝国は強大な敵だ。内輪で揉めていては、勝てる戦いにも勝てなくなってしまう」
皇帝ニコライ2世は続けて、立憲民主党と十月党の内情に触れた。
「にもかかわらず、両党ともに祖国と国民の為に団結するどころか、内輪揉めばかりを繰り返して政争に明け暮れているのはどういうわけか」
ニコライ2世の言葉は、ミリュコーフとグチコフの痛いところを突いた形となった。まさしく皇帝の指摘通りで、戦時に及んでドゥーマの二大政党たる両党は内ゲバばかりを繰り返していたからだ。
具体的には、立憲民主党は主流派で進歩寄りのミリュコーフ率いる‟言論”派と、非主流派の保守寄りのストルーヴェ率いる‟道標”派に分裂し、十月党は左派・中道・右派の3つに分裂している。
「もし大連立に加わるならば、ドゥーマに宰相の不信任決議権を与えることを約束しよう」
「ほっ、本当ですか!?」
皇帝の言葉に、立憲民主党のミリュコーフは思わず言葉を漏らしてしまう。
これまでロシア帝国において宰相の任命は皇帝の選任事項であり、責任内閣制ではなく超然内閣制がとられていた。内閣は皇帝に対してのみ責任を負い、議会にも政党にも一切拘束されることがない。
だが、不信任決議権がドゥーマに与えられれば、皇帝の指名した宰相を否定するという形で行政を牽制できる。宰相不在では行政府は動けないため、おのずと皇帝もドゥーマに妥協せざるを得ない。
(いや、しかし皇帝陛下は未だに、いかなる時でもドゥーマの解散・再選挙を行う権限を保有している……油断は出来ない)
だが、それでも今までのツァーリ専制に比べれば、明らかな譲歩である。有名無実化された議会の復活に皇帝が前向きになっている、このタイミングを逃せば次はいつになるか分からない。
それ以外にも懸念はあった。
「この期に及んで、労働者だの貴族だの、左翼だの右翼だの内ゲバしては敵を利するだけだ。特定の階級のみを支持基盤とするのではなく、全てのロシア臣民の共通の利益になるような政策を行う。様々な階級の利害関係を調整して国を導く、前衛的かつ包括的な政党が必要だとは思わんかね?」
案の定、ミリュコーフの懸念通り、皇帝ニコライ2世は「大連立」を戦時の一時的な戦時挙国一致内閣としてでなく、平時にも「包括政党」として存続させようとしている節がある。
ここでいう「包括政党」というのは、社会主義国というより民主主義国の戦時内閣やファシズム国家でよく見られたものだ。
総力戦に備え、自由主義者から保守主義、極右まで様々なイデオロギーを内包し、さらに労働者・農民・軍人・貴族・ブルジョワといったありとあらゆる社会階層を無理やり1つに取り込む。
そしてイデオロギーの左右を問わず、全階級・全階層のあらゆる国民から支持される政党が議会で多数派を占めることで、議院内閣制のもと立法・行政が一体となって強力な政策を推し進めるのだ。
(もし大連立が常態化すれば、実質的に政党政治による議会制民主主義は有名無実化してしまうのではないだろうか……?)
「全ての階層を取り込む」というのは一見すると民主的に見えるが、実際にはこうした包括政党は独裁国家との親和性が非常に高い。
1つの包括政党というピラミッド組織に全ての利害関係者を取り込むことで、かえって多様性が否定されるからである。
つまるところ「多様な階層を取り込んだ党が出した結論であれば、全ての階層に配慮できているはず」という前提のもと、党だけが唯一の政治議論の場となるからだ。
ミリュコーフが悩んでいると、グチコフが先に口を開いた。
「陛下。恐縮ですが、先に挙国一致内閣についての御心をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
皇帝ニコライ2世はニッコリと頷き、さらに挙国一致内閣の顔ぶれについて提案する。
「大連立が成立した暁には、まず国家評議会の議長に無所属のゲオルギー・リヴォフ公爵を任命するつもりだ」
ロシア帝国の上院にあたる国家評議会は、定員196名のうち半数が勅選議員、残る半数98席のうち56議席が各地方のゼムストヴォの代表、貴族から18議席、ロシア正教会から6議席、業界団体から12議席、科学アカデミーから6席、フィンランド議会から2議席というもの。
そのため国家評議会は完全に保守派の牙城で、地主や資本家に有利な選挙制度ながらもリベラル派が多くを占めるドゥーマとは対立関係にあった。
リヴォフ公爵は、地方ごとに設置される地方議会を束ねるゼムストヴォ連合議長であり、その影響力を通じて広範囲な国家の提携が期待されていた。公爵自身は無所属であるが、党派性の無さはむしろ連立政権でこそ輝く。
「それから、高齢の現宰相ゴリツィン公爵は退任させる。そしてミリュコーフは外務大臣、グチコフは宰相に任命すると約束しよう」
現宰相のゴリツィン公爵は高齢で、戦時宰相に留めるには荷が重いとのことだった。一方で宰相とそれに次ぐ重要ポストの外務大臣を提案されたことで、二人の政治家はにわかに色めき立つ。
「どうかね?」
反動的なニコライ2世にしては、随分と進歩的な内閣改造案である。白髪のミリュコーフと眼鏡のグチコフは顔を見合わせ、まずはグチコフがこの提案を承諾した。
「十月党としては、何ら問題はございません!陛下の寛大な御心に感謝し、お国の為に粉骨砕身させて頂く所存であります!」
もともとグチコフ率いる十月党は大地主や商工業者を支持基盤としており、強力な君主権力に基づく立憲君主制を理想としている。
要求も普通選挙の実施や言論・思想の自由などに留まり、土地や富の再分配といった社会改革には否定的だった。
十月党はツァーリ体制下でも工業化を通じた発展は可能だと考えており、また「ロシアにはロシアの風土・文化・価値観があり、西欧流の人権や民主主義は馴染まない」というのが彼らの主張であった。
グチコフの反応を見たミリュコーフは一瞬だけ目を見開き、実利と理想の狭間で思い悩む。
(党内の統一については、私も常々それが必要なのではないかと考えていた……)
立憲民主党は、貴族な知識専門職層と地主貴族を主な支持層とし、党員には大学教授や弁護士が多い。
主な主張は普通選挙に言論・思想の自由に加え、責任内閣制と地方自治の拡大、司法権の独立の強化、累進課税、義務教育、女性や少数民族の権利拡大と、西欧型の民主主義を理想としている。
しかし立憲民主党に党議拘束のようなものは存在せず、理想とした西欧モデルとロシアの現実のギャップによって常に党内分裂が起こりがちであった。
そして実際に史実では社会主義勢力と提携すべきか、それとも帝国政府と提携すべきかで分裂してしまい、どちらも最終的には倒されている。
史実では左派との提携を選んだミリュコーフであったが、皇帝ニコライ2世の提案を受けてひとつの目論見が生まれた。
(この大連立に加われば、連立政権内の左派として党を1つにまとめられるのではないか……?)
立憲民主党の構造的な弱点は、良くも悪くも穏健で中道な政党であることだ。良く言えばバランスがとれた、悪く言えば中途半端なものになりやすい。
実際に結成当初こそ党員数は10万人を数え、「我々は全ての階級を超えた、全国民的な政党である」と豪語していたものの、今では党員も半数にまで減少している。
結局のところ、立憲民主党は「自由主義的な地主のブルジョワ政党」でしかなかった。しかし大衆政党たらんとする理想を追求し続けた結果、労働者から農民、商工業者まで八方美人的な態度をとって全員から愛想をつかされた、というのが現実である。
そんなミリュコーフの内心を見透かしたように、皇帝ニコライ2世は厳かに言う。
「連立政権の中であれば、もっとも進歩的な派閥として結集することも出来よう。そしてその役目にはストルーヴェよりも、そちが相応しいと考えておる」
(……っ!)
対立派閥の長の名前を出され、ミリュコーフは揺らいだ。
(もしこの場で断れば、皇帝は私の代わりにストルーヴェを連立に組み込むつもりだ……党を割るか党内クーデターを起こすか、あるいは―――)
一方で、皇帝の提案それ自体は非常に魅力的であった。
立憲民主党よりも左に位置する政党が全て非合法化されれば、ある意味では体制内で唯一の左派勢力として立憲民主党およびミリュコーフ派の求心力は相対的に高まる。
戦争で愛国心と皇帝人気が高まり、反対派への弾圧も厳しくなる中では下手に対抗するより、自ら率先して体制に参加して有利な立場を占めるべきではないか。
「ミリュコーフ、バスに乗り遅れるな」
皇帝の慈悲深い、最後の警告であった。
「………」
逡巡の末、ついにミリュコーフは皇帝に屈した。
「祖国の為、謹んでこの身を捧げましょう……」
かくして皇帝ニコライ2世との協議のもと、ドゥーマでは大連立による挙国一致の戦時内閣が組閣されることになる。
皇帝は思想・言論の自由は未だ否定するものの普通選挙と責任内閣制については譲歩し、議会は城内平和と皇帝支持を約束するという取引であった。
***
そして予定どおり宰相ゴリツィン公爵は辞任し、後任には保守的な十月党からアレクサンドル・グチコフが就任した。グチコフは保守政治家であったものの、貴族階級出身ではなかったことから「平民宰相」と庶民ウケは悪くない。
だが、ニコライ2世の改革はそれに留まらなかった。
「ロシア帝国は既に25歳以上の男子普通選挙に向けて、粛々と準備を進めている」
ラジオを通じて発表されたツァーリの爆弾発言はすぐさまロシア中に広まり、戦時下で忍耐を強いられていた民衆や前線の兵士をたちまちのうちに熱狂させた。
「先ほどの発言を聞いて、皆がこう思っているだろう……‟それは、いつからなのか?”と。そして、朕の答えはこうだ」
―――直ちに、そして遅滞なく。
だが、この「普通選挙の実施」が持つ真の意味に気づいた者は、この時ほとんどいなかったのである。
ちなみに史実のスターリンが共産党内で権力を握った背景ですが、もともと「エリートの前衛党」だったソ連共産党の入党条件緩和することで素人を大量に入党させ、反エリートの多数派を形成して少数派に転落したエリート組のライバルを蹴落とす、という割とポピュリズム的な手法を使っていたそうな。
実は独裁者から見ると民衆よりも身近なエリート層の方がライバルで、意外と民衆の方もエリート層への反発から独裁者を支持しがち……みたいな構図って歴史あるあるのような。